ひげ坊主の散漫な日常

アラ還オヤジのとりとめない日々を、独断と偏見のみで、気ままに書きます。なので、すべて個人的感想です。万端、悪しからず。

「アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~」 大切だから、保存します(32)。BBの覚醒記録より

2017年09月12日 | 皇室
  • 「BBの覚醒記録」が、
  • 「BBの談話室」として復活しました

    「希望の多い記事は、任意にアップします」とのことで、

    またあの優れた文章を読むことができる、喜びと安堵。

    なにより、日本を愛するすべての人々への大きな道しるべ、

    BB様がネット界に復帰された心強さ。

    あらためて、ありがとうございます。

 BBの談話室
  http://blog.goo.ne.jp/bb-danwa

 

    

   ということで、「大切だから、保存します」シリーズの役割(と言ってもどれだけの人の目に留まったかは不明)

   は終えた、とも言えます。

   が、続けます。

   ひとつは、この作業をすることによる、私自身の再勉強のため。

   もうひとつは、BB様の過去記事を探して、迷った人への、「藁」ほどの手助けができれば。

 

   今回は、BB様ご自身の文章ではないですが、
   戦後日本の運命を決定付けた、アメリカという国への愛情、憎悪、信頼、疑念、そして提言が盛り込まれた、

   秀逸な「羅針盤」です。

以下、転記

  • 「アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~」 (初出10/23/14)

 

表題は、高橋富代さんの論文で、ありそうで意外にない

「諸悪の根源」としてのアメリカを裁断した小論です。

すでに某メジャー保守ブログにも転載されているようですが、

こちらでも紹介させて頂きます。秀逸ですので・・・・。

読者の読みやすさを考慮、段落のつけ方などレイアウトは多少
変えさせていただきますが、無論内容は一言一句そのままです。

(中山 成彬氏のブログでも転載されたようです)

 

・・・・・・・・・・・・・・

http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-446c.html

アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ
                ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~
 
                   静岡県下田市議会議員 高橋富代

 

 アメリカに愛着がある。私は下田の生まれで、物心ついた頃から黒船祭がありアメリカという国が水兵さんの姿で、時にはアメリカ大使の姿で日常にあった。
 先の戦争が、アメリカに巧妙に仕掛けられたのだと長じて認識してもなお、相模湾の潮騒と黒船祭を幼児期の原体験に育った私は、同国への憧憬を捨て切れずにいた。
 

それが、突然崩れ去ったのは、二〇一四年四月二五日のことである。
朴槿恵大統領とソウルで会談したオバマ大統領が共同会見で言い放った言葉で、私のアメリカへの片思いは終わった。この片思いは多くの日本人が、アメリカに対して抱いて来た心情と同種だと思う。ハリウッド映画や、ホームドラマで見つめてきた、豊かで明るい正義の国アメリカ!
 
 「甚だしい人権侵害だ」とオバマ大統領は切り出した。「慰安婦らの主張は尊重されるべきだ」「過去を正直かつ公正に認識しなければならない」と日本を裁き「安倍首相や日本国民もそのことを分かっているはずだ」とまで口にした。
 一九四四年に朝鮮人慰安婦たち二十人へのアメリカ陸軍の尋問調書が収められているのは、他ならぬ米国立公文書館である。調書の「序」にいわく「慰安婦は売春婦、Professional camp followerにすぎない」と。
 

 

しかしオバマ大統領にとっては真実など意味もなく、同盟国である日本を韓国と共に貶めることなど、蚊を叩く程度のことなのだ。と、そう私は唐突に思い知ったのだった。
 

 安倍総理の靖国参拝にアメリカが「失望した」と言ってきた時に、すでに違和感はあった。東京裁判の開廷者であるアメリカが、A級戦犯の何たるかを知らぬはずもなく、要するにでっち上げの戦犯であり、日本が勝っていれば、アメリカに戦犯が大量に生まれていただけのことだ。しかし私は、芽生えた不審の念に視線を当てることを避けた。

 

アメリカを敵に回したら、防衛の要である日米同盟が壊れ去る、と潜在的恐怖心があったのだと思う。加えて、パブロフの犬的調教として、日教組、そして当時はGHQのコントロール下にあったNHKなどから、戦後七十年弱かけて刷り込まれていたのであろう。「アメリカ様に逆らってはならぬ」と。逆らえば餌をもらえず、叩かれるのだ、と。
 

 

しかし、いともあっさり韓国に寄り添い日本を足蹴にしたアメリカ大統領に私は、悟らざるを得なかったのだ。親米保守であった私の足元が瓦解した瞬間であり、「鞭」の存在に気づいた瞬間であった。日本の頭上に常にふりかざされていた、アメリカの鞭である。この鞭は、日本が歴史の真実、つまりはアメリカが世界に知られたくない事実を日本人が知り始めた時、まず威嚇のために床にピシリと鳴り、日本が自立しようと立ち上がった時は脳天に振り下ろされる鞭である。

 

それと共にNHKも、民放のある番組も新聞も、いまだ戦時下のプレスコードを抜け出していないという現実に私は息を呑んだ。日教組も、彼らが実質作る教科書も、時には入試問題さえ、日本毀損と弱体化のいまだ道具である。
 オバマ大統領はあろうことか、東京大空襲の「ドーリットル爆撃隊」の隊員に、 議会最高位の勲章を授与する法案に署名した。日本各地の大空襲では無抵抗の赤ん坊や、小学生まで含めて民間人計三十三万人が空襲で殺された。原爆と合わせると七十七万人の非戦闘員が命を落としている。ドーリットル爆撃隊への授章理由は「傑出した勇気」だそうだ。   
 
 中韓の執拗な日本攻撃と反日の源流はつまるところ、東京裁判と、GHQの日本弱体化政策に帰する。思えば、進駐軍が日本のマスコミにかけた規制「プレスコード」には、連合軍への批判禁止に加えて「.朝鮮人への批判」と「中国への批判」があったではないか。

 

わざわざ「朝鮮人」と特定して批判を禁じた意味を日本人は考えるべきであろう。在日優遇または犯罪お目こぼし政策は、彼らを自己増殖するトロイの木馬として日本に埋め込んでいったということではないか。「朝鮮進駐軍」容認がその一例である。差別的見地で言うのではない、歴史の実相を直視するところから始めぬと、日本の進むべき道が見えて来ぬ。日本人として戦った朝鮮の人々を、日本の被害者として置き換えたのも、GHQの力技ではあった。
 

 

奴隷使役国の誹りを世界から受けぬために、アメリカは自国以上の悪者に日本を仕立てる必要があった。日本には奴隷制の歴史はないので、でっち上げたのが朝鮮半島の「植民地化」呼ばわりであり、人々を奴隷にしたというフィクションが、しかし東京裁判でノンフィクションとしてすり替えられた。インディアンを殺戮し土地を奪い、奴隷をこき使い、苦力を牛馬のように扱ったのはアメリカである。ハワイ王国の滅亡もアメリカによる。
 

 

日韓併合は白人たちの概念にある植民地には該当しない。圧政と搾取が植民地であるが、日本が行ったのは合邦である。韓国の近代国家への礎を作ったのは日本である。
 
 先の戦争の大義は、それまで白人が有色人種を動物扱いで使役、暴利を貪っていた世界を一気に日本が突き崩し、世界の悪しきパワー・バランスを壊したことにある。日清日露の勝利は、白人たちにとっては黄色い猿が仰天すべきことをやってのけたということであり、彼らは憎みかつ怯えたのである。知力を備え文化さえ持った「猿の惑星」の猿を呆然と見つめ、そして我に返った彼らは猿を叩き、再び立ち上がれなくなるよう手足を折ったのである。
 
 占領軍の検閲対象の一箇条に「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」というのがあることに留意されたい。これは語るに落ちる話であり、昨今憲法改正について緒論かまびすしいことであるが、連合軍がプレスコードという形で、はからずも告白しているではないか。日本弱体化のために我々は日本国憲法を起草したのだ、それゆえ批判することまかりならぬ、と。
 となれば、日本が自立した国家たらんとするなら憲法改正は避けて通れぬ道であるということである。
 

 

「プレスコード」には次の条項もある。「占領軍兵士と日本女性との交渉」を報道してはならぬ、と。交渉とはおそらく米兵による日本女性の強姦をも含む。これは多かった。ここに思いを致す時、私は米兵たちのレイプ頻発を防ぐため、性の防波堤となり、日本全土のあちこちに横たわった無数の「お吉」たちの顔が浮かぶ。生活苦から慰安婦を志願した女達もいるだろうが、彼女たちが身を挺してアメリカ兵たちを受け止めてくれたからこそ、強姦の発生件数が抑制されたのである。
 

 

連合軍にはわずかの豪州、英国の兵もいたが、圧倒多数はアメリカ兵だったのだから、「アメリカ兵」と一括した呼び方も許されると思う。
 日本に進駐したアメリカが、まず要求したのは慰安所の設置だった。各地にそれは要求され「千葉公文書」として知られる史料には、昭和二十年九月五日、館山に上陸した米軍第一一二騎兵連隊相手に、慰安所が設置された詳細が記されている。
 

 

そのことを憤るほど私は偽善者ではない。異性から長く遠ざかった若い兵士たちが、どれほど猛り立っているか、動物としてのオスの衝動である。これを、率直に認めないから清教徒の多いアメリカの、きれいごとの嘘がものごとの本質を歪める。日本に設けられた慰安所は「余暇・娯楽協会」とアメリカ風美名で呼ばれたが、売春宿である。

アメリカ軍は公には売春施設を認めない。だから、なかったことにする。

 

シカゴ・サン紙特派員マーク・ゲインは慰安所を「米軍を腐敗させようとする日本の謀略。その武器は酒と女で、目的は占領軍の士気と占領政策の破壊」とすり替え、占領期間中米兵による日本人殺害毎年平均三五0人。一000人以上の婦女子暴行(調達庁調べ)には触れない。一0万人が亡くなった東京大空襲は「死者六千人」と縮小。なんという偽善と嘘。

外国特派員協会はGHQの情報発信基地だったが、その体質はいまだ生きている。
 

 

「余暇・娯楽協会」はやがて封鎖される。ルーズベルト夫人の反対が原因であるが、彼女の「清らかさ」ゆえに、巷では再び強姦が増え、一般の日本女性が犠牲者になったのである。
 私が、大勢の無名のお吉たちに対して悲しみと憤りを感じるのは、身を挺して日本女性の貞操を守った彼女たちの犠牲を無視、アメリカは自らの手は汚れてはいないとして、日本を一方的に打ち据えるからだ。

 

日本女性への狼藉を防ぐために、日本各地で横たわった大勢のお吉たちは、何のために払った犠牲であったのか。アメリカは、その時そこにそんな日本女性たちがいたことを見ようともしない。いや、いなかったことにしてしまったのである。私はそれを許さない。彼女たちの墓碑銘は私が刻み続ける。
 
 日本人は、やったことは、やったと言う。時にはやってもいないことをやったとさえ言ってみせる。河野談話がそれである。善人が自縄自縛で苦しむ姿が日本である。神道にベースを置く日本の精神性は「直き」を善しとし、正直を旨として、いつまでも相手の非にはこだわらぬ。水に流し、恩義には恩義で報いる。いかに大空襲と原爆で非戦闘員を虐殺されようが、同盟国に蒸し返し言い立てはしない。その平明さが日本人である。

 

しかしアメリカ人は、というより外国人は異なる精神性の持ち主である。自らの益と非の隠蔽のためには、顔色も変えず相手の寝首をかく。それを言い立てても仕方がない。日本人の思考と感性で外国と向き合わぬことである。外国は腹黒く不正直であると思い知ろう。
 

 

言うも気恥ずかしい初歩のセオリーであるが、しかしその初歩を戦後六十九年間怠って日本は現在のていたらくである。韓国と中国の二重の反日包囲網を更に、アメリカの「反日」が取り囲む。

黄色い猿は優秀で、幾つかの幸運はあったにせよ戦後の焼け野原からあっという間に立ち上がり、経済大国となった。ならばカネをむしり取ってやれというわけで、中韓への理不尽なODA、国連へ実権を与えられぬままの出費、などなど金銭面での弱体化が試みられるが、それでも日本はしぶとく、またぞろアメリカは日本殴打を再開、その一環がアンジェリーナ・ジョリの反日映画「UNBROKEN」であろう。日本軍が生きたまま、捕虜の肉を食らったというストーリーで、 これは特派員協会の会員であったN・Yタイムズのニコラス・クリストフという男が「日本兵が中国人の子供を殺して肉を食った」書き散らした捏造と軌を一にする。

 

 ちなみにクリストフの妻は中国人である。 ハリウッドは間歇的に日本貶め映画を市場に出す。だが日本人は、アンジェリーナ・ジョリの来日にファンが群がり、GHQがwar guilt information programに託して刷り込んだ、自虐史観と侮辱に鈍感な感性はいまだ機能している。

 

 

アメリカが日本人に為したのは、神道の事実的追放である神道指令、学校教科における修身・日本史・地理放逐の「三科指令」であり、日本人はこれにより民族の誇りを抜き取られて現在に至る。言霊の幸わふ瑞穂の国から、その豊穣で美しい言葉が絶えつつある。言葉が痩せることはすなわち国の精神性の貧困を意味する。男系で百二十五代続いた天皇陛下を国の要としつつ、四方の海の要塞に守られて育まれた固有の文化を大事にしたい。言葉を守ることは防衛なのだ。
 
 朝鮮戦争時における米兵相手の元韓国人慰安婦が韓国政府を相手取って訴訟を起こしたのはこの六月のことであるが、朴槿恵大統領もアメリカも内心頭を抱えたのではないか。慰安所を開いたのは、皮肉にも朴槿恵大統領の父上である朴正煕・韓国元大統領であり、慰安婦を抱いていたのはアメリカ兵なのである。韓国は韓国でベトナム戦争の時、現地女性を「性奴隷」として虐待殺戮の事実がある。
 

 

いったい、誰が日本を打つ白い手をしているというのか。日本の慰安所は合法で規律正しかった。ちなみに、 一説によると 進駐軍相手には「慰安夫」もいた。(『戦後の日本を知っていますか?―占領軍の日本支配と教化』百瀬孝監修)昭和二一年、名古屋は松坂屋の近く、焼け残った木造アパートに身体検査に合格した数人の若者が集められ、アメリカ女性兵の相手を したとされている 。売買春を、短絡的に女性の人権論に話をすり替える人たちが絶句すると思うので敢えて書いた。

 

安倍政権による河野談話の見直しで形勢不利になったと見るや、韓国は「女性の人権論」に論点を置き換え、慰安所に日本軍が関わっていたと責めているが、売買春がさほど悲惨なら、日本に五万人いる売春婦(韓国・国会国政監査発表)を、早急に救い出しに来て欲しいものである。韓国が売春大国であることは「韓国女性政策研究院」が調査の上で、認めている。
 
 私の地元下田の唐人お吉を連想させるため、そしてまた慰安婦問題はライフワークだと思い定めているのでその記述が多くなったが、慰安婦は突出してわかりやすいアメリカ側の負の記号なのである。アメリカは現実を認めるべきだ。

日本だけではない。ノルマンディーに上陸したアメリカ軍に対して、ル・アーヴル市長が慰安所の設置をアメリカ軍に懇願したが、軍はこれを拒否。その結果「往来をアメリカ兵たちによる強姦に遭遇せずに道を歩く事はできない」と言われるほどレイプが頻発したのである。
 

 

アメリカよ、自らの汚れた手を見よ。その手で日本を撃てるなら撃て。バイブルに手を添えて宣誓する時の潔白さで、慰安婦問題には向き合え。日本は自らと、祖父と父の名誉を懸けた戦いである。これに負けるわけにはいかぬ。
 
 

 

対中国があり日米同盟は必要だが、しかしアメリカもまた日本を必要としている。過度の依存とそれ故の過剰な謙虚さは、長い目で見れば結局日米関係を損ねる。まずアメリカが礎石を置いた中韓の重層的反日の構造を把握しないと、それへの対抗策を見出し得ない。結論を先に述べるなら、安倍総理の戦後レジウムからの脱却が急務で、そのためには憲法改正が必須。

 

自衛隊から国防軍ヘの昇格を。それを即戦争と結びつけるのは幼稚である。日本が侵略したい国など、世界のどこにもありはしない。そこからの侵略から守りたいと思う国ならある。
 
 しかし東京裁判史観からの脱却に、政府レベルでは限度があるのではないか。たとえば、安倍政権の河野談話見直しは、韓国(とアメリカ)に痛打だった。それならなぜいっそ、談話を破棄するなり河野洋平氏を国会喚問せぬのだろう。後者は「前例がない」という納得しがたい理由で、呼ばぬという。
 ひょっとしてアメリカへの慮りであり、またアメリカからの「圧力」ではないかと、穿ってしまうのだ。

 

明らかなことは唯一つ、何らかの理由で、政府が米国に対して及び腰であることだ。ならば、民間で立ち上がり声を上げるしかないではないか。いかなアメリカとて、国民の声までは封殺できぬ。政府を頼むな、自ら立ち上がり戦え。一部が怯える如き「ナショナリズムの復活」などではない。自力で立ち、自分で身を守れる普通の国になろう、と言っているだけのことである。
 
 具体案は幾つかあるが、たとえばアニメの製作。題材はこれもたとえばヨーコ・カワシマ・ワトキンズの「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」。この製作委員会を民間で立ち上げ、寄付を募る。その行動自体が大きな問いかけになろう。日本の汚名をそそぎ、真実を世界に伝えるに日本のアニメ技術と人気を使わぬてはない。尖閣であれだけのお金が集まった。映画がヒットすれば、回収は出来る。利益が出ればそれと合わせて、次のアニメ制作を企画する。具体的腹案は割愛するが、私は動いてみようと思う。
 
付記 拙稿を書き終えてからしばらくして、朝日新聞が八月五日の朝刊で「慰安婦問題の事実関係に誤りがあった」と認めた。しかし謝罪は無く、英文版では一行も触れず、その上、論点をずらして相変わらず慰安婦をネタに日本を叩く構え。政府はこれだけの環境が整ったのに、(おそらく対韓国対アメリカへの外交配慮から)河野談話の見直しはしないという。やはり国民が覚醒して立ち上がり、この仕組まれた情報という名の戦争を戦うしかない。互いに呼びかけ、手を組み立ち上がろうではないか。

 ・・・・・・・・・・・・

 

 こと改めて何かを解説する必要のない完結した論文だと思います。

憲法改正の必要を、プレスコードの視点から説いた論が新鮮でした。

ひところ、ポチ押しでの応援をお願いしていたことがありますが、

ずっとその後カテではダントツの1位を守っていらっしゃるので、BBの出る幕はなく
時々記事を読ませていただいていただけですが、今回の記事に賛同の方はぜひ、
ポチ押しで、エールを送って差し上げてください。

 http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e58a.html

 

追記 あ、一言だけ。

>(おそらく対韓国対アメリカへの外交配慮から)河野談話の見直しはしないという。

 

(おそらく対韓国対アメリカへの外交配慮から)はその通りと思いますが、加えて河野談話と河野氏を俎上に上げると、皇太子妃雅子さんの実父を国会喚問しなければならなくなるから、というのもありそうです。

 

転記ここまで。


「拝啓皇后陛下 ローマ法王が第二次大戦の日本を応援していたのはご存知ですか」大切だから、保存します(31)。BBの覚醒記録より

2017年09月07日 | 皇室
          • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

            「BBの覚醒記録」が凍結されています。

            ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

            ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

            私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

            日本人が、日本人であり続けるために。

            ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

      • 「異教徒の侵入」それが、戦後の日本の不幸の原点。
      • 長文ですが、「読むか」「読まないか」が、その人の人生の岐路になります。

         

      • 読むか、読まないか。それだけです。

        •  

  • 拝啓皇后陛下 ローマ法王が第二次大戦の日本を応援していたのはご存知ですか(初出05/30/15)

 

「A級戦犯」ご発言で、英霊を貶められ・・・・

五日市憲法を引き合いに出されたり、元GHQメンバー、ベアテ・ゴードンへの賛意を示されたり、

天皇陛下、皇太子とあたかも連動されたかのように「平和憲法護持」を匂わせていらっしゃる皇后陛下、

 

正田家ご一族が帰依、信仰心厚く、また皇后陛下におかれましてもカトリック信徒たちとの並々ならぬご交友ぶりなど、カトリックへの傾倒深きやに
お見受けしますが、

 

他ならぬカトリックの総本山、ローマ法王があの戦争の
絶対支持者でいらしたことは、ご存知でしょうか。

あの戦争を否定なさるなら、ローマ法王ピオ11世を否定することになりますが、
それでよろしいのでしょうか?

