奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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鴻池古墳群

2012年09月29日 | 古墳
聖武陵陪塚い号
 聖武天皇陵の西150~250m程の所に数基の古墳が有ります 撮影日;2012.09.23

 聖武天皇あるいは藤原不比等の一族の墓所だった可能性が考えられます

 法蓮北畑古墳「5B-35」
 径15mの円墳で横穴式石室が有ったようです
 藤原宮子の佐保山西陵の候補でも有ったようです

 同じ丘陵上に、聖武陵陪塚い号「5B-36」(西淡海公古墳)・は号が並んで有ります (ともに10mほどの円墳です)

 武道館の裏に鴻池古墳「5B-38」が有りました(消滅?)
 径15mの円墳です
 そのすぐ南に、聖武陵陪塚ろ号「5B-39」(東淡海公古墳)が有ります

 奈良地方気象台の進入路に奈良気象台古墳(消滅)が有りました
 ダイカンサマと呼ばれていたらしく、藤原不比等の奈良岡墓(椎岡墓)との関連が指摘されたそうです 

奈良気象台古墳? 法蓮北畑古墳

★所在地;奈良市法蓮佐保山4丁目
★交通;近鉄奈良駅より バスで鴻池運動公園下車 徒歩2分
★問合せ;


きたまち案内所

2012年09月28日 | 名所
きたまち案内所
 ピンク色のかわいらしい建物です 撮影日;2012.09.23

 平成24年7月にオープンしたばかりです

 「鍋屋の交番」として親しまれてきた旧奈良警察署鍋屋連絡所を改築したものです
 (明治41年に「鍋屋巡査派出所」として設置され、昭和3年に50mほど北の現在地・半田横町に移転)
 南北4間・東西2間・木造平屋建・寄棟造・鉄板葺の洋風建築
 南西隅を隅切りして入口を設けています
 平面は、南半分を執務室、北半分を廊下・宿直室とする8畳2室ほどの小さな建物です
 きたまちの玄関口で、地域の観光案内や地域活動の活性化、大学の研究・教育拠点など、さまざまな活動を実践していくことを目指しています 

★所在地;奈良市半田横町37-2
★交通;近鉄奈良駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;無料
★休所日;毎週水曜日、休日の翌々日、12月27日~1月5日
★開所時間;10:00~16:00
★問合せ;0742-23-1928

 斜め向かいに奈良女子大学が有ります(奈良女子大学記念館(旧奈良女子高等師範学校本館)
 近くに西口鰹節商店も有ります


 改築前の旧奈良警察署鍋屋連絡所

古市孤塚古墳

2012年09月26日 | 古墳
古市孤塚古墳
 墳丘はかなり削られていて、おまけにゴミも捨てられ無残な状態となっています 撮影日;2012.09.23

 田圃の畦に残る小さな古墳「8B-9」です

 墳丘には葺き石と思われる5cmほどの小石がたくさん散らばっています
 径10mの円墳(現状はおよそ5mX2mの楕円形) 
 横穴式石室があったようです

 須恵器、耳環等の遺物が出土しています
 築造は古墳時代後期です

 添上郡の伝説*孤塚の怪火*
古市中央部の西方の田の中に、約十平方米位の塚がある。狐塚という。
昔、或る人が、この塚が田の中に在って邪魔になるので、開墾しかけた。ところが、その夜便所にいって、ふと見ると、西方に当たって、見なれぬ火の光がある。怪しいと思って、その方へ歩いていったが、そのままついに帰らなかった。それから、人々は狐塚を恐れて、手をつける者がなくなった。
 
★所在地;奈良市古市町字野神1382
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「横井」下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;


六条野々宮古墳

2012年09月25日 | 古墳
六条野々宮古墳
 初めて西ノ京丘陵で見つかった古墳です 撮影日;2012.09.23

 西ノ京丘陵の東緩斜面途中にある住宅地の一画に有ります
 古墳南側は宅地造成により大きく削られています
 民家の裏山の雑木林として3分の2ほど残っています
 遺跡地図の「5C-95」です

 平成14・15年に発掘調査され、円筒埴輪の据付け穴2基と周溝の一部が発見されています
 奈良時代の須恵器破片も見つかり、周溝の一部も確認されています

 墳丘の築成土や埋葬施設は削平され残っていませんでした
 古墳の形状など定かでは有りませんが、径30m程の円墳と推測されています
 古墳の墳丘自体は、奈良時代以降に壊されたことが分かっています
 規模も大きく、眺めのよい立地に築かれていて、被葬者は在地の有力者と考えられます

