ひげ坊主の散漫な日常

アラ還オヤジのとりとめない日々を、独断と偏見のみで、気ままに書きます。なので、すべて個人的感想です。万端、悪しからず。

「安倍談話の『文底秘沈』」大切だから、保存します(24)。BBの覚醒記録より

2017年09月01日 | 皇室
    • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

      「BBの覚醒記録」が凍結されています。

      ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

      ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

      私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

      日本人が、日本人であり続けるために。

      ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

    • 今回は、(23)安倍首相アメリカ議会演説に対する評価から、創価学会の「本質」をえぐる方向に誘導した、

    • 巧みな展開・構成です。かのエセ宗教の成り立ち、現状などが簡潔にまとめられ、至便です。
    •  

       以下、転記。

  • 安倍談話の「文底秘沈」(初出08/16/15)

 

「文底秘沈(もんていひちん)」というのは朝鮮カルト「そーか、そーだよがっかい」が、日蓮聖人の御書を読み解くとき使う言語です。

要するに、御書は字面ではこう書いてあるが、実はこう言う意味が文章の底に沈められているのだよ、という学会の都合のいい解釈がなされているわけで、結構あたまのいい解決方法かと思います。

なぜ頭がいいかって、日蓮聖人を仰いだ以上御書という上人の書き記した文章をそのまま用いると、朝鮮カルトの教えには都合の悪いこと、現状に反する箇所が当然あるわけですよ。

言ってしまえば、日蓮上人がそーかそーだよ学会を認めるわけないんだから。
朝鮮に親身であったとかいう事実、全然ないですからね。
元寇に使われた朝鮮兵たちが対馬で犯した残虐な行為を書き記しているわけですよ。手先の朝鮮人たちと、南無妙法蓮華経で戦った側です。
韓国の創価学会員知らないでしょう? あなた達日蓮聖人の敵だったの。
日蓮聖人が元寇について残した文章を、そーかがっかいがどのように文底秘沈として、言いくるめるか知らねども。

と前置きして、BBも試みる安倍談話への文底秘沈読み解き。

じっくり聴き、また文字起こしされた文章を読みこめば、実はこれを言ってます。

 

 

ああ、いえいえ。上記の画像の造り主はh●●p://daitoaseinenkai21.blog.fc2.com/img/01_20150131102506ce0.png/ 、必ずしもBBの主張ではないけれど。文言がぴったりだったので、拝借しました

m(__)m

それに、上記の画像にプリントされた文言ほど明確に、安倍総理談話に文底秘沈がなされているわけでもないけれど、だから上記の文言は過剰だけれど、非常に巧妙に繊細に実は村山談話の上書きはしてます。文句を言われても、イエ上書きなどしてません、継承してるって言ってるでしょ、と言い返せるほどの巧妙なやり口です。

解読にはすご~く日本語の能力・感性が問われるところ。

直感や感性で受け止める女子のほうが敏感かも? 

でも、村山さんはアタマが悪いけど、安倍談話は凄く面白くなくて不快感を表明しているし、中韓はぶぅたれているし、まあそういう意味では悪い談話ではなかったと思いますよ?

白人による有色人種の奴隷化から解き放ったのが、大東亜戦争だよ、とすごーーーく遠回しながら、言っちゃってるし。いえ、説明が難しいのだけど、白人による植民地支配ということを前段で、さりげなぁく喧嘩腰ではなく振っておいて、日露戦争の大義みたいなことを自画自賛でなく、これもさりげなぁく振っておいて、途中でとりあえず先の戦争は否定しますけど、反省もしますけど、実は・・・・という文章です。

村山談話は継承すると言葉では言いながら(言わないと現情勢では、残念ながらしょうがないみただし)、でもふとした目つき、ふと漏らす吐息で分かってね、という感じの文章です。

牽強付会? 深読み過ぎ? でもまあ・・・・村山元総理が満足せず、中韓が怒っていて、中韓以外は割に好意的肯定的ってだけでも、成功だったんではないの?