 

全世界のカトリック教徒よ日本軍に協力せよ!!ローマ法王が日本軍の進軍を全面支持

ピオ11世が全世界のカトリック教徒に出した声明文。


 「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」

 

1937(昭和12)年、7月7日、蘆溝橋事件で全面日中戦争に突入、政府は宗教界に対し戦争の協力を求めた。ローマ教皇庁は北支事変に対しても理解を示し、日独伊協定ではピオ11世は「防共親日」を声明した。

 

他国の一般人が、日本兵の高潔さを讃え、その一方他ならぬ日本国の皇后陛下が兵隊たちを犯罪者扱い・・・・。

【海外の反応】 「最も高潔な軍隊だった」ドイツ人が作った、日本兵へ贈るトリビュートに様々な声

 

アメリカの青年達よ。 東洋には、すばらしい国がある。

聖心女子大でマリアを演じる皇后陛下。

 

資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

 

きぬが、最初にヨゼフ・フロジャック神父により洗礼を受け、生涯熱心で活動的なカトリック教徒に。

 

「美智子さんの入内が自分の最大の作品」と言ってのけていた、
フランス人カトリック神父、ヨセフ・フロジャック。
皇居にも出入りしていた。

おそらく、戦後のGHQ施策の流れで日本で活躍した神父だと思われます。
それゆえにこそ、一介の神父の身で皇居に出入りができていたのではないか?

 

転記ここまで。


「国賊と呼ばせないでくださいませ、皇后陛下 《転載ご自由に》」大切だから、保存します(30)。BBの覚醒記録より

2017年09月06日 | 皇室
              • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

                「BBの覚醒記録」が凍結されています。

                ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

                ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

                私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

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                ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

          • 戦後の日本の不幸の原点。
          • 長文ですが、「読むか」「読まないか」が、その人の人生の岐路になります。

             

          • 読むか、読まないか。それだけです。

            •  

              •  以下、転記。

      • 国賊と呼ばせないでくださいませ、皇后陛下 《転載ご自由に》(初出10/19/15)

 

皇室批判を喜ばぬ輩が、嫌がらせに日参しています。お望みなら、もうちょっとさらしてもよいですが?
これでも遠慮して伏せていることがあります。

さて、本日の話題。

【英中】習近平氏、「中英蜜月」狙い経済攻勢 英王室は「国賓待遇」で異例の歓待 

習近平氏夫妻はエリザベス英女王の国賓としてバッキンガム宮殿に宿泊。ウィリアムの訪中に同行しなかったキャサリン妃も習氏歓迎晩餐会に出席。
http://www.sankei.com/world/news/151018/wor1510180024-n1.html

今月9日から11日まで。

皇后陛下、中国と英国が急接近しつつある時に、日英の親善が出来るのはどなたですか?

皇太子殿下と役立たず雅子さんですか? 違うでしょう?

あなた様が工作して、会わせないようにした秋篠宮殿下と妃殿下が日英の親善を担える方です。なかんずく悠仁親王殿下こそは、次代の日英友好の星です。だからこそ、ウィリアム王子も来日前に悠仁親王殿下に会いたいとメディアに公言、会う流れを作られていたのに、細工をして会わせないとは見下げ果てた根性です。

バカな息子、皇太子を溺愛のあまりに、日本の国益を踏みにじられたのです。
皇太子と雅子さんという陰気カップルが迎えたからといって、世界は興味を示さなかったじゃありませんか。誰が言葉もろくに喋れない貧相なプリンスと、デクデク太ったおさぼり皇太子妃に会って嬉しいものですか。
運気まで下げられてしまいそうな貧相カップル。日本の運気まで落としてしまいそうなお二人。

近々、オランダ王室も雅子さんと皇太子を見捨てたという拙記事をアップします。
欧州王室から総スカンが、皇太子と雅子さんなのです。あちらの情報網は密です。よもやご自身の評価も低いとは夢にも思っていらっしゃらないでしょうが。
プリンスチャールズ、プリンセスダイアナの結婚式の日に、あろうことか白ずくめの衣装に、あちらでは髪飾りとしかみなされない皿帽子にベールまでつけたバカさ加減が嘲笑されていたにもかかわらず、帰国して皿のデザイナーに「目立ってよかったわ」

あの・・・・中東の人たちと同じ末席に座らされたの、気がついていらっしゃいません?

欧州王室で評価が高いのは、秩父宮両殿下に続いて秋篠宮両殿下です。そして常陸宮両殿下でいらっしゃいます。

英国王室ご専門であった秩父宮両殿下とは異なり、常陸宮殿下は、デンマーク、スエーデン、ベルギー協会の名誉総裁と日仏会館総裁を務められ、欧州各国王室との親善に大変寄与されております。又、華子妃殿下は、欧州王室でも、非常に高い評価を受けられています。

お調べください。‥‥‥‥・いえ、ご存知ですよね。あなたが、女系天皇を立てたい余りに焦燥感に駆られて出向いたベルギーでも皇太子夫婦の存在感がまるでないことを、あなたさまは思い知りそれを、思わず漏らされています。

しかし、しょせん品位と器の問題なのです。皇太子夫妻は使えぬ。次代は秋篠宮両殿下であり、敬し遇すべきは悠仁親王殿下であるというのが、欧州王室界のコンセンサスになっています(あちらの王室社交界にお詳しい方、文章上のニュアンスが違うところはご指摘くださいませ。訂正致します)

ちなみに、英国王室ご指名の日英協会の日本国名誉総裁は、順に、
秩父宮殿下
秩父宮妃殿下
寛仁親王殿下
であり、
2012年同殿下ご薨去により、現在、名誉総裁空席となっています。

ウィリアム王子が願われた如く、悠仁親王殿下との対面が実現していれば、次世代の王様と、未来の幼い天皇陛下対面という、世界レベルでのニュース的インパクトの華やかさがどれほどのものか想像出来るでしょう。

ところが皇后陛下、あなたは私情を優先、弟の正田修氏とその妻正田泰子氏(いずれもカトリック教徒)を使って、ウィリアム王子に接触させぬよう、実に陰険な手段を弄し、どうでもいいイベントで倉敷に秋篠宮殿下と佳子さまを飛ばされてしまいました。おまけに、ご丁寧に一泊の予定で。あんなどうでもいいイベント(少なくともウィリアム王子来日に比べれば瑣末なイベント)日帰りでも十分なのに。

そして、お気の毒にウィリアム王子は秋篠宮殿下が東京にいさえすれば、秋篠宮両殿下と念願の悠仁親王にお会いになれたものを、NHKのどうでもいい時代劇のスタジオ見学へと押し込まれ、カブトなどかぶらされての道化、「王子ともなるとこんな格好までさせられる」と英字紙で揶揄される始末。

本当に、日本国の外交がかかることに、あなたさまは何をなさっているのでしょう。あんまりではございませんか! 小手先で王室外交、皇室親善の芽を摘み取るなど、血迷っておいでです。非国民のなさることなのですよ?

皇后陛下がいかに、ウィリアム王子と秋篠宮家を接近させぬよう小細工を弄されたか細かく検証してございます。

皇后陛下というお立場の前に、人として最低です。

 

皇后の「工作」について これもコメント欄から

 

工作員と言っていいのかどうか、弟の正田修氏とその妻泰子(大原總一郎氏の次女)が皇后の手先で動いてます。しじゅう皇后からは呼び出され、宮中で会ってます。

 大原氏もカソリックで洗礼名はヨセフ。

群馬館林の正田家をカトリックに改宗させた神父の名もヨセフです。

 

 

 

BB:右が正田泰子氏。皇后の実弟修氏の妻で、大原家の次女、つまり親戚がらみのイベントが秋篠宮殿下と佳子さまを倉敷に飛ばすのに利用された。弟の嫁もカトリックの家の娘とは、正田家は相当カトリックにこだわっていますね。
つい最近、皇后陛下の従姉妹さん(某海外在住・わけあり)もカトリックであることを突き止めました。一族郎党、実はカトリックではないでしょうか。臨終受洗と伝えられた母親冨美さんも昔からのカトリック教徒ではないのですか? そして、皇后陛下あなたも実は入内遥か前に受洗なさっていませんでしょうか。
一家一族郎党カトリック教徒である中で、美智子様お一人だけがノンカトリック?‥‥‥・考えづらいでしょう。

 

 

 

以下に注目 

 

1963年:中国へのビニロンプラント輸出が日本政府により許可される。(わかりやすい中国つながり?)

 

1964年8月:大原美術館理事長に就任

 

佳子内親王の倉敷飛ばされはとりわけ、間際で唐突な付け加えだったので、取り沙汰されてます・・・・というより、はっきり皇后陛下の画策でございましょう。

 

 正田修氏は、韓国にべったり加担で愛国者に批判と不買運動を起こされた花王の取締役に就任したのが2006年。 (わかりやすい?韓国つながり)

 

 正田修氏

 

 

 

2009年(平成21年)6月 日清製粉グループ本社名誉会長相談役。

 

工作員はネット徘徊の下っ端も含め、いるのではないですかねえ?

 

 弟、修氏は反日企業と言われる花王へ。

 

妹、恵美子氏は第二の水俣病の企業昭和電工へ

 

お輿入れ。

 

韓国と中国というキーワードは皇后陛下にも

 

あてはまりますが・・・・はてさて・・・・

 

 

 

◆《接見の可能性》

 

2月24日の外務省報道発表では、すでに天皇皇后昼餐会と皇太子接見のみで、秋篠宮家スルー。

 

それでも日程をすり合わせると…

 

2月27日(金)の午後、東宮訪問と六本木ヒルズイベントの間。秋篠宮殿下はこの日フリー。王子にはハードですが、悠仁さまの学校授業が5時限までなら会えたかも。

 

2月28日(土)の午前中なら、ウィリアム王子と秋篠宮両殿下双方が空いていました。

 

悠仁さまの学校がお休みなら会えたでしょうねぇ。一国の王子との面会であれば、早退も許されたはずだし、仮に応じが学校に悠仁様を訪ねたりなさればそれは世界的なビッグニュースとなったはずでしょう。

 

 

 

《倉敷行きの不可解》

 

それにしても…

 

唐突な倉敷ご訪問。3月2日は公務が無かったので、3月1日・2日の日程でも可能でしょう。しかも、秋篠宮ご一家らしくない土日に一般人の鑑賞規制して…2日は休館日なのに。外圧感じちゃいますねぇ。

 

 えらいもん見つけてしもうた!

 

美智子皇后お気に入りのダニエル・オストの展覧会が、皇后義妹の実家・大原家で開かれる。大した事でもないのに、そこへ秋篠宮殿下と佳子内親王殿下がお成りに…

  

変だと思ったら、産経ニュースに書かれています。

 

しかも後から内容が改竄されているんです。

  

「倉敷市などによると、 ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は日本の皇室と親交があり、 国内での展覧会開催を知った皇室側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。 」

 

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:GMFCKpfkjnoJ:www.sankei.com/photo/story/news/150228/sty1502280013-n1.html+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a

 

 これがこうなった!

 

 

「 倉敷市などによると、ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は同国の王室と親交があり、国内での展覧会開催にあわせて倉敷市側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。」

 

http://www.sankei.com/west/news/150228/wst1502280069-n1.html

  

も一つ、瀬戸内海放送ニュース 魚拓

 

「今回のご訪問は、日本の皇室とベルギー王室の関わりが深いことから、皇室が希望されたということです。」

 

http://megalodon.jp/2015-0301-0003-39/www.ksb.co.jp/newsweb/index/2920

 

 BB注;独自ルートでの調べでは、皇室側の申し入れありきで倉敷市は声をかけていません。

 

ところで…

 

香ばしい皇后陛下のベルギー絡みエピが。

  

1.皇后陛下は、ベルギー葬儀弾丸ツアーの際、ダニエル・オストに弔問用花束を作らせています。ちなみにオストはベルギー人。

 

FNNニュースに記事がありましたが、削除されています。(検索結果からチラ見)

 

「オストさんは、2014年、皇后さまがベルギー元王妃の葬儀に参列した際に手向けられた花を手がけるなど、皇室とも縁がある。」 略

 

2.皇后陛下はベルギー葬儀に行かれて、「今回、晩餐や午餐など、ヨーロッパ王室とのご交流を通して、 王室社会の中に、皇太子夫妻の存在感があまりない寂しさをつよく感じられたそうです」 平成流皇室外交が継承されていない。

 

週刊文春2015年1月1日-8日新年特大号   美智子さま80歳「命の弾丸ツアー」より

 

 略

 

3.皇后陛下は、ベルギー王室はとても良い王位継承の仕方をされているとお考えです=長子優先。両陛下はベルギー王室が国民からどのように受け入れられているか、実際に見に行くべきと考えられた。

 

  

産経や瀬戸内海放送ニュースのウッカリ記事のお陰で、週刊文春の怪しげな記事の信憑性がUPしてしまったヨ~。

 

 

 

こんな事から、

 

「ナルちゃん達がかわいそう。もう欧州王族とアーヤ達は会わせないわ!」

 

と、なったと言われても何も驚かない!!!

 

 

変だと思ったら、産経ニュースに書かれています。

 

同じ産経でもこのお成りの依頼主が「皇室」だったり「倉敷市」だったり。

 

しかもほぼ同時に配信している。

 

「倉敷市などによると、 ベルギーを代表する花の芸術家ダニエル・オスト氏は日本の皇室と親交があり、 国内での展覧会開催を知った皇室側が、秋篠宮さまと佳子さまの訪問を要望したという。 」

 

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:GMFCKpfkjnoJ:www.sankei.com/photo/story/news/150228/sty1502280013-n1.html+&cd=3&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox-a

  

◆誰かが妨害?

 

 ◆【ダニエル・オスト、倉敷に咲く花】という記事があります。

 

http://www.hearst.co.jp/brands/fujingaho

 

 美智子さまの弟様の奥様でいらっしゃる

 

正田泰子さまがダニエル氏とのご縁や

 

イベントに秋篠宮さま、佳子さまがいらしたことを語られています。とてもきれいな方でいらっしゃいますね。

BB:弟夫婦は田園調布の家住まいで、天皇皇后両陛下はお忍びでよく訪問なさっているとも。工作のご褒美?として泰子さんには、皇后から着物が下賜されているというリークもあり。

何か情報をお持ちの方、追加願います.

  

婦人画報は読者イベントで、 ダニエル・オスト氏の晩餐会もしていました。

 

http://www.hearst.co.jp/whatsnew/danielost-

 

 ちなみに婦人画報の読者層は40~60代の女性のようです。

 

evenhttp://www.magazine-data.com/women-magazine/fujingaho.html

 

とても素敵な企画ですが40~60代女性向きのこの観賞公務がなぜ男性の秋篠宮さまと二十歳になられて2か月の佳子さまに振り分けられたのでしょうか。

  

お花の観賞公務は美智子さまや華子さまは単独で,紀子さまや久子さまはお嬢様とご一緒だったりと、女性皇族のご公務のイメージがあります。

 

http://www.danielost.jp/event/kurashiki.html

  

「倉敷 ダニエル・オストの花と心」は3月1日~4日

 

ウィリアム王子の日本ご滞在は2月26日~3月1日

 

秋篠宮さまと佳子さまが倉敷ご滞在は2月28日~3月1日。

 

秋篠宮さまと佳子さまが「倉敷 ダニエル・オスとの花と心」をご鑑賞になったのが3月1日です。

 

 ご鑑賞を一日ずらせば、皇位継承順位2位の秋篠宮さまがウィリアム王子とお会いにならずに、倉敷まで出かけて母方の親戚とお会いになっていた、というような(考え方によってはあのお方の同日シリーズよりも失礼かもしれません)なことにはなりませんでした。

  

◆大原美術館は3/2が休館日で、秋篠宮両殿下も公務は無かったのです。3/1~2と、一日後にずらした方が余程ごゆっくりご覧になれました。

 妙な日程の原因は…

 

**様がおっしゃるとおりなのです。

  

さらに当初。

 

ウィリアム王子は2/28(土)午前中が空いておりました。

 

秋篠宮同妃両殿下もこの時間は公務なし。(倉敷移動も28日午後から夕方)

 

悠仁様も、学校が土曜日なのでお休みだったのでしょう。

 

 接見可能ですよ!

  

そこにNHK大河ドラマ撮影スタジオ見学のど~でもいい公務が、ウィリアム王子に入りました。

 

 (悠仁親王に会わせず、これ?)

 

◆15歳から美智子さんは、竹山謙三郎氏主催の「竹山パーティー」に、兄巌氏と共に参加していました。竹山氏は、美智子さんが明仁皇太子と出会った軽井沢テニス旅行のアレンジもされています。※1
さらに、謙三郎氏の子息。竹山雄太郎氏は、雅子さんと、徳仁皇太子の橋渡し(お任い)をしたうちの一人とのこと。※2

2代に亘り竹山家が、将来の東宮妃召し合わせに協力しています。


美智子さんは、準備の手伝いや初参加者の相手、ダンスの名手の竹山氏に手ほどきを受けたり…兄がいっしょと言えども15歳の娘をよくこういう場所に出すものだと。…さすがストラグル御母堂ですわ。この時代、普通は娘に虫がつかぬように若い男性の中に入って行く事を避けるところを…

 

「竹山氏子息が、雅子さんと徳仁皇太子の橋渡し。」もしや美智子皇后の何らかの依頼があった?
一説に、竹山氏のお眼鏡に叶った優秀で品行方正な東大生達こそ美智子さんの理想で、(高学歴=有能で人品が良いと単純に思い込んだ。)叶わなかった夢をナルちゃんの結婚でリベンジ!…で、世紀のスカを掴んだとか。(あくまでも風評です)

軽井沢テニスをセットしている事から、竹山謙三郎氏が黒幕と繋がりがあり、美智子さん育成を頼まれた可能性も無いとは言えません。それで、ナルちゃん嫁も?
何やら2代通して一つの大黒幕が居るのかも。恐らくGHQかCIA絡みの親米エージェントなんでしょうねぇ。
建築技術は当時米国が本場で、竹山氏も交流が深いことでしょうから、頼まれちゃったのかしらぁ?



