素人、考古学・古生物学を学ぶ

人類の起源・進化・移動や太古の昔、日本に棲んでいたゾウ類にも関心があり、素人の目線で考えてみます。

素人の考古学:抄録・人の移動、その先史を考える(10)中本博皓

2015年07月03日 10時05分33秒 | 人類の移動と移住

 

抄録・人の移動、その先史を考える(その10)


 

〔以下の記事は、小生がこれまで扱ってきた「人の移動史」(日本人の出移民小史)から、ふとしたことで、人の移動、その先史 を専門家の孫引き・後追いで考え るようになり、ノートを作成する気になったもので、老化予防のために「80過ぎての手習い」といったものです。〕  



(1)人は移動する生き物


9)現生人類(ホモ・サピエンス)紀元前後1万年の旅路、その拡散と移動

紀元前1万年前前後になると、世界の各地に拡散したホモ・サピエンス、われわれ現生人の祖先の集団的移動そして定住も行われるようになった。専門家によると、南極大陸を除く地球上の大陸のほとんどすべてが、1万2000年前までにホモ・サピエンスの生活圏になっていた(海部陽介『人類がたどってきた道』292頁)と言うのだ。遠いオセアニアにホモ・サピエンスは、いつ頃どこからやってきたのだろうか。およそ5万〜4万年前、東南アジアからリモート・オセアニアの島々を目指して人々が住むようになったことについてはすでに明らかにされている(海部陽介『前掲書』、293頁)。

さて、われわれの祖先たちが必死に生きて時を刻み時代を重ねて、ホモ・サピエンスは創造性を豊かに育みつつさらにいったん定住した人類は、採取狩猟のため新たな豊穣の地を求めて移動するようになり、またある時は争いから逃れるために移動するようにもなり、人類史は移動の歴史でもある。その過程において人類は移動から得るメリットを知ったし、様々な移動に必要な道具を生み出すサピエンス(知恵)と技術力を高めたのである。

ある集団は海洋を制覇する知恵を編みだし、大航海による活動の場(空間)を広めることで進化を遂げたのである。そして人類は、移動と定住の繰り返しを通じて洞窟壁画美術など豊かな文化を創造しつつ、活動空間を陸だけでなく海にも広げ、そして長い先史時代を経て古代から中世へ、そして近世へと大きく歴史を展開して、時代を近・現代の今に至らしめたのである。

その意味でも、人類の「移動」と「移住」の歴史は、きちんと区別して吟味しなくてはならないのだが、本稿では、人類学的視点の甘さから、と言うより「ど素人の考古学」であるから、その点がかなり大雑把になるのではないかと危惧している。

ここらで、人の移動についてわれわれの時代にぐっーと近づけて考察してみよう。ところで、「ゲルマン人」という用語が使われ始めたのは、随分昔のことで、歴史は再び紀元前に遡る。 ポセイドニオス(ギリシアの歴史家)が、イタリア半島の北部、すなわち「ガリア地方」に侵入した「部族」について言及した際に使ったことで知られているが、後世になると、帝政ローマ時代の歴史家によって広められた。その歴史家とは、帝政ローマ時代のコルネウス・タキトゥスだと言われている。

彼は紀元98年ゲルマニア地方の歴史、風土、社会そして文化を書物に著した。それが『ゲルマニア』であることはいまでは周知のこととされている。ゲルマニア地方とは、古代ヨーロッパの地名で、ローマ人の民族大移動が始まる以前におけるゲルマン人居住地を指していると言われている。そのゲルマニアはライン川をはさんでガリア人(古代ローマ人がそう呼んでいた)が居住していた地域で、現在ではフランス、ベルギー、オランダ、そしてドイツの一部と見られている。もともとのガリアはイタリア半島の北部地帯であった。したがって、ゲルマニアはヨーロッパの相当広い地域を指している。

世界史を紐解いたとき、人の移動の歴史としてよく知られるゲルマン民族の大移動は3~6世紀、スラブ民族の移動は5~6世紀バルカン半島全域に侵入することが移動の始まりだった。その後さらに、ゲルマン民族はイギリスを攻撃し、ロンドンでの略奪行為は歴史にも刻まれている程だ。その後も、東方系のスラブ系諸民族の侵略を主体とした人の「移動」が行われている。

また、中央アジアでのトルコ系民族の移動や、その後の人口の爆発的増加、気候変動、疫病の蔓延といった社会的、自然的要因によって人の「移動」そして人の「移住」が行われるようになった。

 少し話をもどそう。既に言及したように、これまで古人類学者たちは口をそろえて、人類は700万年~500万年前に東アフリカの地に誕生し、「その後の数百万年の間もっぱら東アフリカの大地溝帯のなかで進化を繰り返した」、と説いてきた。人の移動史に造詣の深い地理学者ラッセル・キング(Russel King)氏もまた、「人類の歴史はおよそ前700万年頃に始まる。われわれのサルに似た最古の祖先たちは、生れた土地、すなわちアフリカの森林地帯を離れ始めた」のだと指摘している。そして同時に彼はこうも述べている。

すなわち、「最初期のヒトないし原人が400万年以上も前にアフリカに出現したとする説は、今日広く受け入れられている」と述べている。
ところで、彼らの子孫たちの拡散・移動と見られる現象も古人類学的、考古学的には数十万年前から行われようになった。ただ現生人類(新人:ホモ・サピエンス)の誕生、そして全地球上に拡散を始めるのは、昨今の最新の分子人類学ないしはDNA人類進化学の研究の成果に依拠するのであれば、既述のように、何と数万年前からのことに過ぎないというのだ。

その説が今や世界の古人類学上通説と化している。そしてその後も現生人類は、移動そして移住、定住を重ねつつ、豊かな地を発見しそのさまざまな環境に適応する社会性を学習しながら移動を続けて来たものと考えられているのである。しかしながら、人類史を振り返ってみると、ホモ・サピエンスが最初に誕生し、世界に広がった数万年前にこの地球にどれだけの人類が生存していたのだろうか。その正確な人口統計は見たことがない。

現在、世界の人口は72億6350万人(2015年6月27日現在)であるが、1日に20万人、1年に7,800万人もの人口を増加している地球上で100億人に達するのはそう遠い話ではなくなってきた。これは確かな考古学的な裏付けのある数字であるのかどうかは定かなことではないだが、BC8000年ごろ、地球の人口は100万人だったとも聞く。1万2000年前から1万年前、農耕や牧畜が浸透するようになって定住者が増え、農耕の道具が開発されると食糧生産も進み、人口の増加も著しくなったと考えられる。

それとともにに家族・縁者一族が形成されて、勢いのある一族や富める者そうでない者が生じるようになった。血族を意識したり、身分関係が芽生えてくると、自ずと支配する者される者の立場が分れるようになり、食料や私有地化をめぐる争いが始まる。勝者は敗者を隷従させ私有地を拡大し領地を形成したものと考えられる。

つづく(しばらく更新に時間を要する予定です)