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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

長慶天皇陵(弓手原)

2015年09月04日 | 
長慶天皇陵
 長慶天皇陵は全国にたくさん有るようです 撮影日;2015.08.23

 長慶天皇は後村上天皇の第一皇子で南朝の第三代天皇です
 長らくその即位が疑問視されてきた幻の天皇でした
 大正15年に詔書によって長慶天皇は第九十八代天皇として正式に皇統に加えられました

長慶天皇陵説明版 慶天皇陵墓

 野迫川村の弓手原に伝わる伝承
 長慶天皇が険しい山々を歩いて下向を続ける途中、この地に辿り着きました
 長慶天皇は長旅により疲れ果て口もきけないほど空腹となり、杖にしていた弓で腹を叩いて空腹を告げたほどだったという
 (この事に由来してこの地が「弓手原(いではら)」と名付けられたとの伝説が語り継がれています)
 その後、長慶天皇はこの弓手原の山の中で崩御されたと言い伝えられていて、墓所跡も残っていたという
 近年、この古くから地元住民に語り継がれていた長慶天皇の墓所跡の整備が行われました


★所在地;吉野郡野迫川村弓手原
★交通;弓手原春日神社から北東へ800mほど
★駐車場;スペース有り
★見学; 自由
★問合せ;


太鼓山古墳「伝安積親王墓」

2015年07月13日 | 
太鼓山古墳
 周りは見事な茶畑です 撮影日;2015.07.02

 太鼓山と呼ばれる小山の頂部に築かれています
 径8m・高さ1.5mほどの円墳

 円墳の周囲を瑞垣で囲っていますが、北側が不自然です
 岩が露出していて、造り出しあるいは短い前方部が有るように見えます
 古墳だとすると、5~6世紀頃の築造でしょうか?

太鼓山古墳石塊 伝安積親王墓背後

 安積親王の和束墓として宮内庁が管理しています
 この陵墓は、墓域面積が988平方m
 参道は92m有ります

 戦前までは、この陵墓の周辺は松林で、参道の両側には大きな老松がうっそうと茂っていたそうです
 戦後、茶業の振興のため老松は伐採され、太鼓山は美しい茶畑に変わりました

太鼓山古墳「伝安積親王墓」参道 伝安積親王墓

 安積親王は聖武天皇の第五皇子で、744年17歳で死去
 平城京・恭仁京と紫香楽宮とを結ぶ街道を愛した皇子のために、この地を陵墓として葬られたと伝わる

★所在地;相楽郡和束町白栖
★交通;JR加茂駅より バスで「和束山の家」下車 徒歩2分
★駐車場;近くの和束運動公園に有り
★見学;参拝自由 (お茶の収穫期注意)
★問合せ;


「15A-77」大伴皇女墓≪再訪≫

2014年12月12日 | 
大伴皇女墓
 「大伴皇女押坂内墓」として宮内庁が管理しています 撮影日;2014.11.20

 径10mほどの円墳
 外鎌山南麓の奥の谷の斜面に築かれています
 
 大正年間に測量調査が行われていますが、発掘などされていないので詳細不明です
 古墳時代後期の築造と考えられているようです
 (石室が残っているかもしれませんね)

大伴皇女墓墳丘 @大伴皇女墓

 大伴皇女は、欽明天皇と堅塩媛(蘇我稲目の娘)の皇女で古事記には大伴王と記されています
 推古天皇や用明天皇とは異母兄弟となりますが、はっきりとは分かっていないようです 

★所在地など;大友皇女墓参照


他戸親王墓

2013年03月12日 | 
他戸親王墓
 丘陵地の柿畑に囲まれて陵が有ります 撮影日;2013.03.03

 方形の垣根の中に、一辺10m程の方墳状?の墳墓に眠っています

 他戸親王は、光仁天皇(白壁王)の皇太子です
 宝亀4年(773)、母の井上内親王と供に幽閉され、一年半後に25歳の若さで亡くなった悲運の皇子です

 井上内親王の宇智陵は500mほど南方に有ります

★所在地;五條市御山町ハカ山
★交通;JR五条駅より バスで御山町下車 徒歩5分
★駐車場;スペース有り
★入場料;参拝自由
★問合せ;


坂合黒彦皇子墓

2012年10月26日 | 

 坂合黒彦皇子は雄略天皇の兄です 撮影日;2012.10.15

 ジヲウ古墳「17C-177」です(城ノ塚古墳とも言われます)
 安政年間(1854~59)に比定され、宮内庁が管理しています

 *坂合黒彦皇子*
 『日本書紀』に、弟の大初瀬皇子(雄略天皇)により、異母兄の眉輪王や義父葛城円とともに円の屋敷ごと焼き殺された(眉輪王の変・456年)とされ、新漢(いまきのあや)の槻本の南丘に合葬されたと記されます
 「新漢槻本南丘」は「天狗森古墳」と呼ばれる今木の南側の丘陵地も候補地です

★所在地;吉野郡大淀町今木字ジヲウ
★交通;近鉄下市口駅より ふれあいバスで「今木交番前」下車 徒歩1分
★駐車場;なし
★入場料;参拝自由
★問合せ;


良助親王墓

2012年05月06日 | 
良助親王墓
 「冬野墓」と呼ばれています 撮影日;2012.04.29

 良助法親王(りょうすけほっしんのう)(1268~1318)は、第90代亀山天皇の第4皇子とも第8皇子とも言われます

 良助法親王は、幼少から仏門に入り、京都青蓮院の尊助法親王の弟子となった人です
 成長して、天台宗延暦寺の座主をつとめたこともあるという
 後に多武峰の清浄院に住み、文保2年(1318)年8月18日、50歳で没した
 親王の遺志によりこの地に埋葬されたと伝えられています

