奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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藤原京資料室

2009年11月29日 | 名所
 藤原宮跡がある史跡公園はすぐ近くです 撮影日;2009.10.18 

 「特別史跡藤原宮跡」をより理解して頂くことを目的に、平成18年10月に開室

 展示物は、藤原京の1.000分の1模型・出土品(柱や瓦)・解説パネル・当時の柱を再現したもの・古代衣装をまとった人形など
 CGにより作成したビデオの上映も行われています

★所在地;橿原市縄手町178-1(JAならけん橿原東部経済センター2階)
★交通;近鉄畝傍御陵前駅より 徒歩20分
    コミュニティバスで「橿原市藤原京資料室前」下車 徒歩4分
★駐車場;無料(普通車30台、バス2台駐車可)
★入場料;タダです
★休館日;毎週月曜日、年末年始(12月27日~1月4日)
★開館時間;9:00~17:00
★問合せ;0744-21-1114(橿原市役所 世界遺産推進課)、0744-21-2525(かしはらにこにこコール)

 「飛鳥・藤原の宮都とその関連遺産群」は、平成19年1月30日に世界遺産委員会事務局の暫定リストに登録されています

 参考;橿原市のページ

鎧岳・兜岳

2009年11月25日 | 天然記念物
 火山地形の少ない近畿地方では珍しい地形です 撮影日;2009.10.11 

 鎧岳・兜岳と屏風岩は昭和9年に国の天然記念物に指定されています
 「曽爾三山」とも呼ばれています

 千3百万年前、この辺りは火山活動が活発にあり、火山灰で埋め尽くされた広い大地が残り
 その大地を流れる川が深い谷をつくり、切り立った断崖を持つ鎧岩や屏風岩を形成したようです
 
 鎧岳は標高894m

 鎧岩の中腹の岸壁に境目が数段あるのは、激しい火山活動が何回も繰り返された名残だとされます
 武者が鎧をつけたように見える迫力ある山容がその名の由来です

★所在地;宇陀郡曽爾村葛
★交通;近鉄名張駅より バスで「葛(かずら)」下車 徒歩*分
★駐車場;なし
★問合せ;0745-94-2101(曽爾村むらづくり推進課)

 兜岳は標高 917m

 兜のような柱状節理の岩肌が、戦国武将を彷彿させます
 今井林道沿いにそびえます
 切り立った岩壁にいく筋もの滝が流れ、涼しげな景観を見せるそうです

★所在地;宇陀郡曽爾村今井



 近くにある屏風岩は、高さ約200mの絶壁が約1.5km続きます

お亀池

2009年11月24日 | 名所
「平成の名水百選」に選定された曽爾高原湧水群の源です 撮影日;2009.10.11

 曽爾高原の真中には、お亀池というひょうたん型の池があります
 お亀池の水は雨水と亀山からの地下水がたまったもので、川が無いため水の量にあまり変化がありません

 お亀池の中央には浮島があります
 枯れた植物が非常に長い間にわたって積もって出来たそうです

 お亀池の形成は 湿原堆積物中に広域テフラの鬼界アカホヤが見つかったことや 堆積物の花粉分析と14C年代測定から 最終氷期末の約1万2000年前に始まったことが分かっています
 最終氷期に生じた地滑りの窪地に生まれた湿原です
 噴火口という説もあります

 周囲およそ900m
 希少な湿原植物のサギスゲなどが生育します

 【お亀池の伝説】
昔むかし、若くて美しい娘、お亀が、伊勢国から大和国曽爾村太良路(曽爾高原の西側の川沿い)に住む若者のもとへ嫁に来た。
この夫婦に玉のようなかわいい男の子が生まれたが、お亀は夫に「お暇を下さい」と言い、実家に帰ってしまった。赤ん坊が乳をほしがって泣いて困った夫は、妻が去りぎわ、「もし用があったら、池のあたりで名を呼んで」と言い残したことを思い出した。赤ん坊を抱いて池のあたりまで来て、 「お亀、お亀よお」と呼ぶと、すーっと、お亀が現れ、赤ん坊に乳を飲ませた。赤ん坊がすやすやと眠ると、「もう来て下さるな」と哀しそうに言い残して、すーっと消えていった。
 しかし、次の日も、赤ん坊が夜泣きしたので夫はしかたなく、池のあたりまで歩いていった。すると、池の水がにわかに波立ち、お亀が姿を現し、恐ろしい声で「何故、来た」と言うと、たちまち大蛇の姿となり、大口を開けて襲いかかってきた。その後、夫は大病で死に、大蛇も山火事で焼け死んだという。池はやがて「お亀が池」と呼ばれたそうだ。

