ヤマトタケルノミコトの墓「白鳥三陵」の一つです 撮影日;2007.11.9
日本武尊・琴弾原陵です
三重県亀岡市・大阪府羽曳野市にもあります
★所在地;御所市冨田
★交通;JR
玉手駅より 徒歩15分
★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)
日本武尊は、古事記には「倭建命」・日本書紀では「日本武尊」と表記されています
第12代景行天皇の子で名は「小碓」(おうす)
<白鳥伝説>
日本武尊は、父の景行天皇から、朝廷に服従しない熊襲・出雲などを征討するように命じられ、軍勢もないまま征討に赴き西国を平定し、やっとの思いで大和へ帰ってくるが、休む暇もなく父から東国の蝦夷を征討せよと命じられる
その命令を受けた日本武尊は、伊勢にいた叔母の倭比売命に自分の不遇を訴えている
幾多の苦難のすえ、東国を征討するが、その帰る道中、伊吹山の神との戦いに破れ、傷を負いながらも日本武尊は大和へ帰ろうとする
能褒野(のぼの)(亀山市)に辿り着いた時、ついに力尽きその地で死んでしまう
死に臨んで日本武尊は、大和への思いを、「大和は国のまほろばたたなづく青垣山こもれる大和し美し」と詠んでいるが、能褒野に葬られた日本武尊の魂は、白鳥となって大和へ向かい、この琴弾原を経て、旧市邑(ふるいちむら)(羽曳野市)に降り立ち、その後何処ともなく天高く飛び去ったと古事記・日本書紀は伝えている
日本武尊・琴弾原陵です
三重県亀岡市・大阪府羽曳野市にもあります
★所在地;御所市冨田
★交通;JR

★駐車場;有りません
★入場料;参拝自由
★問合せ;0745-62-3001(御所市観光協会)
日本武尊は、古事記には「倭建命」・日本書紀では「日本武尊」と表記されています
第12代景行天皇の子で名は「小碓」(おうす)
<白鳥伝説>
日本武尊は、父の景行天皇から、朝廷に服従しない熊襲・出雲などを征討するように命じられ、軍勢もないまま征討に赴き西国を平定し、やっとの思いで大和へ帰ってくるが、休む暇もなく父から東国の蝦夷を征討せよと命じられる
その命令を受けた日本武尊は、伊勢にいた叔母の倭比売命に自分の不遇を訴えている
幾多の苦難のすえ、東国を征討するが、その帰る道中、伊吹山の神との戦いに破れ、傷を負いながらも日本武尊は大和へ帰ろうとする
能褒野(のぼの)(亀山市)に辿り着いた時、ついに力尽きその地で死んでしまう
死に臨んで日本武尊は、大和への思いを、「大和は国のまほろばたたなづく青垣山こもれる大和し美し」と詠んでいるが、能褒野に葬られた日本武尊の魂は、白鳥となって大和へ向かい、この琴弾原を経て、旧市邑(ふるいちむら)(羽曳野市)に降り立ち、その後何処ともなく天高く飛び去ったと古事記・日本書紀は伝えている