 5世紀前半の築造と考えられています 

★所在地;奈良市六条1丁目13
★交通;近鉄西ノ京駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★問合せ;


茅原毘沙門塚古墳

2012年09月24日 | 古墳
毘沙門塚古墳附近の畑
 現状は田畑となっています 撮影日;2012.09.15

 全長45mの前方後円墳で、埋没古墳です
 後円部・径27m 前方部・幅25m

 1996年に発掘調査が行われています
 円筒埴輪、盾形埴輪、蓋形埴輪、家形埴輪、犬形埴輪などが採取されており墳丘には埴輪の配列がなされていました
 幅5mの周濠があったことも確認されています

 築造は古墳時代後期の6世紀頃と推定されています 

★所在地;桜井市茅原 茅原大墓古墳のすぐ西側
★交通;JR三輪駅下車 徒歩15分
★駐車場;なし
★問合せ;

 少しは墳丘があるのか?とおもって訪れましたが、痕跡なしです
 畑になっている場所あたりが、墳丘があった辺りと思われます
 すぐ南に、40~50cm大の石が積み上げられていますが、古墳との関連は???


北浦定政墓所

2012年09月23日 | 名所
北浦定政墓所
 北浦定政は、平城宮跡の研究保存と陵墓の整備に尽くした人です 撮影日;2012.05.27

 古市町の念佛寺の墓地に有ります
 北浦定政公の墓 

 平城宮保存の先駆者 北浦定政墓所
 平城宮跡の研究保存と陵墓の整備に尽くした北浦義助藤原定政は、ここ旧古市村(奈良市古市町)の人である。文化14年(1817)に生まれて、明治4年(1871)1月7日その生涯を閉じた。菩提寺念仏寺の当墓地に,永遠に眠る。享年55歳であった。
 定政は幼少より勉学に努め、15歳の時古市奉行所に出仕、漢学・算学・測量・絵画等多方面にわたるすぐれた才能に恵まれた。その広範な学識と強い情熱をもって、自らの生涯を平城京ならびに奈良近郊諸陵墓の調査に捧げ、独力で「平城宮大内裏跡坪割之図」「大和国古班田坪割図」「打墨縄」「古都考」など実測図や多くの著書を残している。また晩年は光仁天皇の田原東陵など荒廃した山稜の整備にも献身した。
 定政の平城京の研究と保存の業績は、のちに棚田嘉十郎、溝辺文四郎らによる平城宮跡保存顕彰運動として受け継がれ,学問の面でも関野貞、喜田貞吉両博士らによる平城京・宮に関する論攻の出発点ともなった。
 (定政生誕百六十年に当たり、ここに説明板、道標等を設置して、その偉大な功績を永く後世に伝えんとするものである)
 昭和51年11月    北浦定政顕彰会

北浦定政墓 光仁天皇陵の近くには北浦定政顕彰碑が有ります

 ★所在地;奈良市古市町
 ★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「春日苑住宅」下車 徒歩5分
 ★駐車場;有ります
 ★問合せ;


越部1号墳

2012年09月22日 | 古墳
越部1号墳
 越部川東方の丘陵に築かれた古墳です 撮影日;2012.09.15
 
 平成9年に道路拡張工事にともなう発掘調査が行われています
 近接する2基の古墳の様相が明らかとなりました
 (埋め戻されていますが、1号墳は石材が2個露出しています)

○越部1号墳「20A-23」
 推定径約24m・高さ5.6mの円墳です
 石室全長8.3m、玄室長3.6m・奥壁幅約1.9m、現存の高さ約1.5m
 片袖式の横穴式石室です

 装飾大刀の柄尻部分にあたる「金銅製単鳳環頭柄頭」が発見されています
 (この環頭柄頭は、橿原考古学研究所附属博物館に常設展示されています)

 平安時代中頃の「堂」と書かれた墨書土器も見つかっています
 9世紀中頃に書かれた日本霊異記にある「越部岡堂」という寺院にかかわる資料として注目されています

越部1号墳石材1 越部1号墳石材2

○越部2号墳「20A-39」(1号墳の南西側に有りました・消滅)
 推定径約16mの円墳
 石室全長4.8m、玄室長3.1m・幅約1.6m、現存の高さ約1.4m
 片袖式の横穴式石室です

 両者ともに玄門部に縦長の袖石をもちいていました
 これは、吉野川(紀ノ川)流域の古墳の特徴だそうです

★所在地;吉野郡大淀町越部
★交通;近鉄越部駅下車 徒歩10分
★駐車場;なし
★入場料;見学可
★問合せ;0747-52-1522(大淀町教育委員会事務局)