[ソース]
※1.えぴすとらEpistura vol.13 1996.7
当時建築研究所の所長は現皇后の軽井沢テニス旅行のアレンジ等数々のエピソードを 残している竹山謙三郎氏でした。
http://www.kenken.go.jp/japanese/contents/publications/epistura/pdf/13.pdf
※2.歴史が眠る多磨霊園 竹山謙三郎
その息子の竹山雄太郎は皇太子と雅子様の橋渡し(お任い)をされたうちの一人であり、建設省研究所所長を務めた人物である。
http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/T/takeyama_k.html
その他にもソース有り

[ご参考]
・竹山パーティーとは…
謙三郎氏は、理工学系ゆえ男性ばかりで出会いの少ない大学の教え子や所員の為に、中野の自宅で月に一回お見合いパーティーを開催した。ノーベル賞受賞の小柴昌俊氏も、こちらでのご縁で結婚されている。
・竹山謙三郎氏とは…
兄が「ビルマの竪琴」の竹山道雄。自身は建設省建築研究所所長などを歴任された建築構造学の重鎮。電子計算を取り入れ、超高層霞が関ビルの建設を可能にした。
子息雄太郎氏も建築研究所所長を務めた。

 

◆竹山パーティは知りませんでした。
うーん、と唸っています。
要するに、美智子さんの母富美さんは、美智子さんを
エリートの男に嫁がせたく、美智子さんがまだ15歳の
頃から、あれこれ画策していたってことでしょう?
玉の輿欲満々。

 

で、巷間二度目の当時の皇太子との出会いは仕組まれたと、露見していますが軽井沢は偶然、とされていますね。
ところが、軽井沢も仕組まれていたってことですね。

 

雅子妃の場合も、偶然の出会いを装われ、皇太子がかきくどいて入内というストーリーにすり替えられていますが、実は雅子妃側が入内させる気満々。
2人が知りあったと世間に発表されている時期の、2年も前にフランスはコールマール地方のホテルに皇太子と雅子さんは同宿しています。(部屋はおなじではないでしょうが)


娘を高く売るために、さんざん渋ってみせ、条件を吊り上げた。このパターンが、そのまま皇后陛下にあてはまりますね。富美さんがあちら(皇室)とのストラグル(闘争)したと言っているのは、条件折り合い闘争ですよね。

 

竹山パーティに15歳から出入りさせているようなら、やる気横溢なのに、渋って見せる駆け引きは小和田家とやり口が同じです。

  

 

http://masakosamalove.blog.fc2.com/blog-entry-200.html

 

BB注: 婚姻関連の画像では99%不機嫌な顔をさらしている富美さん。あり得ないですね、
故意にそう見せているしか。(いやいや嫁がせるのだから、解ってますね、と
暗黙の脅し、駆け引き?) 皇室を「あちら」と呼ぶ闘争心。幼い頃からの母親の皇室への姿勢は、美智子様にも影響を与えていると思われます。

 

 副島家(冨美さん)の家系、何か難有りだったのか‥‥‥・?初期宮内庁長官だった人の懸念とは何だったのか‥‥・? とにかく・・・・日本人離れしたエキセントリックなお方だという印象です。それが信仰から来る思い込みなのかどうか・・・?

 

BB注;初代宮内庁長官が要するに正田美智子さん入内に関して、宮内庁としての調査が不十分であったと、述懐。由々しき記事なのですが。

 

娘の衣装代は出すから、その代わり・・・・というような取り引きがあったかもしれませんね。当時の皇室は恐ろしく貧しかったのですから。民間でも考えられないくらい、頻繁なお里帰りも、正田家がイニシアチブを握っていたと考えると説明がつきます。
小和田家と比較して、正田家が表に出て来ないと美談として語られていましたが、里帰りはひんぱん、宮中と正田家の富美さんとの間には特設電話。
何やら、スタータレントの母親を思わせる富美さん。プロデュース能力に長けていて、娘を条件良く売りつける。今上陛下が皇后の言いなりなのは、当時からの力関係もあったのではないですか?
これも雅子妃と東宮との力関係の相似形です。

 

そして、皇后雅子妃共に竹山氏が噛んでいるとなると、背後に大きな親米組織があったという仮説が成り立ちますね。だって、あの当時愛国者は軒並み公職を追放されている中(BB注:大蔵省)、建築業界のボスとしての地位を保っていたって、そう考えてもいいような? これとて仮説の域を出ませんが、説が成り立ち得るに十二分な要素があれこれ揃っています。

 

BB注:公職追放とは、政府の要職や民間企業の要職につくことをGHQが禁止。

 

・・・・・・・・・・転載ここまで

 

参考

 

竹山謙三郎氏 

 

 

1932(S7)東京帝国大学工学部卒。同年大蔵省営繕管財局、'46建設省建築研究所、'55同所長。'61退職、東京都立大教授。'63鹿島建設技術研究所4代目所長、'64退職。 1966(S41)所内に電子計算センターを新設し、日本初の超高層「霞が関ビル」の建設に大きな貢献を果たした。

 

息子の竹山雄太郎は皇太子と雅子様の橋渡しをされたうちの一人.
なんと、父と息子二代にわたって、皇太子妃を誕生させた主要人物。
偶然・・・・でしょうか‥‥‥・?

 

正田美智子さんの、軽井沢テニスをアレンジしたのは父親の
謙三郎氏。エリート男性に、女性を引き合わせる竹山パーティを主催。
美智子嬢は15歳からこちらに出入り。三島由紀夫とのお見合いが
これに、絡んでいたかは不明ですが、三島も東大卒大蔵省のエリート。

 

後に小和田雅子さん実家のチッ素水俣が問題にされた時、詭弁を弄し
入内にこぎつけた団藤重光に、三島は大学時代に講義を受けているので、
これも因縁因果? 美智子さんが三島と結婚していたら、
どうなっていたのでしょうね。憂国の士の妻として現在の壊国妻から立場逆転。

 

東宮の誕生なく、雅子妃いず清潔な皇室であったかもしれないけど、その代わり
伊勢神宮で御役目を務められる清子様も、秋篠宮家も悠仁さまもいらっしゃらなかったわけだから、俯瞰で見れば因縁因果の糸の絡まり合いには、天から見れば何か意味があるのかもしれませんね。

 

天皇陛下皇后陛下、そして東宮夫妻はもう、残念ながら・・・・・
どう変わりようも、変えようもありません。秋篠宮家への移譲を心より祈念致します。

  

 冨美さんとの間に、皇室といかなるストラグルがあったのか知りませんが、秘密が漏らされて困る100人とは一体誰なのか知りませんが、冨美さんが苦しんだのは自業自得、今はおかげで、国民が苦しまされています。

しかし「私が日記を公開すれば100人以上が困るでしょう」とは何というふてぶてしい恫喝。皇室に嫁がせたせいで「楽しみを奪われた」という言ってみれば、当時の天皇陛下皇后陛下への恨み節を公に。
この方、普通の日本人でいらっしゃるの?

 

 

転記ここまで。


「小和田雅子さん入内になぜ、部落解放同盟が関わったのか?」大切だから、保存します(29)。BBの覚醒記録より

2017年09月06日 | 皇室
        • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

          「BBの覚醒記録」が凍結されています。

          ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

          ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

          私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

          日本人が、日本人であり続けるために。

          ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

    • 正田美智子と小和田雅子。
    • 二代続けての、不浄の家系からの入内。
    • 偶然ではありえません。
    • 不敬?ちがいます。
    • 日本と、皇室を内部から汚し、貶める勢力を、
    • 見て見ぬ振りをすることこそが、不敬なのです。

    怖いですか?そうでしょう。

  • 長文で、かったるいですか?そうかもしれません。

  • でも、読むか読まないか。それが、あなたの思考の分かれ目になるかもしれません。

    •  

    • 読むか、読まないか。それだけです。

      •  

        •  以下、転記。

 

        小和田雅子さん入内になぜ、解放同盟が関わったのか?(初出10/18/15)

 

皇室関連記事を書かせまいとする者が、まだ来ますので今日も皇室関連記事をアップします。

そもそも、チッ素水俣のご家系その他、男性関係など悪条件で、昭和大帝も問答無用の反対、選考から早々と漏れていた小和田雅子さんが、昭和大帝の崩御を待つように唐突に復活、入内へと運ばれるのですが、その際雅子さんはブライダルチェックを拒否、そしてその出自チェックに対しては、解放同盟が騒ぎたて阻止した経緯があります。

なぜ解放同盟が?

糾弾派のガセだとか、言われていますがこのように具体的記録があります。

 

チッ素水俣病関連の小和田雅子さんの母方祖父・江頭豊氏の出自が言われています・・・・決定打には欠けますが、縁戚関係にある評論家の江藤淳が九州に自らの出自を調べに行き、衝撃を受けて帰って来たとも言われていますが、確たる資料は今のところ見つかっていません。

江藤淳は戸籍名を江頭淳夫(えがしらあつお)、GHQのベアテ・ゴードン賛美の皇后陛下と対極に、GHQ史観を糾弾する立場の右派保守人物であり、ここでも因縁因果の摩訶不思議を感じます。

ついに小和田家【出自】の秘密 《水間氏の意向により全文掲載条件でネット転載可》

天皇陛下に国辱謝罪させた「皇室使い」の国賊/小和田恒 【保存・拡散希望】

解放同盟で思い出すのは、大宅壮一賞を得たルポライター上原善広  氏の著書「日本の路地を旅する」です。

路地=被差別を上原氏はこう称しています。被差別出身の「同族」作家中上健次氏の言葉をそのまま受け継いだようです。

>自身の出身地から中上健次の故郷まで日本全国五百以上の被差別を訪ね歩いた十三年間の記録。大宅壮一ノンフィクション賞受賞

皇后陛下のご実家群馬県館林市にある正田醤油の敷地が、エリアであることを根拠に、皇后陛下の出自を書いています。

敷地に民の信仰対象である白山神社のお社がしつらえられていることも画像付きであちこちでレポートされていますが、拙ブログではこちらに関しては、賛否両論を取り上げる姿勢であり、どちらかには与さず、今後も淡々と事実を積み上げ、検証していくだけです。

読者の中では、正田醤油が明らかな「その地区」、目車(めくるま)にあることから正田家がそうであるとという説と、古くからの日本の名家であるという説と現在は珍しく真っ二つに割れている状況です。

http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=9609〒374-0052)群馬県館林市栄町14-1正田醤油工場敷地内
 
最寄り駅 ●東武鉄道小泉線「成島」駅より徒歩約24分 

但し、白山神社を信仰しているから即被差別民ということではありません。神社のあるエリアが、必ず被差別だということもありません。

一説には白で穢れを祓うという意味から、民の信仰が多かったとされています。敷地内には、稲荷神社も祀られています。だが一方、美智子さまには父方祖母にあたる正田きぬが、正田家では一番目に神父フロジャックにより、カトリックの洗礼を受けていますが、戦後あの時期の神父たちが多く狙ったのは民であったという事実はあります。初期創価学会が、在日朝鮮人を布教ターゲットにしたのと同じような発想でしょうか。

このフロジャック神父は、皇居にも出入りしていたので、ほぼ間違いなくGHQ関連の神父であったと思いますが、「美智子さんの入内が私の最大の作品」と述懐していたことは、正田きぬが賛辞を寄せた著書に記されています。
そして、他の業績は詳しく資料に残っているにもかかわらず、群馬館林の布教時代は、なぜかごっそり抜け落ちて、あたかも「なかったかのような」扱いになっています。

資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

拙ブログがこの問題を取り上げていた最中には出なかった意見が一つ新たに加わりました。

それは久邇顕子さまという、かつての皇籍にあられたお方の娘さんで、輝かしい学歴もフェイクではない本物、美貌の姫君が決まりかけていたのを廃してまで皇后陛下が雅子妃にこだわられたのは、自分より格上の皇太子妃を排除なさったことに加え、同じ出自同士の何かがあったのではないか、とする説で、この場合例に引かれるのは、大きな身分格差の鳩山家になぜ幸さんという、ある出自背景(高知市の非差別地区、春●町)を背負った、しかも人妻が入れたのか。動いたのは鳩山由紀夫氏の母親である、ということがある事実をもって語られています。ブリジストンの創業者が被差別の出であるということが、久留米の高齢者たちは語っていたそうです。もう概ね物故されていると思いますが。

美智子様入内にGHQが関与していることは相当量の検証から、仮説がかなりの確度を持って導き出せるわけですが、皇室日本弱体化路線を敷いたGHQに美智子様が高得点であったのは、そのカトリック背景と共に、アメリカがコメから小麦へと日本を乗り換えさせたかった目的と合致した製粉会社の娘であること、これに最近ではもう一ポイント加わってその出自(あくまでも仮説ですが)も、アメリカ側には密かに良い評価ではなかったか、という意見も出ています。
参考までに。

あと因縁因果論で被差別を述べる人もいて、つまり「雅子ちゃんを皇太子妃にする」と雅子様の少女時代から周囲に言い放っていた福田赳夫元総理が、群馬のその地区の出身であると言われています。
そして、正田家の群馬は目車地区と。
それから昭和電工という第二の水俣病の犯罪的企業に皇后陛下の妹さんが嫁いでいて、いやおうなく皇族皆この犯罪的企業と縁戚関係を結ばされ、それは雅子妃の母方実家水俣病被告側とも重なって偶然の域を超えた因縁因果の負の関係図と言われるゆえんですが、福田赳夫元総理もまた昭和電工には、被告の形で関わっているのです。つながり、第一第二水俣病つながりの、因果論のごときことが、だから言われます。

 

◆昭電疑獄事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85
福田赳夫、美智子さまの妹の嫁ぎ先、第二水俣病昭和電工に絡んで、逮捕歴あり。 

 


《第二水俣病とは、日本の化学工業会社である昭和電工の廃液によって引き起こされた、1965年(昭和40年)に確認された四大公害病のひとつ。熊本県の水俣病と同様の症状が確認されたためにこの名がある。新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した事から「新潟水俣病」や「阿賀野川有機水銀中毒」とも呼ばれる。四大公害では最も発生は遅かったが、訴訟は最も早く提起された。その後、未認定患者による第二次訴訟、2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決を受けて2007年に提起された第三次訴訟と、主なものだけで3つの裁判が起こされている》

皇后陛下と福田元総理、双方、(仮説としての)群馬の被差別としてのつながりと、事実としての昭和電工つながり。

因縁因果という論理では検証も出来ぬことながら、たとえば祭祀も理性の埒外にあります。唯物論だけでは測れないもう一つの世界がこの世にはあります。もう一つのと言うより、本来は多次元なのですが・・・。

微小に霊感がある弊ブログ主も、皇太子一家に憑いた悪霊の複数体は判別出来ます。雅子妃をトップに、皇太子、愛子さまの順です。
皇后陛下には全く憑き物がなかったのに、近年2,3体。天皇陛下は今のところ皆無。(現在までの祭祀の徳なのか、皇祖神がまだ守っていらっしゃるのか?
しかし、現在の不心得が続けばいずれ‥‥‥・?)

秋篠宮殿下には、武将の格好をした守護の霊、竜神・・・・ご一家には昭和大帝か明治大帝いずれかの、お出ましがあり、秋篠宮ご夫妻が海外に行かれると精霊が歓迎したりなどしています。

僅かにでも霊的視力が開いていれば、皇太子夫妻は論外、こんな穢れた方たちが即位したら、皇室も日本も傾き潰れるのが解るのでそれもあり、懸命に実情をお伝えしているというのもあります。人々が暗部に気づく、見るということで暗部が光にさらされます。

霊的視力がさしてあるほうではないので、もっときちんとある方補足をお願いします。
こういうたぐいのことは、客観的証明も困難なのですが、もともと祭祀の必要性を訴えるには避けて通れない世界でもあります。

 

本日はとくにこれだという一つの結論が、いつか導き出せるか否か分からぬままの、検証過程的記事でした。

念のため、差別論者ではありません。(仮説としての)単なる事実がどう事象に影響するのか、しないのかという観点からの記述です。あくまでもその人柄と業績で人は判断されるべきです。ただ、ふとある人物に不審の念を覚えるとき、それが背景にあることもあります。にまつわって汚い利権が動いているのも事実。

拙ブログの皇室関連記事は、個々一つの記事が章であり節であるような断片的要素しか入れていません。というより問題を俯瞰で網羅するなら圧倒的に紙幅が足りず、またすでに分厚い書物の一冊、二冊ができるほどの分量は、さまざまな角度から書き継いで来ています。

ご関心があれば、全体で一つの景色が見えるであろう記事の、せめて10編か20編を読んでいただければ、弊ブログ主が何を言わんとしているか、ある程度解っていただけるかと思います。一編だけで判断なさると、単に悪口、単に皇室壊滅論者とすら、判断されかねません。

それにしても、東宮ご夫妻に関しては随分認知されるところとなりました。それも短期間で。ひところは、疑義を呈するだけで大変だったのです。
そこへ両陛下への疑義を乗せるとこれはもう、いっさい聞く耳を持ってはいただけないと、控えていた時期もあります。

現在がかつての東宮問題に対した時のような周辺の状況かと思われます。「とんでもない妄想」「不敬」と言われかねません。

でもおそらく・・・・・2年後には現在の東宮問題程度には、多くの国民が両陛下とりわけ皇后陛下の問題点を察知しているかと思われます。

 

 

指差し恫喝したり、カメラマン突進、「こわかった」と大の男のカメラマンに言わせたほどの形相で胸ぐらをつかんで揺さぶり「フィルムを出しなさい!!」

これ、素人のお嬢さんしませんよ。まして上流を任じていたご家庭のお嬢さんは。

「ギロッポンでヒーバー」もしません。
野球選手や、ミュージシャンの追っかけやる女が、夜のクラブまで付き合う関係だったら、解るでしょう? お持ち帰りが常識です。入内にあたり、ブライダルチェックを拒否なさったお方。・・・・・・お持ち帰りと言ったら、この時代を知る人が「六本木の酒場にはそれ用の個室があったわよ」って、さ。へぇ・・・・。

異性関係ではあれこれ聞き及んでいることもありますが・・・・もう入り込まれちゃってるし、困ったものです。今更ながら、なぜこんなの入れたの、皇后陛下、皇太子という繰り言でしかありません。

 

 男ばっか。

フテ子も「売出し中」?

