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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

瑠璃宮跡石碑

2015年09月27日 | 古跡
瑠璃宮跡石碑
 孝謙天皇の離宮が在った場所とされます 撮影日;2015.09.19

 瑠璃宮の名は、薬師瑠璃光如来を本尊とする薬師寺にちなんだもの
 日ごろは平城宮に住まいる天皇ですが
 時折この離宮に来て、文物に親しむ静かな時を過ごしたそうです

 孝謙天皇は聖武天皇と光明皇后の娘
 一度皇位を退いた後、再び称徳天皇として即位
 生涯2度目の皇位についた女帝として知られます

瑠璃宮跡説明版 瑠璃宮跡

 後、桓武天皇が平城京における仏教勢力の拡大を避け784年に山城の長岡京へ
 794年に平安京へ都を移した後は、すっかり廃墟同然となったそうです 

 今は静かな住宅地の中のわずかな敷地内に石碑のみを残すのみですが
 きれいに手入れされ、隠れ歴史スポットとして地元の人たちに親しまれています

★所在地;奈良市六条1-22(離宮ヶ丘町)
★交通;近鉄西の京駅下車 徒歩15分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;0742-22-3900(奈良市観光センター)


岩船横穴墓群

2015年04月14日 | 古跡
岩船横穴墓群付近
 益田岩船のある丘陵の南東斜面に有る横穴墓です 

 昭和58年5月、白橿南小学校の生徒が見つけたそうです
 現状は、場所もわからない状態になっているようです

 飛鳥時代に造られたようです
 5基確認されている様です (昭和59・60年に3基調査されています)

1号横穴 岩船 

 1号横穴「14C-685」からは土師・須恵器が出土
 家型天井で、全長5.78m、玄室長2.68m・幅1.41m・高さ1.53m、羨道長3.18m、幅1.25m・高さ1.65m

 2号横穴はドーム型天井で1号とほぼ同規模です
 ともに両袖式横穴式石室のような平面形です
 3号横穴墳は未完成だったようです

★所在地;橿原市白橿町8丁目 ⇒ここ
★交通;近鉄岡寺駅下車 徒歩20分
★駐車場;有ります
★見学; 困難
★問合せ;


大和街道関所跡

2015年04月11日 | 古跡
大和街道関所跡碑
 旧大和街道にシンボル的存在として建てられています 撮影日;2015.03.21

 堂藩の西の玄関口として幕末に設置された検問所です
 「国境検弁書」には周到な防備配置が図に示されています
 幕末の文久年間(1861~1864)に設けられていた関所の跡地です
 当時は土の山で造られていたそうです

大和街道関所跡 大和街道二本杭

 500m西に二本杭と称されるところが有ります
 旧大和街道の藤堂藩(伊賀の国)と柳生藩(山城の国)の境として元禄12年(1699) 幕府検使の指示により、それぞれの杭を合わせ設置された箇所として伝えられています
 もともとは木製で標識が背中合わせに建てられていたが、のちに石杭に替えられました
 その後明治19年(1886)三重県と京都府が協議し、京都府『従是西山城の国』は旧道へ 、三重県『従是東伊賀国』は新道へ移されることになりました
 現在県境にある道標は二本杭の場所から移設されたものとなっています
 また、現二本杭の伊賀国側『従是東伊賀国』は、平成15年に旧大和街道向きに新しく建立されました 

★所在地;伊賀市島ヶ原
★交通;JR島ヶ原駅下車 西へ徒歩30分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;


旧生駒トンネル

2015年01月22日 | 古跡
旧生駒トンネル入口
 幽霊トンネルとしても有名 撮影日;2014.01.04

 かつて近鉄奈良線の孔舎衛坂駅⇔生駒駅間にあった鉄道トンネル(全長3,388m)
 (日本初の標準軌複線トンネルです)
 奈良線の生駒トンネルは大正3年(1914)に、近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道により開通しました
 開通当時は日本で2番目の長さだったそうです

 新生駒トンネル(全長3,494m)の開通により、昭和39年に鉄道トンネルとしての使用を終えました
 その後、奈良線の旧トンネルを一部再利用する形でけいはんな線の生駒トンネルが昭和61年に開通しています

 このトンネルは、現在のようなコンクリートではなくレンガにより作られています
 使用されているレンガの数は約3,000万個に及ぶそうです
 イギリス工法という、小口のみの段と長手のみの段を交互に積み重ねた技法を採用
 当時は強度的にも優れた積み方として推奨されていたそうです

 工事は明治44年(1911)に大林組が請け負い着工されました
 建設は地質の変化や湧水等に悩まされ、予想外の難工事となった
 工事費用が見込みを上まわり、岩下清周(当時の大軌社長)が私財を叩いて建設を続行させたそうです

