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人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

ナウマンゾウについて、その「補遺編」(1)中本博皓

2022年11月17日 16時46分53秒 | ナウマンゾウについて
ナウマンゾウについて、その「補遺編」(1)


 横須賀・白仙山開鑿跡地から発見されたナウマンゾウの化石につ
いて(その1)

太古の昔の話しですが、わが国にはいろいろな種類のゾウが生息していました。中でも馴染みのあるゾウが「ナウマンゾウ」(和名)です。そのナウマンゾウが日本列島に生息するようになったのは何時頃からなのか、正直なところ正確な年代は分かっていません。専門家の先生方の文献を調べましても諸説あり、65万年前から40万年前と言う説、また80万年前には日本列島に中国大陸から渡って来ていたという説もあります。その時期を確定することはなかなか至難ですが、およそ40万年前頃~30万年前頃と言う説が比較的多いようです。

20世紀末(1999年)に『地球科学』(53巻)に発表された小西省吾・吉川周作両氏の論文「トウヨウゾウ・ナウマンゾウの日本列島への移入時期と陸橋形成」を読んだことがあるのですが、河村善也氏の論文を踏まえて大変興味深いことが書いてありました。すなわち「長鼻類化石のシガゾウ、トウヨウゾウ、ナウマンゾウの出現時期がそれぞれ120~160万年前頃、50万年前頃、30万年前頃であることから、これらの時期にこれらのゾウが大陸から移入してきたこと、そしてこれらの移入を可能にした陸橋がこの頃に形成されたこと」、を指摘しています。産出地層を基に推測しますと、ナウマンゾウは40数万年前頃~30万年前頃には日本列島に渡来したということなのです。

ところで、獣骨(ナウマンゾウの化石)が横須賀で最初に発見されたのは1867年7月8日と言われています。その場所は、1865(慶応元)年11月鍬入れ式を行い、幕府が建設した横須賀製鉄所(その後、1871(明治4)年「横須賀造船所」と改称)の敷地を拡張するために、近隣にあった丘陵「白仙山」を開鑿したのですが、その跡地からいくつもの獣骨の化石が見つかりました。

その際、開鑿されたことで生じた膨大な量の土砂は近隣の内浦、白仙そして三賀保の三つの湾の埋め立てに用いられたと言われています。それと同時に「隣接する沿岸の畑にも盛土をして、満潮時において海面よりも平均三尺(約91センチメートル)の土地造成」(元横須賀市助役 井上吉隆「横須賀製鉄所物語」〈15〉)を成し、11万坪に及ぶ広大な面積の造成地でしたから、化石が見つかったのも全くの偶然だっとしか思えません。

横須賀製鉄所の造成地からは、その後、1867年11月6日にもゾウと思わしき獣骨の化石(当時は「巨獣骨ないし珍獣骨」と呼んでいたようです。)が発見されており、また翌1868年3月29日には、造船台の切り崩しの際にも発見されていたことが分かっています。

  横須賀造船所史によると、1871(明治4)年5月に、大学南校(文部省の前身であり、かつ東京大学の前身でもある)物産局からの要請で、1867年11月6日に発見された「獣骨」を南校に送付しています。

  実は、大学南校には幕府のパリ博覧会(1867年)に参加していた一人で、パリから帰国したばかりの博物学者田中芳男(後に貴族院議員となる:1838-1916)が大学南校の物産局に移籍、同局を切り盛りしていました。

  田中は、1871(明治4)年05月14日~1871(明治4)年05月20日に大学南校の物産会(博覧会)を計画しました。同時に、展示分野に「鉱物門化石之部を設け、横須賀製鉄所が所有する白仙山開鑿跡地から発見された獣骨の化石を展示するために、大学南校に送付するよう工部省を通じて製鉄所に要請しました。

  博物学者田中芳男は、物産学の権威でもあり、横須賀製鉄所(横須賀造船所)敷地内で発見された獣骨がゾウの顎の化石であることを知っており、物産会での展示を計画したものと考えられるのです。

木下直之氏(東京大学名誉教授、美術史家:1954- )は、「大学南校物産会について」(『学問アルケオロジー』)と言う論稿において、「横須賀白仙山から出土したという象の顎歯骨化石を描いた図は、明治6年になって文部省が刊行する伊藤圭介の『日本産物志』の挿図にそのまま使われた」、と書いています。

また、木下直之氏の「前掲書」の中には、出品物について記した箇所があり、「工部省の名が『象歯顎骨化石』の出品者として」使われていることを指摘しています。当時工部省は、横須賀製鉄所(横須賀造船所)管轄する役所(監督官庁)であったことから、田中は工部省を介して出品を要請したものと考えられます。

かくして、大学南校の物産会に展示された『象歯顎骨化石』は、1871(明治4)年5月に製鉄所から大学南校に送られた獣骨の化石であると推測できます。とくに説明があるわけではありませんが、物産会に横須賀製鉄所の「獣骨」の展示を計画した博物学者田中芳男は、それがゾウの顎の骨のであることの情報を得ていて、『象歯顎骨化石』として「鉱物門化石之部」に展示したものと考えることができます。

横須賀製鉄所産(白仙山産)の獣骨の化石が、「ナウマンゾウの化石」と呼ばれるようになるのは、それから半世紀後のことになります。