土田のケヤキ

2012年09月21日 | 巨樹
土田のケヤキ
 樹齢700年と云われます 撮影日;2012.09.15

 吉野川北岸の堤防に自生し、近隣の住民に親しまれ温かく見守られてきました

 高さは15m、幹周りは約8m、枝の張り出しは東西40m
 樹齢は推定で700年とされ、奈良県内でも有数のケヤキの巨樹です
 平成14年の台風で、ケヤキの西半分は倒れて枯れています
 それでも圧倒される幹の太さです

 平成15年2月10日、大淀町指定天然記念物となっています

 このケヤキには「神武天皇(あるいは神功皇后)お手植えの木」の伝承も有ります
 (年数が合いませんが・・・)

説明板 土手に根をはる大ケヤキ
 背後の線路脇に住吉稲荷神社の小祠が有ります
 150m北に「妙見宮」が鎮座しています

 毎年7月26日に、畝火山口神社の神祭用の水汲み神事が樹下の吉野川辺で行われます

★所在地;吉野郡大淀町土田
★交通;近鉄越部駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★入場料;見学自由
★問合せ;0747-52-1522(大淀町教育委員会事務局)


大ケヤキの根元 大ケヤキの幹

シズカ塚古墳

2012年09月20日 | 古墳
シズカ塚古墳
 鈴鹿王の墓の伝承が有るようです 撮影日;2012.09.15

 現状は、ものすごい藪です
 「8B-26」
 東西約17m・南北16m・高さ2mの方墳です
 発掘調査は行われていません
 葺石や埴輪なども確認されていません

 『大和國古墳墓取調書』では「甲」区分とされており「字シツカ塚ト云フ 其形三段ニ築キ陵墓ノ形状ヲ具フ 村人ノ所傳二由レハ「シツカ」ハ「スズカ」ノ訛傳ニシテ 即チ高市皇子ノ御子鈴鹿王ノ墓ナリト(中略)天平十七年九月ニ薨セリトアリテ葬所ヲ記サスト雖モ 今本塚ノ結構ヨリ考フルモ決シテ普通ノ墳墓トハ難認 所傳ノ説信ニ近キカ如シ」と記載されています

 近くに舎人親王の墓との伝承がある帯解黄金塚古墳が有り、発掘の機会が待たれます

 鈴鹿王は天武天皇の第一王子である高市皇子の次男で長屋王の弟です
 天平17年(745)薨御
 舎人親王は叔父にあたります

★所在地;奈良市山町外山
★交通;JR・近鉄奈良駅より バスで「円照寺」下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★問合せ;


円照寺墓山古墳群

2012年09月19日 | 古墳
円照寺墓山3号墳
 円照寺宮墓の裏山に数基の円墳があります 撮影日;2012.09 

◎円照寺墓山3号墳「8B-39」
 宮墓を右側に回り込んで登ると大きな石材が2個見えています
 墳頂に宝篋印塔が建てられています
 径14m・高さ2m程の円墳です
 両袖式の横穴式石室です
 羨道部は、埋没あるいは破壊されているようです
 石材の手前に30cmほどの穴が開いているので、玄室が覗けます
 玄室は長さ約4.5m・幅2.4m・高さ2.7m

3号墳墳頂 3号墳の石室

○円照寺墓山1号墳「8B-40」
 1927年に発掘調査されています
 宮墓整備のため、北側で土取りした際に偶然見つかったそうです
 現状は、大きな窪み(周りと土の色が違います) 
 径12.0〜15.0mの円墳
 埋葬施設は基底部に人頭大の石を敷いているのが特徴で、その上に木棺を置き、それを粘土で覆っている
 小石室礫槨
 三角縁獣文帯三神三獣鏡(銘文なし、完形22.0cm)を含む4鏡、刀・剣・鉄鏃・衝角付冑・眉庇付冑・短甲・輪鐙等の武具が出土
 古墳時代中期の築造

◎円照寺墓山古墳「8B-38」
 宮墓の東側・墓山3号墳の南東側にある径14.5mの円墳です
 墳頂に小さな穴(20cmほど)が開いています
 3号墳とほぼ同規模の横穴式石室で、やや小ぶりの石で築かれています
 (カメラを突っ込んで撮りました)
 築造は5世紀後半から6世紀前半頃と思われます

墓山古墳石室 墓山古墳墳丘
 他にも数基の古墳が有るようですが、はっきりしません

★所在地;奈良市山町字裏山
★交通;JR帯解駅下車 徒歩45分
    奈良駅よりバスで「円照寺」下車 徒歩20分
★駐車場;有ります
★入場料;見学自由
★問合せ;

 宮墓の南側には五つ塚古墳群が有ります