 大正2年1月26日に発生した落盤事故では、152名が生き埋めとなり20名の犠牲者が出ています
 工事には朝鮮半島からの出稼ぎ労働者も従事しており、この事故でも犠牲となった者がいました
 開通後も何度と無く大事故が有り、幽霊説がうわさされたようです

 現在は、高圧電流の通る電力設備が設置されています
 また、新生駒トンネル及びけいはんな線生駒トンネルの緊急避難通路になっています

 平成21年2月23日、経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されました

旧生駒トンネル前
 孔舎衛坂駅は新生駒トンネル開通時まで大阪側出入口に有りました
 大正3年7月17日、日下駅(くさかえき)として開業
 大正7年、鷲尾駅と改称
 昭和15年6月、孔舎衛坂駅(くさえざかえき)と改称
 昭和39年7月23日、新生駒トンネル開通の路線変更により廃駅

 駅名の由来は、『日本書紀』の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦と刃を交えた峠「孔舎衛坂」に比定される尾根が近くにあることによる

 「白龍神社」が祀られています
 工事中の落盤事故や開通後に起きた車両火災及び衝突事故などの犠牲者を慰霊する目的と、生駒トンネルの安全を祈願して建立されたものだそうです 

 旧生駒トンネルに向かって右のホームにはお地蔵さん、左のホームには石碑が建っており、事件で犠牲になった人を祀ってあるとのこと

★所在地;東大阪市日下町1丁目
★交通;近鉄石切駅下車 徒歩5分
★駐車場;なし
★見学;通常は見学できません
★問合せ;


荒神塚池

2015年01月02日 | 古跡
荒神塚池
 山田川駅の南側、川が合流する所に比較的大きな池が有ります 撮影日;2014.12.07

 池の南側に小さな丸い島(塚)が有ります

 何か謂れがありそうな場所なので立ち寄ってみました
 北西側で道が交差していて、昔から交通の要所であった所かもしれません

 『古事記』によると、丹波の王女四人が垂仁天皇に召されたが、二人の姫はみにくき故に帰されたという
 その一人の円野姫はそれを恥じて木の枝にかかって死のうとしました
 その木をさがりきと言い、その地をさがらかと言ったと記されています
 相楽の地名の由来とされます

 また『日本書紀』には、丹波の王女の竹野姫が容貌の醜さから帰されたことを恥じ、荒神塚池で首をつろうとしたが死ねずに平野で自殺をした
 平野の人々が姫を運びこの地に葬ったのでこの地を姫子という
 姫子橋にその名が残っています

★所在地;木津川市相楽荒神塚
★交通;近鉄山田川駅下車 徒歩3分
★駐車場;有りません
★見学;自由
★問合せ;


ちご石「神籠石」

2014年12月16日 | 古跡
神籠石
 神武天皇ゆかりの大石です 撮影日;2014.11.20

 この石は、神武天皇がこの地にいた蝦夷梟師・八十建(ヤソタケル)を討つとき
 この石に匿れ、石垣をめぐらし楯とした大石という伝説が有ります

 火の見やぐらと半鐘は、昭和35年頃に生根神社境内より移設されたものです

 元は神籠石(じんごいし)とだったとされ、今は訛って「ちご石」と呼ばれているようです

神籠石半鐘 神籠石説明版

 『神籠石』
 「こうごういし」「こうごいし」「ひもろぎいし」とも言われています
 多くは、聖域を示すモニュメントとか古代山城という説もあり、いずれも聖域を示すようです

 まだ櫓が置かれて無い時、昔の男子は素手で正面からこの巨石に登り、一畳敷きの上で大の字になれば一人前の証とされました
 登りはよいが降りるにはかなりの勇気がいったようです

★所在地;桜井市忍阪781付近
★交通;JR・近鉄桜井駅より バスで「忍阪」下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★見学;自由
★問合せ;


辻ノ垣内瓦窯跡

2014年09月24日 | 古跡
辻ノ垣内1号窯・2号窯
 飛鳥時代~白鳳時代の登り窯跡です 撮影日;2014.09.07

 現在の「イーストヒルズ勢野」の住宅開発に伴う発掘調査で4基の瓦窯が発見されました
 1996年に調査され、その後1・2号窯が150mほどの現在地に移築保存されています
 平成16年7月に町指定の文化財となっています

辻ノ垣内1号窯 辻ノ垣内2号窯
 本来は1号窯から4号窯まで在りました
 年代順では3号窯(6世紀末から7世紀初頭)⇒2号窯(7世紀中頃から後半)⇒1号窯(2号窯にやや遅れる)⇒4号窯(1号窯にやや遅れる)の順で築かれています

