奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

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葛城山自然つつじ園

2007年05月31日 | 名所
 5月中頃、山が真っ赤になります 撮影日;2007.5.14 関連記事

 一目百万本と言われる眺めは圧巻です
 山頂から南西に下りた斜面に山つつじを主として自生します

★所在地;御所市櫛羅2569
★交通;葛城ロープウェイ葛城山上駅より 徒歩10分
★入場料;無料
★問合せ;0745-62-5083 (葛城高原ロッジ:金剛葛城観光開発株)

 金剛生駒 紀泉国定公園内に有ります
 葛城山山頂(960m)からの眺望もすばらしい^^
 秋のススキも有名です


 参考;葛城高原登山ルート

婿洗いの池

2007年05月30日 | 古跡
 龍王の谷といわれる場所に有ります 撮影日;2007.5.14

 小さな、どこにでもあるような溜池ですが・・・

★所在地;御所市櫛羅
★交通;葛城ロープウェイ山上駅より 徒歩15分
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)

=案内板より=
 その昔葛城山麓の村人は、ここから流れ出る自然水により農業を営んでいたが、全農地を潅漑するにはあまりにも少なくそのため争いが絶えることがなかった。
 村人はこの池に祀られた水波能売神竜神を怒らせ雨をふらせるため祠をたたきこわし池へ投げこんだ。
 その時どういう訳か新しく村へ縁組してきた一人の婿養子を竜神の祠と共に池へ投げこみ荒縄でごしごし洗い半死半生のめにあわせた。これは江戸時代のでき事らしいが、この事があってからこの谷の池を婿洗いの池と呼ぶようになった。 



 近くに 開通講という変わった岩場が有ります

 登山道の最後の休憩場所にもなってます^^


 山頂からは、100mほど降りた所です

二の滝

2007年05月29日 | 
 役行者が13歳の時に、修行をした滝と伝わります
 撮影日;2007.5.14

 通称「行者の滝」と呼ばれます
 落差8m程です

 「櫛羅の滝」同様、昭和57年の災害で滝つぼなどは失われています


 役小角が櫛羅の滝で修行中に
 母親が一緒に修行をしようと訪れましたが
 この滝を母に譲り
 少し上にある二の滝で修行を続けたと伝わります


★所在地;御所市櫛羅(安位川)
★交通;葛城ロープウェイ葛城登山口駅より徒歩35分
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)



櫛羅の滝

2007年05月28日 | 
 葛城山登山道の最所の休憩地点です 撮影日;2007.5.14

 「尼ヶ滝」「不動滝」とも呼ばれます
 落差は10mほどです
 台風などの災害で、滝つぼは失われています
 平成元年に修復されたそうです

★所在地;御所市櫛羅(葛城山登山道)
★交通;葛城山ロープウェイ葛城登山口駅より徒歩10分
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)

 
 弘法大師がこの地を訪れ、天竺のクジラの滝によく似ているので、供尸羅(くじら)と名づけたそうです

 この供尸という字は「供に屍」と書くので良くないといって領主の永井信濃守が供尸の二字を櫛と改めたそうですう

 滝に浴すると、不動明王の功徳により脳病に良く効くと云われます

 毎年7月6日に「滝祭」が行なわれます



雨願の鳥居

2007年05月27日 | 石造物
 木々や竹に覆われて荒れ放題になっています 撮影日;2007.5.14

 嘉永七年(1854)建立
 葛城山麓にある石の鳥居です

★所在地;御所市櫛羅1281
★交通;近鉄御所駅より 徒歩25分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;

 =案内板より=
 昔から、日照りが続くと、櫛羅の村の人々は神様に雨乞いの行事を行ないました。
 人々は手に手にたいまつをもち、鳥居の前に集まりました。
 ここから天神山まで行列を作って登り、山の上で雨乞いを行ったといわれています。

 葛城山の山頂付近に「葛城天神社」が鎮座します


 老人福祉センターの脇道を行くと有ります

葛城山ロープウェイ

2007年05月26日 | 名所
 ツツジが見ごろとなる時期には3時間待ちになることもあるとか・・・ 撮影日;2007.5.14

 開通日は1967年3月26日
 運転方式は3線交走式で、ゴンドラ(51人乗)2輛で運行されます

★所在地;御所市櫛羅2503-1
★交通;近鉄御所駅より 徒歩45分
    バスで葛城ロープウェイ前下車 徒歩3分
★駐車場;有料1000円
★問合せ;0745-62-4341(葛城登山口駅

