ひげ坊主の散漫な日常

アラ還オヤジのとりとめない日々を、独断と偏見のみで、気ままに書きます。なので、すべて個人的感想です。万端、悪しからず。

「昭和天皇の御心」大切だから、保存します(42)。BBの覚醒記録より

2017年10月13日 | 皇室

前回に続き、「天皇とは何か?」と言う、

日本人であることの、究極かつ本質的意義と意味を見いだすよすがになるでしょう。

 

 

以下、転記。

    • 「昭和天皇の御心」(初出05/28/13)

 

                        

 

大阪産業大学の井上寛康准教授の、昭和天皇へのオマージュが
天皇という存在意義を明確に語っているので引用します。
青文字強調はブログ主の任意。【  】でくくった箇所がブログ主の個人的心情です。
というより余りにも昭和天皇の御心より遠い皇太子と妃殿下への批判です。不快な方は読まないでください。

「皇室は日本の宝」 井上寛康

昭和天皇は生まれながらにして天皇であられた。
私心というものがなく、いつも我が国の繁栄と国民の安寧を御心にかけておられた御方である。

【この私心がないというのが天皇の条件であるが、人格がどうのプライバシーが
どうのと言い立て、口にする主語は「私が」「雅子が」「愛子が」。
「国が」「国民が」主語になった、ためしなく、あるは私心のみ。】

台風や地震で災害を蒙った県知事などが上京すると必ず皇居に呼び、被害の状況や復興の様子をお訊ねになった。
大東亜戦争で戦死した兵士やその遺族に対する敬意を忘れず、靖国神社親拝の御意向をお隠れになるまで持ち続けられた。

【終戦記念日に那須でテニスに打ち興じ、花火見物を楽しまれる皇太子ご夫妻。
秋篠宮殿下は、今上殿下の提唱される「忘れてはならない4つの日」、
広島、長崎、終戦記念日、沖縄戦終結の日には、旅先であられても黙祷なさる。
皇太子ご夫妻は、今上陛下の提言も無視。】

戦後、御自ら全国巡幸を発表された。

「一日も早く全国をまわり、一人でも多くの人と語り、すこしでも広く歩いて、なぐさめたりはげましたりしていきたい。日本の復興は一重に国民の力によるものだから、一人一人によくたのんでこなければならない」と仰せになって、昭和二十一年二月からお始めになられた。

