素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(11)中本博皓

2015年07月09日 06時32分56秒 | 人類の移動と移住
抄録・人の移動、その先史を考える(その11)


 

〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕  



(2)日本列島への人の移動・移住、その先史―日本列島への渡来ルート―

1)日本人の祖先の列島渡来ルート
この日本列島に人はどのように住み着いたのだろうか。よく知られていることだが、日本列島至る所でナウマン象やマンモスの化石が発掘されており、日本に象がいた時代があったことは間違いない。北海道を含む東日本だけでも象が棲息していた証拠となる化石が発掘されている場所は全国的に存在している。

本稿では、北海道中川郡(十勝平野)幕別町忠類地区(旧忠類村)、長野県上水内郡信濃町野尻の野尻湖底から発掘されたナウマン象の化石から考えられるように、マンモスやゾウなど大型動物を追って日本列島へ渡来して来たのではないかと思われるわれわれの祖先たちの渡来ルートを始め、列島内での移動、再移動について考察してみることにしたい。なお、わが国におけるナウマンゾウについては章を新にして、これまで明らかにされている成果に触れることにしたい。

 われわれ日本人の祖先を辿るのは大変しんどいことだが、今までで分かっているのは、日本人の祖先たちが辿ったルートは二つあると考えられている。しかし、実際には2万年前の新人たちが辿ったルートはいくつもあったのではないかと考えられている(埴原和郎『日本人新起源論』・角川選書、59頁)。それらのルートの中で「南ルート」と「北ルート」の二つがあるとする説(NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編『日本人はるかな旅:①マンモスハンター、シベリアからの旅立ち』・日本放送協会、32頁)が比較的有力である。この説によると、一つは「南ルート」である。

このルートを選択したわれわれの祖先は、温暖な土地を求めて移動した集団の一つだった。彼らは西アジアから南アジア、そしてインドネシアを経て中国南部から朝鮮半島を通り、陸続きになった対馬海峡を渡ったと推定される。しかし、彼ら集団は琉球諸島を北上する「海上の道」を北上するルートの想定も考えられるという説である。その時代、その手段は、となると必ずしも定かではなのである。

これに対し「北ルート」について、既述のNHKスペシャル「日本人」プロジェクトは、シベリアを越えサハリンから北海道へ渡る道を選んだか、あるいはモンゴル、中国北部を経由しながら朝鮮半島を通って日本列島へ足を踏み入れたか、そうしたルートが考えられるとしているが、そのどちらも可能にしていたのかも知れないのである。
しかも以上の二つのルート、あるいは三つのルートのいずれを選択したにせよ、われわれの祖先たちは「それぞれの旅の途中で人類史上に燦然と輝く偉大な記録を残している」(『前掲書』32頁)し、そしてまた『前掲書』は、北ルートを移動した人々は温暖地でしか生きられなかった彼らに寒冷地への適応性を自らに植え付けることができたし、また南ルートで移動した彼らは、陸地だけではなく海にも道があることを学習できた。それらを成し遂げた祖先たちの偉業は、現代のわれわれ人類にも引き継がれているのだとも指摘しているのである。

 日本人の形成に関しては、次の節2)において言及するのだが、その前提としてさらに尾本説に触れてみたい。周知のように、尾本教授は人類遺伝学の専門家として知られており、とくに血液の遺伝標識にみられる変異を電気泳動法によって検出することから、人類の遺伝的系統関係を解析していく研究で高く評価されている。本稿では、教授が1996年に著した『分子人類学と日本人の起源』(ポピュラー・サイエンス・裳華房)において日本列島に渡来し、住むようになった日本人の祖先、縄文人の先祖となった後期旧石器時代の人類について、その渡来ルートを三通りの可能性として指摘している。

 すなわち、当時可能性の高い日本への渡来ルートの一つは、「シベリア-サハリン-北海道ルート」、二つ目のルートとして「中国北部-朝鮮半島-西日本ルート」、そして三つ目のルートとして「中国東部-琉球列島-九州ルート」の三通りを挙げている。時代は、後期旧石器時代か中石器時代に相当し、尾本教授によると細石刃型の石器が「動物の角などで作った柄に埋め込んで、槍の穂先として用いたらしく、同じものがシベリアからも多数発見されている」こと、一方「この頃から気候は温暖化し、とくに自然条件に恵まれた日本列島では人口が増え、縄紋(原文通り)時代を迎えた」、と考えられる旨の説明がなされている(尾本『前掲書』、174頁)。以下、次回につづく。



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