 
 葛城登山口駅(320m)から葛城山上駅(870m)までおよそ6分
☆運賃;大人片道・720円、往復・1220円
 
 距離(斜長):1,421m 、速度:秒速5.0m(時速18km)、高低差:561m


 山上駅から葛城山頂(959.2m)までは、徒歩5分です

山添村ふるさとセンター

2007年05月25日 | 名所
 1989年に発案された「ふるさと創生事業」の1億円で建てられました 撮影日;2007.5.8

 センターは山を切り崩して建設され、その現場から巨大な岩が出現しました
 高さ約3m、周囲が20数mもある花崗岩の岩は「長寿岩」と名付けられ 
 センターのシンボルとなっています
 注連縄が巻かれたのは、10年後の1999年からとか・・・

★所在地;山辺郡山添村大字大西1367
★交通;近鉄奈良駅より
    山添方面行きバスで国道山添下車 徒歩すぐ
★駐車場;220台(無料)
★入場料;
★休館日;毎週水曜日・祝日・12月29日~1月3日
★開館時間;9:00~22:00
★問合せ;0743-85-0970(ふれあいホール)

☆ふれあいホール
 ホール(客席486席)・研修室(約100人収容)・リハーサル室・図書室があります(図書室以外要予約)
☆保健福祉センター
 福祉の充実を図るための施設です
 芝生広場が隣接します
☆花香房(9:00~17:00):0743-85-0085
 産直センターとガラス温室、花壇、遊歩道があります
☆多目的広場
 縦約200m、横約100mのグランド。多様なスポーツの場です
☆屋内ゲートボール場
 6コートあり、天候や季節に左右されないでプレーが楽しめます


 参考;山添村ふるさとセンターのホームページ

三陵墓古墳群史跡公園

2007年05月24日 | 古墳
 西と東古墳は墳丘が復元され、公園として整備されています 撮影日;2007.5.8

 三つの古墳が鼎のようにかたまっているので三陵墓と呼ばれます

★所在地;奈良市都祁南之庄町1581
★交通;近鉄榛原駅より
    針インター行きバスで南之庄東口下車 徒歩2分
★駐車場;有り(無料)
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-82-0201(都祁行政センター)

 【東古墳】
 
 墳丘長110m、後円部径72m、前方部長39m、前方部幅50mの前方後円墳
 大和高原において、最大級の古墳
 94年に県史跡に指定
 明治時代の盗掘で、埋葬施設から、銅鏡・玉類・鉄製の武器・工具などが多数出土したと伝えられます
 遺物は行方不明
 出土品から、埋葬者は5世紀後半の国造クラスの有力者と考えられています

 【西古墳】(1枚目の写真)
 東古墳と同じく、都介野岳から延びる尾根の北端を利用して築かれた円墳
 直径40m、高さ5mで、円墳としては宇陀を含めても最大
 墳頂の平坦面(直径14m)には60個あまりの円筒埴輪が並べられていたが、 90個ほどが復元されている
 96年に県史跡に指定、築造は5世紀前半頃

 【南古墳】

 直径16mの円墳
 未調査の為、築造年代なども不明
 現在は神社の社地です
 墳頂に祠が有ります



休んば

2007年05月23日 | 名所
 神様が往来に休まれたところと云われます 撮影日;2007.5.8

 「三輪の奥の院」とも言われる雄神神社国津神社の間に
 「休んば」と称されている4ヶ所の叢林が残されています

★所在地;奈良市都祁白石町字神子尻
★交通;名阪国道 針インターより 徒歩10分
★駐車場;有りません
★問合せ;0743-87-0001(大和高原文化の会)

 太陽の通る道筋と重なり、太陽信仰の一つとの説も有ります



小治田安萬侶の墓

2007年05月22日 | 史跡
 奈良時代の高官、従四位下の小治田朝臣安萬侶の火葬墓です 撮影日;2007.5.8

 明治45年(1912)に、茶畑の植替え時に偶然「銅版墓誌」3枚が発見されました
 昭和26年(1951)の発掘調査では、火葬地を墓地にしたことが確認されています

 国の史跡に指定されています

★所在地;奈良市都祁甲岡町
★交通;近鉄榛原駅より
    針インター行きバスで来迎寺下車 徒歩5分
★駐車場;有りません
★入場料;見学自由
★問合せ;0743-82-0201(都祁行政センター)、0743-87-0001(大和高原文化の会

 安万侶を葬った墓は1辺が3.6mの方形の墓壙を小規模な封土で覆ったものです

 主板は、縦29.7cm、幅6.3cm圧座0.4cmの短冊形
 「右京三条二坊従四位下小治田朝臣安萬侶大倭国山辺郡都家郷郡里崗安墓 神亀六年歳次己巳二月九日」と刻まれています

 封土の周囲からは銀の和同開珎10枚、その他に長胴甕の土師器、三彩の小壺、鉄板なども出土

 小治田臣は蘇我氏の同族だそうです

 安萬侶は文武~聖武天皇に仕えた高官で、現在の西大寺南から尼ヶ辻付近に住んでいたようです
 神亀6年(729)没


 都祁水分神社が近くです