適当な宿泊所がなければ校舎や客車に御休みになった。
陛下は沿道の人々の歓迎に応えるため御召列車の中で殆んど立ち続けておられた。

陛下は人が見ていても見ていなくても真心をもって国民に接せられた。

大好きな相撲も国民がこの時間は働いているからと仰って、五時を過ぎなければ決してテレビをおつけにならなかった。

【皇太子ご夫妻は働いている国民たちの車を遮断して、白バイを先頭に
貸切のスケートリンクや、貸切東京ディスニーランドに雅子妃の妹まで
伴ってお出かけ。】

このような御方であったから、大東亜戦争終戦のとき陛下の御命令一つで過激将校は矛を収め、陛下を裏切る重臣は一人もいなかった。

マッカーサー連合国総司令官も一度の会見で昭和天皇に敬服した。

我が国の天皇は、威厳と徳をもって立つ君主である。

他国の君主は人民の中から武力で上がり詰めたので、わが身を国民から守るために堅固な城に住んだ。 それに比べ京都に残る御所は無防備な宮殿に過ぎない。

現在まで125代連綿と続く万世一系の皇室は国の始まりから君主であり、武力に依らず威厳によって皇統が維持されてきた。

絶大な権力を掌握した武将たちも決して天皇に取って代わろうとはしなかった。

天皇を国の中心に戴く我が国は、中国大陸における王朝の交替時のように人口が何分の一にも激減するような凄惨な闘争は生じなかった。

世界に類のない穏やかな君民一体の統治体制を造り上げて来たのである。

明治天皇、大正天皇、昭和天皇そして今上天皇が第一に御心に掛けておられることは皇祖皇宗への真剣な祈りである。

【それを忌避なさっているのが皇太子ご夫妻である。】

元旦の四方拝から始まって年に二十数回の祭祀を自らなさる。

天皇陛下は籾を播き、苗を植え、刈り取った稲を皇祖皇宗にお供えなさり、皇后陛下は蚕を御手ずから育てて神々に捧げ、国民を代表して国の繁栄をお祈りされている。

【皇太子が籾を播き、雅子妃が養蚕をなさるだろうか。それが神に捧げ国の繁栄を祈る行為なのだと心得ていても・・・さて?
天皇皇后に即位されたら、人任せならまだしも、意味ない因習として宮中内の神事を省き簡略化、ついには消失させそうな怖れ。

このようなお二人に何も期待はしていず、深いあきらめと憤りがあるばかりだが、悠仁親王の代まで、正しき神事が保たれぬこと、それを恐れる。】


伊勢の内宮の御祭神である皇祖天照大神は天皇家の御祖先であるが、国民もまた伊勢の神宮にお参りする。
国民が君主の御祖先にお参りすることなど、外国にはない。

【三重県に山歩きに赴かれても、式年遷宮の伊勢神宮にはお立ち寄りすらなさらない皇太子。雅子妃に至っては、いずこの鳥居もくぐらぬ。秋篠宮殿下は、海外の眞子さまを除き、幼き悠仁親王とご家族を伴い、ご参拝へ。】


君民一体となって国の祖先をお祭りし国の安全と平和で豊かな暮らしを祈って来た。
これが我が国の国体である。

【天皇の祈りによって成る国体なら、皇太子皇太子妃の天皇皇后即位で、解体される】

今上陛下は神々への祈りや英霊の鎮魂に取り分け熱心であられる。

遥か神代の時代から受け継いで来た豊で幸せなこの国を、子々孫々に伝えたいと切に願っておられるからではなかろうか。

【祭祀行わず、神社訪れず、終戦の日にお遊びにふける皇太子ご夫妻の代で祈りも鎮魂も絶える。遥か神代の時代から受け継いできた、豊かなものも。】


昭和天皇古希の御製

 よろこびもかなしみも
   民と共にして年はすぎゆき
     いまはななそぢ


このような天皇を持つわが国は幸せである。

【よろこびもかなしみも 
   民と無縁に年はすぎゆき
    いまは五十路過ぎ

このような皇太子を持つわが国は不幸せである。】

井上寛康

大阪産業大学
経営学部
准教授

井上寛康氏の文章の合間に、私情を差し挟み、汚したことをお詫びします。
それでも、文章の平明な素晴らしさはみなさん、お分かりだと思います。
そして何心なく書いた昭和天皇への賛嘆文が、筆者の意図を離れ、そのまま東宮批判に
転ずることも。

 【備考】三島由紀夫と石原慎太郎との対談

石原氏を拙ブログで取り上げるときはおおむね、肯定的側面で取り上げますが
全肯定しているわけではありません。その言やよしとするところと、
誤った認識に基づく否定すべき意見が混在しています。
国護る意識、誇り護る意識はあれど、日本という国家を維持するための皇室という
認識は希薄なようで、五輪誘致に皇太子を利用しようとしたあたりに、意識の低さが
うかがえます。

・・・・・・・・・・・・・・・

三島由紀夫
「石原さん、守るべきものの価値について、今日は話しましょう」

石原慎太郎
「戦後の日本の政治形態があいまいだから、守るべきものが見失われた。僕は、やはり自由だと思いますね。

三島
「自由にも、沢山自由があり、どの自由を守るのですか?左翼も自由を叫ぶでしょう。」

石原
「言論や表現の自由を含む全ての自由ですよ」

三島
「自由とか民主主義などは、政権が変われば変化するものでしょう。そうではなくもっと根底にある命をかけても守るべきものですよ。自由の為に石原さんは、死ねますか、僕は、死ねない」

