ひげ坊主の散漫な日常

アラ還オヤジのとりとめない日々を、独断と偏見のみで、気ままに書きます。なので、すべて個人的感想です。万端、悪しからず。

「天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?」大切だから、保存します(25)。BBの覚醒記録より

2017年09月01日 | 皇室
    • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

      「BBの覚醒記録」が凍結されています。

      ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

      ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

      私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

      日本人が、日本人であり続けるために。

      ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

    • この年(平成27年)の夏は、めっぽう「熱い」ですね。

    • BB様の、やむにやまれぬお気持ちが、直に伝わってくる、重要な文章が目白押しです。
    • 今回は、「天皇論」「日本論」「日本人論」としても、読み応えたっぷりです。
    •  以下、転記。

  • 天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?(初出08/21/15)

 

BBの天皇陛下批判に対して、興味深い投稿を頂いたのでそれにお応えする形でいささか拙論を述べてみたいと思います。

「不敬」の一言で、現在の天皇皇后両陛下及び皇太子の国を損ねかねない
左傾化に対して、それを直視できない保守は愛国の轍を外れたエセ保守である、というのがBBの主張です。

それに対して、思考停止の保守連中の感性は「不敬である」とその一言で論説そのものを拒絶してしまいます。新興宗教の教祖が否定された時の、脊髄反射と似通うところがあります。ものの理非曲直の次元ではなく、教祖に対しての言挙げ自体がいけないのです。

しかし「なぜ、いけないのか」という質問に答えられる者はいません。
いけないのだから、いけないのだ、ということでしょうか。もはや理性の介在する余地はなく、思考として健全な状態にあるとは言えないでしょう。

不敬と、パブロフの犬的に口にする人たちは不敬の定義を承知でしょうか?

不敬行為とは、客体に対する軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為を指すとされています。

正当な批判が、上記に該当するかどうかが判断の別れめでしょう。
まず、侮蔑には端的に該当しませんね。批判と侮蔑をごっちゃにするレベルの人達は論外です。尊厳を害するかどうかが、決め手でしょうが明治大帝にご意見申し上げていた忠臣がいて、明治大帝はそれを排除なさっていません。
正統な批判とは何か。天皇に国を害する言動ある時である、と一応して良いと思います。

歴史を見れば、島流しにあった複数の天皇は国への謀反で流されています。

戦前は侮蔑と尊厳を害する行為に加えて、現人神否定も不敬とされていました。

おそらく、問答無用の批判否定派は、現人神として崇める感性をいまだ引きずっているのかもしれません。しかし、天皇自らが神聖については否定されました。それを受け入れぬ感性の者達がいるとしても、それならそれで、神が憲法論をなさるなどあるべきことではないでしょう。

天皇ご謀反に該当する歴史は、大化の改新、薬子の乱など複数あり少なくはありません。近くは後醍醐天皇による元弘の乱、有栖川宮熾仁親王による江戸政権への反乱があるでしょう。

暗殺や入水という自殺以外に、死罪になった天皇はいませんが死罪につぐ流刑になった天皇は何人もいます。

第47代天皇、淳仁天皇が淡路国に流されたのをはじめとして、第96代の 後醍醐天皇まで6人。親王は、4人計10人います。

現在の保守が思い込んでいるほど「不敬」の定義が昔から存在していたら、流刑などということ自体がなかったでしょう。不敬、不敬と錦の御旗のようにいうほど、不敬は確立された概念ではないことは、解るでしょうか?

不健全な天皇が現れた時は、廃して来たから現在の皇室があります。

皇太子への不敬も同じく、批判どころか皇太子の器にあらずと判断されれば、排せられていたのです。廃太子の例も複数あります。

歯止めが何もなく、緊張感と自浄機能を完璧に失っているのが現代なのです。そして、ペリリュー島慰霊で端的に分かったのは、天皇の意志が内閣のそれを上回るということで、これは大変危険です。天皇が自虐史観ベースの左傾化思想を抱いている場合は、とりわけ。