 
★所在地;宇陀郡曽爾村太良路(曽爾高原)
★交通;近鉄榛原駅より 曽爾高原行きバスで終点下車 
★駐車場;有ります(600円)
★入場料;湿地帯には入れません
★問合せ;0745-94-2101(曽爾村観光協会)



国立曽爾青少年自然の家

2009年11月23日 | 名所
 キャンプもできます 撮影日;2009.10.11 

 昭和55年開設

 ススキ草原・柱状節理・ホタルの飛び交う清流等の恵まれた環境の中でのハイキングや自然観察、ススキや竹などの自然の素材を使ったクラフト、野外炊飯や天体観測といった研修支援プログラムなどを提供しています

主な施設:管理研修棟(研修室5室・保健室)、エコロジーホール・150~400名の大ホール、宿泊棟(8棟52室)、生活棟(レストラン・浴場)、野外活動施設(キャンプ場・フィールドアスレチック)他

 エコロジーホールには、自然の家の事業や近隣の自然環境についてのパネルを展示しています。図鑑や顕微鏡も常備しています

 利用対象:学校 青少年団体 成人団体 家族
 小学校・中学校の児童生徒を中心に、クラブ活動、学生サークル、ゼミの合宿、子ども会、スポーツ少年団、ボーイスカウト、ガールスカウト等の青少年団体を広く受け入れています

 企業研修、家族、公民館活動、シニアグループ等の一般の団体・グループもご利用いただけます

宿泊定員:400名、キャンプ場 90名

★所在地;宇陀郡曽爾村太良路1170
★交通;近鉄榛原駅より 曽爾高原行きバスで終点下車 徒歩10分
★駐車場;有ります
★休館日;12月28日~1月4日、施設設備整備の日
★問合せ;0745-96-2121、Fax.0745-96-2126
  (国立曽爾青少年自然の家 事業推進課 事業推進係)


 参考;国立曽爾青少年自然の家のホームページ

曽爾高原のススキ

2009年11月20日 | 名所
 見頃は10月中旬~11月中旬です 撮影日;2009.10.11 

 奈良と三重の県境、1038mの倶留尊山の西麓に広がる広大な高原です
 一面見渡す限りのススキが群生しており風によってこの銀色の穂が揺れる様子は見事です
 国立公園です

 穂が開く前のやや赤みを帯びた状態から、穂が開いて銀色の絨毯のようになった頃もまた味わい深い
 夕方、日が沈む前の20分くらいの一時ススキの穂は夕日の逆光を浴び黄金色にそまります

 この高原のススキは曽爾村の萱葺き屋根の材料として長年使われていました

★所在地;宇陀郡曽爾村太良路
★交通;近鉄榛原駅より 曽爾高原行きバスで終点下車 
★駐車場;有料(600円)
★入場料;タダです
★問合せ;0745-94-2101(曽爾村むらづくり推進課)


 参考;春日野観光のページ

歌姫瓦窯跡

2009年11月16日 | 史跡
 ここで平城宮所用の軒瓦・平瓦・丸瓦を焼いていました 撮影日;2009.10.4

 窯の形式は平安時代に一般化するロストル式の平窯です
 軒瓦の形式は比較的新しもので窯が営まれた時期は、奈良時代末期とされます
 昭和51年4月15日に国の史跡に指定されています

 奈良山丘陵にある瓦窯跡は、奈良市と木津川市の両市域にまたがる国史跡指定済みの「歌姫」をはじめ
 木津川市内の「鹿背山」「音如ケ谷」「上人ケ平」「梅谷」
 奈良市内の「歌姫西」「押熊」「中山」の計8カ所有ります

★所在地;奈良市歌姫町・京都府木津川市市坂
★交通;JR平城山駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0742-22-1101(奈良県教育委員会)



長久寺の石仏

2009年11月10日 | 石造物
 毛原長久寺の裏山にはたくさんの石仏が居られます 撮影日;2009.9.23 

 二十五菩薩石仏は高さ115cm・ 幅250cmの安山岩に彫られています
 錫杖・宝珠の地蔵菩薩が20体、合掌する地蔵菩薩が四体
 下段に正保三年(1646)の年号を刻みます
 山添村指定の文化財です