石原
「では、三島さんの最終的に守るべきものは、何ですか?」

三島
「最後に守るべきものは、三種の神器ですよ」

石原
「また、わけのわからない事を言う、三種の神器って何ですか?」

三島
「それさえ知らないのかい。それは、宮中三殿だよ」

石原
「益々わからない話だ。宮中三殿って何だい?またそんなわからない事を言う」

・・・・・・・・・・・・・

以下、三島由紀夫の皇室論

私見によれば、祭政一致的な国家が二つに分離して、統治的国家(行政権の主体)と祭祀的国家(国民精神の主体)に 分れ、後者が前者の背後に影のごとく揺曳してゐるのが現代の日本である。近代政治学が問題にする国家とは、 前者にほかならない。ところで自由世界の未来の国家像は、ますます統治国家がその統治機能を、自治体、民間団体、 企業等へ移譲し、国家自体は管理国家としてのマネージメントのみに専念し、言論やの自由は最大限に容認し、 いはばもつとも稀薄な国家がもつとも良い国家と呼ばれることにならう。そこでは時間的連続性は問題にされず、
通信連絡、情報、交易の世界化国際化による空間的ひろがりが重んじられる。スポーツや学術をはじめ、多くの領域で 世界国家的イメージが準備される。事実このやうな管理国家は世界連邦たるべきものの胎児なのである。

これを支配する原理は、ヒューマニズム、理性、人類愛などであり、非理性的ないし反理性的なものはきびしく 排除されるロゴスとしての国家である。 

一方、祭祀的国家はふだんは目に見えない。ここでは象徴行為としての祭祀が、国家の永遠の時間的連続性を保障し、 歴史・伝統・文化などが継承され、反理性的なもの、情感的情緒的なものの源泉が保持され、文化はここにのみ 根を見いだし、真のエロティシズムはここにのみ存在する。このエートスとパトスの国家の首長は天皇である。
ここでは濃厚な国家がもつとも良い国家なのである。
さて統治国家を遠心力とすれば祭祀国家は求心力であり、前者を空間的国家とすれば、後者は時間的国家であり、 私の理想とする国家はこのやうな二元性の調和、緊張をはらんだ生ける均衡にほかならない。
私はこの二種の国家をつきつけて、国民にどちらの国家に忠誠を誓ふか、決断を迫るべきであると思ふ。

【まことに分かりやすい天皇論であるけれど、皇太子と皇太子妃の有様を見、
お二人が即位された時、この格調高き皇室世界観は無理。
同じく、憲法改正論者たちの、帝国憲法回帰の主張も、このご夫妻を
前提にすれば絵空事と帰す。三島由紀夫存命なら、現在の皇太子と皇太子妃の、ていたらくを、どう書くだろう】

いふまでもなく真にナショナルな自立の思想の根拠は、祭祀的国家のみにあり、統治的国家は国際協調主義と 世界連邦の方向の線上にあるものである。
そしてその忠誠の選択に基づいて、自衛隊を二分したらよいのである。このことは現憲法下でも法理的に可能である。

【ところが、その将来の祭祀の長たる皇太子がその妻とともに祭祀を忌避、
新しい公務の形とやらで、どうやら「世界連邦的」見地から、お考えの様子。】

以下三島由紀夫
「自由と権力の状況」より

そして天皇の伝統が絶たれた場合にわれわれの祖先代々の文化の全体性が侵食されてしまふからこそ、それを 守つて戦はねばならない。

【今まさにその文化の全体性を侵食しつつあるのが、皇太子と皇太子妃自身であるがゆえに、ご批判申し上げている。】

そのためにはやはりいまの憲法下でも、非常に制約があるけれども陛下があるときには 自衛隊においでになつて閲兵を受けられることも必要であらう。
あるひは国の名誉の中心として文武いづれの名誉の中心も陛下であられるといふかたちをなんとか新憲法下でも くつていけることができるんぢやないかと考へるのである。