皇太子もまた、内閣の判断を仰がずして、こともあろうに「人民解放軍賛歌のオペラに出かけ、習近平国家主席の奥方でありかつ人民解放軍の高官でもある、 彭麗媛(中国人民解放軍総政治部所属・少将)に接触しています。

このままでは、憲法上は象徴と謳われながら実質、天皇が君主の位置へと少しずつ近づいて行きかねません。韓国に謝罪に行きたい、から「行く」という意志に転換されるまでの、道のりはさほど遠くないかもしれない、といえば拙ブログ主の抱く危機感と、そして批判という形で多少でもブレーキを引かねばならぬ、という主張を解って頂けるでしょうか。

天皇皇后という個人批判の前に、GHQがさまざま仕込んで行った皇室弱体化のウィルスがまだ強力に生きています。そして戦勝国が望んだ弱体化が、今上から皇太子とつらなる形で成就しようとしています。そのような「構造としての」皇室問題を俯瞰で見る視力を持たぬから、不敬の一言で足踏みしてしまうのです。

むろん、皇族なかんずく天皇陛下に対しては、いっさいの批判ならず、という枷の必要性を全く解らぬわけではありません。いったんそれを許すと、神聖であるべき何かがズルズルと崩れ落ちていく、その構造は解っています。
しかしながら上記述べたように、皇室が自浄作用の機能を喪失、また国家が制御するブレーキが効かぬ状態になったら、是正できるのは民の声だけです。

国滅びて、何の天皇ぞ。

天皇は天皇という地位にあるがゆえに尊いのではなく、天皇という地位にふさわしい孤独と厳しさを背負いつつ、無私であられ国と民の安寧豊穣を祈られるから、民の魂もその無私という神の境地に感応して、尊びます。

それが私心による、政治観歴史観を持たれ、それを発信なさるようになったら、天皇としては逸脱です。それが、天皇のみならず、ふと民が気づけばいつしか、あろうことか皇后が自身の思想信条を述べる如き状態になっています。

あからさまにはさすがに、おっしゃらぬもののGHQ元メンバーへの賛意表明と賞賛他などにより、憲法護持派であることの表明。男女同権思想を宮中に持ち込まれ愛子天皇画策。男子一系を壊すことがどういうことか、お解りになっていない、ということは、かくも長きに渡り、皇室とは何か解っていない女性が皇太子妃、皇后を務めていらしたということになります。慰安婦問題もどうやら、日本に非があると思い込んでいらっしゃるようです。

民の支えありてこその天皇です。民の心が離れれば、天皇はより只の人間へと堕して行かざるを得ません。そういう意味では天皇を創るも民、滅ぼすも民でしょう。批判いっさいせぬ姿勢こそが、皇室の滅びへの道の引き金になるケースもあります。皇室廃絶論者は別として、現在の天皇皇后両陛下、皇太子殿下への批判を口にしている人たちは、皇室大事だからこそ物申しています。

コメ欄に、面白いご意見を頂戴しました。保守層が天皇陛下のこのところの逸脱に対して見ぬふりしているのは、「承詔必謹」が日本人の民族的潜在意識にあるからではないか、と。

承詔必謹(しょうしょうひっきん)。 読み下せば「詔(みことのり=天皇のお言葉) を承れば必ず謹め」であり、聖徳太子の十七条憲法の第三条にあります。

日本人のDNAに刻印されているのは確かにこの承詔必謹でしょうが、しかし往時の天皇は権力、性となまなましく民も内情は承知で、現在ほどの崇め奉りはなかったのではないか、と思います。

天皇を神とする現人神(あらひとがみ)の概念は、柿本人麻呂の歌「皇(すめろぎ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上に廬(いほり)せすかも」
他に見られるように、万葉の時代からありましたが、ここ近年のような神聖化は、第一次第二次大戦時に必要に迫られての国家的煽りもその理由ではなかろうかと思われます。ここまで至高の存在として仰いでいるのは、大戦時からというのが拙ブログ主の仮説です。

古来日本の神々はおおらかで、謹厳実直ではありません。現人神も同様に、民はさほどの倫理を求めてもいなかったと思います。ある種の清潔感をも添えて崇め奉り始めたのが、どうも日清日ロ前後、日本が外国を意識、国の束ねをより必要とし始めてからではないかと思われるのです。