 墓域に、親王没後の南北朝末期に作られたものだとされる五輪塔が有ります 

★所在地;高市郡明日香村冬野
★交通;談山神社より 徒歩15分、又は石舞台古墳より 車で15分
★駐車場;スペース有り
★入場料;参拝自由
★問合せ;

 明日香村の東、畑の集落から談山神社へ抜ける道沿いに有ります


宇智陵

2012年01月23日 | 
 非業の死を遂げた井上内親王の御陵です 撮影日;2012.01.15

 井上内親王は、聖武天皇の長女として717年に生まれ、11歳で伊勢神宮の斎宮に赴き119年間奉任します
 30歳の時平城京へ退下し、数年後、白壁王の妃となり、754年38歳の時に酒人内親王、761年に他戸親王を産みます
 770年に白壁王の皇后となり、翌年他戸親王も皇太子になりますが、772年に冤罪をきせられ、皇后・皇太子の位を剥奪されます
 宝亀4年(773)10月、光仁天皇の姉・難波内親王を厭魅した罪により、宇智に幽閉されました
 775年井上内親王59歳のとき、他戸親王は15歳ので毒殺されてしまいました 

 その後、井上内親王の怨霊とかで各所に天変地変が起こります
 延暦10年(800)7月に至って垣武天皇は、皇太子早良親王に崇道天皇の追称(淡路島に葬られる)を与え、井上内親王を皇后に復しました
 
 その墓を山陵として祀ってあります

宇智陵全景

★所在地;五條市御山町
★交 通;JR五条駅より バスで「丹原」下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;

 大野町と御山町の境界辺り、農免道路沿いに有ります
 とても静かな場所です



那冨山墓

2011年04月11日 | 
 聖武天皇の皇子の墓と伝わります

 大黒ヶ芝古墳とも呼ばれます 
 径が11×7.8mで高さ1.5mの円形墳です

 神亀4年(728)閏9月29日に誕生した皇子は翌年の9月、満1歳にも満たず病没
 幼くて葬儀は出なかったが、官人と畿内の百姓と全国の郡司は3日間の喪に服し、那富山に葬られたと云う

 聖武天皇の皇子(母は藤原光明氏)の名前については不明で、宮内庁では御名不詳としています
 基皇子とする説もありますが、これは室町時代に天皇の系図をまとめた『本朝皇胤紹運録』の中で“諱基王”と記されていたことによります
 「諱某王」とされていたものを誤って「諱基王」としてしまったという説があります
 
 墓の4隅に、人身獣頭の像を刻んだ石が立っています
 奈良歴史漫歩 No.041 那富山墓の隼人石 

★所在地;奈良市法蓮町字大黒ケ芝
★交通;近鉄奈良駅より バスで「黒髪奈保町」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;柵がめぐらされています
★問合せ;


新陽明門院陵

2011年02月15日 | 
 後村上天皇中宮顯子笠間山陵です 撮影日;2011.01.23

 第97代後村上天皇の中宮・源顕子こと新陽明門院の御陵です

 後村上天皇は源顕子を中宮として向かえ、坊雲と憲子内親王をもうけました
 中宮源顕子と坊雲は、世を避けて陽雲寺雲上庵に閑居したと伝わります

 後村上天皇は藤原勝子との間に寛成親王(第98代長慶天皇)と煕成親王(第99代後亀山天皇)を輩出しています

★所在地;宇陀市榛原区笠間
★交通;近鉄桜井駅より バスで「笠間辻」下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;

 御陵の参道途中に陽雲禅寺が有ります
 近くに笠間桜実神社が鎮座します



南帝自天皇陵

2011年01月13日 | 
 後南朝の自天親王の墓所とされています 撮影日;2011.01.08

 神之谷金剛寺は、後南朝菩提所としても知られています
 「本堂」に向かって左の急な石段を上がった所に後亀山天皇玄孫の「南帝自天皇陵」があります
 長禄元年(1457)12月2日夜、自天王(尊秀王)は、ここで襲われ、あえない最後を遂げました
 村の者が必死になって後を追い、寺尾の集落で弓の名人大西助五郎が敵将中村貞友を仕留め、王の首と神璽(しんじ)を取り返し、ここに葬ったと伝えられます

宮内庁の河野宮墓板 尊秀王墓と自天王碑

 宮内庁は御墓を自天皇の弟宮である「河野宮墓」として管轄しています
 明治15年(1882)、境内に小松宮彰仁親王題額の「自天王碑」が建てられています

 毎年12月2日(自天王の命日)に当事の郷士らの子孫により御朝拝式が行われます
 神之谷金剛寺の御朝拝式の歴史は室町時代まで遡るそうで、後南朝を興した後亀山天皇のひ孫にあたる自天親王を慰霊する行事です

南帝自天皇陵碑 ケヤキの巨樹

 寺が造られた頃と前後して自生した物と思われる大きな「ケヤキ」の巨樹が、境内へ上がる石段の脇に植わっています
 推定樹齢800年、幹周り6.5m、幹高約30m  

★所在地;吉野郡川上村神之谷126「神之谷金剛寺
★交通;近鉄「大和上市」駅より バスで「湯盛温泉杉の湯」 入之波温泉行きに乗り換え「柏木」下車 徒歩20分
★駐車場;有ります(無料)
★問合せ;


参考;blog・長生きも芸のうち日記のページ