ゾウ目「デイノテリウム」再考(3)
デイノテリュウムの主な「種」と化石の産出地
大分横道に迷い込みましたが、また〔ゾウ目「デイノテリュウム」再考〕にもどります。デイノテリュウムが発見されたのは、1829年のことでした。ドイツの古生物学者カウプが、エッペルハイム(Eppelsheim)で、下顎に牙の付いた下顎骨見つけたのが最初でした。ここまでは前回も述べました。
その後もデイノテリュウムの化石骨は部分的には、ドイツなどヨーロッパだけでなく、デイノテリュウムの仲間はアフリカ東部からも発見されています。フランスの古生物学者でパリ国立自然史博物館古生物学教授を務めたカミーユ・アランブール(Camille Arambourg、1885-1969)は、1934にデイノテリュウムの種の一つでDeinotherium bozasiの化石を発見していますが、アフリカ東部からは多数の化石が産出していることについても明らかにしています。デイノテリュウムは、最初はアフリカに出現し、陸橋などを渡ってヨーロッパ(ドイツなど数カ国)そしてアジア(インド、ミャンマー)に移動したと言う説があります。
最近読んだデイノテリュウムに関連する論文に三枝春生(1958-2022)博士の「中部ミャンマーの上部新生界より産出した長鼻類化石の新標本」があります。大変興味深い内容でした。次回に内容をほんのさわりの部分、紹介する予定です。この論文からも、デイノテリュウムが、アジアに棲息していたことが明らかです。デイノテリュウムの化石が産出する主な産地は、アフリカ、ヨーロッパそしてアジアにまで広がっていることが明らかです。
アフリカのデイノテリュウムはDeinotherium bozasiと呼ばれる種です。Deinotherium bozasi はアフリカ産の中新世後期から更新世前期の「種」です。 ほとんどのデイノテリウムは鮮新世の終わりまでに絶滅しましたが、アフリカ(ケニア)のDeinotherium bozasi種は、推測に過ぎませんが、更新世初期までアフリカで生息していたのではないかと考えられています。
1829年、1833年に見つかっている化石も含めて、19世紀前葉に発見されたヨーロッパ各国でのデイノテリュウムは、「恐ろしい巨大な獣」とカウプが命名したデイノテリュウム・ギガンテリウム(Dinotherium giganteum)種が多いようです。しかし、アジア(インドのカッチ地方)で発見されたデイノテリュウムは、1845年ヒュー・ファルコナー (Hugh Falconer:1808- 1865)によって発見されました。彼は、スコットランドの地質学者あり古生物学者、加えて「旧」人類学の研究でも知られた存在でした。
また彼は、インド北東のアッサム地方やミャンマー等の植物相、動物相そして地質学を研究し、現代の進化論である断続平衡説を最初に提唱したことでも有名です。そのファルコナーによってインドで発見されたデイノテリュウムは、1845年Dinotherium indicumと命名されました。
また、1853年及び1883年チェコの西部から中部地方を、ボヘミアと言いますが、この地方でデイノテリュウムのほぼ全身骨格化石が出土し、ゾウによく似た体型、胴が短く肢が長く、したがって背丈が高い、まさにゾウの体型です。上顎に牙がなく、下顎に逆向きの牙(切歯)をもった「テリュウム(獣)」であることが分かり、ゾウの仲間であることに間違いないことが明らかになったのです。
以上述べてきたデイノテリュウムは、国立科学博物館名誉研究員富田幸光他共著『絶滅哺乳類図鑑』(丸善、2002)の中では「ゾウのなかまとその近縁有蹄類」(184-185頁)として、「ゾウ類の系統図」にも「デイノテリュウム科」に属することが紹介されています。
参考文献は次回掲載します。