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奈良の名所・古跡

行ってみたい所があるといいのですが・・・古墳とか建物とか巨樹とかいろいろ・・・

鏡王女墓

2007年05月08日 | 
 桜の木が数本植えられています 撮影日;2007.4.30

 鏡王女(かがみのおおきみ)は、はじめ天智天皇の妃でしたが
 後に藤原鎌足の正室となった万葉歌人です

★所在地;桜井市忍坂
★交通;近鉄大和朝倉駅より 徒歩18分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学可
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)

 舒明天皇陵の少し東にあり
 途中には万葉歌碑が小川の縁にたっています
 『秋山の 樹の下隠り 逝く水の 吾こそ益さめ 御思よりは』


 すぐ近くに
 欽明天皇の皇女の大伴皇女の押坂内墓もあります

忍阪段ノ塚古墳(舒明天皇陵)

2007年05月05日 | 
 舒明天皇押坂内陵おさかのうちのみささぎです 撮影日;2007.4.30

 田村皇女(母)との合葬と考えられています
 初め滑谷岡に葬られたそうですが、643年9月に押坂稜に改葬されました

 上円下方墳とされていますが、実際は上八角形です
 最大径42mの二段築成で、下には三段築成の方墳が付いています

 石室内に二基の家型石棺がおかれ、奥の石棺は横向き、前の石棺が縦向きに安置されているそうです

★所在地;桜井市大字忍阪
★交通;近鉄大和朝倉駅より 徒歩15分
★駐車場;2~3台可
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-42-9111(桜井市観光課)
 
 外鎌山の西南麓の小尾根の先端に有ります

 忍阪の集落内には、かつて舒明陵より出土した室生安山岩製の加工磚を
 家屋や石垣または近世の石仏の石材として使用されているそうです

☆第34代舒明天皇;在位:629~641年
 諱は田村皇子たむらのみこ、 和風諡号は息長足日広額天皇おきながたらしひひろぬかのすめらみこと


 陵域内に鏡王女墓大伴皇女墓が有ります

黄金塚古墳

2007年04月03日 | 
 舎人親王の陵墓ではないかと言われています 撮影日;2007.3.21

 一辺約27mの方墳で、宮内庁が「陵墓参考地」として管理しています

 帯解黄金塚古墳とも言われ
 板石を積んだ磚(せん)積みの横穴式石室が大陸の影響を受けていることから
 被葬者は「渡来系氏族の人物」と推測する説も有ります

★所在地;奈良市田中町字上ノ口575
★交通;JR帯解駅より 徒歩20分
★駐車場;有りません
★入場料;外観のみ見学自由
★問合せ;

 石室はレンガ状の石を丁寧に積み上げ、表面に漆喰が塗られているそうです
 玄室は約3m四方で、入り口となる羨道に三ヶ所の張り出しがあり、特異な構造として知られています

 舎人親王は天武天皇の皇子の一人で日本書紀の編纂者です
 天平7年(735)の没


天武・持統天皇陵

2007年03月31日 | 
 唯一被葬者が確実な天皇陵です 撮影日;2007.3.14

 檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)、野口王墓古墳
 天武天皇と皇后持統天皇の夫婦合葬陵です

 八角形の五段築造で、東西45m、南北50m、高さ9m
 墳丘の周囲全長約120m、周囲に石壇をめぐらす

★所在地;高市郡明日香村野口
★交通;近鉄飛鳥駅より 徒歩20分
★駐車場;有ります
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-22-3338(畝傍陵墓管区事務所)

 持統天皇元年(687)に築造され、翌年に天武天皇を埋葬

 大化薄葬令により天皇としては初めて火葬された持統天皇を、大宝3年(703)に合葬した記録が日本書紀に残っています

 切石積の石室は2室からなり、玄室内には、天武天皇の夾紵棺と持統天皇の火葬骨を納める金銅製の蔵骨器が棺台の上に置かれているそうです


 参考;邪馬台国大研究ホームページ

文武天皇陵

2007年03月27日 | 
 第42代文武天皇陵に治定されている檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)です 撮影日;2007.3.14

 日本書紀に「火葬にされ、この地に葬られた」と有ります
 陵形は山形
 古墳名は「栗原塚穴古墳」「ジョウセン古墳」と呼ばれます

★所在地;高市郡明日香村大字栗原
★交通;近鉄飛鳥駅より 徒歩20分
★駐車場;有り(無料)
★入場料;参拝自由
★問合せ;0744-54-2441(公園緑地管理財団 飛鳥管理センター)

☆文武天皇;683年~707年(天武12~慶雲4)、在位697年~707年
 天武・持統天皇の孫で草壁皇子の皇子、母は元明天皇
 幼少時を 軽(訶瑠-かる)皇子、諡は天之真宗豊祖父天皇
 皇后をたてず、藤原宮子を夫人としました
 700年刑部親王・不比等らに律令整備を命じ、701年(大宝1)大宝律令を完成

 現在は、文武天皇陵を中尾山古墳にあてる説が有力です



安康天皇陵

2007年03月04日 | 
 宝来町古城1号墳に比定されています 撮影日;2007.2.26

 第20代安康天皇陵:菅原伏見西陵(すがはらのふしみのにしのみささぎ)です

 近年の調査結果から、古墳ではなく中世の山城とする見方が強い
 方形の周濠が廻らされています

★所在地;奈良市宝来4丁目(字古城)
★交通;近鉄尼ヶ辻駅より徒歩20分
★駐車場;なし
★入場料;参拝自由
★問合せ;