でないと、天皇流刑がそれまであった理由が解りません。死刑の次に厳しい処罰を「神」に与えることはないでしょう。現在のような凝り固まった「不敬」連呼保守はいなかったのでしょう。

しかしながら、日本人のDNAの奥深く「畏れ」が刻印されていることは事実です。それはおそらく、「無私であらせられ、ひたすら国家と民のために祈る」祭祀王だからではないでしょうか。祭祀王としての則(のり)から離れられ、政治発言などなさるようになった現状が果たして、天皇のあらまほしきありようでしょうか。

宮中内の神事の厳格なこと、いまだに神官と巫女たちが古代の祈りを引き継ぎ、明け暮れ神事に暇(いとま)無く、火鑽(ひきり)で熾(おこ)された神の火である忌み火は消えること無く連綿と燃え続けています。

 宮中にあまたの神官あり 【転載ご自由に】

国民が真剣に向き合いたい現実 断絶の危機 古神道 日本の精神的背骨

私心なく粛々と営まれる祭祀こそが、天皇の天皇たるゆえんであり、raison d'être(存在意義)であり、日本国のIdentity (自己同一性)です。

国事も公務も祭祀ありてこその二義的な些末事です。

 

順徳天皇の「禁秘御抄」にいわく、「凡そ禁中の作法は、先ず神事、後に他事とす。明暮敬神の叡慮懈怠無し」

皇居の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけても、あのよく治まった延喜、天暦の世が、なつかしく、いくらしのんでもしのびきれないことだ。

お住いも五十六億円をかけられた現在の豪邸ではなく、古びたところにお住まいになり、一心に祭祀に務められていたのでしょう。

この頃の天皇の感性は、天変地異も我が身の不徳、と御身に引き受けていらっしゃいました。

その上で天皇の義務は何にも先行して神事である、明け暮れに神事を行うこと、決して怠けてはならぬ。あらゆる公務に先行して、神事を行うべし、と。

これに根こそぎ違背していらっしゃるのが、皇太子と皇太子妃だということもあり、厳しくご批判申し上げてきたわけですが‥‥‥‥・祭祀を疎かになさると、皇室の皇室たる理由の喪失です・・・・・

このところ、天皇陛下の祭祀が心もとなくなりつつあり、体力のしからしむるところかと拝すればしかしながら、巡視艇を宿に改造なさりパラオにまでお出まし。慰霊を否定するわけではありませんが、肝心の祭祀を短縮、放置なさってまで行かれるのは本末転倒でしょう。しかもお膝もとの靖國神社は知らんぷり。コンサート他のお出ましも、ひんぱんです。

英霊は「靖國で会おうぜ」を合言葉に散って行かれたのですから、まずは靖國神社です。せめて「訪れたい」という意思表示をなさって頂きたく存じます。それをあろうことか、「韓国に謝罪に行きたい」

現人神ではなくなりましたが、それでも天皇が靖國を訪れれば、それは参拝とはならず「親拝」と称されます。なぜなら天照大御神のご眷属がご先祖を訪ねられ相まみえられるということなのですから。

「不敬」という思考停止保守の言葉をそのまま返すとするなら、祭祀疎かになされる時からそれは日本の神々、そして皇祖神たる天照大御神への天皇と皇太子の不敬です。それは解るでしょうか。

昭和大帝が愛でられ、また保存を強く望まれていた森を崩御されたとたん、伐採して華麗な住まいを建てるなど、それこそが昭和大帝への不敬ではどざいませんか?

