絶滅した日本列島の古代ゾウの
仲間たち(その7)
1.日本には凡そ2000万年前にもゾウの仲間がいた
(1)日本列島はどのように生まれたのか
(2)日本のいろんなところにステゴロフォドンゾウがいた
(3)とにかく大昔のはなしです―ステゴロフォドンゾウ
(4)常陸大宮市産のステゴロフォドンゾウ―標本「記載」事項を見る―
2.ステゴロフォドンとステゴドンの違い
(1)両者の違いについて
(2)エオステゴドン・シュードラチデンスゾウとは
(3)ステゴドン(ステゴドンゾウ)について
(4)各地のステゴロフォドンについて
3.ミヨコゾウについて考える
(1)ミヨコゾウが見つかる前にも同じ仲間のゾウの臼歯が
(2)ミヨコゾウについて考える(その1)
以上は前回までの掲載分
3.ミヨコゾウについて考える (前回のつづき)
(3)ミヨコゾウについて考える(その2)
ところでミヨコゾウについてですが、1959(昭和34)年2月に発見された臼歯および臼歯の付いた上顎・下顎の原物は、東北大学理学部自然史標本館で保管、展示されていますが、展示されている臼歯標本には古いラベルが添えてあります。ラベルには、畑井小虎(当時、助教授)が最初にミヨコゾウについて記したメモのように見受けられますが、畑井のミヨコゾウに関する「記載」と推察できます。なぜなら、最初のものと思われる学名が、Stegolophodon miyokoae Htaiと記されているからです。
さて、本題に入りましょう。調べて見ますと直ぐにわかることなんですが、ミヨコゾウの学名は、Gomphotherium miyokoae (HATA)と命名されています。発見されたのは前述のように、1959(昭和34)年2月のことでした。
当時、宮城県柴田町立船岡小学校6年生だった斎藤みよこさんが、柴田町船岡並松の自宅近くの崖からゾウの臼歯らしい化石骨を見つけたことがそのはじまりです。斎藤さんは。同校の担任の先生を通して古生物学者で東北大学の畑井小虎(1909ー1977)先生のもとに届けたそうです。
畑井先生の研究によって、その化石は古いゾウ類の臼歯であり、研究を続けたことで、それが新種のゾウ類であることも分かりました。
畑井先生は、発見者の斎藤みよこさんに因んで、和名をmiyokoaeと命名されたそうです。aeが語尾に付けられているのは発見者が女性であることを明示したものなのです。
同時に、畑井先生は、学会で報告される際必必要な化石の学名も命名されました。
最初に命名した学名は、Stegolophodon miyokoae Hatai でした。その後の研究の結果、ミヨコゾウの学名は、Gomphotherium miyokoae (HATAI)に改められました。
なお、ミヨコゾウの臼歯や臼歯の付いた上下の顎の化石は、東北大学理学部標本館で原物が保管・展示されております。前述しましたように、臼歯だけの化石とともにミヨコゾウの化石に関する学名等記載したラベルが添えてあるのですが、学名はStegolophodon miyokoae Hatai (Holotype)と記載してあります。
ラベルには、(HATAI)がHataiであること、しかもHolotype(ホロタイプ)と明示してあることです。さらに発見者、発見年月、産地そして地層も記されていますが、形質など特徴の記述はなく、ごく基本的な「原記載」といえます。
ここでHolotype(ホロタイプ)とは、 生物分類学 の用語で、 新種 を初め て 正式に 報告する 論文 ( 原記載 ) の中で 指定される 、 個体 の 標本 のことです。それを「 正基準標本 」 もしくは 「正模式標本」とも称しています。
畑井先生は、学会報告をされるに当たり、この記載事項を基に発表されたものと推察されます。
仙台市科学館の学芸員で同科学館の館長を務められた佐々木隆氏は、「ミヨコゾウをはじめとするゴンフォテリウムは長鼻類の進化の根幹の位置を占めるものとして重要視されている。ゴンフォテリウムは中新世から鮮新世にかけて全世界的に分布した」(第35回全国中学校理科教育研究大会宮城大会、1988の「ミヨコゾウとその仲間たち」)、と指摘されています。
また、佐々木氏はミヨコゾウの臼歯の特徴についても解説されています。すなわち、ミヨコゾウは、「コブ(瘤)状の咬頭をもつ臼歯、上下の顎に牙、垂直交換方式の歯など多くの特徴を持っている」、ことにも触れています。
古くはナウマンゾウや現生のゾウの臼歯も、それにミエゾウなどステゴドン科ステゴドン属のゾウの臼歯も、水平方向にスライドして水平交換で歯が生え替わりましたが、ミヨコゾウやアネクテンスゾウなどゴンフォテリウム科の仲間の臼歯は、佐々木隆学芸員が解説されているように、人間もそうですが、他の哺乳類と同様に垂直交換方式で生え替わるのが大きな特徴だと言えます。
ステゴドン科とゾウ科はゴンフォテリウム科からさらに分化したゾウ類と考えられていますから、ゴンフォテリウム科のアネクテンスゾウにしましてもミヨコゾウにしましても、ゾウの仲間と言えます。
その意味では、現生ゾウはもちろんですがステゴドン科のアケボノゾウなど、またゾウ科(Elephantidas)でパレオロクソドン(Palaeoloxodon)属のナウマンゾウの「ご先祖さま」と言えることになります。
ところで、ミヨコゾウを産出した柴田町船岡並松当たりの地層分布は槻木層ですから、凡そ2000万年前(前期中新世)の陸成層(陸地、たとえば大陸や島などに堆積物が堆積することによって形成された地層を言う)で、フウ[楓](学名:Liquidambar formosana)やナウマンヤマモモ(学名:Comptonia naumanni [Nathorst] Huzioka)など亜熱帯系の植物化石も同時に出土しています。
したがって、かかる植物化石の産出から太古において、この一帯が亜熱帯気候であったのではないかとも考えられます。もともとミヨコゾウの臼歯を産出した柴田町は、2600万年前火山活動で形成された大地で、当時は海底か湖底であったのではないか、と言われています。
以上で、一先ずこのシリーズは終わります。なお、ミヨコゾウについては、まだ書き残したことがあるのですが、調べたい箇所もありますので、もう少し時間をかけたいと思っています。