 長久寺中興の祖と仰がれる智龍上人は、自力で山を開き自然を活かしつつ数多くの石仏を安置しました
 明治15年霊場「大師山」を創設しました

 長久寺「霊場大師山」には、四国八十八ケ所霊場を模して
 八十八体の大師石仏、大日如来像、虚空蔵石仏などが刻まれています

 高台の虚空蔵 にこやかなお地蔵様

★所在地;山辺郡山添村毛原459
★交通;近鉄名張駅より 毛原行きバスで毛原神社前下車 徒歩3分
★駐車場;有ります(構造改善センター前)
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)


 参考;智龍上人

「山辺の御井」伝承井戸

2009年11月06日 | 古跡
 50年以上たつ柿の木の下にひっそりと有ります 撮影日;2009.9.23 

 毛原廃寺跡の金堂と中門との間にある径1.2m、深さ7.5mの素掘りの古い井戸です

 寛政3年(1791)発刊の「大和名所図絵」に
 「山辺ノ御井ハ気原村ニアリ」と記されています
 
 毛原には「古エ京原ト称シ帝都タリシ当時ノ飲料水(天子ノ御井トモ言ウ)ナリシト」という口碑が在り
 この井戸が「山辺の御井」の伝承につながります

 井戸横に万葉歌碑が刻まれています 
 和銅5年(712)夏の4月に、長田王を伊勢の斎宮に遣はす時に、山辺の御井にして作る歌
 山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨 巻1-81
 (やまのへの みゐをみがりて かむかぜの いせをとめども あいみつるかも)


 御井の伝承地は他に鈴鹿市山辺町や一志郡新家にもあるようです

★所在地;山辺郡山添村毛原
★交通;近鉄名張駅より 毛原行きバスで毛原神社前下車 徒歩1分
★駐車場;有ります(構造改善センター前)
★入場料;タダです
  民家の庭先です、マナーを大切に
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)


 参考;グラフ・万葉の景色のページ

毛原の六体地蔵

2009年11月05日 | 石造物
 毛原集落の隅っこに優しい顔でたたずんでいます 撮影日;2009.9.23 

 高さ1m弱の整った板状の自然石で、平坦な表面に磨きが入れられています
 平坦な表面に6体の地蔵を横並びに浮き彫りされています

 『山添村史』によれば、これは室町時代後期の製作であろうとされています
 『奈良県史』には江戸時代中期とも・・・

 毛原廃寺が寺院として存在していた頃に造られたのではなく、廃寺になった後に、その跡地にあった自然石に彫刻されたものだそうです

 通常六地蔵は墓地の入り口にありますが、この六体地蔵は墓地からかなり離れています
 廃寺と何らかの係わりがあるようようですが、元は他の場所にあったのかも?

★所在地;山辺郡山添村毛原
★交通;近鉄名張駅より 毛原行きバスで毛原神社前下車 徒歩5分
★駐車場;有ります(構造改善センター前)
★入場料;タダです
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)


 参考;毛原の里へようこそのページ

毛原廃寺跡

2009年11月02日 | 史跡
 全く記録に残っていない大寺院跡です 撮影日;2009.9.23 

 奈良時代、の大寺院と肩を並べていたと思われる
 堂々とした七堂伽藍が立ち並んでいたことを示す礎石群が多数残ります

 金堂は礎石の配置から唐招提寺金堂並の規模を誇っていたようです
 間口約24m、奥行き約13m、30数個の礎石が確認されています
 大半が民家の庭先や畑で見ることができます
 
 南へ40mほど下った場所には中門跡と思われる礎石が10数個点在
 さらに10m下がった地点にも南門跡の礎石が並んでいます
 塔跡の礎石は地中に埋まっているそうです

 寺に関する文献は皆無です
 寺の名称も分かりませんが毛原廃寺跡として国の史跡に指定されています

 東大寺大仏殿建立のため施入された板蝿杣の境域内中心に位置したことから東大寺の杣支配所とも考えられています
 板蝿杣(いたばえのそま)とは:木を植え育て木材を採る山のこと

 地元では史跡保彰会などを作り顕彰しています

★所在地;山辺郡山添村毛原
★交通;近鉄名張駅より 毛原行きバスで毛原神社前下車 徒歩2分
★駐車場;有ります(構造改善センター前)
★入場料;タダです
  地域住民の生活の場です、マナーを大切に
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)

  毛原は笠間川を眼下に見下ろす緑豊かな山あいの小さな集落です


 参考;毛原の里のページ