【帝国憲法復活派の意見を見るときも思うのですが、現在の皇太子と雅子妃とが天皇皇后なら無理。皇室が一種の様式美だということはわかるけど、お二人は限度を超えてます。とりあえず、妃の精神病を含んで国の名誉の中心、文武の中心は無理。三島さんも、この皇太子夫妻の登場だけは予測していなかった。しかし、皇室と国のタガの緩み方の延長線上に出るべくして出た皇太子夫妻だとも言えるかもしれない】

【付記】

週刊現代にコメントを寄せた識者たちへの反論

 ●(外務省関係者)オランダ訪問は大成功。雅子様の美しさと英語力は高評価。もっとたくさん海外公務を。

 【さすが池田大作の息がかかったのが多い外務省。日本国の妃がシャネルのスーツにエルメスのコートで海外へ。日本の民族服すら着ず、襟元をファンデで汚した古臭いローブモンタントはあちらでも不評さくさく。公務より両親と会っていた時間のほうが長い。英語力が必要な場なんて皆無だったのに、しらじらしい!隣の皇太子と私語は交わしっぱなしだったけど。 雅子妃が美しい、と報道されたと日本では伝えられているので、随分あちらの報道をあたってみたけど皆無。70歳のお婆さんみじゃあるまいし、とか揶揄や侮蔑はあったけど 】

 

●(宮内庁関係者)雅子妃は帰国後だるさと微熱を訴えて数日寝込んだ。オランダ行きは小和田恒氏の個人的画策。宮内庁は蚊帳の外。

【宮内庁が一番正直で外部が、かばうための大嘘をつきまくるって】

 ●(香山リカ)雅子問題は転職のミスマッチ。合理主義者は祭祀に意義を見出せない。

 【擁護にも解説にもなっていない。日本中で宮中ほど祭祀が重んじられているところはない。承知で入内したはず。知らなかったというなら、ほとんど頭脳の程度を疑う。出入りしているうちに、自ずとわかるはず。宮中自体が神域の作りになっていて、数多くの神官、巫女が働いているのに。ざっくり言えば、神社に嫁いだようなもの。それを今更、何をおっしゃる。それに皇室に入るのが転“職”? 日本人の感覚やあらしまへん】

 ●(旧華族夫人)お世継ぎが産まれねば皇統が絶える。重要な役目であるのは当然。

 【いたって当然。梨園よりも、厳しくそれが求められる。承知で嫁入りしたはず。
人権とかそのレベルのことではない。皇室自体が大いなる非人間性と封建制で出来上がっていて、それを否定したら全てが瓦解する。民間の基準を当てはめるのが愚かの極み】

 ●(八木秀次)皇室の価値は、無私の心で祈ることにある。

 【その通り。その「無私」が決定的に欠けているのが、皇太子と雅子妃であり、
この7,8年間、歌会始のお歌が、他の宮様は世界平和のこととか、
視野が外にあるのに、皇太子と雅子妃の歌は子どもと家庭のことばかり。
注意を受けるも、皇太子はシカト】

 ●(園部逸夫)皇后や皇太子妃が公務すべきという法律はない。
        たくさんの皇太子妃の内には体調で勤めが果たせない人もいたはず。

【「いたはず」、とは誰のことか。「はず」では論議にもならない。もともと法律の
概念の及ばぬところが皇居なのに、法律を引き合いに出す愚かさかげん。
体調で務めが果たせぬから責められているのではない。
「果たせぬのに」お遊びと静養とはまことに盛ん、お元気で国費を
湯水のように使われ、奉仕団に御会釈すら出来ないことへの国民への
申し訳なさも皆無な図々しさが、批判されている】