皇太子と出会ったと正式に伝えられている2年も前に、フランスはコルマールのホテルに皇太子と一緒にいた雅子さん。嫁入り前の娘がね。他にも男性関係がありましたが省きます。

芹沢俊介『皇室・家族論』
■本当?の出会い

二人の初対面は昭和六一年、一九八六年一〇月、
スペインのエレナ王女が来日したときの東宮御所でのレセプションだというふうに言っているんです。実はこれについて「現代」(九三年三月号)に岩瀬達哉さんが「小和田家の娘」という文章を書いています。

この文章で公式には出会いは、スペイン・エレナ王女の歓迎お茶会の席だというふうに言っているけれども、本当のところはその三、四年前にあっているんだと岩瀬さんは書いているんです。(中略)

これは他の週刊誌にも出ていますが、岩瀬さんのオリジナル情報だろうと思うんです。
八四年に徳仁皇太子がプライベートのヨーロッパ旅行に行っていたときに、
フランスのアルザス地方、ドイツ国境に近いコルマールという
小さな都市を訪れているというんですよ。実はその旅行に女性を伴っていた。

そしてそれが雅子さんだという話です。岩瀬さんは、このことをコルマールの副市長であり、かつ皇太子が泊まった高級ホテルのオーナーでもあるりチャード・リエムという人に確認していると言うんです。(後略)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで

ハニートラップだね・・・。

 

ご注意 Unknown表示のコメントは受け付けていません。読まずにハネます。発言に一貫した責任を持って頂くため、お名前を一定してくださいますようお願いします。固定HNの常駐読者が大変多いところなので、そのように。

あまり単純な名前は、かぶってトラブルの元なので、ユニークなネーミングをお勧めします。止む無く重なったら、元祖○○とか、○○2号とかでしのいでくださいませ。。○○改め、で新HNでも結構です。

ずっとブレずに意見を出す方がそれで解るし、成りすましが判別できるので、ご理解くださいませ。

バカと家系詐称ゐゑきぃは来なくてよいです。読まず即捨てしています。
ゐゑきぃ=池田霊狐説もあるけど? 岐阜のブサイクなおっちゃん説もww
はっきりしているのは、伯爵家の末裔などではないことだけ。
末裔なら戸田伯爵家の品位を損なうような、下品な暴れ方はしません。

 

池田礼子氏だとなんで失礼なのか、自分に対して失礼なのか池田礼子氏に失礼なのか、この者頭が悪く文章も下手なのでわかりません。

安倍内閣断固支持? 女性宮家と愛子天皇を画策、九条護持の天皇皇后とはバッティングなのに、低能丸出し。「靖国参拝参拝」?「靖国参拝賛成」って書きたかったの? だったら、大好きな天皇陛下にそうおっしゃい。皇后陛下には「A級戦犯」発言を止めて頂かないと。論理破綻者のゐゑきぃさん。「反廃太子推進」も日本語未満。

戸田元伯爵家にもとんだご迷惑。或るルートたどれば戸田家にコンタクトがとれるかもだけど、尋ねてみましょうか? お身内に立教英国学院に行ってた人がいるかどうか。年齢いくつで今何してる人なのか。頭の悪いサイコゐゑきぃさん。

 

画像はhttp://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1444484992603.jpg   から拝借しました。

以上

論理と語彙を兼ね備えた反論は、むしろ歓迎致します。

 

 

転記ここまで。


「自称保守の思考形態」大切だから、保存します(28)。BBの覚醒記録より

2017年09月05日 | 皇室
        • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

          「BBの覚醒記録」が凍結されています。

          ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

          ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

          私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

          日本人が、日本人であり続けるために。

          ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

  • 「不敬」の一言で思考停止。

  • 情けない「自称保守」。


    •  

    • 読むか、読まないか。それだけです。

      •  

        •  以下、転記。

  • 自称保守の思考形態(初出07/31/15)

 

 

この記事・・・・

赤い天皇皇后として後世に名を残されぬよう・・・・ 【転載可】

に対して、以下の反駁論をちょうだいしました。

ディベート未満の文言だと思いますが、天皇皇后両陛下

擁護論の立場を取る自称保守の平均的思考形態は、こういうふうでしょう。

とりあえず、お答えしておきます。段落がベタで読みづらいので

適宜空けましたが、他は原文ママです。

・・・・・・以下コメント

 

恣意的皇室批判の先に待ち受けるもの (中道右派)2015-08-01 08:36:16

 

今上天皇を批判してどうするんだ。アホなのか。

不敬とは言うなというが、不敬だ。

陛下が公の場で政治的に過激な発言をされたとか、現行政府にあからさまに苦言を呈されたとかならまだ分からないでもないが、現行憲法の肯定や先の大戦についての反省なんて何の問題もないじゃないか。

ただお前とは意見が違うというだけだろう。GHQへの感謝にしたって、天皇制がこうして形こそ変われど存続できているのは(さらに言えば、元の形に戻そうと思えばできないこともないのは)彼らのお陰なのだからそう奇妙なことを仰っているわけでもない。

ましてや、皇后陛下の服装がどうのこうのなんて、批判の材料にさえならない。周りの人が唖然としているとか呆れているとかなんてのはお前の想像で、確たる証拠は何も無いのだから。

最後に一番言いたいことを言わせてもらうが、現行の皇室を批判すれば、最終的に泣きを見るのは我々保守の方なんだぞ。

我が国で、統治のシステムとしての天皇制が少なくとも1600年以上にわたって続いてきたのは、いつの時代も人々の中に天子に対する「畏れ多さ」が大なり小なりあったからだ。

そしてその感覚こそが、とりも直さず「日本人」としての最大のアイデンティティーだったのだ。今、(それこそあのGHQの影響からなのかもしれないが)その感覚がどんどんと薄れていっている気がする。

山本太郎のようなリベラルにのみならず、自称保守や自称愛国者の中にさえ、お前のようなことを言っている者を見かけるようになってきた。このままでは、憲法9条が改正される前に、憲法1条が改悪(削除)されてしまいかねない。

 

 ・・・・・ここまで

 

中道右派さまへ

>恣意的皇室批判

恣意的という言葉の反対語をご存知ですか?

意味をお解りでなく使っていらっしゃるようです。

>アホなのか

 

「不敬」よりも安易な一言が出だしですか。中学生並みですね。

 

 

>陛下が公の場で政治的に過激な発言をされたとか、現行政府にあからさまに苦言を呈されたとかならまだ分からないでもないが

 

一般人の言動のそれと、天皇のそれと、その場における

重さとインパクトが違います。あなたは上つ方と一般人と

混同されています。

あからさまにやられないと解らない、というのも困ったものですね。

お立場からしたら相当、露骨に反政権、護憲、韓国擁護、中国寄り、男子一系否定(皇后)、強制慰安婦の存在肯定(皇后)、東京裁判史観の肯定です。

皇后陛下は元GHQメンバーに、共感と賛美のお言葉を送られ、
これが、あからさまでなく、何でしょうか?

 

パラオも、内閣の反対を押し切って出かけられました。

しかも我が国最大の巡視艇「あきつしま」を手術室付き宿に莫大な費用を

かけて改造、尖閣の海危うい時に、別格の巡視艇を海外に持ちだされた。

相当あらわな言動です。日本国の海の防衛否定ですから。

パラオへの慰霊自体の非難ではないので、念のため。

本来戦闘用に秘密裏に設計された巡視艇をバリアフリーに作り変え

手術室までしつらえてしまうなど、

日本国大事の国防の念があれば、決して出来ないことです。

いじられた船の復元にも、一定期間と莫大な費用がかかります。

その間、日本の海は防衛力を落としていたのです。両陛下の

一泊のお宿と、あるかないか解らない手術のための手術室設営の期間と。

現地にふさわしいホテルがないと理由はそれだけでしたが、

嘘でした。現地には豪華なホテルが有り、道路はノンストップ移動可能、

ヘリでの発着も可能でした。

手術室は現地病院への不信頼からでしょうが、そこまで莫大な費用をかけ、
内閣の反対に逆らってまで、出かけられるほどのことであったでしょうか。
防衛船を一定期間、お留守にして、医師団看護師を引き連れて出かけるまでの
ことでしたでしょうか。

一方に足を向けられない靖国神社があるというのに。

 

>現行憲法の肯定や先の大戦についての反省なんて何の問題もないじゃないか。

 

お立場からして、天皇発言は日本国の公式見解という「印象として」

一般には流布されます。

 

天皇家の祖先は、朝鮮人だという韓国での認識はそのようにして定着しました。

 

「韓国に謝罪したい」やら「友好呼びかけ」は

日韓の対論上の力関係にまで、影響を及ぼすことが解りませんか?

 

お立場上言っていいこと、悪いことがあります。

 

日本のためになるか、害を与えるかがその価値判断です。

 

大戦についての反省を民間がするのは自由、しかし

天皇陛下がなさると、天皇の名の下に亡くなられた

英霊たちが無駄死にしたと言うに等しいことです。

お心のうちに何を思われようと自由ですが、発言が

世界に向けて発信され、しかし世界は単なる憲法上の

「象徴」とは思ってはいず、元首という感覚なので総理大臣談話より

力を持って定着します。

靖国神社の否定にもなり、それなら多くの国民の心を失うでしょう。

 

サイパンでは、予定にない韓国人慰霊碑への参拝をなさいました。
ゲリラ的行動です。事前に発表なさると反対と批判を受けることを
承知での「私的」行動です。しかし、お立場から一挙手一投足が
おおやけなそれになってしまいます。

 

靖国神社を参拝なさらず、韓国人慰霊碑に低頭なさる。
これはまずいでしょう。

 

>ただお前とは意見が違うというだけだろう

 

そもそも天皇が政治と外交、歴史解釈に係ることを

「意見」として発言してはなりません。

 

「意見」の違いではなく、日本大事と思うか思わぬか。

意見という個人レベルで捉えるのは暗愚の思考です。

天皇という個人が発する言葉ではなく、日本国オフィシャルな声明として

捉えられるから問題なのです。

 

人のブログに来て「お前」呼ばわりの品性も

感心しません。

品性は概ねIQに比例します。

 

>彼らのお陰なのだからそう奇妙なことを仰っているわけでもない

 

天皇陛下のお言葉は、天皇制を指してはいないこと、読めてないようですね。

主語を読み違えています。

天皇制の温存を感謝しているという文脈ではなく、

「戦後の日本の復興」が主語です。原爆と大空襲で日本を破壊した相手に感謝というのもずいぶん、転倒した言い分です。

 

天皇制の保存は、GHQに先行するOSSで青図としてすでにあったことです。

天皇を法廷に出さず、軍部だけを裁き、ニュ―ルンベルク裁判を日本にあては

めようとした姿勢は、ルーズベルトによるOSSを基本としています。

 

あなたの誤読における意味だと、戦争責任を取らせられず、自分たちを生かしておいてくれたことに感謝という、陛下を矮小化し、貶める解釈になってしまいますよ?

 

未熟論の前にまず知識を。戦前のOSSからGHQ施策、小泉信三や
フランス人神父を使っての皇后入内の背景他、俯瞰で
学びましょう。

資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

半端に崇めるだけの愚民が、皇室を弱体化させ滅ぼします。

 

>皇后陛下の服装がどうのこうのなんて、批判の材料にさえならない

 

なります。あなたにファッションの感性があれば。

あと海外メディアの論調に目配りできる視野があれば。

お立場への自覚の希薄さの視覚化出来る部分がファッションです。

 

女性たちは敏感です。雅子妃の和服の着付け、

所作などから何かを感じるのと同様です。

むしろ端的なのです。精神性の発露として。

プロトコル違反のファッションはそれだけでも批判の対象だと
解りませんか? 

相手国への侮辱にもなりかねないことなのですよ?
都合のいい部分にだけ反応して、
プロトコル指摘はスルーしていますね。

 

それに、拙ブログでは過去記事の累積が多大にあり、種々様々な角度から検証、今回はファッションの見地から検証してみました、ということです。批判文における一つの流儀です。

皇后陛下のカトリックへの異常な傾斜もファッションで語られることがあります。

皇室と異教カトリック

 

>現行の皇室を批判すれば、最終的に泣きを見るのは我々保守の方なんだぞ。

 

逆です。現在の両陛下の言動を黙認したら、民が泣きを見るのです。

考え違いしています。

自称保守のあなたに問います。

GHQの押し付け憲法護持、英霊はA級戦犯である、韓国には謝罪すべきである、強制連行の慰安婦はいた、東京裁判の結果は全て受け入れる、天皇は女性であっても、第一子つまりは愛子さまが女帝となられるべき、とあなたは思うのですか? 

だったら、その時点であなたは、

保守などではありません。中道右派は笑止です。

小和田らと同じく、反日自虐史観の左翼です。

そして天皇皇后両陛下の発言が、反日自虐史観の連中と軌を一にしているから、まずいと言われているのです。

そして男子一系の皇室破壊を企んでいらっしゃるのは皇后陛下です。

女帝擁立の1段階目としての女性宮家の創設を実現しようと、

有識者会議にご自分の思想的お仲間である男女同権主義者を
送り込んだりなさっています。

男子一系の破壊者を敬さねばならぬという、あなたの論拠をご説明
ください。

皇后陛下は、実弟の正田修氏とその妻泰子氏(大原總一郎氏の次女)や
実妹を「工作」の手足とてお使いです。実妹は安西恵美子氏。
第二の水俣、昭和電工に嫁がれているのも何かの因縁でしょうか。

皇后陛下側の負の部分と、皇太子妃の負の部分が奇妙にシンクロしています。

ウィリアム王子が来日の折りに、秋篠宮殿下や悠仁親王殿下に
会わせぬよう、正田修氏とその妻を使って、妨害されたのは皇后陛下です。

 コメ欄より拾い上げた「仮説」 テニスコートの出会いは作られていた?

>(それこそあのGHQの影響からなのかもしれないが)その感覚がどんどんと薄れていっている気がする

 

民の感覚以前に天皇陛下と皇后陛下の問題でしょう。

天皇陛下がGHQに恫喝され、またバイニング夫人に洗脳され、宮中ではカトリックという異教、異思想で塗りこまれました。GHQの仕業です。

そこに神道とは相いれぬ家庭環境と教育を受けた妃が送り込まれて、現在に至ります。
皇后陛下の父方実家の正田家をカトリックへと導いたフランス人神父が、皇居に出入りしていた人物であるという事実を知らないのでしょうね。

「美智子さんの入内は、私がなした最も大きな仕事だ」と

公言していたことも。言葉の裏を読みこめば、カトリック神父である自分の

来日目的は、日本国と皇室のカトリック化であるが、その仕事の中でも

美智子さんを皇室に送り込めたのは、自分の最大の手柄であった、と。

まず皇后陛下が、入内の経緯とその背景を調べてみられたらよろしいでしょう。

その時代を俯瞰で学ばれれば、見えてくる景色が否応なくあるし、皇后陛下(天皇陛下も)の言動への批判は、実はお二人を突き抜けて、その背後に、その
源流にある、日本瓦解、皇室弱体化を狙ったある勢力への
批判であるということを、理解なさるでしょう。

雅子妃の入内も卒爾ではなく、皇室弱体化左翼化を狙った勢力の
延長線上にあります。皇后陛下の格落ち劣化系が雅子妃です。

 

昭和大帝とそれ以前の歴代天皇を、今上陛下と同列に置くのが間違いです。

敗戦前と後の皇室の依って立つ基盤が画然と異なります。

今上陛下の脳裏には、GHQからの洗脳がえげつないほどの恫喝と共に

吹きこまれています。

内廷皇族への無条件肯定は、GHQ施策への白旗掲げての降伏と同義です。

戦前戦後と、皇室の体質の基盤が異なるので、戦前の例を上げて
云々しても無益という意味はお解りでしょうか。

>統治のシステムとしての天皇制が少なくとも1600年以上にわたって続いてきたのは、いつの時代も人々の中に天子に対する「畏れ多さ」が大なり小なりあったからだ

 

それは事実です。

しかしながら、「畏れ多さ」を体現できない皇太子と天皇は、排除されて来ました。現在は自浄システムがないのです。逆に、小和田恒氏という「洗脳システム」が彼の娘の入内以来20年間にわたって、外務省、創価を含みながら組み上げられてしまいました。

なぜか? こんにちに至るまで、どこからも批判がなく、皇室は
無風状態、内部でやりたい放題であったからです。

自浄作用が働きながら機能してきたのが戦前までの存続の要因の一つであるなら、自浄作用に代わるものは持つべきです。すなわちそれは国民の正当な批判です。

【備考】島流しにあった天皇 上皇 親王

 


第47代・淳仁天皇 淡路国
第75代・崇徳上皇 讃岐国
第82代・後鳥羽上皇 隠岐国
第83代・土御門上皇 阿波国・土佐国第84代・順徳天皇 佐渡国第96代・後醍醐天皇 隠岐国
早良親王 光仁天皇の皇子 淡路国
頼仁親王 後鳥羽天皇の皇子 備前国
雅成親王 後鳥羽天皇の皇子 但馬国
尊良親王 後醍醐天皇の皇子 土佐国

廃太子の例

道祖王 他戸親王 早良親王 高岳親王 恒貞親王 敦明親王 康仁親王 成良親王 直仁親王

 

他にも自殺あり、殺害されたお方あり。

  

>このままでは、憲法9条が改正される前に、憲法1条が改悪(削除)されてしまいかねない。

 

買いかぶっていただいて、ありがとうございます。
残念ながら、憲法の内容に影響を与えるほどのブログではございません。

皇室大事と思うから、皇室が自虐左翼史観の発信地となっていることを、憂えている人たちが増え始めているのです。皇室がどうでも良い者達、また壊れて欲しい者達にとっては、現在の状況は歓迎すべきことだからしめしめと口を閉ざしていますよ。

韓国人や在日創価たちに褒めそやされる天皇って、いったい何ですか。
彼らが褒めるのは、他に村山富市、河野洋平、自虐史観学者たちです。

愛子天皇が誕生したら、その伴侶となる男が皇室を牛耳ることになります。よく言われることですが、その男が出自ロンダリングした朝鮮人や、創価であったら、「あちらサイド」の企み成就です。池田大作氏の最終野望が皇室支配です。

これすら、黙って見ておけとあなたはおっしゃる?

愛子天皇の画策者は、皇后陛下であり皇后陛下に追随なさる天皇陛下です。

あなたのコメントは「論」未満で感情の表出でしかありません。

 

ヤフオクや、小和田家の出自を考慮に入れても、なお国民は黙ってぬかづいておれと?ヤフオクの一件も、雅子妃という決してあってはならない入内にも
天皇皇后両陛下に責任ないこととは言えません。

愛子内親王が発育に応じた適切な教育を与えられていないことを、見て見ぬふりなさっていることも。

皇室が皇后陛下のご主張通りに、男女同権となれば現在までの男子一系を
否定することであり、それこそ歴代皇室の歴史への不敬なのではないですか?

天皇が語られる間、低頭されない皇后、天皇より前に立って歩かれる皇后。
あろうことか、杖代わりに使われる。それが本来の意味での不敬ということではないのですか?

また、皇居内神域ですら忌避する雅子妃こそが、日本の神々への不敬ではないのですか?