安倍総理には(ご承知のように時として)非常に辛辣な拙ブログ主ですが、今回は花丸を差し上げます。

異論は否定しません。それぞれの感性の差異にもよる意見の相違だと思うので。

ってことで、ちょっと発信は休むかな? ってまた書くかもだから言わないほうがいいのだけど、今あちこちブロガーがやられてるっぽいので、ご心配かけるといけないので。 また、すぐ書くかもしれないけどって言っておかないと、一時は止めるとまで言って、また復帰した前科者なので。(;´∀`)

備考

対馬よ、血迷ったか 【拡散希望】

千年の恨みを忘れぬと言うのなら

 

対馬よ、朝鮮兵にやられた先祖の惨憺たる苦しみを、朝鮮通信使美化で足蹴にしてはならない。

 元軍と言いながら、実は高麗兵主体の軍であった。モンゴル兵は指揮官のみである。


文永の役(1274年)
船舶数 900隻(高麗が建造)
兵 力
高麗人 12700人
漢 人
女真人
宋 人
モンゴル人 30人

総 数 25000人

ベトナムでの韓国兵の残虐と同じ構図。アメリカの手先としてやり放題。常にトップではなくその手下としての暴虐。

日蓮上人が当時の最高権力者・北条時頼に『立正安国論』を提出し、蒙古の襲来を予言していたとされています。こんな日蓮上人が、蒙古の手下として日本人を虐殺した朝鮮人たちに担ぎあげられてお喜びとお思い? 朝鮮カルトそーかがっかいの皆さま。

日蓮聖人の書簡で描かれた元寇。

 

(前略)去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)

 

この「一谷入道御書」は日蓮が佐渡配流中に世話になっていた一谷入道の女房に宛てて文永の役の翌々年に書かれたもので、その後段部分に文永の役における対馬の被害について触れたものである。これによると蒙古軍は上陸後、宗資国(総馬尉)以下の守護勢を撃退し、島内の民衆を殺戮、あるいは生捕りにしたりしたうえ、さらには捕虜としたこれらの住民の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、紐か縄などによってか不明だがこれを貫き通して船壁に並べ立てた、という話を伝えている。

 

静岡大学・楊海英教授(歴史人類学)が解説する。

「正直なところ、モンゴル人の歴史観では、かつて朝鮮半島はモンゴル帝国の属国であり、モンゴルの血統で権威を確立していた国であるという印象があるのは事実です。同様に、清に対しても戦争に敗れて臣下の礼をとり、属国となったことは史実として残っています。ほかの朝貢国と比較すると、朝鮮半島の場合は代々シナ王朝の『属国』であった実態が伴っているのです」


「元朝時代では、高麗は長らくモンゴル帝国のハーン一族、帝室の『婿殿』の立場でした。代々、大都(北京)のモンゴルの帝室から娘を貰って、高麗王の皇后としていました。その子供が新たに王になれば、再びモンゴルから妻を娶るのです。元朝はそのような方法で、朝鮮半島をコントロールしていました。一方、高麗側は常にモンゴルの歓心を得ることに心を砕いていて、日本に対する二度の『蒙古襲来』も、最近の研究ではフビライの娘婿である高麗・忠烈王が、義父の前で手柄を立てたかったので、やたらと侵略を進めたことがわかっています」

中国と蒙古と両方の奴隷国として、女性を貢ぎ続けていた韓国、えらそーに慰安婦があ、とか言うんじゃないっての。蒙古への女性の献上は蒙古が要求したことではなく、高麗が歓心を買うために言い出したことだって。根っからお宅、売春体質じゃん。

どこまでも、属国奴隷根性。それが日本とという正しい倫理観の公正な国が関わってやっと、半人前になりそして終戦。誰のお陰で一丁前になったっての。

歴史はぜーんぶ、属国の歴史。一人前になってやっと70年の国。
日本が併合するまでは、世界の最貧国として人々は裸足で、糞尿が垂れ流されたぬかるみを、歩いていた人たち。

 

 日蓮上人の銅像の台座にも、朝鮮兵たちの残虐行為が刻印されています。

http://guide.travel.co.jp/article/4238/

 

中国系アメリカ人らがサンフランシスコに「抗日戦争記念館」を開設しました。韓国もやり放題です。日本も負けじと、元寇における朝鮮兵の日本人虐殺館、ベトナムにおける朝鮮兵の現地女性強姦殺害、老人子供への残虐行為とか発信しましょう。
韓国に筋の通らないODAを渡すぐらいなら、ベトナムに虐殺記念館を建てるための寄付をしてあげたいですね。大体、中国の館(南京大虐殺)は、日本人(社会党)がお金を出して建てさせたんだから今度はその逆バージョンを。