神道に精神性の基礎を置くものなら、先帝のご意志に背いて自らの住まいのために草木をなぎ倒し、動物、鳥達を追い出しての豪邸建設には躊躇があるはず。まして住まいは従来の建物があるというのに。

天皇陛下がお話になっている間、皇后陛下の低頭が宮中のしきたりですが、皇后陛下はそれをおやめになり、これもあからさまなまでに昭和大帝崩御の後です。

そして天皇の半歩ほど遅れ気味に歩くことも、並ぶ場合も適切な距離を保つことも、皇后陛下の代でやめられ、今はぴったり今上陛下と密着、あまつさえ袖や腕を掴んでの杖代わり、どうかすると天皇より先に立って歩かれます。

皇后陛下が、その思想的感受性を土井たか子、元GHQのベアテ・シロタ・ゴードンと同じくするお方です。それゆえにこそ、自らを天皇と同格に扱い、また女帝を望まれもします。現在の皇室内ヒェラルキーにおいて、実質的頂点は皇后陛下なのではありませんか?

自称保守のいう「不敬」とは何でしょうか? 皇后の、昭和大帝への、そして今上陛下へのお振る舞いは不敬ではないのですか?

神事受け継ぐ器量も能もなき皇太子放置も、皇祖神への不敬ではありませんか? ヤフオク問題放置はなかんずく。

この国から天皇陛下ご親修の神事が絶えた時、国は乱れ形を崩します。天皇家の伯家神道の口伝の中に、厳しい予言があります。

「祝(ハフリ)の神事を行わない天皇が百年続くと、日本の国体は崩壊する」

神事をなおざりにして、いったい何の慰霊でしょうか。出かけられれば、予定として発表されていない韓国人の慰霊碑を、ゲリラ参拝される。これが天皇皇后両陛下のあらまほしきお姿ですか? 公式ではない韓国人の慰霊碑参拝は、政治的意味を強く帯びます。これはサイパンでの出来事でした。

我が国最大の巡視艇「あきつしま」をあろうことか、バリアフリーに改造、手術室まで作らせ、一泊だけの宿にお使いなさる。これが正しい姿ですか?
戦闘用に設計された船を老夫婦用の手術室付きホテルに改造、それをまた巡視艇の機能回復させるため、宿の部分を壊してまた改築です。

オペ室をしつらえたからには、それなりの医師と助手、看護師たちも引き連れての大旅行でしょう。内閣の要望に逆らってまで、大金を使い、また祭祀をないがしろにされつつ、出かけられることでしょうか?

宿に使われた船は、改造、そして復元の期間を入れると、少なからぬ日数、日本の海の守りから引き離されたのです。尖閣が日増しに危機にさらされ、それゆえ安倍政権が安保法制案を支持率を下げてまでも急いで成立させようとしている、こんな時期に! 

あきつしまが日本の領海を留守させられている間に、尖閣に民間船の難破を装った人民解放軍の上陸があったら、陛下はどう申開きなさるおつもりだったのでしょうか。中華人民共和国の「国防動員法」をご承知での、あきつしま宿改造でしたでしょうか。

防衛の軽視、無視も共産党はじめ左翼連中と軌を一にする部分です。天皇陛下、皇后陛下がそれでよろしいと、自称保守の人たちはお思いでしょうか?
天皇ご謀反をお止め立てする機能が今日本にはないのです。国民の声以外には。内閣すらお振る舞いを止め得ぬことが、明らかになりました。

天皇批判を保守分断とする見方があり、しかし現状を等閑視すれば皇室、引いいては日本の国体を危うくするとあらば、黙して語らず破れ船を承知で乗り続けるか、浸水に警戒と対策の声を上げるか、2つしか選択肢はないでしょう。

そして、批判を選んだ保守たちの脳裏にあるのは秋篠宮両殿下のご存在です。お二人なかりせば、むしろ批判派の保守も口をつぐむでしょう。

在日の反日運動家辛淑玉は、こう言い放ちました。

「朝鮮人は祖国へ帰れ、というなら天皇を連れて帰るよ」

この発言に対して、自称保守は憤るわけですがしかし、発端は天皇陛下のご発言であることを、見ようとはしないのです。責めるべきポイントを外しています。現実に向き合えないのです。責めを負うべきは辛淑玉ではなく、そう言わせた陛下なのではないですか?