不敬という言葉は、本来そのように重いものです。

責務を果たされるお方にこそ、該当する言葉です。

 

>天子に対する「畏れ多さ」

 

マスコミが発達していなかったので、皇族としてのダメさ加減も見えなかった。その代わり自浄機能が内側にあった、ということです。

パラドックス的な言い方をすれば「畏れ多さ」を持ちたいから、批判されているのです。

 

畏れ多さを持ちたいのに、これでは持ちようがない、と。

内廷皇族批判の人々が「畏れ多さ」を持ち得るのは秋篠宮両殿下に対してです。

 

拙ブログに限らず同一趣旨のブログがあるので

あちこち探索して、理論武装と語彙をもうちょっと身につけてから、再度お出ましになってくださいませ。

>憲法1条が改悪(削除)されてしまいかねない。

「象徴」などという曖昧な位置づけが理想ですか。

保守の人たちの改憲論における天皇陛下の位置づけは
「元首」です。拙ブログ主は基本的に賛成ですが、しかし
現在の今上陛下、皇太子殿下を拝見するに
危険、時期尚早だと思っています。

皇室も戦後レジウムからの脱却が必要です。
戦勝国側の刷り込みと、工作が全て浄化されてからのことですね。

余談ですが、日本弱体化皇室弱体化の元凶はアメリカですが、

しかしながら安保法制案におけるアメリカ、同盟国としての
アメリカとは絆を強く太くすべきです。

米批判も諸刃の剣なので、使いこなさないと。

 

>統治のシステムとしての天皇制が少なくとも1600年以上

 

2675年です。皇紀すら心得ず、皇室論はないでしょう。

 

あなたが擁護論の右代表では、脆弱でしょう。

学びましょう。反論は傾聴致します。

ただその前提に、一定レベルにあるご意見でないと、有意義な反論、対論、ないしは同意が出来ないのです。

祭祀のこと、皇室内における有職故実のあれこれまで含めて
基礎を学ばれてくださいませ。OSSからGHQへと至る
皇室の背後史も。カトリックの教義理解も現在の皇室を論じるにあたっては
不可欠です。それと創価関連では、日蓮聖人の御書と
「人間革命」1,2冊程度はお読みにならないと。
仏教に関して基礎知識もあったほうがよろしいです。

事象が点と点として散在していても、全てはつながっています。

日本の政治で言えば、雅子妃入内に至る福田政権まで
遡らないと実相は見えません。

皇居内の祭祀についても、成り立ちとその存在意義の基礎は
学びましょう。

北朝鮮ではあるまいし、将軍様は間違わない、すべてマンセーは
国の進路を誤ります。

知識と理論、情誼そして語彙を備えた反論をお待ちします。

 

転記ここまで。


「赤い天皇皇后として後世に名を残されぬよう・・・・ 【転載可】」大切だから、保存します(27)。BBの覚醒記録より

2017年09月05日 | 皇室

 

      • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

        「BBの覚醒記録」が凍結されています。

        ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

        ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

        私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

        日本人が、日本人であり続けるために。

        ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

    • 天皇と、その「操縦者」としての皇后。
    • ともに、日本弱体化の「尖兵」と成り果てている悪夢。
  • 読むか、読まないか。それだけです。

    •  

      •  以下、転記。

 

        赤い天皇皇后として後世に名を残されぬよう・・・・ 【転載可】(初出07/30/15)

 

コメ欄でたまにですが、表明していたこと・・・・
以前からの読者なら目にされた人もいるでしょう。

皇室批判は皇太子、皇太子妃止まりにする。そう言って来ました。
なぜなら、皇太子皇太子妃批判ですら拒絶感が激しいのに、
天皇皇后両陛下まで言挙げの対象とすれば、いよいよ聞く耳を
持って貰えない。
皇太子皇太子妃にはまだ、廃太子廃妃の可能性があるが
両陛下は今に国民が申し上げようと、現在の地位は不動であるから
具申も無益と。

(天皇陛下と)皇后陛下はサンクチュアリ(聖域)に残しておきたいという
思いがあったことも否めません。
それがある時期から、宗旨替えして疑念を述べるようになっています。

ある時期というのは、天皇陛下が「平和憲法護持」「戦後のアメリカ人の日本への寄与に感謝」など、政治発言をなさり始めた時期。そして皇后陛下の「A級戦犯」ご発言と、元GHQメンバーベアテ・ゴードンへの賛辞と、言外に込めたやはり「平和憲法護持」。と同時に皇太子夫妻の資質の低さに関しては、相当数が認知するレベルになりました。

皇后陛下の安倍自民政権へのアンチのご姿勢は、憲法のみにとどまらず、女系天皇を口になさり始めてからです。ベルギーにならい、第一子を天皇として擁立すべきとのご意見です。
具体的には皇太子殿下の次の継承者は、愛子内親王にすべきだと。

そして、強制の慰安婦がいたかのようなご発言。韓国へ謝罪に行きたいとのお言葉。

談話で公式にお言葉として発表されたもの以外は、週刊誌他のメディアで知るしかないのですが、然しながら皇后陛下は過去から現在まで、事実ではないことに対しては厳しく、マスコミに申し入れをなさっています。「事実ではない報道は遺憾である」として。

最近では皇后陛下の「平和は私が守る」という仰天すべきご発言が流されましたが、これに対して抗議はないようです。あと、小和田家の出自に関しても相当きわどいリークが週刊新潮でなされましたが、これに対しても無言です。

拙ブログが皇太子皇太子妃批判を始めた頃から比べると、お二人のだめさ加減・・・・というよりも国と皇室を損なう存在であることを、多くの国民が知るところとなっています。現在では皇太子夫妻の低劣さは理解したが、天皇皇后への批判は受け付けぬ、という流れになっているようです。おそらく3年後には、相当数の日本人が内廷皇族の歪みについて認知するところとなっていると踏んでいますが。

天皇陛下皇后陛下を今更ご批判申し上げてどうなる、という思いは相変わらずあるのですが、しかし、中国の軍事的台頭いよいよ激しくそれに絡んでの集団的自衛権など事態は風雲急を告げています。

安倍総理の戦後総括的談話が、どこまで戦争の反省を入れるのか、あるいは
いっさい入れないのか解りません。森喜朗元総理が「韓国の主権を日本が奪ったことを謝罪すべき」などと、もはや何の権限もない身で牽制を始めてみたり、安倍総理は愛国売国勢力のお互いのせめぎ合いの中で、いかなる談話を出すのか、それが戦後100年のうち、残り30年間の今後の日米関係というよりも、日韓日中の基礎姿勢を形作ります。

ただでさえ、手に汗握る局面なのに、天皇陛下が8月15日を期して談話をご発表とも言われていて、「余計なことを」という思いが脳裏をよぎるのは、拙ブログ主だけでしょうか。
安倍総理が、専門家の手になる練り上げられた文面を読み上げ、難局を乗り切ったとしても、天皇陛下の一言でそれが覆る可能性があります。

天皇陛下は祭祀を司る祭祀王です。政治外交上のご発言はご法度のはずです。
発するお言葉は、大変な重みをもって刻印されてしまい、内容によっては日本を損ないます。天皇家が半島にゆかりがあるとして、発されたお言葉は「天皇の祖先は朝鮮人だ」として、もはや韓国の人々の脳裏に定着してしまっています。
あの当時の百済がどうで、と保守派が躍起にお言葉の「解釈」をして否定にかかっても、いったん発した言葉は、こぼれた水と同じくで盆には戻りません。

外務相の無能連中と外務大臣の発した「意に反して働かされた朝鮮人がいた」発言も同様です。

「不敬」の一言で発言を封じようとする人たちが相変わらずいますが、北朝鮮ではないのですから。昭和大帝の御代には、大帝のお言葉でも異を唱える忠臣はいて、大帝も耳を傾けられました。今は皆無です。美智子様という絶対権力のお方を皇室内ヒェラルキーの頂点に、次に天皇陛下がいらっしゃり、その陰には反日自虐史観の操り師・小和田恒氏。国民以外に、恐れながらと、もの申し上げる存在はいません。

拙ブログへの批判はご自由ですが、もし来るならバカでも発することの出来る「不敬」以外の語彙でお願いします。
当方の主張のどの箇所がいかなる理由で間違いなのか、それを記述してください。
不敬不敬と、パブロフの犬よろしく、反射神経だけで喚き立てるだけでは、応答のしようがありません。人間の言葉でどうぞ。不敬とは「敬するに値する」対象に対しての言葉です。

皇后陛下入内は、GHQの差し金という仮説を立てて試論を試みたことがありますが、いまだ、可能性としては色濃くあると思っています。仮説を組み立てる要素としてのパズルが、全体構図にピタピタはまり過ぎるのです。

 天皇皇后両陛下の「史観」について その背後の小和田的闇=GHQ 《転載自由》

前説の大きさに比して、本題が羊頭狗肉で恐縮ですが・・・・皇后陛下のバランス感覚の異様さ、という点を考察するに下記の動画が最適でしょう。
動画と画像の何枚かは読者さんからのご紹介です。

動画は、日本のマスコミがいかに牽強付会に皇后陛下上げに勤しんできたかの
左証でもあります。結婚式に出るのに花嫁と同じ白、しかもベール付きとは、
異常でしょう。この凄まじいまでの無作法をとがめるどころか、賞賛するマスコミも凄いですね。最近ではむりやりの賞賛は雅子妃になっていますが。

英国皇太子結婚式ご参列

帽子のデザイナーへの皇后陛下のお言葉として「目立ってよかった」と。
これに尽きるでしょう。
皇族のおおやけの場におけるファッションの価値観は目立つことなどではないこと、当然でしょう。お心得違いなさっておいでです。

お振る舞いとファッションのキーワードは「目立つ」だと判れば全ての疑問が氷解です。

帽子も皿の形に小さくなっていくわけですが、王室界の帽子は当然のことながら西欧の発祥であり、公式の場でのプロトコルが長い歴史を経て、組み上がっているわけです。
それを、脇から東洋の片隅の“王妃”が、「これがワタクシ流儀ですの」「目立っていいですの」と、しゃなりと現れたら、無作法であり、滑稽であり、それに僭越であるというのは解るでしょうか。欧米のプロトコル(儀典上のマナー)は、厳しいほどに確立されています。
どこの王室も皇室に対してそれを指摘して来るところはないでしょうが、しかしお腹の中で何を思われているのか想像に難くありません。これは内情を知るあちらの上流社会の人に聞いてみるしか、解らないですが、しかし、

皇居の晩餐会に、着物を半分に切ってタイツの足を出し、ハイヒールを履くような某ミスほどではなくても、例えば訪問着にだらりの帯で海外からの賓客がいたら、失笑か怒り、よくて唖然ではないでしょうか。

皇后の姿を見た女性、ぎょっとしているようにしか、見えませんが・・・・?


その世界で確立されたマナー=ファッションは守らねばなりません。

とりわけ冠婚葬祭における、奇をてらった自己流はご法度です。西欧には西欧の厳しい決め事があります。洋服を御召しなら、それに従うべきでしょう。喪服で黒い小さなお皿帽子は日本人の目にも奇異に映ります。

 

司祭への格違いの深々としてお辞儀を違和感をもって見られました。
また西欧に司祭へのお辞儀はありません。

皇后陛下の個人的信仰心の表明であったような気がしますが・・・・。
場を心得ない、というのは周囲の表情を見ればわかりますね。
失笑され、あるいはぽかんとされてます。

お棺に向かってお辞儀されただの、その場のトップ司祭に頭を下げられたのは
当然という擁護がありましたが、別の写真で見ると明らかに司祭に向かっての
深々としてお辞儀です。司祭にこんなお辞儀をするマナーはあちらにはないし、
国際上の厳しいプロトコールから、皇后陛下が一司祭にこのような
お辞儀は世界スタンダードの儀礼壊しであり、かえって非礼です。

世界共通の、プロトコール上の序列があります。天皇陛下は本来、
ローマ法王、エリザベス女王と並ぶトップ3人に位置しています。
なぜ米つきバッタのようにお辞儀してその、序列を壊すのでしょう。

皇后陛下のファッションの奇抜さをかばう人は、あらゆる流行は時代が過ぎれば滑稽で過激と。それは事実なのですが、しかしこの論理は皇族にはあてはまりません。

なぜなら皇族は、何十年前の画像が記録に留められ繰り返し公開されるという
前提があるのだから、時がたっても突拍子もないことにはならぬよう、スタンダードな形を選ばれるのが流儀だからです。香淳皇后のファッションは何十年を経ても奇異珍奇というレベルのものは、ほぼ皆無です。
紀子妃には皆無ではありませんが、せいぜい数枚程度です。(皇后陛下に押し付けられたのか、影響を受けられたのかマントファッションなどごく少数)
皇后陛下には軒並み、あります。世界的なファッションの賞の対象になったこともあり、秀逸なデザインもあります。不可解なのは、いい時と悪い時の落差の激しさで、おそらく想像ですが・・・・いい時はデザイナーのセンスに身を委ねた時で、珍奇になるのは、皇后陛下の個人的テイストを注文で前面に出された場合のような? 時代の移ろいだけがもたらす、珍奇さではないような気がします。

ファッションは時として、奇異な精神性の現れでしょう。

 

 

 

変でしょ、時代の変遷にかかわりなく。もっと言えば表情もポーズも。
天皇陛下より意識が中央、そして前に出ていらっしゃいます。

 

第一回目の東京五輪の時も、10月でしたがお一人だけ毛皮のショールをまとって現れ驚かれています。

日本の10月で毛皮と防寒手袋は異様でしょう。皇后陛下の価値観「目立ってよかった」という観点なら成功でしょうが。当日会場にいた方にうかがったら、10月も末だったが毛皮まとうような肌寒さではなかった、そうです。周りの方々の服装を見ればわかりますが。日本の季節感で10月に分厚いファー・・・・はないです。

さて皇后陛下としての基礎がきちんとなさっていらっしゃるなら、ファッションごとき目くじら立てることもないのですが、やはり最大の懸念がその「史観」ですね。黙って胸のうちに秘めていらっしゃるのならまだしも、折に触れ発言なさいます。

皇后陛下の代になられてから、天皇陛下のお話中の低頭を廃止にされたり、ちょっと後ろを歩かれることを止め肩を並べ、時には先立ってお歩きになる、そして朝鮮式挨拶のコンスを取り入れられたり・・・・・などの伝統壊しも、その左翼史観に比べれば、まだしも小さなことでしょう。

 

皇室と異教カトリック

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/6b50cd3da82dd19cab876a1dd3f1bf56 

皇后陛下のカトリック・ローマ法王ふう?

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/44aa253ae87d35caf6882f3f6a46075b

コメ欄から拾った皇后陛下論 1

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/1359e04f393f9f38f2d52aa38d6fb1b7 

コメ欄から拾った皇后陛下論 2

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/07085d3383a9c660384c707f2390a12f 

コメ欄から拾った皇后陛下論 3

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3398bf295fde20f0b8d82e06406cd503 

いや、ありていに申せば内廷皇族の左翼思想化が凄まじく、それはGHQの狙い通りです。戦後からこの方の皇室史を丹念に紐解いてみれば、戦勝国アメリカが日本弱体化と皇室弱体化のために仕掛けた企みは、細心で見事です。そのアメリカが、押し付けた憲法については「シマッタ」と思っているのが、集団的自衛権問題ですから、皮肉なことです。

押し付けたアメリカが後悔、押し付けられた日本人代表天皇陛下と皇后陛下とが、後生大事に抱きしめられていらっしゃるのですから。

両陛下が、はっきりアンチ安倍政権、アンチ憲法改正党是の自民党の立ち位置にいらっしゃり、左翼や在日連中と思想価値観を共になさっていることを、国民は直視すべきでしょう。

このたびの安保法制案など、もし民間人なら反対のデモに、左翼連中や在日たちと並んでシュプレヒコールを上げる側かと思われます。

皇太子の普段の貧弱な語彙からして、この談話は自発的発言とは思えません。
言わされているわけですが、言わせているのが誰か・・・・天皇陛下か皇后陛下か、はたまた小和田恒氏か。

小和田恒氏を喚問せよ 【拡散希望】

皇太子の誕生日談話になぜわざわざ天皇談話と皇后談話とリンクするような形で、憲法の話なのか、内廷皇族からプロパガンダが行われているということです。

 ・・・・・両陛下へのご批判はお二人を突き抜けて、その背後にある勢力へ向けての警戒と批判でもあるのですが。

 

天皇は、なぜ「満州事変」に言及したのか

 http://toyokeizai.net/articles/-/58687

 

(抜粋)これまでも誕生日祝賀会などにおいて満州事変に言及したことがあるが、新年の挨拶でこのことに触れたのは今回が初めて。「これは政治的なことに立ち入らないよう配慮しながらも、安倍政権に対して牽制しようとする意思が込められているのではないか」とキングストン氏は推量している。

天皇のこれまでの記録を見れば、長らく行われてこなかった、誠意ある清算を天皇が奨励していることがわかる。1978年以後、昭和天皇が靖国神社の参拝を拒否していたのは、同年のA級戦犯合祀が原因だと明仁天皇は明言している。

BB注 明言してましたっけ?

2004年秋の園遊会では、東京都教育委員会の委員が天皇に話しかけ、教育現場において、起立し、国旗(日の丸)に向かって国歌(君が代)を斉唱するという規定を教員に遵守させることが自身の仕事だと説明したが、天皇はこの委員に苦言を呈した。天皇は国旗国歌について、これを強制するのは望ましいことではなく、個人の判断に任すべきだと述べた。2005年春の園遊会でも天皇は同様のコメントをしている。

・・・・・抜粋転載ここまで

さしあたっては、天皇陛下の終戦記念談話が国民に「日本は悪しき国として、中国と韓国に謝らねばならない」というたぐいの内容ではないよう、せっせと宮内庁を通じてお願いするしかなさそうです。宮内庁に電話しても「上のものにあげます」というのみで、「それは、どういう役職のどなたですか」と訊いても絶対答えてくれないので、まして両陛下のお耳に届くとは思えませんが、しかしながら国民の総体として醸成される「気分」「意志」は伝わると思うのです。

安倍総理は未来志向の談話で、反省やお詫びの要素は極力入れない
方向で、終戦記念日は避けて8月初旬に出すとのこと。機先を制して、
天皇陛下に、これ以上の則を越えてくださいますな、という牽制の
意味があるのかもしれません。

それを逆に安倍談話をひっくり返す可能性もあるわけです。近年の天皇陛下(皇后陛下とタッグを組んで、さらに皇太子を従えていらっしゃいますが)の言動を見れば、その延長線の談話が仮に出されれば、目も当てられない事になります。

天皇の権限が内閣を上回ることにもなりかねないし・・・(政府が反対していたパラオ行きが序段です。しかも日本の海を守るべき最大の巡視艇を私用に改造させ、数日間海の守りをお留守にさせました。これを批判する保守がいないのも、驚きでした。陛下なら何でもありなのか?)

もし、村山・河野談話の天皇陛下バージョンのようなことなら、その時こそ、自称保守の人々には目覚めて欲しいのですが、それすら身びいきの都合のいい解釈をくっつけて、擁護するのかもしれません。これだけあらわに左翼自虐史観的発言、安倍自民叩きを間接的になさっていても、まだ見ぬふり、聞こえぬふりを貫いているのだから。

かなり慎重な言葉遣いで発されるとは思いますが・・・内容は保守の意向に添うものではなく、安倍自民嫌いの国内外の連中が拍手を送るような内容かもしれません。

 

自民党幹部談。

「終戦記念日に陛下が先の大戦についてメッセージをお出しになるのではないかという

 情報は5月頃から流れている。陛下は先帝(昭和天皇)から、

先の大戦で軍部の独走を阻止できなかった無念の思いや

多大な戦死者と民間人犠牲者を出したことへのつらいお気持ちを受け継がれている。

万が一、お言葉の中で首相談話から省いたアジア諸国の戦争被害に対する

思いが述べられれば、安倍首相は国際的、国内的に体面を失うだけでは済まない」

 

◆天皇陛下お誕生日に際し(平成25年) 宮内庁

 

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html

 

《抜粋》戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。

 (日本が日本国憲法を作ったのではないし、知日派の米国人の協力とは、よもやGHQのことでしょうか。あり得ない・・・事もないと思われます。皇后陛下は元GHQベアテゴードンに公に賛同の意を示されています。皇族のGHQ肯定、まして天皇陛下のGHQへの感謝表明など、真摯に国を思い反日史観と日々戦っている人たちの士気を萎えさせます)

◆天皇陛下今年年頭のお言葉

http://www.asahi.com/articles/ASGD07R5SGD0UTIL00K.html

《抜粋》満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。

 70年談話 “謝罪”盛り込まない方向で最終調整(15/07/22)

 

安倍総理の戦後70年談話に、有識者会議の結論を受け謝罪や侵略の文言は入れない可能性もあるようで、これを天皇陛下談話がひっくり返しては、本当にまずいです。

陛下が日韓友好のメッセージ

 

2015年1月29日

 

【ソウル共同】韓国の李明博前大統領が2月2日発売予定の回顧録で、日韓友好を願うとの天皇陛下のメッセージを在任中の2012年12月に別所浩郎駐韓日本大使から伝えられた、と記述していることが29日分かった。

 http://www.daily.co.jp/society/main/2015/01/29/0007699144.shtml

 こういう内閣を飛び越えての政治発言は、ご自身が堅持を主張なさる憲法に違反しているのではないでしょうか?