 ●(小林よしのり)天皇皇后が一緒に公務するのは美智子様が始めた平成流。

 【海外からの賓客ご挨拶、おもてなしの晩餐会には、歴代の皇后陛下もお出ましであられた。海外の皇室外交にも同伴されている。問題の根っこをすり替えてはいけない。それにご夫妻単位の公務は昭憲皇太后が始められた。それと
共に皇太子の公務の数の異常な少なさが批判されていて、要するにご夫妻の
「意識」の低さが問題になっているのだ】

 ●(久能靖)ドタキャンするのは雅子妃に自覚があるから。わがままな怠け者なら最初から断るはず。

 【はぁ(*´ω`*) 20年間ドタキャンし続けたら、いいかげん経験則で最初から断れよ。出るといって出ないほうが現場が大変】

 ●(さかもと未明)紀子妃がうまくいってるのは、自分のなりたい姿と皇室の求めるものが一致したせい。 雅子妃は別の個性と知性があるのでうまくいかない。

 【はぁ? (´・ω・`) 「別の個性と知性」って皇室に20年経っても馴染めないのは、個性と知性の問題なのね? 個性を殺して「無私」を目指し、我が身より国と、国民大事って、それを知らずに入内したとしたなら、個性というよりは狐性、知性というよりは痴性です】

 ●(坂東眞理子)秀才が社会に出て勉強以外のことを要求されると、自分の経験でも辛いことがあった。 雅子妃は苦しんだ分新しい皇室を作れる可能性がある。

 【はぁ?(´・ω・`) 秀才とやらは、皆適応障害と新型鬱とやらにかかり、仕事せず遊び呆けるわけでっか。新しい皇室を作れるなら、もう作ってます。もう皇室に20年住み着いてます。日々壊す一方です。新しい皇室とやらが宮中祭祀を行わない、天皇陛下の公務も最小限、皇后はいっさいしない、というのならそうなるでしょう】 

こうして週刊現代に掲載された雅子妃擁護の意見を並べてみると、いかにそれが
根拠の希薄な客観性のない言い分であることが解るだろう。
活字だから分かりやすいが、テレビの「識者」たちの言っていることも同じことである。
テレビは絶対に批判者は出さないけれど。

以下女性セブンの記事より

風岡典之宮内庁長官から秋篠宮さまに対して、“悠仁さまの学費を宮廷費でまかなってはいかがでしょうか”という異例の提案があったが、秋篠宮さまは“国民の負担や社会情勢を考え、皇族費で”と断られたという。

「紀子さまは幼稚園の玄関前の落ち葉掃きや園内の草むしりなど、ご公務でお忙しいなかでも積極的に参加してくださいました」

・・・・・・

遊びと静養に大金を使いまくる東宮に、未来の天皇である我が子の教育費も遠慮なさる秋篠宮。

お会釈公務すら厭う雅子妃と、公務の激務の合間に幼稚園の草むしりをなさる紀子様。

美智子妃殿下は雅子妃の公務を紀子さまに「分担」とのこと。

「分担」って? 雅子妃、何もしないけど。今でも激務なのに、雅子妃の分を紀子様が肩代わり? それで乏しい歳費も職員も警護もそのまま据え置き?

公務、東宮の20倍、お金三分の一。
職員数六分の一。

東宮遊びと静養、3人で湯水の浪費、
秋篠宮公務の明け暮れ、5人でカツカツ。

尤も皇族費のアップは何度か宮内庁からの
提案があるようだが、秋篠宮さまがそのつど
ご辞退とか。いやぁ、雅子妃の公務の分の殆どが
紀子妃に来たら、お金は要るでしょ、秋篠宮家の
出費に誰も文句は言わない。「必要経費」なの
皆、わかってるから。



 

ほぼ何もしない東宮家に職員51人、東宮の20倍仕事する秋篠宮家に僅か9人。

絵を見に行って公務にカウント。こんなのまで入れても異常に少ない
公務。あげくご感想が「素晴らしい」と語彙豊富。

 