 安康天皇は允恭天皇の第二皇子、雄略天皇の同母兄
 在位:允恭天皇42年(453)~ 安康天皇3年(456)
 中国の『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王興に比定されています
 456年、天皇は皇后(中蒂姫)の連れ子眉輪王(まよわのおおきみ)により暗殺された


 1km東に有名な垂仁天皇陵が有ります

 すぐ近くに蓬莱神社が在ります

鳥屋ミサンザイ古墳「宣化天皇陵」

2007年02月24日 | 
 周濠と繋がっている鳥屋池のおかげで、より大きく見えます 撮影日;2007.2.5 関連記事

 第28代宣化天皇陵に治定されている、身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)です

 全長138mの前方後円墳、後円部径83m、後方部幅78m、二段築成の造出し有り

『日本書紀』は、この陵墓に皇后の橘皇女(たちばなのひめみこ)ばかりでなく
 その孺子(わくご)まで合葬したと伝えています

★所在地;橿原市鳥屋町
★交通;近鉄橿原神宮前駅より 徒歩12分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;07442-2-3338(畝傍陵墓監区事務所)

 少し南に枡山古墳「身狭桃花鳥坂墓」が有ります

 宣化天皇は第26代継体天皇の子、第27代安閑天皇の弟です
 536年正月、檜隈盧入野(ひのくまのいおりの)の宮で即位
 わずか4年で退位しています
 

 参考;邪馬台国大研究のページ
    歴史コラム

元正天皇陵

2007年02月17日 | 
 元明女帝の後を引き継いだ娘帝の御陵です 撮影日;2007.1.26

 奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)
 陵形は山形

★所在地;奈良市奈良阪町
★交通;近鉄奈良駅より バスで奈保山御陵下車 徒歩1分
★駐車場;数台可
★入場料;参拝自由
★問合せ;

第44代元正天皇
 氷高皇女(ひだかのひめみこ)、日本根子高端浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)
生没年:天武天皇9年(680)~天平20年(748)(68歳)
 元明天皇の子で、第42代文武天皇の姉
 生涯独身だったと伝えられる

在位:霊亀元年(715) ~ 神亀元年(724)
 養老年間、藤原不比等に命じて律令を改定し、今日「養老律令」として知られている


 旧奈良ドリームランドの北側です

 般若寺奈良豆比古神社まで徒歩10~15分


元明天皇陵

2007年02月16日 | 
 和銅3年(710)平城京への遷都を実施した第43代天皇の御陵です 撮影日;2007.1.26

 奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)です

 陵形は山形
 元明天皇の遺言により葬儀は徹底した薄葬にし、山丘で営んだ火葬所をそのまま山陵とされました

★所在地;奈良市奈良坂町
★交通;近鉄奈良駅より バスで奈保山御陵下車 徒歩3分
★駐車場;数台可
★入場料;参拝自由
★問合せ;

元明天皇(草壁皇太子妃・天智天皇の第4皇女)
 阿閉(あへ)皇女、日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)
生没年:斉明天皇7年(661)~養老5年(721)(61歳)
皇子女:軽皇子(文武天皇)、氷高皇女(元正天皇)、吉備内親王

在位:慶雲4年(707)~ 霊亀元年(715)
 実子の第42代文武天皇が慶雲4年、25才で崩御したため
 孫の首皇子(聖武天皇)が成長するまでの中継ぎとして女帝として即位

 「和同開珎」を鋳造したことでも知られます


 江戸時代の初めにはウワナベ古墳が元明天皇陵と考えられていたそうです


聖武天皇陵

2007年02月15日 | 
 奈良時代全盛期の天皇の御陵です 撮影日;2007.1.26

 佐保山南陵、陵形は山形

 第45代聖武天皇:在位:神亀元年(724)~天平感宝元年(749)
 首皇子(おびとのみこ)、天璽国押開豊桜彦尊(あめしるしくにおしはるきとよさくらひこ)
 参考;聖武天皇略年表

 一条通りから北にのびる参道の途中から、右手にのびる参道を行くと

 明治12年(1879)に比定された光明皇后陵(佐保山東陵)が並んで有ります
 藤原朝臣光明子(ふじわらのあそみこうみょうし)、藤原不比等の三女

 光明皇后は天平勝宝10年(758)に「天平応真仁正皇太后」の皇太后号が贈られています

 天平文化は、光明皇后の存在無しではあり得なかったと言っても
 過言ではないでしょう

 聖武天皇陵には「眉間寺」という古代の寺院が在ったとされます
 また、この辺り一帯は松永久秀による多聞城の築城等により大きく破壊されたようです
 多聞城の西南隅に当たる現光明皇后陵には、高さ5mの盛り上がり(土塁もしくは櫓台跡)があります
 兆域内の頂上にある円丘(径7m・高さ2m)は、明治12年2月の治定以降に造成されたようです

 北東側に多聞城跡が有ります
 東大寺転害門まで徒歩5分の所です
 
★所在地;奈良市法蓮町
★交通;近鉄奈良駅より 徒歩10分
★駐車場;不可
★入場料;参拝自由
★問合せ;