 

日蓮と蒙古大襲来 1958 元寇

当時の娯楽映画だし、朝鮮兵たちの残虐行為は描けてませんね。妊婦のお腹を踏み潰し、胎児を引きずり出したりしていたのです。

まあ、いずれにしても日蓮聖人は、元寇とその手下の朝鮮兵を敵として戦ったお方。朝鮮カルトな教団がその名を掲げる事自体が矛盾なんですよ。会員の皆さま。

要するに当時底辺にあり多くが極貧だった朝鮮人を信者に取り込みながら大きくなったのが日蓮正宗の護持団体そーかそーだよ学会だったわけです。
学会では、海外の信徒らも日蓮正宗の大石寺に送り込んでお布施を納めさせ、また大作さんは日本人含む海外からの信徒にはお小遣いを大枚に渡して、信者を感激させてたのですが、何の事はない信者からの寄付金のごく一部返還。新興宗教では、基礎でやられる信者ころがしの手口ですワ。還元であり、また次の寄付への火種を、あたかも恩恵のように渡すんです。
で、社会の底辺にある人を持ち上げる。水商売の人が底辺という観念もどうだか、だけどたとえばホステスさんたちを、「日本外交の最前線にいるおもてなし隊」(正確な文言忘れた、以前取材してみた)とか持ち上げて、夜のおねーさんたちは、盛り上がり会長先生(当時)への忠誠を誓うわけ。
主婦の人たちは苦い顔してるけど、会長先生のおっしゃることだから、何も言えないし。

そのうち、図体の大きくなりすぎた学会と、布教に名と権威を借りていた大石寺が対立、別れたわけですが、大作さん、本当はご本尊は何でも、良かったのだと思います。日蓮聖人をスターに売りに出た組織を継いだので、上人をアピールしただけ。教理に背くところは「文底秘沈」で逃げながら。

まあ巧みですよ、大作さん。すご~く上手。今は生死もわからぬけれど?
でも、歴代委員長は軒並み引きずり降ろされ、仏敵呼ばわりされるのはそーかそーだよ学会の業みたいなものですね。

現在も、山口那津男 氏が仏敵呼ばわりされ、もはや公明党と学会の分離状態が始まってるでしょ。

朝鮮カルト、そーかそーだよ学会の連中と中韓左翼が、反対してるから安保法制案はいい法案なんです。

しかし、映画は1958 年製作だって、終戦後わずか12年後に凄いですねえ、超大作。奇跡的な復興と足取りを同じくしての映画でしょう。今日本はこんなの出来ないかも。
CGでは出来るけどそういうものでもないし・・・・・。

アートとしての日本映画もこの頃が評価が海外で高かったですね。
北野武なんて小粒だし。
朝鮮人の映画監督が組織のトップにいて、反日局NHKで反日コメント出している間は、日本映画もみすぼらしいかもしれません。本当に「ありとあらゆるところ」に入り込まれてしまいました。

日本を少しでも取り戻しましょう。

安倍政権を当分、支えましょう。

心は常に日本誕生のあの頃に、戻しつつ繋ぎつつ。

 日本誕生

 この頃のほうが、日本人まだまともだったかも?

 

転記ここまで。


「安倍総理談話全文」大切だから、保存します(23)。BBの覚醒記録より

2017年09月01日 | 皇室
  • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

    「BBの覚醒記録」が凍結されています。

    ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

    ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

    私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

    日本人が、日本人であり続けるために。

    ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

  • 今回は、一昨年(平成27年)の8月に、安倍首相がアメリカ上下両院合同議員総会で演説した内容です。

  • 日本を取り巻く現状、これからの課題と心構えが、コンパクトにまとめられていて、日本人が忘れるべからざる指針となっています。
  •  

     以下、転記。

  • 安倍総理談話全文(初出08/14/15)

 

 