 

「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております」

歴史的検証を加えれば、天皇が朝鮮人である、とはなりません。しかし問題点は「そう言われても仕方のない」あるいは「言われることが解っているのに」そのような発言をされた、ということでしょう。

現在韓国では「天皇の先祖は朝鮮人」はもはや定着してしまっています。

しかも、半島から貰った文化のみをおっしゃり、日本が上げた様々の文化と富には触れず。遣日使の存在もご存知ないし、ご進講する人もお教えしないのでしょう。

仏教を伝えた、は間違いではありませんが、このおっしゃり方だと、あたかも仏教の恩恵に日本が浴したのは朝鮮半島のおかげであるかのようです。
あくまでも中国仏教が通ってきた道筋でしかありません。それに南伝仏教は半島から来たわけではありません。

仰ってはいけない言葉というものがあります。朝鮮人と言われることが解っていることを、おっしゃらないでください。歴史や外交にご意見をおっしゃらないでください、という民の声が不敬ですか? なぜ?

質問は常に前もってお手元に届きます。その段階でお答えをしない選択は出来るお立場です。

覆水盆に返らずで、天皇の祖先は朝鮮人発言は今更取り消しようもなくそのことじたいを蒸し返すというのではなく、この発言に関しても単なるリップサービスを本気にするバカな韓国人と、批判の矛先を他へ向ける保守の愚かさと、ある種の卑怯さ、ある種の怯懦さを言いたいために、記しました。

このご発言の責任は天皇陛下にあります。そこをきちっと、けじめをつけないと繰り返されます。そして皇族の無責任放言が伝統として、皇室に伝わりかねません。

思えば、正田美智子嬢入内の頃から皇室が激変しています。全てが皇后陛下のせいではありませんが、ファッションをとっかえひっかえ、祭祀より皇室の伝統より、女優のようなそのお振る舞いが皇太子よりスポットライトを浴びるようになってから、皇室の本来の御役目から遠ざかって来た気がします。存在感は美智子さまのほうが増して、今や女帝でしょう。もはや目に見える形で、天皇陛下を従え、影響力をふるっていらっしゃいます。

そして現在皇后陛下は「A級戦犯」ご発言、GHQ元メンバーへの賛辞、遠回しながら憲法護持発言、愛子さま天皇を視野においた女性宮家の設立を、ここでも安倍内閣にアンチでご主張。有識者委員会にご自分の手のものを送り込むごときこともなさいます。ウィリアム王子来日の折も、王子の意向を蔑ろに秋篠宮家との接触を阻み、溺愛の東宮とその妃にスポットライトが当たるように細工をされたことも、情報網により明らかです。

自称保守の皆さまは、男子一系を切って、女帝擁立に賛成なのですか? なぜそのような動きがいまだ根強くあることを、黙って見ているのでしょう。首謀者が皇后陛下だから、そして天皇陛下がそれに何も言われてないから、民が言うのは不敬だからですか? 不敬という言葉のもとに全ては許されるのですか? また天皇皇后の昭和大帝への無礼は不敬ではないのですか?

皇后陛下のお望み通り、愛子さまを天皇として立てると、その伴侶の男が皇室の実権を握りますよ? 隠れ天皇として。出自ロンダリングした上で、創価や中韓の男である可能性すらあります。それすらご批判申し上げるのが不敬というなら、不敬とは日本・皇室弱体化を狙う勢力には甚だ便利なキーワードですね。

まっとうな思考への麻酔銃が「不敬」という言葉です。

また、雅子妃を皇后陛下と本当にあなた方は呼べるのですか?

ついに小和田家【出自】の秘密 《水間氏の意向により全文掲載条件でネット転載可》

 

おそらく・・・・秋篠宮殿下は全てを解っておいでで、そこで悪しき連鎖は断ち切れるとは思っています。

断ち切れるなら、なぜ批判を続けるか? 秋篠宮殿下の代でいきなり体質変化は無理だからです。今、悪しき体質は陽のもとにさらすことが、次代の正しい皇室の有りようにつながります。また、民が事実を事実として直視する目を養っておかないと、また同じ愚をいつか繰り返します。