雅子妃の衣装ストーキング 追加

前の記事で説明しましたが、衣装がかぶると格下の落ち度になります。
なので、着る衣装については、事前に紀子様から雅子妃殿下に
内容が上がります。でも、蓋を開けたらこれ。わざわざ似た衣装。

こういうことが異様に多いのです。こうなるとほとんどサイコ。紀子妃ご懐妊ニュースの翌日に
わざわざ泣き腫らした目をマスコミの前にさらしたり、やることえぐいです。

 

 

 

 

袖の長さまで ↓

以下 「お股雅子さま」2題

股入れ抱き

お鞄股押さえ 

おとと、コケそう。

これを見ていると、適応障害って、下品が上品に適応できないお病気なのでしょうか。
それなら毎日のことなので、しんどいだろう。
皇室を離脱したら、ドスドス歩きも、お股広げ仁王立ちも、らくぅに出来るように
なりますよ? 和服の帯の真ん中に扇子をぶっ挿しって、下品階級でも
やりませんけどね。傘は地面掘削直立持ちだし。和服を召した時の所作は
日本人なら自然に出来るものだけど?

扇子の挿し位置は日本人なら常識。・・・・のはず。

雅子妃の母、小和田優美子氏も滅多に和服を着ない人だけど、
着付けがしどけなくて変。所作も姿勢も。帯締めも位置が中央から
ズレているし。お股を開き気味に(雅子妃もそう)座っているので
裾がぶわっと開いているし・・・。母娘ともに上流階級????
そこはかとなく漂う下品臭はどこから・・・・・?

 香淳皇太后の斂葬の儀(ご葬儀)には「微熱で」欠席でも、祖父江頭豊の葬儀には出席。
身内のことには「ご体調の波」がない不思議。カメラも人前も大丈夫。

皇太子ご夫妻 チッソ元会長江頭豊氏告別式ご出席

それにしても、江頭豊はヤクザを雇ってあろうことか、被害者の水俣患者を
襲わせたり、報道カメラマン、ユージン・スミスの脊椎を損傷させ、
片目を失明させたような男。小和田雅子嬢を皇居に入れたら、
皇居に水俣病患者数万人の怨旗が立つと言われていた。
昭和大帝と宮内庁から「この者皇居にふさわしからず」として、
いったんお妃候補から完璧に除去されていた存在。
昭和大帝の崩御後、ワールドカップを日韓共催にゴリ押しした高円宮と小和田恒氏の暗躍により皇居に押し込まれた。
犯罪企業の会長を外戚祖父に持つ女性を、昭和天皇の命に背いてまで、
皇室に入れるべきではなかったのではないだろうか。

しかし、上記とは関係ないですが、これっていつまでも解決しないってか、捜査すらされた形跡がありませんね? 刑事事件なんじゃないですか???? 皇室の備品は国家に属するので、それが何者かの手によって売りに出されたとなると? 

 カメラを構えた、ほぼ確実に男の姿、白亜の豪華な天井、特徴のあるシャンデリア、重厚なカーテン、とここまで明瞭に映り込んでいて、犯人が特定出来ないのでしょうか。

 

昭憲皇太后の扇。もし本物なら、本来雅子妃の手元にあるべき筋合いのもの。

※1869年(明治2年)8月25日の太政官布告第802号により最初の所有者特定

昭憲皇太后(明治天皇の皇后) ⇒結婚祝で有栖川宮實枝子女王へ⇒娘の結婚祝いで高松宮親王妃喜久子 ⇒結婚祝いで雅子妃殿下へ。(皇室番組で映像付きで紹介された)

