素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

一日一日大切に生きることー素人、考古学及び古生物学を学ぶー(21):中本博皓

2016年03月29日 19時26分39秒 | ナウマンゾウについて
       抄録:日本にいたナウマンゾウ (21)



《絶滅したナウマンゾウ、昔々の話》

 ゾウが地球上に現れて今日まで、その起源は素人には信じ難いほどの時間を遡らなくてはならないようです。ゾウ類の起源は人類と類似していてアフリカ大陸説が通説のようです。人類の化石の最も古いものの多くが東アフリカで発見されています。

 12,3年前になりますが、2005年に人類の祖先としては最古の約700万年前の猿人とみられる化石が、アフリカの中部チャド共和国で発見されました。これまで最も古いとされていた猿人より100万年ほど古いと推測されています。
 従来、人類の発祥の地とされてきたのは東アフリカでしたが、その説が揺らぎ始めています。(財)2005年日本国際博覧会協会が2005年4月6日に発表したところによりますと、フランスのポワティエ大学のミシェル・ブルネ教授らの国際研究チームが2005年4月7日号の英科学誌『ネイチャー』に掲載したようです(確認していません)。下記の写真は、。(財)2005年日本国際博覧会協会が2005年4月6日に発表した1枚です。

                    
 また、人類の化石が発見された遺跡の多くは、東アフリカのグレートリフト・バレー(大地溝帯)に関連する場所に存在していると言われています(リチャード・リーキー著、岩本光雄訳『入門 人類の起源』(Richard Leakey、 Human Origins、1982)・新潮文庫・1987年、32~34頁)。ただ、ゾウ類の場合は、国立科学博物館・読売新聞社編『太古の哺乳類展-日本の化石でたどる進化と絶滅-』(執筆:冨田幸光・矢部淳)に依拠しますと、その起源はアフリカ大陸の北部であり、その進化には3つの放散があった」、と記述されています。

 正確を期するため『前掲書』を参照に整理しておきましょう。最初の放散は、始新世前期(約5000万年前)から漸新世前期(約3000万年前)にかけての時代で、いくつかの科にわたる原始的なグループのほか、ゾウ亜目のパレオマストドンやフィオミアなどが含まれると推定しています。第二の放散は、アフリカ大陸とユーラシア大陸が陸続きになった中新世の初期(約2300万年前)以降で、この時代に広義のゴンフォテリユム類、マムート科、そしてステゴドン科が急速にユーラシア大陸に広がったと考えられています。

 次に第三放散ですが、中新世・鮮新世境界(約530万年前)で、この放散によって現生ゾウ類を含むゾウ科の出現、そして拡散が行われたと推測されている時代だと言われています。ですから、現生ゾウの出現は、現生人類の祖先が二足歩行で姿を現し始めた700万年前から500万年前頃と、ほぼ同じ中新世・鮮新世境界以降に、同じアフリカ大陸だったようです。ツダンスキーゾウからアケボノゾウに至るステゴドン系統は、おそらくは中新世の終わり頃に日本に渡来してから日本国内で進化したのではないかと、専門家の方々の考えもあるようです。

 また、本稿で扱ってきたナウマンゾウは、日本列島が氷河時代に大陸と陸続きになるこで、日本列島に渡来したものと推察されています。既に本稿でも言及しましたが、『前掲書』によりますと、「第四紀更新世の中頃(約100万年前)以降、寒冷な氷期と温暖な間氷期が交互に繰り返す時代となり、日本列島と大陸が陸続きになったり、途切れたりを繰り返しました。それにともなって、異なる種類のゾウが大陸から日本に渡って来るようになり、その中でもっとも繁栄したのがナウマンゾウ」(74頁)、だったと解説されています。

 ナウマンゾウは、日本の南から北へ、列島の北では、北海道十勝平野の旧忠類村にも生息していたことが、大がかりな化石の調査からも確認されています。また、長野県の北部に位置する野尻湖の湖底からも多くの化石が発掘されており、現在もなお発掘調査が継続されていることは周知のことですが、ナウマンゾウは寒冷な気候にも適応できたゾウだと専門家の間では、それが通説のようです。

 『前掲書』において、「第四紀更新世の中期から後期は、くり返す氷期と間氷期の寒暖の差が大きくなり、ナウマンゾウはそれに合わせて日本列島を北へ南へと移動した」(82頁)ものと考えられるとされており、そのせいかナウマンゾウの化石は全国津々浦々どこででも見つかっています。

 しかし、更新世末期、今からおよそ1万1000年昔のことですが、専門家の間では、世界的規模でゾウを含む大型哺乳類の多くが絶滅したと考えられています。この時期、南北アメリカでの絶滅は相当酷かったそうですが、とくに大型哺乳類の70%が絶滅したと言われています(108、109頁)。その原因として、二つの見方があります。

 一つは、今から2万5000年前から1万6000年前頃のことですが、最後の氷期(最終氷期)のピークの後のことです。激しい気候の変動の時期がありました。たとえば地球上の気温が急激に高温になったり、急激に冷却し寒冷化したりといった気候変動の激しい影響に耐えられなくなったのでは、と言うことも考えらくはないのです。

 しかし、二つ目の原因としては、野尻湖の湖底に堆積していると見られているナウマンゾウの化石から推察して、そこが野尻湖人のキルサイト(狩場)ではなかったか、と推測されているように、地球上に道具を作り、道具を使う人類が増加したことで狩りつくされて絶滅したのではないのか、この二つ目の原因が多数派を占めているようです。

 ですが、専門家の間では、日本列島における更新世末期(1万1700年前頃)に大型哺乳類が絶滅した原因として、昨今では気候変動を挙げる専門家の見解が、小生の感触(非科学的な表現ですが)に過ぎないのですが、かなり有力ではないかと考えています。小生個人としては、気候変動を日本列島におけるナウマンゾウやオオツノジカなど大型哺乳類絶滅の有力な原因になっているように思うのです。

 第四紀学会の見解などを参照しますと、最終氷期の最寒冷期を過ぎた頃(1.8~1.7万年前)を境にして、気候変動が再び起こるのです。今度は最終氷期とは逆に急激な温暖化の波が世界各地を襲ったと言う説があります。

 一説では、「平均気温が50年で7度も上昇した」、と言われています。急速な温暖化が進むことで、ナウマンゾウなど草食系の大型哺乳動物が好んで食していたであろう草木類の多くが生育できなくなり、水場を失い、草原は深い森に変わり、大型哺乳類が生息地を失うようになり、絶滅への途を歩まざるを得なくなった、そこに人類の人口増大による乱獲も重なったことも考えられます。ナウマンゾウ絶滅の途は、さらに掘り下げて調べる必要があるように思います。



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