慰霊祭における天皇陛下の「反省」の一言も敢えて申せば「越権」です。時の内閣総理大臣が言葉を選びに選び、腹をくくって発信したあの実は村山談話否定の、そして謝っているように見せかけてその実、詫びてなどいない安倍談話を国民の眼前で一言で崩してしまいました。

解っている国民は影響は受けませんが、安保法制案を理解しない層はそのまま受け取ってしまうでしょう。大変な罪です、敢えて申せば。海外にもエンペラーの放った「反省」の一語は、即座に発信されました。

反省がなぜよくないか? まず英霊に対して失礼です。そして韓国、中国とろくでもないことをしでかしていて、反省も謝罪もしていない国を相手に、日本だけ反省するのは中韓肯定の日本否定で、片務的だから。不公平だからです。そして、一国の総理の談話否定です。

大東亜戦争の終結は、全てが敗戦だったわけではありません。良きものをもたらした側面はありその面では勝ち戦でした。白人の有色人種奴隷化がそこで絶え、明らかに世界史の流れが大きく変わったのです。変えたのは日本です。

皇室批判として出せる膿は出すのがよいのです。その後で秋篠宮殿下が収拾に当たられつつ地ならしをなさり、そして、悠仁親王殿下の御代に日本は整い始める。そのように考えています。

と言うとおそらく、来るであろう反論の一つは「秋篠宮殿下が、今上陛下や皇太子と同じレベルだったらどうするのか」ということでしょう。
それはないと思いますが、仮にあったら、現在と同じく抗議の声を上げ続けるまでのこと。皇室廃絶とは思いません。なぜなら、ローマ法王とエリザベス女王と肩を並べるプロトコル上の世界における極めつけのVIPは天皇陛下であらせられ、その位置はやすやすと手放すべきではないからです。

日本では政治家が長期にとどまらず、スターが出ません。その点皇室は揺るぎありません。

それもあり少々綻びがあっても皇室は存続すべしという意見ですが・・・・出来るだけあらまほしき形で存続して頂きたいのです。

ただ、内閣の意志を天皇が凌駕し始めている今、皇室の自虐史観ベースの左翼思想放置は危険です。

天皇あっての日本なのか、日本あっての天皇なのか。おそらくは不即不離。一方が病めば、もう一方も立ち枯れます。

 二言目には「不敬」で脳細胞壊死する自称保守の人たちは、現在の皇室のていたらくが、GHQの仕組んだレールの終着駅であったことを、思い知るべきです。

天皇皇后批判は、実はその背後にある、日本と皇室の弱体化を謀った戦勝国施策なのだと、なぜ理解できないのでしょうね。

赤い天皇皇后として後世に名を残されぬよう・・・・ 【転載可】

日本を損なう天皇皇后両陛下の反日自虐史観 《転載可》

資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

皇室と異教カトリック

コメ欄より拾い上げた「仮説」 テニスコートの出会いは作られていた?

 備考 天皇 パラオでの海上保安庁巡視船船長室宿泊はご自身の意向http://www.news-postseven.com/archives/20150401_312781.html 

【神風特攻隊】自国の危急存亡に際し、身を捨てて立ち向かう犠牲的愛国心を持って欲しい─特攻 最後のインタビュー1

 

今上陛下は「反省せよ」と先の戦争と英霊を貶め、皇后陛下は「A級戦犯」と唾棄なさり、日本弱体化の占領軍憲法を作ったGHQの元メンバーを賛美、皇室に薄っぺらい男女同権主義を持込み、女性宮家の創設と愛子天皇擁立に妄執を燃やされる。男子一系を壊されるというなら、結局皇后陛下は皇室の何たるかをついにお解りでないまま、晩年をお迎えになりつつあります。

顔向け出来ますか? 昭和天皇に、英霊に。

 

【神風特攻隊】自国の危急存亡に際し、身を捨てて立ち向かう犠牲的愛国心を持って欲しい─特攻 最後のインタビュー1

2015年7月16日 JR福島駅をたち、那須御用邸に向かわれる天皇、皇后両陛下=16日、福島市

主権回復の日の、「天皇陛下バンザイ!」がお気に召さず不機嫌な皇后陛下。

 

 

転記ここまで。


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