人種とは・日本人の昔を探る(15)
日本人の昔を探る(その1)
旧石器時代人とは-まとめ―
前にも扱いましたが、沖縄県石垣島(石垣市)において、2007年、新石垣空港建設に伴って発見された白保竿根田原洞穴遺跡(しらほ さおねたばる どうけついせき)は、わが国の4万年前頃(旧石器時代)から西暦1500年代(16世紀)頃までの複合遺跡だと、考えられています。
人骨の全身骨格がほぼ完全な形で残っているものとしては、わが国では最も古いものと見られています。放射性炭素年代測定も行われており、凡そ2万7千年前の全身骨格の揃ったものとしては、最古の人骨化石と言えます。
わが国で最も古い人骨は、那覇の山下町の人骨とされています。2010年2月4日付けの読売新聞によりますと、大腿骨など部分骨「そのものが測定できず、炭化物など周辺物から年代が判明した国内最古の人骨は、那覇市・山下町洞穴で見つかった約3万2000年前のものとされる」、と報じています。
白保竿根田原洞穴遺跡におけるもう一つの新たな発見は、日本では初めての旧石器時代の「墓域」の存在が確認されたことだと言われています。この発見で大変注目されていることがあります。それは一つの遺跡で、千点以上もの人骨が見つかっていることで、世界的にもその多さが注目されていると言うことです。
白保竿根田原洞穴遺跡から発見された2万7000年前の旧石器時代人の全身骨格の頭蓋部分を復元し、さらに旧石器時代人の生前の「顔」を復顔することにも成功しています。2018(平成30)年4月、沖縄県立埋蔵文化財センターと国立科学博物館によって、復顔されたのは、30代から40才前後と推測される成人男性であることが発表されています。
復顔した写真も公開されていますが、顔の長さが短く、彫が深く、顔の幅は広い、沖縄ではよく見かける「顔」であると、専門家は話しているそうです。また、専門家の中には、縄文人や中国南部、東南アジア等南方系の旧石器人に似ていると言う説もあるようです。
わが国の旧石器時代を示す出土品は、これまで石器が中心でした。この点につきましては、湊正雄・井尻正二が、『日本列島』(第三版、岩波新書、1976)の中でも指摘されているように、旧石器時代人の人骨、石器、そして動物骨が三つ揃いで出土することが、これまでほとんどなかったのですが、白保竿根田原洞穴遺跡からは人骨とともに、多くの「人工遺物」も発見されていることが明らかにされています。これは、白保竿根田原洞穴遺跡の旧石器時代の大きな特徴と言えます。
「人工遺物」とは、人の手が加わった石器・骨器そして土器などですが、白保竿根田原洞穴遺跡からは、旧石器時代のものは、後期更新世のものとみられる石器が出土しているようですが、人骨に比べて、石器はそんなに多くは出ていないようです。発掘された遺跡自体が「墓域」なのではないか、とも考えられています。
話が大分飛んでしまいますが、これまで旧石器時代人が猟をしていたのではないか、と推測されている遺跡が信州信濃の野尻湖湖底遺跡です。この周縁には、立が鼻遺跡と呼ばれる遺跡があり、自然遺物だけでなく、多くの旧石器時代人の遺した人工遺物である大型獣を射止めるのに使った狩猟具、解体具などの石器、石材の多くが発掘されています。また、自然遺物としてはナウマンゾウやヤベオオツノジカの化石が大量に発掘されています。しかし、人骨の類は見つかっていません。
少々時間を要しますが、本稿の続きは、わが国における狩猟、採集と旧石器時代の人のくらし、端的に言い換えますと、昔の「日本列島人」の痕跡を追って見たいと思っています。