 3号窯は地下式無段登り窯で、瓦と須恵器の両方を焼いていたようです
 2号窯と1号窯は地下式有段登り窯で瓦のみを焼いていました
 4号窯は地下式有段登り窯で、未使用のまま放棄されていました

 2号窯からは「平隆寺式」と呼ばれる軒瓦が生産されていました
 全ての窯において平隆寺の造営に関わるものであることが推定できます

辻ノ垣内瓦窯
 平隆寺の北方の丘陵は今池瓦窯のほか上ノ御所瓦窯が有ります
 平隆寺の北北東400mほどの所にはツクシ山窯跡が有ります
 この辺りは、古代の瓦生産地帯であったとみられる 

★所在地;生駒郡三郷町勢野北2-5
★交通;近鉄勢野北口駅下車 徒歩8分
★駐車場; 有りません
★見学;自由
★問合せ;0745-43-7332(三郷町役場 生涯学習課)


筆捨て岩

2014年08月11日 | 古跡
筆捨て岩
 弘法大師(あるいは狩野法眼、または巨勢金岡とも)がこの景勝を描こうとしたが
 岩が動いてうまく描けないので、嘆いて筆を捨てたと伝わります

 今でも村人はこの岩を崇め、通る時は必ず礼をするという風で、子供がここに上がることも固く戒めているとか 

 大淀町と五條市の境付近、吉野川の流れの中にある奇岩です
 大小の奇岩を水に浮かべたような様が面白く、岩の上から眺めるとそれらの岩が水の流れに逆らって動いているようにも見えるそうです

馬の背 少し上流

 筆捨て岩の少し上流には、長岩といって、馬の背のような岩が100mほど続いています
 筆捨て岩は、上が平面になっていて人の足跡が残っているそうです
 
 今ではどの岩が「筆捨て岩」なのかはっきりしません
 吉野側の流れに岩は削られ、様変わりしてきているようです

★所在地;五條市八田町
★交通;近鉄下市口駅下車 徒歩40分
★駐車場;有りません
★見学;自由(どこから川原に降りるのでしょう?)
★問合せ;


 撮影日;2014.07.27
馬の背付近

井氷鹿の井戸

2014年07月08日 | 古跡
井氷鹿の井戸跡
 日本書紀や古事記に登場する神話の地です 撮影日;2014.06.29

 井氷鹿は、吉野首の祖とされ、『日本書紀』では、神武天皇が宇陀から吉野へ巡幸時、人が居て井戸の中から出てきました
 その人は体が光って尾が有りました
 天皇は「お前は何者か」と問うと「国津神、名は井氷鹿」と名乗ったと云う
 井光神社に祀られている天之羽羽矢を納め、進軍の勝利を祈願したと云われます

井氷鹿の井戸 井氷鹿の井戸碑 

 岩戸の滝の少し先から、山中に入ると150mほどで右手に石碑が見えてきます
 「神武天皇御旧蹟井光蹟」と刻まれています
 石碑の背後に井戸跡とされる窪地が有ります
 窪地は直径30m程も有ります(深さは3m程です)

 窪地の北側に「吉野首部祖加弥比加尼之墓」と刻まれた石柱も建てられています

加弥比加尼之墓 井氷鹿奥の宮跡 

 井戸跡からさらに進むと右手に「聖跡 奧の宮」の石碑が有ります
 「吉野始祖首部連 井光宅址」と刻まれています  

★所在地;吉野郡川上村井光
★交通;「井氷鹿の里」より約1km 徒歩20分
★駐車場;スペース有り
★見学;自由
★問合せ;


井氷鹿の井戸入口

西村山のじんむさん

2014年07月02日 | 古跡
西村山
 神武天皇が東征の際、下北山村に立ち寄った時に小山に登り休んだと伝えられます

 すぐ横を流れる西の川から60mほどの小山「西村山」です

西村山のじんむさん 山頂に神武天皇が休んだ石、幅80cmほどの平たい石があります
 その石に神武天皇が座って休憩したと言われています
 背後に「神武天皇 遥拝所」の石碑が立っているそうです

 山頂への登山道はどこに?(見つけられず)
 川側の中腹に階段がついていて、岩窟が有り小さな石造物が祀られています

★所在地;吉野郡下北山村上桑原
★交通;国道169号線から大里トンネルを抜けて県道229号線(上池原下桑原線)へ
★駐車場;なし
★見学;?
★問合せ;07468-6-0001(下北山村役場)


 撮影日;2014.06.19