また韓国への友好メーッセージなど、多くの国民が望んでいることでしょうか?
敵に塩を送るごときことではないでしょうか。

 

韓国人による天皇陛下像

 http://gensen2ch.com/archives/38362916.html 

「今の天皇は親韓派であり、過去の日本の蛮行に対しても否定的で賢い。靖国にも参拝しなかった。今の天皇は悪い人ではない」

「天皇は、韓日友好関係のために謝罪してもいいと発言した。日本で最も思案深い人物」

 ・・・・・・・・・・・

 

韓国ではこのほど11歳だったという、トンデモ慰安婦像が作られ、
追悼碑には、「天皇は謝罪せよ!日本は賠償せよ!」という文字が刻まれています。

 

父君であらせられる昭和大帝を侮辱され、また自らも李明博に「韓国に来たいというならひざまずけ」と侮辱されながら、なおも韓国に心を寄せる今上陛下と皇后陛下。

 

日韓問題は天皇皇后の個人的問題ではなく、国民の問題です。内閣を飛び越えて勝手に謝罪の意を表明したりなさるのは、それこそ両陛下が大事になさっている憲法に背くことです。

パラオへの慰霊ツアーも政府の反対を押し切って、しかも国護るべき日本最大の巡視船「あきつしま」を巨費をかけ私用に大改造、ホテルとしてお使いになってのご出発でした。
政府の反対を押し切って物が言え、行動できる現状に危惧を覚えます。
その言動が愛国に基づくものならまだしも、拝見していると左翼の連中と軌を一にしていて、危うげです。あきつしま、が日本の別称/美称であることが象徴的で、危ない気がしてなりません。天皇の権威のもとに、日本という「船」を私的に改造されてしまいそうで。

国を壊してまで、批判してはならぬ「不敬」とは何でしょう?
国壊す言動はたとえ皇族とはいえ、日本の神々への不敬ではないでしょうか。

なぜかバンザイに不機嫌な両陛下。主権回復の日に。参集の人々から自然に湧き上がったバンザイの声だったのですが。
これと同じ日に皇后陛下は侍従を通じ、元GHQメンバーベアテゴードンの追悼式に、彼女を称えるメッセージを送られています。「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に臨席されたその日に。

 

日本を貶めつつ、神武天皇を否定、皇室自体を批判なさった三笠宮殿下が晩年も延々と皇族のご身分にしがみついて離れず、民のお金で生き続けていらっしゃるあのぶざま。

赤い天皇皇后として歴史に残る如き、両陛下に同じ轍を踏んでいただきたくありません。お目覚めくださいませ。

秋篠宮殿下と、悠仁親王殿下とが御代を継がれるまでの、それまでの辛抱と観じて来ましたが、安倍総理の70年談話に平行して出される天皇陛下の談話に、大いに不穏なものを感じて心配しています。どうぞ、日本の子どもたちが負の遺産として重荷を担がされるごとき談話ではないように、お願いします。

 

 イタリア貴族が語る・実は海外王族から総スカンの皇太子と雅子妃  【拡散希望】

 

そういえば、この人も結婚式に白のドレスを花嫁にかぶせて出た人でした。
皇后陛下の超劣化バーションが雅子さんなのかもしれません。
根っこは似たもの嫁姑?

 

皇太子が警察学校視察

http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20150717ddlk27040370000c.html 

皇太子さまは16日、田尻町の府警察学校を視察された。

警察学校では、道場で逮捕術の訓練を視察。 このほか、鑑識の授業も見学。はけを使ってアルミニウムの粉末を振りかけ、瓶についた指紋を検出する様子を熱心にご覧になった。

・・・・・・・ここまで

wwwww なんで笑ってるかと言われても。

ヤフオクのことで、宮内庁に電話したらお答えが「あれは、出品者が取り下げたので、問題にしておりません」ですってさ。ポカンとした余りそれ以上追求する気力が失せたのでしたw。皇室財産(国家財産を含む)が外に出回ったことが問題なんであって、民間人からの流出は不可能、では一体誰がしたのか、内部の誰かではないか、ボンボニエールの表面に写っている人物ではないか、ということなんですが宮内庁は「ああ、あれですか。出品者が取り下げたので、無問題です、はい」

「出品者」ってwww

いったい、誰が先帝のお品やら、海外王室から送られた勲章まで、外で売り払おうとしたのでしょうね。法律に詳しい人に言わせると、詐欺横領に該当、金額が張るので、執行猶予つかず実刑を伴うであろうとのこと。2年間と聞いたような? 記憶がこれは曖昧。法律に詳しい方お願いします。

事件当時、週刊誌で大々的に報じられたのに、この件に関しては皇后陛下から抗議のお達しもないようで、皇室側宮内庁もひたすら無言。

知人の某週刊誌記者さんが調べたのですが、記事にはしない・・・出来ないようで・・・初期のお品は、慌ただしく宮内庁が買い取ったと、その記者さん情報。如是我聞。あくまでも、我かくの如く聞きぬです。しかし、もし事実なら買い取る前に、警察通報でしょうに、通報さえしていない不可解。宮内庁側からしたら大規模な窃盗ではないのですか?

今年の10月に時効を迎えますが、犯人が海外に出ている期間は、除外されてカウントされるので、実質11月末か12月の初旬ぐらいまででしょうか。

ここ数年見当たらないティアラや首飾りの行方も、いぶかしいことです。
さんざんあちこちで疑念を漏らされているのだから、はっきりさせて頂きたいと思います。

それと宮中で最大規模の祭祀である「即位の礼」に雅子妃欠席でも、そのまま皇后におなりです、と宮内庁の返事でした。国民は、そして両陛下それを是とするのかどうかも、問いかけたいところです。世界百か国以上から元首クラスをお招きしての、最大の神事でもあれば国の威信をかけたような、国家イベントでもあります。

                    

 

希望

 

転記ここまで。


違和感だらけの記者会見。

2017年09月04日 | 皇室

昨日(9月3日)の眞子様婚約内定会見。

違和感だらけでしたね。

それに先立った、

山本宮内庁長官の発表からしても。

「ご婚約が内定いたしました。・・・ウン。」

「ウン」って?

普通、自分が十分納得して発する言葉に、さらにそれを肯定する「ウン」などは付けません。

多くの場合、「腹の底からは納得してないし、語りかける人を納得させられるとは思わないけど、

言わなきゃいけないから言うんだよ、ウン」

こんなニュアンス、ありますよね?そんな感じ。

長官レベルでは、どうしようもない趨勢に対する、せめてもの意思表示か?

 

肝心のお二人の会見。

眞子様「プロポーズに、その場でお受けしました・・・」

あなたは、日本の皇室の、筆頭宮家のご長女ですよ。

「その場でお受け」してどうするのです。

ご自分のお立場、お分かりですか?

 

眞子様が「月」、コムロ某が「太陽」?

日本と、日本の皇室の根本、淵源は、天照大神ですよ?

究極の太陽神ですよ?

月?月は、太陽の光をただ反射し、自転もできない衛星ですよ?

これは、コムロなる下賤の者に、

皇室のお姫様が隷従する、という宣言ですか?

日本皇室の「敗北宣言」ですか?

 

「座右の銘」を聞かれて、

「好きな言葉は『レットイットビー』ですか」?

日本語で自己表現できないのか?「ですか?」って何だ、「ですか?」って!

 

納采の儀』などを経て、ご結婚は来年の秋の由。

 

眞子様、秋篠宮様。

まだ、間に合います!

なにとぞ、ご中止のほどを。

日本と、日本国民のために、お願い申し上げます。


「資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境」大切だから、保存します(26)。BBの覚醒記録より

2017年09月01日 | 皇室
      • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

        「BBの覚醒記録」が凍結されています。

        ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

        ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

        私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

        日本人が、日本人であり続けるために。

        ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

    • 今回は、「GHQの日本弱体化方針によって、皇室に送り込まれた強力なウィルス、正田美智子」

    • を理路整然と述べた、第一級資料です。

    • ここから、皇室の腐敗、ひいては戦後日本の腐敗が具現化していきます。

       長文ですが、「読むか」「読まないか」が、その人の人生の岐路になります。

  • 読むか、読まないか。それだけです。

    •  

      •  以下、転記。

  • 資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境(初出05/04/15)

 

コメント欄に頂いたコメントを、ご本人にご了解を得ての転載です。

かいつまんでも読めるよう、色文字にしました。

BBのコメントは抜きで、そのままの転載です。

以下、転載。

 

皇后、その出自・カトリック・左翼思想・GHQ?           

 

**さんの情報を基に私も調べてみました。
長くなりますが、大事な資料かと思われるので。

雅子さんがまだ少女期の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」

と言っていた福田赳夫氏。そんな早い時期から不思議だが、
小和田夫妻は、福田夫妻の「配下」のような関係。
雅子妃の入内自体が仕組まれたもの、ということだろう。

そして、小和田家の家系についてはとかく囁かれているが、
雅子さんの母方、江頭家も、福田家に類することが言われているのは
ご承知のとおり(むろん、この部分の真偽は不明。状況証拠に
近いものがグレーゾーンとしてあるだけ)福田家は客観的事実。


◆福田赳夫氏出生地 
群馬県群馬郡金古町足門(現在の高崎市足門町) 

*インターネット版地名総鑑 - 地区で検索のこと

◆つながりで見るなら、宮沢喜一。こちらも出身で、天安門事件直後の、
天皇皇后を絶対やってはいけない時期に、中国に赴かせて中国の国際信用を取り戻すことに加担。

福田ー宮澤ー皇后(本家のあった東武線「館林」駅の裏手は、エリアだから、事実なのか?)ー皇太子妃(情況証拠による仮説)


◆次に第二の水俣と言われた【昭和電工】つながりで見てみます。



福田赳夫 昭電事件、昭電汚職昭電疑で大蔵省退官(逮捕されたが無罪。しかし何らかのひっかかりは、あったからこその逮捕ではなかろうか?)



三木睦子(三木武夫の妻)

昭和電工の創業者・森矗昶の二女

(姉は元昭和電工社長の安西正夫に嫁いでいる)

三木睦子の左翼ぶり

著書 『戦争で得たものは憲法だけだ 憲法行脚の思想』

『憲法九条、あしたを変える 小田実の志を受けついで』

9条の会結成時呼びかけメンバー。従軍慰安婦救済の「女性のためのアジア平和国民基金」。

金大中大統領がノーベル平和賞を受賞した際「金正日総書記も一緒に受賞して欲しかった」と発言。北朝鮮から勲章を受ける。

「多くのアジア・太平洋地域の 人々に、耐えがたい苦しみと悲しみをもたらした我国の行為を厳しく反省する」とシンガポールで売国発言した海部俊樹を育てた一人。

自らが国民の付託を受けたわけではないのに、公の場に出しゃばって(おそらく本人は善意の)売国言動は、安倍昭恵と同じ。総理としてそう悪くもない夫の足をそのアタマの悪い言動で足を引っ張ったのも似通う。

◆非差別つながりで言えば宮澤喜一。異常なまでの中韓へのおもねり。
天安門事件の後に、絶対やってはならなかった中国への天皇皇后訪問は
宮澤内閣の時。但し、説は解放運動家小森龍邦によるもので
本人は否定。念のため。

◆皇后陛下の妹、正田(安西)恵美子さんの夫は、安西孝之氏(昭和エンジニアリングの社長)、安西家は、 第二水俣病加害企業である。

皇后陛下の祖母きぬさんはカトリック教徒。(その後の一家の葬儀の場を
見ると聖イグナチオ教会にある程度まとまっているので、一家のうち複数が
信徒であった可能性)

恵美子さんもカトリック教徒。


以上のキーワードを基に、以下の資料。


h

ttp://www.yorozubp.com/0806/080621.htm

(抜粋)



この年、衰弱激しいフロジャック神父の身を気遣う見舞客はあとを断たなかった。その中には、軽井沢のテニスコートで天皇皇后両陛下の「初めての出会い」の瞬間を写真におさめたカトリック信徒の田中耕太郎最高裁長官もいた。

 そして、三〇年来にわたってフロジャック神父の事業を援助し続けてきた正田きぬの姿も当然あった。フロジャック神父は、この年皇太子妃になったばかりの正田きぬの孫への心やりと永年の援助に対する感謝の気持ちから、こう語りかけた。

美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね

 これが何を意味するのかは、木下が一番よく知っている。その翌年一九六〇(昭和三五)年七月二日、朝日新聞社講堂では「フロジャック神父を偲ぶ集い」が行われた。

 この時壇上には、すでに敬虔なカトリック信徒になっていた木下道雄の姿があった。この時の木下の「フロジャック神父を思う」と題する記念講話は、『フロジャック神父の生涯』(五十嵐茂雄、緑地社)におさめられている。その四二五ページから引いておきたい。

 神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。

 「神父」とは当然フロジャック神父、「この時代」とあるのはフロジャック神父が水戸を拠点に日本伝道を始めた頃を意味する。そして、「会心の傑作」が「皇太子殿下御婚約のよきしらせ」につながっていく。

 フロジャック神父は関東の山野を歩きまわって布教していた。文中にあるように上州館林へ行ったのもこの頃である。上州館林と言えば、美智子皇后の実家があったところ。つまり、上州館林の正田家にカトリックの信仰の種をまいたのもフロジャック神父だった。

 一九二七(昭和二)年、東京関口教会で美智子皇后の祖母である正田きぬはフロジャック神父の手から洗礼を受けて敬虔なカトリック信徒になっていた。このきぬと美智子皇后の祖父・正田貞一郎(日清製粉創業者)、それに叔母・正田郁子の告別式はいずれも 千代田区 麹町の聖イグナチオ教会で営まれた。また、母・登美子も聖路加国際病院で臨終洗礼を受け、妹の安西恵美子も洗礼を受けている(『美智子皇后と雅子妃』福田和也、文藝春秋他参照)。

 弁慶(フ神父のこと)が皇室とカトリックの縁結びを務めていた。明治維新以後、神道界や仏教界にフロジャック神父のような弁慶が存在していたなら、やはり歴史は大きく変わっていただろう。

『フロジャック神父の生涯』のとびら裏にはこんな言葉が飾られている。

 最後の握手皆様によろしくとみ声細く

    仰せありしも悲しき思ひ出

                正田きぬ

・・・・・・・・・・・・


◆カトリック、左翼思想、第二水俣、と糸が絡み合ってますね。朝日新聞まで。

資料として紹介した中には、皇室と神父の交わりが書かれていますが、時代的にマッカーサーが、カトリック、プロテスタントを問わず、キリスト教を日本と皇室洗脳化施策として用いていた時なので、当然GHQからのゴリ押しもあっただろうし、記述からその分を割り引いたほうがいいかもしれません。

とにかく度を逸して、キリスト教の関与が多いのですよ。ということは、
GHQ関与の可能性をやはり考えてしまいます。
当時、マッカーサーが最先端の思想統制に用いようと試みていたのが、
プロテスタント、カトリック問わずキリスト教であったのは、史実に明らか
ですから。

その史実の延長線上に、皇室内外における異様なほどの
キリスト教ひしめきが事実としてあります。偶然を遥かに超える確率で、
まして神道の場に、となれば明らかに意図した存在があるわけです。
GHQ以外にあるとすれば、CIAの可能性ですね・・・・。

それに、竹山パーティの竹山謙三郎氏(大蔵省)がGHQに公職追放を受けていないことも、GHQ側の人間であったと推察されます。

◆GHQが皇室内にキリスト教を持ち込み、昭和天皇が改宗しようかとまで
思いつめたのは、史実として残っていますが(「天皇の国師」その他)
その天皇に、フロジャック神父は会っています。皇居に出入りを許されていたのです。昭和天皇の個人的希望ではあり得ないでしょう。前後の経緯から
拝して。改宗を思われたのは、「国民を飢えから救うため」と「天皇の国師」他には
記されていますから、マッカーサーからの交換条件が、改宗であったのでしょう。
よく、留まってくださったと思います。もしマッカーサーの恫喝に屈して改宗なさっていたら、皇室は終わりでした。

◆軽井沢の出会いが偶然を装った仕掛けであったことは、宇佐美長官の国会答弁も記録にあり、もう検証され尽くしていますが、上記の資料でも正田家が深く関わったカトリック神父に帰依した田中耕太郎最高裁長官が、現場にいて写真まで写していた、ということは、正田家も承知の仕掛けであったとしても間違いないでしょう。例の「竹山パーティ」の存在があったことは無論で、この竹山パーティに美智子さんが15歳から出入りしていたことも事実です。高学歴エリートの男性と女性の出会いの場である竹山パーティに。

◆「田中耕太郎」といえば、当時の駐日大使、マッカーサー二世と「砂川事件」裁判について談合、その上で判決を出しています。一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが、機密解除となって以降、日本及び米国公文書から明らかになっています。残党GHQ勢力の手先でしょう。判決はアメリカからの論功行賞狙いであったとも、言われています。


田中耕太郎には、明らかにGHQが関与しています。

むろんGHQ本体は去っているわけですが、その「本質」は日本に埋め込まれて存続していたわけですから。NHKにしろ、海外特派員協会にしろ、日教組にしろ、GHQ代理機関の残滓です。田中は、国際司法裁判所判事を務めたことがありますが、小和田恒もまたそうですが売国つながりの人事か、とふと思ってしまいます。

カトリック背景皇后の入内に昭和天皇の関与があった、ということにショックを受ける人もいるかと思いますが、その当時のGHQがいかに昭和天皇と、皇太子時代の今上陛下とを残酷なまでの脅しで使役していたか、それを考慮すべきでしょう。

昭和天皇の誕生日にA級戦犯への死刑判決、今上天皇皇太子時代の誕生日になったとたんの午前0時から、A級戦犯を次々に吊るして行った彼らの凄まじいばかりの、皇室への脅しが急に消えるわけもありません。


福田元総理が絡んだ雅子妃の場合と同じく皇后も、結構長いスパンでの入内への道がある程度敷かれていたかも?

◆カトリックに関しては正田家で未受洗なのは、ひょっとして皇后陛下だけかも? 弟の修氏の嫁、正田(旧姓大原)もカトリックの家の娘で、そのこだわり方から推して。

それに皇后自身も・・・・本当に未受洗かどうか、自己申告ですしね・・・・。
有名なフロジャック神父と個人的に密着していた、皇后の父の母きぬが、
孫を放置していただろうか? とも思います。
少なくとも、祖母の代からのカトリック神父との個人的御縁なので、精神的には相当カトリックの縁は骨絡み深いと見るべきでしょう。入内に際しても、詳述は紙幅の関係で割愛しますが、カトリックの人たちが、非常に深く関わっていたことが残された資料から伺えます。

◆カトリック=GHQの差金と単純に分類しているわけではないことは、上記
最小限の考察からお解り頂けるかと思います。
皇后陛下の出自にせよ「GHQ関与論」にせよ「陰謀論」と決めつける人々がいます。思考停止するのは楽でしょうが、しかし出自に関しては、正田の本家の住所を調べ、それがどのエリアに当時属していたか調べればいいのです。結論はそれからでしょう。本家があったのは、東武線「館林」駅の裏手で、昔は「目車地区」と呼ばれていました。GHQ関与に関しては、敗戦後のプレスコードから、WGIPまで検証、その流れの中で、事実存在した複数ある事象を時系列で観察、考証すべきことです。偶然の確率を遥かに超えた事象については、明らかに「そう意図した何かの力があった」と見るべきでしょう。

◆「隠された皇室人脈 憲法九条はクリスチャンがつくったのか!」 (講談社+α新書)には、いかに天皇周辺のキリスト者が、尋常案ならずひしめいているか、が綿密な資料と調査とによって書かれています。
ただ、そのキリスト教が昭和天皇が自発的に求められたものなのか、GHQによる圧力で生されたのかは、意見が別れるところでしょう。私は、聖書の講義を常陸宮殿下になさった美智子さまを、烈火のごとく怒られたという天皇の側面のほうを信じる者です。

 

◆自らの乏しい知識と、狭い硬直した思考で「ないと思う」「あったとは、思えない」・・・だから、なかった、と短絡的な浅い意見というより「感想」ないしは「そうであってほしくない願望」論をしばしば見かけます。

◆GHQの皇室関与と、干渉については複数資料として有効な書籍がありますが、
『日本占領と宗教改革』(岡崎匡史著・学術出版)は、解りやすいでしょう。
GHQによる皇室キリスト教化施策は、天皇陛下とマッカーサの会談直後から
「バイブルクラス」として始まっているので、如実です。

◆なおWiki にあるヨゼフ・フロジャック神父は出身国も来日の時期も重なっているのですが、館林で布教、皇后陛下の祖母との深い接触に関する記述はないようです。
故意に記載されてないのか? あるいは私が何か勘違いしているのでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF

私の勘違いでなければ、なぜ皇后陛下の祖母がらみの記述と神父の活躍した群馬館林時代の記述がないのか、狐につままれたようで不思議です。
「何かの勢力」の意図により、その部分だけごっそり「なかったこと」にされている?

