電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

香港映画忘備録3

2013-03-03 17:13:24 | Weblog
1988年の10月から1990年1月までベストロン映画に在籍している間も、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』が縁で、ツイ・ハークの電影工作室へいろいろと連絡を取って、1989年4月の香港国際映画祭の時には、テレンス・チャンの好意で、ゴールデンプリンセスの試写室で3週間前にシンガポールで公開されたばかりの『喋地雙雄(狼/男たちの挽歌・最終章)』を見せてもった。上映時間は2時間20分ほど、クライマックスのアクションシーンに驚嘆し、日本に帰った後も会社には情報として進めたものの、値段が当時で80万米ドルと1億超える金額だったので、会社はあまり興味を持っていなかった。それよりも『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の続編の話があったので、そっちにこの金額と同じくらいのオファーで話をしていた記憶がある。
話は戻るが、この香港国際映画祭の時は電影工作室のテレンス・チャンや広報窓口のヘレン・チャンに本当にいろいろとお世話になっており、この時は一緒に旅行へ行ったマスコミの人間と『驚魂記(蜘蛛に抱かれた女)』の新界の撮影現場にも連れて行ってもらい、ジョイ・ウォン、ブリジット・リン、ポーリン・ウォンに会って、写真撮影の時間をもらった。またこの時はシネマシティのウェリントン・ファンから、『阿郎的故事(過ぎ行く時の中で)』の劇場招待券をもらって、皆で旺角のシネマシティのビルの1Fにある映画館で鑑賞した。
『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』続編はベストロン映画でやることになり、ビデオ部がジョイ・ウォンをメインにしたメイキングビデオを作るということで、これも制作費を日本が出して電影工作室が撮影することとなった。そうして出来上がったのが『メイキング・オブ・チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2 ジョイ・ウォンのすべて』。ベストロン映画がない今、この素材はどこにあるのでしょうね。そうこうしているうちにアメリカのベストロン映画の経営が傾いたということで、社内もがたがたしており、個人的には退職することを決意。ちょうど話があった『オクトパス・アーミー 渋谷で会いたい』の宣伝の手伝いを2月から始めるのだった。