【未解決事件】皇室ゆかりの品、ヤフオク大量流出事件【出品物一覧】

以下はWill2009年9月号 

今上陛下のご学友橋本明氏の「国民的議論に」という提言がもう4約年も前なのに、実現されませんね。「不敬」として観ないふり、思考停止したままの人が多いのでしょうか。今、皇室と天皇皇后に最も不敬な存在は交代殿下と雅子妃殿下ではないのでしょうか。雅子妃殿下は、昭和大帝の命に背いて皇室内に入れられた方でもあれば、順徳天皇の「宮中は何はさておき、まず神事」というご遺訓にも、皇太子殿下と共に違背していらっしゃいます。
順徳天皇、昭和天皇とお二人の大帝のご意志に背かれ、今上殿下ご夫妻にも背を向けていらっしゃる皇太子と雅子妃をして「不敬」と申すのではないでしょうか。

 一部抜き書き

実際に天皇が「平成皇室論」を読まれた時に
「よくぞここまで私の心を覗き見したな」とおっしゃるか
「この野郎」とおっしゃるかまだわかりません。というのも天皇がカナダ、
アメリカへご訪問される前日に本の見本が上がってきたスケジュールだった
のでまだ読んで頂いてはいません。

「皇太子さまが別人に」

なぜ皇太子さまがこのようになってしまわれたのか。
やはり雅子さまに影響されたのだと考えます。

一連の人格否定発言にいたるまでの経緯を仔細に見ると、どこかの時点で
皇太子さまが雅子さまの方へ寄ってしまわれたということがわかります。

東宮職でも、まともに両殿下とコミュニケーションが出来ていなかった時期が
あるのではないか。

特に妃殿下とはコミュニケーションがとれていませんでした。
妃殿下はオモテの方と意思の疎通をするのに
ドアの下に手紙を差し込んでおられたという話は事実のようです。

そして宮内官が私にはっきり言いましたが、殿下自身が硬く殻に閉じこもって
しまわれた。宮内庁参与には、一切声がかからず、誰かがこじあけて
殿下を外に出さなければならない事態だったといいます。

つまり、オクに入ってしまうと皇太子さまは完全に雅子さまの判断、常識、
主張になってしまう。そうなると皇太子さまは別人になってしまったのだ
ということだろうと思います。


「雅子妃入内以来、東宮職の人事が頻繁。東宮侍従長は7人も」

東宮大夫と前東宮侍従長と私の三人で忌憚なく話しをしました。
その時、野村氏に「妃殿下は一体なんの病気ですか」と尋ねたら、
はっきり「精神疾患」だと答えました。

今はいい状態の時だけしか外に出してはいない。
よくない時の妃殿下は一切外に出していないともいう。
「よくない時の妃殿下のお姿を外に出したら大変なことになる」とも言っていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>「適応障害」ではなく「精神疾患」だというわけです。

適応障害ではなく精神疾患だったのなら、皇太子と私的お抱え医師大野氏は10年間、
国民を欺いて来たことになる。本当に適応障害であるなら半年で快癒と専門家。
それを10年もひきずった挙句、今度は「新型うつ」。10年後にはまた何と病名を
変える気だろう。他の医師のセカンドオピニオンは必至なのに、拒む皇太子。
雅子妃の頑なな意志であろうが、国民に対して無責任であろう。

>「よくない時の妃殿下のお姿を外に出したら大変なことになる」

もしこれが事実なら(当時宮中にあった人が実名で語っているので、虚偽はないと思うが)
「新型うつ」ですらないのではないか?

この度のオランダ行きが宮内庁が漏らした如く、小和田恒氏の独断専行であるなら、
娘の「病気」を理由に移譲論が澎湃するのを恐れた小和田氏が、「ご公務できます」
アピールを内外に示し、即位への大きな布石にしたつもりなのだろう。

テレビはいっせいに「大成功」報道をするし、多くの国民はそう思い込んでいるのだろうか。
だったら小和田恒氏の目論見は成功である。ネットで現地の評判も画像も見ることの
出来る層にとっては、逆効果、やぶ蛇であったけれど。

「皇太子と雅子妃が国民に与える苦痛」西尾幹二

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

払いたまひ清めたまへ 眼と心を洗いましょう  

 

転記ここまで。


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