被差別出身で大宅壮一賞を受けた上原善広氏が、正田の本家が被差別にあったことを指摘、しかし行政はその地区をとは認定しなかった、と記述しています。これもまた「なかったこと」にさせられたのでしょうか。

上原氏の記述の信憑性を云々する前に、正田家本家の住所を調べ、昔の非差別エリアでそこがあったのか、なかったのか自らの目で調べるべきでしょう。

Wikiへの未記載は、館林という神父活躍の地名と、正田家のルーツを重ね合わされることが厭だったのか、正田家のルーツがどっぷり、カトリックにあることを知られたくないのか?

 

以上のコメントに対して、次のコメントが寄せられました。

http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=272500


戦後日本をつくり上げた「意外な2つの勢力」「憲法九条」は「皇室を救い出す」トリック!「天皇の戦争責任回避」と「天皇制存続」実現のための「象徴天皇制」と「戦争放棄」

▼1957(昭和32)年、軽井沢のテニスコートにキューピッドが舞い降りた。その舞台をつくった3人の人物がいる。昭和天皇、カトリックに近い聖公会信徒であり、長く慶応義塾塾長をつとめた小泉信三、そして、死の直後にカトリックの洗礼を受けることになる吉田茂元首相である。小泉も吉田もクリスチャン人脈の中にいた。結論からいうなら、カトリック家系の美智子妃誕生は、昭和天皇の同意のもと、この2人が仕掛けた政略結婚だった。軽井沢での「運命の出会い」はけっして偶然ではなく、この時すでに正田美智子に候補が絞られていたのだ。そのことを知っていたのは昭和天皇と吉田茂と小泉信三。それに、女子学習院の同窓会組織である「常磐会」周辺の一部だけだった。


…………………………………………………………………………………………………
▼ネット上のこの方の他の文章も読むと、スタンスが偏向しているので、まるっと信用はしませんが…
2008年に初版が既に廃版のもよう。amazonに古本がプレミア付であります。

未読で言うのはなんですが…「吉田茂」は美智子さんを嫌っていたという話もあるので、100歩譲って、上から(まぁGHQでしょう)クリスチャン妃を何とかせいという圧力に、しょうがないと手を打ったのかも?

軽井沢テニスコートでの写真を撮った「田中耕太郎」についてwikipediaには、
「1957年8月19日の、皇太子明仁親王(現在の天皇)と正田美智子(現在の皇后)との軽井沢のテニスコートでの出会いは、田中耕太郎が、カトリック人脈である小泉信三、吉田茂らと共に演出したとされており、田中もその出会いの場に立ち会っている。」と、あります。

▼田中氏は「砂川事件」裁判で、米国とご相談の上、ご都合の良い判決を出していますね。(wiki及びニュース記事より)

最高裁判所所長時代に裁判長として「砂川事件」の政府の跳躍上告を受け入れ、合憲(統治行為論を採用)・下級審差し戻しの判決を下した(1959年12月16日)。
が、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世と接触し、一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが、次々と機密解除となった日本及び米国公文書から明らかになった。

▼文化勲章受賞。大勲位菊花大綬章を没後叙勲。
大勲位って、戦後、皇族以外は、よくいうことききました~ってアメリカから貰う物なのね…?

▼〔園田義明 著『隠された皇室人脈―憲法九条はクリスチャンがつくったのか!?』 第1章 皇太子ご成婚と二人のクリスチャン より一部抜粋、要約 P.14-P.40〕
ttp://ameblo.jp/antibizwog/entry-11586549367.html
(頭にh足してください)

さらに一部抜粋して掲載します。

▼小泉も吉田もクリスチャン人脈の中にいた。結論から言うなら、カトリック家系の美智子妃(正田美智子 1934-)誕生は、昭和天皇の同意の下、この2人が仕掛けた政略結婚だった。軽井沢での「運命の出会い」は決して偶然ではなく、この時既に正田美智子に候補が絞られていたのだ。そのことを知っていたのは昭和天皇と吉田 茂と小泉信三。それに、女子学習院の同窓会組織である「常盤(ときわ)会」周辺の一部だけだった。

▼1953(昭和28)年
7月6日 皇太子継宮明仁親王(1933-、今上天皇)、ローマ教皇ピオ12世 Pius PP. XII(Maria Giuseppe Giovanni Eugenio Pacelli 1876-1958、ローマ教皇在位:1939~1958)に謁見
10月4日 吉田 茂、小泉信三宛書簡
1954(昭和29)年
10月20日 吉田 茂、ローマ教皇ピオ12世に謁見
1957(昭和32)年
5月3日 吉田 茂、三谷隆信(1892-1985)侍従長宛書簡
5月12日 吉田 茂、三谷隆信侍従長宛書簡
8月19日 皇太子、美智子軽井沢での「運命の日」
1958(昭和33)年
11月27日 皇太子婚約決定の皇室会議
1959(昭和34)年
4月10日 皇太子結婚の儀

▼~皇太子のこの欧州訪問の随行員として、美智子妃誕生の立役者クリスチャントリオ、小泉・三谷・黒木が揃います。さらに、吉田茂は、昭和天皇・今上と2人の皇太子による2つの皇室外交に関わった唯一の人物だったと強調しています。by***~

(中略)
もう一度、先の年表を見ていただきたい。10日に一度くらいの割合で昭和天皇に会っていた吉田 茂が、この皇太子外遊の年に小泉信三(1888-1966)に手紙を書き送っている。吉田と小泉は1942(昭和17)年からの知り合いで、信頼出来る友人同士にして互いのブレーン役を務めていた。小泉は皇太子外遊に部分的に同行し、一足先に帰国していたのだ。

この手紙は1953年10月4日に、吉田によって書かれている。外遊での皇太子の態度が感泣するほど立派だったと書きながら、それも皇太子の教育掛を務めた小泉らの指導のお蔭としている。注目すべきはその次で、皇太子の結婚問題に関する小泉の手紙を松平信子夫人に転送しつつ、熟慮を促したとある。

▼この前年、朝日新聞が1952年7月29日の朝刊に「御意思、十分に尊重 まず北白川、久邇家の順に選考」という四段の囲み記事を掲載し、皇太子妃を巡る報道合戦の口火を切った。ここに「悲劇の宮家」北白川宮家の名前が挙がっていたことを覚えておいてほしい。
(中略)

▼不思議なことに、この吉田の手紙は、天皇皇后両陛下の軽井沢テニスコートでの「初めての出会い」があった1957年8月19日より4年も前に書かれている。つまり、4年前の時点で既に小泉と松平の対立があったことを明確に示している。

▼旧皇族や華族以外からも皇太子妃の候補を挙げるという路線が決まっていたのだろうか。いやむしろ、この手紙が書かれた1953年10月4日の時点で、皇太子妃候補が或る程度絞られていたと考えるべきだろう。
(中略)

▼~1953年といえば、美智子さんは18,9歳。なんで15歳から竹山パーティー?の謎も解ける可能性が。by***~

▼吉田自らがこれだけ慌しく動いているところを見ると、恐らく吉田が北白川宮家を訪問した5月2日前後には、皇太子妃が正田美智子に絞られていたと推測される。そして、この3カ月後に、現在の天皇皇后両陛下は軽井沢で「出会う」ことになる。

▼結局、それは偶然でも運命でもなく、予(あらかじ)め吉田や小泉は、皇太子妃最有力候補として正田美智子に絞り込み、「テニスコートの恋」のシナリオが綿密に描かれていたのだ。新聞各紙の中で『吉田 茂書翰』にある小泉信三宛手紙の不思議に気付いて、内容まで紹介していたのは読売新聞だけである。それ(読売)にしても、軽井沢での「運命の日」以前であることの重要性については何一つ言及していない。
………………………………………………………………


▼華族の素晴らしいお嬢さまが、当て馬として引っ張りまわされるのまで同じですねぇ。

この頃は、まだ国家の為と思っていたのでしょうねぇ。
この明仁皇太子の欧州訪問の随行には、ロックフェラーのエージェントといわれる、山本正の父君も参加。クリスチャン護送船団の一員。

・・・・・・・転載ここまで

正田家の人々 前列右から貞一郎、二女・勅子、母・幸、三女・祐子、五男・篤五郎、妻・きぬ、四男・順四郎、後列右から三男・英三郎、長男・明一郎、義弟・卓治、二男・建次郎

きぬが、最初にヨゼフ・フロジャック神父により洗礼を受け、生涯熱心で活動的なカトリック教徒に。
英三郎は、皇后の父親です。

 

美智子さまの祖母きぬに洗礼を授け、美智子さまの入内を「会心の傑作」と喜び、
美智子さまとも面識があった様子の、ヨゼフ・フロジャック神父。

マッカーサーの「日本キリスト教国化政策」を検証した本です。
「陰謀論」として軽んじられ一蹴されがちなトピックを、膨大な資料を渉猟しつつ、
証明している、とおおむね高評価を受けている本です。
「天皇の国師」にも同様記述あり。

マッカーサーが、神道価値観を壊し、日本国民と皇室の洗脳の道具として(プロテスタント、カトリックを問わず)キリスト教を使ったのは、『日本占領と宗教改革』などの文献の他に、プレスコード、War Guilt Infomation Program(略称 WGIP)などが傍証として、挙げられるでしょう。

 

《皇室とカトリック年表》追加


1945(昭和20)年8月6日 広島に原子爆弾投下
8月9日 長崎に原子爆弾投下

1946(昭和21)年5月22日 第1次吉田内閣発足

1947(昭和22)年1月31日 パウロ・マレラ大司教、昭和天皇に謁見(えっけん)

1949(昭和24)年2月 パウロ・マレラ大司教、昭和天皇に謁見
7月30日 駐日ローマ法王庁使節フルステンベルグ Maximilien de Furstenberg(1904-1988)大司教、昭和天皇に謁見

1951(昭和26)年4月16日 ダグラス・マッカーサー Douglas MacArthur(1880-1964)、フリーメーソン帰国

1953(昭和28)年7月6日 皇太子継宮明仁親王(1933-、今上天皇)、ローマ教皇ピオ12世 Pius PP. XII(Maria Giuseppe Giovanni Eugenio Pacelli 1876-1958、ローマ教皇在位:1939~1958)に謁見
10月4日 吉田 茂、小泉信三宛書簡

1954(昭和29)年10月20日 吉田 茂、ローマ教皇ピオ12世に謁見

1957(昭和32)年5月3日 吉田 茂、三谷隆信(1892-1985)侍従長宛書簡
5月12日 吉田 茂、三谷隆信侍従長宛書簡

8月19日 皇太子、美智子軽井沢での「運命の日」

1958(昭和33)年11月27日 皇太子婚約決定の皇室会議

1959(昭和34)年4月10日 皇太子結婚の儀


■皇室二代のバチカン外交

1952(昭和27)年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効から僅か一年、戦後初の皇族の外遊が行われることになる。選ばれた皇族は、当時の皇太子継宮明仁親王(1933-、今上天皇)だった。1953年3月30日の横浜港。出発を前に、米国船プレジデント・ウィルソン号上で、皇太子は国民へのメッセージを発する。

50万人の人波に送られて横浜を出港した皇太子は、ホノルルを経てサンフランシスコに到着、トロントからニューヨークに入り、ここでジョン・D・ロックフェラー3世 John Davison Rockefeller Ⅲや、家庭教師を務めたヴァイニング夫人 Elizabeth Janet Gray Vining(1902-1999)と会っている。そして英国へ出航、以後フランス、スペイン、ドイツなどを歴訪、最後に米国に戻り、この時にフィラデルフィアのヴァイニング邸を訪れて3日間宿泊した。

約6カ月に亘(わた)る外遊で訪れた国は計14カ国。同年10月に帰国する。この14カ国の中にはバチカンも含まれていた。皇太子は7月6日に第260代ローマ教皇ピオ12世 Pius PP. XII(Maria Giuseppe Giovanni Eugenio Pacelli 1876-1958、ローマ教皇在位:1939~1958)に謁見(えっけん)している。三谷隆信(1892-1985)によれば、この時皇太子はピオ12世の自室に招き入れられ、後に第262代ローマ教皇パウロ6世となるジョバンニ・モンティニ Paulus PP. VI(Giovanni Battista Montini 1897-1978、ローマ教皇在位:1963~1978)の部屋にも招かれている。

戦後皇室外交の幕開けを担ったのは、現在の天皇陛下が19歳の時だった。この時、首席随員として選ばれたのは三谷隆信、カトリック信徒のヨハネ・パウロ松井 明(1908-1994、原子力委員会委員1971~1976)首相秘書官、吉川重国(きっかわ しげくに 1903-1996)式部官、黒木従達(1917-1984)東宮侍従長、戸田康英(とだ やすひで 1911-1977)東宮侍従、佐藤 久(-)東宮侍医長などであった。この中で三谷と黒木は、新渡戸稲造(にとべ いなぞう 1862-1933)と内村鑑三(1861-1930)に直接、間接に繋(つな)がるクリスチャン人脈に当る。

 

田中耕太郎  天皇皇后の出会いを設定、偶然の出会いを演出した者の一人として、軽井沢に居合わせた。
カトリック教徒。マッカーサー二世を通じ、アメリカにひれ伏していたことが
後に知れる。

この撮影者が田中耕太郎。 
皇后と親しい緒方貞子も写っているのではないか? と指摘する人たちもいます。
緒方貞子もカトリック教徒です。

緒方貞子は、女性天皇擁立の前提ともなりかねない女性宮家創設のため、
皇室典範変更をはかる、「有識者会議」のメンバーでこの時は、女性宮家
OKの結論でした。その後安倍政権に戻り、ない話になったわけですが、
両陛下の「憲法護持」の立ち位置と合わせて、お二人はアンチ自民・アンチ
安倍政権でしょう。(憲法護持を仰るその政治発言自体が、憲法違反ですが)
有識者会議に、女性宮家に賛成であるに決まっていて、しかも皇后陛下と
親しい緒方貞子を入れ込むなども、アンフェアなやり口でしょう。
どなたの采配かは存じませんが・・・・・・。 

・・・・・・・・・・・・・・

当記事は転載メインでBB発言は、参考画像に添えただけですが、最後に。

雅子妃のだらしなさと、いかがわしさから目を逸らしたいだけの目的での
皇后陛下批判、皇室解体論者の皇室批判と峻別をお願いします。
それらの人々の相乗りは迷惑です。

根底に日本大事の思いがあり、皇室の必要性を知った上での発言であるかどうか
見極めてくださいませ。

転記ここまで。



「天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?」大切だから、保存します(25)。BBの覚醒記録より

2017年09月01日 | 皇室
    • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

      「BBの覚醒記録」が凍結されています。

      ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

      ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

      私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

      日本人が、日本人であり続けるために。

      ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

    • この年(平成27年)の夏は、めっぽう「熱い」ですね。

    • BB様の、やむにやまれぬお気持ちが、直に伝わってくる、重要な文章が目白押しです。
    • 今回は、「天皇論」「日本論」「日本人論」としても、読み応えたっぷりです。
    •  以下、転記。

  • 天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?(初出08/21/15)

 

BBの天皇陛下批判に対して、興味深い投稿を頂いたのでそれにお応えする形でいささか拙論を述べてみたいと思います。

「不敬」の一言で、現在の天皇皇后両陛下及び皇太子の国を損ねかねない
左傾化に対して、それを直視できない保守は愛国の轍を外れたエセ保守である、というのがBBの主張です。

それに対して、思考停止の保守連中の感性は「不敬である」とその一言で論説そのものを拒絶してしまいます。新興宗教の教祖が否定された時の、脊髄反射と似通うところがあります。ものの理非曲直の次元ではなく、教祖に対しての言挙げ自体がいけないのです。

しかし「なぜ、いけないのか」という質問に答えられる者はいません。
いけないのだから、いけないのだ、ということでしょうか。もはや理性の介在する余地はなく、思考として健全な状態にあるとは言えないでしょう。

不敬と、パブロフの犬的に口にする人たちは不敬の定義を承知でしょうか?

不敬行為とは、客体に対する軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為を指すとされています。

正当な批判が、上記に該当するかどうかが判断の別れめでしょう。
まず、侮蔑には端的に該当しませんね。批判と侮蔑をごっちゃにするレベルの人達は論外です。尊厳を害するかどうかが、決め手でしょうが明治大帝にご意見申し上げていた忠臣がいて、明治大帝はそれを排除なさっていません。
正統な批判とは何か。天皇に国を害する言動ある時である、と一応して良いと思います。

歴史を見れば、島流しにあった複数の天皇は国への謀反で流されています。

戦前は侮蔑と尊厳を害する行為に加えて、現人神否定も不敬とされていました。

おそらく、問答無用の批判否定派は、現人神として崇める感性をいまだ引きずっているのかもしれません。しかし、天皇自らが神聖については否定されました。それを受け入れぬ感性の者達がいるとしても、それならそれで、神が憲法論をなさるなどあるべきことではないでしょう。

天皇ご謀反に該当する歴史は、大化の改新、薬子の乱など複数あり少なくはありません。近くは後醍醐天皇による元弘の乱、有栖川宮熾仁親王による江戸政権への反乱があるでしょう。

暗殺や入水という自殺以外に、死罪になった天皇はいませんが死罪につぐ流刑になった天皇は何人もいます。

第47代天皇、淳仁天皇が淡路国に流されたのをはじめとして、第96代の 後醍醐天皇まで6人。親王は、4人計10人います。

現在の保守が思い込んでいるほど「不敬」の定義が昔から存在していたら、流刑などということ自体がなかったでしょう。不敬、不敬と錦の御旗のようにいうほど、不敬は確立された概念ではないことは、解るでしょうか?

