河内と大和の国を結ぶ要衡として築城されました 撮影日;2006.11.2
信貴山の雄嶽(437m)の、朝護孫子寺の空鉢護法堂が建てられている場所を本丸として
東西550m・南北700m程の城域に120以上もの曲輪が配される大和でも最大規模の山城だったそうです
現在は石碑が建てられているだけ・・・
町指定史跡(平成5年4月12日)となっています
★所在地;生駒郡平群町信貴畑
★交通;近鉄信貴下駅よりバスで信貴山下車 徒歩15分
さらに朝護孫子寺境内を通って25分
★駐車場;有ります(有料)
★問合せ;0745-72-2277(朝護孫子寺)
667年天智天皇の代に築城
天文5年(1536)河内の木沢長政が入城し、本格的に築城を始めますが6年後に落城
永禄2年(1559)松永久秀が、山城を大規模な要塞とします
天正5年(1577)織田信長に攻められ落城
信貴山の雄嶽(437m)の、朝護孫子寺の空鉢護法堂が建てられている場所を本丸として
東西550m・南北700m程の城域に120以上もの曲輪が配される大和でも最大規模の山城だったそうです
現在は石碑が建てられているだけ・・・
町指定史跡(平成5年4月12日)となっています
★所在地;生駒郡平群町信貴畑
★交通;近鉄信貴下駅よりバスで信貴山下車 徒歩15分
さらに朝護孫子寺境内を通って25分
★駐車場;有ります(有料)
★問合せ;0745-72-2277(朝護孫子寺)
667年天智天皇の代に築城
天文5年(1536)河内の木沢長政が入城し、本格的に築城を始めますが6年後に落城
永禄2年(1559)松永久秀が、山城を大規模な要塞とします
天正5年(1577)織田信長に攻められ落城