不健全な天皇が現れた時は、廃して来たから現在の皇室があります。

皇太子への不敬も同じく、批判どころか皇太子の器にあらずと判断されれば、排せられていたのです。廃太子の例も複数あります。

歯止めが何もなく、緊張感と自浄機能を完璧に失っているのが現代なのです。そして、ペリリュー島慰霊で端的に分かったのは、天皇の意志が内閣のそれを上回るということで、これは大変危険です。天皇が自虐史観ベースの左傾化思想を抱いている場合は、とりわけ。

皇太子もまた、内閣の判断を仰がずして、こともあろうに「人民解放軍賛歌のオペラに出かけ、習近平国家主席の奥方でありかつ人民解放軍の高官でもある、 彭麗媛(中国人民解放軍総政治部所属・少将)に接触しています。

このままでは、憲法上は象徴と謳われながら実質、天皇が君主の位置へと少しずつ近づいて行きかねません。韓国に謝罪に行きたい、から「行く」という意志に転換されるまでの、道のりはさほど遠くないかもしれない、といえば拙ブログ主の抱く危機感と、そして批判という形で多少でもブレーキを引かねばならぬ、という主張を解って頂けるでしょうか。

天皇皇后という個人批判の前に、GHQがさまざま仕込んで行った皇室弱体化のウィルスがまだ強力に生きています。そして戦勝国が望んだ弱体化が、今上から皇太子とつらなる形で成就しようとしています。そのような「構造としての」皇室問題を俯瞰で見る視力を持たぬから、不敬の一言で足踏みしてしまうのです。

むろん、皇族なかんずく天皇陛下に対しては、いっさいの批判ならず、という枷の必要性を全く解らぬわけではありません。いったんそれを許すと、神聖であるべき何かがズルズルと崩れ落ちていく、その構造は解っています。
しかしながら上記述べたように、皇室が自浄作用の機能を喪失、また国家が制御するブレーキが効かぬ状態になったら、是正できるのは民の声だけです。

国滅びて、何の天皇ぞ。

天皇は天皇という地位にあるがゆえに尊いのではなく、天皇という地位にふさわしい孤独と厳しさを背負いつつ、無私であられ国と民の安寧豊穣を祈られるから、民の魂もその無私という神の境地に感応して、尊びます。

それが私心による、政治観歴史観を持たれ、それを発信なさるようになったら、天皇としては逸脱です。それが、天皇のみならず、ふと民が気づけばいつしか、あろうことか皇后が自身の思想信条を述べる如き状態になっています。

あからさまにはさすがに、おっしゃらぬもののGHQ元メンバーへの賛意表明と賞賛他などにより、憲法護持派であることの表明。男女同権思想を宮中に持ち込まれ愛子天皇画策。男子一系を壊すことがどういうことか、お解りになっていない、ということは、かくも長きに渡り、皇室とは何か解っていない女性が皇太子妃、皇后を務めていらしたということになります。慰安婦問題もどうやら、日本に非があると思い込んでいらっしゃるようです。

民の支えありてこその天皇です。民の心が離れれば、天皇はより只の人間へと堕して行かざるを得ません。そういう意味では天皇を創るも民、滅ぼすも民でしょう。批判いっさいせぬ姿勢こそが、皇室の滅びへの道の引き金になるケースもあります。皇室廃絶論者は別として、現在の天皇皇后両陛下、皇太子殿下への批判を口にしている人たちは、皇室大事だからこそ物申しています。

コメ欄に、面白いご意見を頂戴しました。保守層が天皇陛下のこのところの逸脱に対して見ぬふりしているのは、「承詔必謹」が日本人の民族的潜在意識にあるからではないか、と。

承詔必謹(しょうしょうひっきん)。 読み下せば「詔(みことのり=天皇のお言葉) を承れば必ず謹め」であり、聖徳太子の十七条憲法の第三条にあります。

日本人のDNAに刻印されているのは確かにこの承詔必謹でしょうが、しかし往時の天皇は権力、性となまなましく民も内情は承知で、現在ほどの崇め奉りはなかったのではないか、と思います。

天皇を神とする現人神(あらひとがみ)の概念は、柿本人麻呂の歌「皇(すめろぎ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上に廬(いほり)せすかも」
他に見られるように、万葉の時代からありましたが、ここ近年のような神聖化は、第一次第二次大戦時に必要に迫られての国家的煽りもその理由ではなかろうかと思われます。ここまで至高の存在として仰いでいるのは、大戦時からというのが拙ブログ主の仮説です。

古来日本の神々はおおらかで、謹厳実直ではありません。現人神も同様に、民はさほどの倫理を求めてもいなかったと思います。ある種の清潔感をも添えて崇め奉り始めたのが、どうも日清日ロ前後、日本が外国を意識、国の束ねをより必要とし始めてからではないかと思われるのです。

でないと、天皇流刑がそれまであった理由が解りません。死刑の次に厳しい処罰を「神」に与えることはないでしょう。現在のような凝り固まった「不敬」連呼保守はいなかったのでしょう。

しかしながら、日本人のDNAの奥深く「畏れ」が刻印されていることは事実です。それはおそらく、「無私であらせられ、ひたすら国家と民のために祈る」祭祀王だからではないでしょうか。祭祀王としての則(のり)から離れられ、政治発言などなさるようになった現状が果たして、天皇のあらまほしきありようでしょうか。

宮中内の神事の厳格なこと、いまだに神官と巫女たちが古代の祈りを引き継ぎ、明け暮れ神事に暇(いとま)無く、火鑽(ひきり)で熾(おこ)された神の火である忌み火は消えること無く連綿と燃え続けています。

 宮中にあまたの神官あり 【転載ご自由に】

国民が真剣に向き合いたい現実 断絶の危機 古神道 日本の精神的背骨

私心なく粛々と営まれる祭祀こそが、天皇の天皇たるゆえんであり、raison d'être(存在意義)であり、日本国のIdentity (自己同一性)です。

国事も公務も祭祀ありてこその二義的な些末事です。

 

順徳天皇の「禁秘御抄」にいわく、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」

皇居の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけても、あのよく治まった延喜、天暦の世が、なつかしく、いくらしのんでもしのびきれないことだ。

お住いも五十六億円をかけられた現在の豪邸ではなく、古びたところにお住まいになり、一心に祭祀に務められていたのでしょう。

この頃の天皇の感性は、天変地異も我が身の不徳、と御身に引き受けていらっしゃいました。

その上で天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬ。あらゆる公務に先行して、神事を行うべし、と。

これに根こそぎ違背していらっしゃるのが、皇太子と皇太子妃だということもあり、厳しくご批判申し上げてきたわけですが‥‥‥‥・祭祀を疎かになさると、皇室の皇室たる理由の喪失です・・・・・

このところ、天皇陛下の祭祀が心もとなくなりつつあり、体力のしからしむるところかと拝すればしかしながら、巡視艇を宿に改造なさりパラオにまでお出まし。慰霊を否定するわけではありませんが、肝心の祭祀を短縮、放置なさってまで行かれるのは本末転倒でしょう。しかもお膝もとの靖國神社は知らんぷり。コンサート他のお出ましも、ひんぱんです。

英霊は「靖國で会おうぜ」を合言葉に散って行かれたのですから、まずは靖國神社です。せめて「訪れたい」という意思表示をなさって頂きたく存じます。それをあろうことか、「韓国に謝罪に行きたい」

現人神ではなくなりましたが、それでも天皇が靖國を訪れれば、それは参拝とはならず「親拝」と称されます。なぜなら天照大御神のご眷属がご先祖を訪ねられ相まみえられるということなのですから。

「不敬」という思考停止保守の言葉をそのまま返すとするなら、祭祀疎かになされる時からそれは日本の神々、そして皇祖神たる天照大御神への天皇と皇太子の不敬です。それは解るでしょうか。

昭和大帝が愛でられ、また保存を強く望まれていた森を崩御されたとたん、伐採して華麗な住まいを建てるなど、それこそが昭和大帝への不敬ではどざいませんか?

神道に精神性の基礎を置くものなら、先帝のご意志に背いて自らの住まいのために草木をなぎ倒し、動物、鳥達を追い出しての豪邸建設には躊躇があるはず。まして住まいは従来の建物があるというのに。

天皇陛下がお話になっている間、皇后陛下の低頭が宮中のしきたりですが、皇后陛下はそれをおやめになり、これもあからさまなまでに昭和大帝崩御の後です。

そして天皇の半歩ほど遅れ気味に歩くことも、並ぶ場合も適切な距離を保つことも、皇后陛下の代でやめられ、今はぴったり今上陛下と密着、あまつさえ袖や腕を掴んでの杖代わり、どうかすると天皇より先に立って歩かれます。

皇后陛下が、その思想的感受性を土井たか子、元GHQのベアテ・シロタ・ゴードンと同じくするお方です。それゆえにこそ、自らを天皇と同格に扱い、また女帝を望まれもします。現在の皇室内ヒェラルキーにおいて、実質的頂点は皇后陛下なのではありませんか?

自称保守のいう「不敬」とは何でしょうか? 皇后の、昭和大帝への、そして今上陛下へのお振る舞いは不敬ではないのですか?

神事受け継ぐ器量も能もなき皇太子放置も、皇祖神への不敬ではありませんか? ヤフオク問題放置はなかんずく。

この国から天皇陛下ご親修の神事が絶えた時、国は乱れ形を崩します。天皇家の伯家神道の口伝の中に、厳しい予言があります。

「祝(ハフリ)の神事を行わない天皇が百年続くと、日本の国体は崩壊する」

神事をなおざりにして、いったい何の慰霊でしょうか。出かけられれば、予定として発表されていない韓国人の慰霊碑を、ゲリラ参拝される。これが天皇皇后両陛下のあらまほしきお姿ですか? 公式ではない韓国人の慰霊碑参拝は、政治的意味を強く帯びます。これはサイパンでの出来事でした。

我が国最大の巡視艇「あきつしま」をあろうことか、バリアフリーに改造、手術室まで作らせ、一泊だけの宿にお使いなさる。これが正しい姿ですか?
戦闘用に設計された船を老夫婦用の手術室付きホテルに改造、それをまた巡視艇の機能回復させるため、宿の部分を壊してまた改築です。

オペ室をしつらえたからには、それなりの医師と助手、看護師たちも引き連れての大旅行でしょう。内閣の要望に逆らってまで、大金を使い、また祭祀をないがしろにされつつ、出かけられることでしょうか?

宿に使われた船は、改造、そして復元の期間を入れると、少なからぬ日数、日本の海の守りから引き離されたのです。尖閣が日増しに危機にさらされ、それゆえ安倍政権が安保法制案を支持率を下げてまでも急いで成立させようとしている、こんな時期に! 

あきつしまが日本の領海を留守させられている間に、尖閣に民間船の難破を装った人民解放軍の上陸があったら、陛下はどう申開きなさるおつもりだったのでしょうか。中華人民共和国の「国防動員法」をご承知での、あきつしま宿改造でしたでしょうか。

防衛の軽視、無視も共産党はじめ左翼連中と軌を一にする部分です。天皇陛下、皇后陛下がそれでよろしいと、自称保守の人たちはお思いでしょうか?
天皇ご謀反をお止め立てする機能が今日本にはないのです。国民の声以外には。内閣すらお振る舞いを止め得ぬことが、明らかになりました。

天皇批判を保守分断とする見方があり、しかし現状を等閑視すれば皇室、引いいては日本の国体を危うくするとあらば、黙して語らず破れ船を承知で乗り続けるか、浸水に警戒と対策の声を上げるか、2つしか選択肢はないでしょう。

そして、批判を選んだ保守たちの脳裏にあるのは秋篠宮両殿下のご存在です。お二人なかりせば、むしろ批判派の保守も口をつぐむでしょう。

在日の反日運動家辛淑玉は、こう言い放ちました。

「朝鮮人は祖国へ帰れ、というなら天皇を連れて帰るよ」

この発言に対して、自称保守は憤るわけですがしかし、発端は天皇陛下のご発言であることを、見ようとはしないのです。責めるべきポイントを外しています。現実に向き合えないのです。責めを負うべきは辛淑玉ではなく、そう言わせた陛下なのではないですか?

 

「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております」

歴史的検証を加えれば、天皇が朝鮮人である、とはなりません。しかし問題点は「そう言われても仕方のない」あるいは「言われることが解っているのに」そのような発言をされた、ということでしょう。

現在韓国では「天皇の先祖は朝鮮人」はもはや定着してしまっています。

しかも、半島から貰った文化のみをおっしゃり、日本が上げた様々の文化と富には触れず。遣日使の存在もご存知ないし、ご進講する人もお教えしないのでしょう。

仏教を伝えた、は間違いではありませんが、このおっしゃり方だと、あたかも仏教の恩恵に日本が浴したのは朝鮮半島のおかげであるかのようです。
あくまでも中国仏教が通ってきた道筋でしかありません。それに南伝仏教は半島から来たわけではありません。

仰ってはいけない言葉というものがあります。朝鮮人と言われることが解っていることを、おっしゃらないでください。歴史や外交にご意見をおっしゃらないでください、という民の声が不敬ですか? なぜ?

質問は常に前もってお手元に届きます。その段階でお答えをしない選択は出来るお立場です。

覆水盆に返らずで、天皇の祖先は朝鮮人発言は今更取り消しようもなくそのことじたいを蒸し返すというのではなく、この発言に関しても単なるリップサービスを本気にするバカな韓国人と、批判の矛先を他へ向ける保守の愚かさと、ある種の卑怯さ、ある種の怯懦さを言いたいために、記しました。

このご発言の責任は天皇陛下にあります。そこをきちっと、けじめをつけないと繰り返されます。そして皇族の無責任放言が伝統として、皇室に伝わりかねません。

思えば、正田美智子嬢入内の頃から皇室が激変しています。全てが皇后陛下のせいではありませんが、ファッションをとっかえひっかえ、祭祀より皇室の伝統より、女優のようなそのお振る舞いが皇太子よりスポットライトを浴びるようになってから、皇室の本来の御役目から遠ざかって来た気がします。存在感は美智子さまのほうが増して、今や女帝でしょう。もはや目に見える形で、天皇陛下を従え、影響力をふるっていらっしゃいます。

そして現在皇后陛下は「A級戦犯」ご発言、GHQ元メンバーへの賛辞、遠回しながら憲法護持発言、愛子さま天皇を視野においた女性宮家の設立を、ここでも安倍内閣にアンチでご主張。有識者委員会にご自分の手のものを送り込むごときこともなさいます。ウィリアム王子来日の折も、王子の意向を蔑ろに秋篠宮家との接触を阻み、溺愛の東宮とその妃にスポットライトが当たるように細工をされたことも、情報網により明らかです。

自称保守の皆さまは、男子一系を切って、女帝擁立に賛成なのですか? なぜそのような動きがいまだ根強くあることを、黙って見ているのでしょう。首謀者が皇后陛下だから、そして天皇陛下がそれに何も言われてないから、民が言うのは不敬だからですか? 不敬という言葉のもとに全ては許されるのですか? また天皇皇后の昭和大帝への無礼は不敬ではないのですか?

皇后陛下のお望み通り、愛子さまを天皇として立てると、その伴侶の男が皇室の実権を握りますよ? 隠れ天皇として。出自ロンダリングした上で、創価や中韓の男である可能性すらあります。それすらご批判申し上げるのが不敬というなら、不敬とは日本・皇室弱体化を狙う勢力には甚だ便利なキーワードですね。

まっとうな思考への麻酔銃が「不敬」という言葉です。

また、雅子妃を皇后陛下と本当にあなた方は呼べるのですか?

ついに小和田家【出自】の秘密 《水間氏の意向により全文掲載条件でネット転載可》

 

おそらく・・・・秋篠宮殿下は全てを解っておいでで、そこで悪しき連鎖は断ち切れるとは思っています。

断ち切れるなら、なぜ批判を続けるか? 秋篠宮殿下の代でいきなり体質変化は無理だからです。今、悪しき体質は陽のもとにさらすことが、次代の正しい皇室の有りようにつながります。また、民が事実を事実として直視する目を養っておかないと、また同じ愚をいつか繰り返します。

慰霊祭における天皇陛下の「反省」の一言も敢えて申せば「越権」です。時の内閣総理大臣が言葉を選びに選び、腹をくくって発信したあの実は村山談話否定の、そして謝っているように見せかけてその実、詫びてなどいない安倍談話を国民の眼前で一言で崩してしまいました。

解っている国民は影響は受けませんが、安保法制案を理解しない層はそのまま受け取ってしまうでしょう。大変な罪です、敢えて申せば。海外にもエンペラーの放った「反省」の一語は、即座に発信されました。

反省がなぜよくないか? まず英霊に対して失礼です。そして韓国、中国とろくでもないことをしでかしていて、反省も謝罪もしていない国を相手に、日本だけ反省するのは中韓肯定の日本否定で、片務的だから。不公平だからです。そして、一国の総理の談話否定です。

大東亜戦争の終結は、全てが敗戦だったわけではありません。良きものをもたらした側面はありその面では勝ち戦でした。白人の有色人種奴隷化がそこで絶え、明らかに世界史の流れが大きく変わったのです。変えたのは日本です。

皇室批判として出せる膿は出すのがよいのです。その後で秋篠宮殿下が収拾に当たられつつ地ならしをなさり、そして、悠仁親王殿下の御代に日本は整い始める。そのように考えています。

と言うとおそらく、来るであろう反論の一つは「秋篠宮殿下が、今上陛下や皇太子と同じレベルだったらどうするのか」ということでしょう。
それはないと思いますが、仮にあったら、現在と同じく抗議の声を上げ続けるまでのこと。皇室廃絶とは思いません。なぜなら、ローマ法王とエリザベス女王と肩を並べるプロトコル上の世界における極めつけのVIPは天皇陛下であらせられ、その位置はやすやすと手放すべきではないからです。

日本では政治家が長期にとどまらず、スターが出ません。その点皇室は揺るぎありません。

それもあり少々綻びがあっても皇室は存続すべしという意見ですが・・・・出来るだけあらまほしき形で存続して頂きたいのです。

ただ、内閣の意志を天皇が凌駕し始めている今、皇室の自虐史観ベースの左翼思想放置は危険です。

天皇あっての日本なのか、日本あっての天皇なのか。おそらくは不即不離。一方が病めば、もう一方も立ち枯れます。

 二言目には「不敬」で脳細胞壊死する自称保守の人たちは、現在の皇室のていたらくが、GHQの仕組んだレールの終着駅であったことを、思い知るべきです。

天皇皇后批判は、実はその背後にある、日本と皇室の弱体化を謀った戦勝国施策なのだと、なぜ理解できないのでしょうね。

赤い天皇皇后として後世に名を残されぬよう・・・・ 【転載可】

日本を損なう天皇皇后両陛下の反日自虐史観 《転載可》

資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

皇室と異教カトリック

コメ欄より拾い上げた「仮説」 テニスコートの出会いは作られていた?

 備考 天皇 パラオでの海上保安庁巡視船船長室宿泊はご自身の意向http://www.news-postseven.com/archives/20150401_312781.html 

【神風特攻隊】自国の危急存亡に際し、身を捨てて立ち向かう犠牲的愛国心を持って欲しい─特攻 最後のインタビュー1

 

今上陛下は「反省せよ」と先の戦争と英霊を貶め、皇后陛下は「A級戦犯」と唾棄なさり、日本弱体化の占領軍憲法を作ったGHQの元メンバーを賛美、皇室に薄っぺらい男女同権主義を持込み、女性宮家の創設と愛子天皇擁立に妄執を燃やされる。男子一系を壊されるというなら、結局皇后陛下は皇室の何たるかをついにお解りでないまま、晩年をお迎えになりつつあります。

顔向け出来ますか? 昭和天皇に、英霊に。

 

【神風特攻隊】自国の危急存亡に際し、身を捨てて立ち向かう犠牲的愛国心を持って欲しい─特攻 最後のインタビュー1

2015年7月16日 JR福島駅をたち、那須御用邸に向かわれる天皇、皇后両陛下=16日、福島市

主権回復の日の、「天皇陛下バンザイ!」がお気に召さず不機嫌な皇后陛下。

 

 

転記ここまで。