侵略 植民地支配 反省 謝罪

と要求された言語は、ハイ入れてみました、程度で
ほぼ言わなかったに近い、巧みな弁舌でした。
丹念な推敲の跡がうかがえる、構成も語彙の選択も良い
文章でした。

これで、天皇陛下が妙なこと仰らなければ、ひとまず70年目はクリア。
でも、どうせ皇后陛下ともども、皇太子殿下も自虐史観左翼なら、はっきり仰っていただいて国民を驚愕させ、眠りこけた自称保守たちの目を醒まさせてくださったほうがいいのかも、と一抹思ったりもしないわけではありません。

以下、安倍総理談話の全文です。

 

 

談話全文

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

日露戦争はアジアやアフリカを勇気付けた

百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。

その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

日本は行き詰まりを力の行使によって解決しようとした

当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。

その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。

痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

事変、侵略、戦争

事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの

こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

ブロック経済が紛争を生んだ

私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。

繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

積極的平和主義の旗を掲げ、世界の平和に貢献していく

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日

内閣総理大臣 安倍晋三

 

転記ここまで。


「アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~」 大切だから、保存します(22)。BBの覚醒記録より

2017年08月31日 | 皇室

皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

「BBの覚醒記録」が凍結されています。

ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

日本人が、日本人であり続けるために。

※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

 

 以下、転記。

 

        アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~(初出10/23/14)

 

表題は、高橋富代さんの論文で、ありそうで意外にない

「諸悪の根源」としてのアメリカを裁断した小論です。

すでに某メジャー保守ブログにも転載されているようですが、

こちらでも紹介させて頂きます。秀逸ですので・・・・。

読者の読みやすさを考慮、段落のつけ方などレイアウトは多少
変えさせていただきますが、無論内容は一言一句そのままです。

(中山 成彬氏のブログでも転載されたようです)

 

・・・・・・・・・・・・・・

http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-446c.html

アメリカよ、日本を打つならまず自らの手を清めよ
                ~幾多のお吉たちへの鎮魂歌~
 
                   静岡県下田市議会議員 高橋富代

 

 アメリカに愛着がある。私は下田の生まれで、物心ついた頃から黒船祭がありアメリカという国が水兵さんの姿で、時にはアメリカ大使の姿で日常にあった。
 先の戦争が、アメリカに巧妙に仕掛けられたのだと長じて認識してもなお、相模湾の潮騒と黒船祭を幼児期の原体験に育った私は、同国への憧憬を捨て切れずにいた。
 

それが、突然崩れ去ったのは、二〇一四年四月二五日のことである。
朴槿恵大統領とソウルで会談したオバマ大統領が共同会見で言い放った言葉で、私のアメリカへの片思いは終わった。この片思いは多くの日本人が、アメリカに対して抱いて来た心情と同種だと思う。ハリウッド映画や、ホームドラマで見つめてきた、豊かで明るい正義の国アメリカ!
 
 「甚だしい人権侵害だ」とオバマ大統領は切り出した。「慰安婦らの主張は尊重されるべきだ」「過去を正直かつ公正に認識しなければならない」と日本を裁き「安倍首相や日本国民もそのことを分かっているはずだ」とまで口にした。
 一九四四年に朝鮮人慰安婦たち二十人へのアメリカ陸軍の尋問調書が収められているのは、他ならぬ米国立公文書館である。調書の「序」にいわく「慰安婦は売春婦、Professional camp followerにすぎない」と。
 

 

しかしオバマ大統領にとっては真実など意味もなく、同盟国である日本を韓国と共に貶めることなど、蚊を叩く程度のことなのだ。と、そう私は唐突に思い知ったのだった。
 

 安倍総理の靖国参拝にアメリカが「失望した」と言ってきた時に、すでに違和感はあった。東京裁判の開廷者であるアメリカが、A級戦犯の何たるかを知らぬはずもなく、要するにでっち上げの戦犯であり、日本が勝っていれば、アメリカに戦犯が大量に生まれていただけのことだ。しかし私は、芽生えた不審の念に視線を当てることを避けた。

 

アメリカを敵に回したら、防衛の要である日米同盟が壊れ去る、と潜在的恐怖心があったのだと思う。加えて、パブロフの犬的調教として、日教組、そして当時はGHQのコントロール下にあったNHKなどから、戦後七十年弱かけて刷り込まれていたのであろう。「アメリカ様に逆らってはならぬ」と。逆らえば餌をもらえず、叩かれるのだ、と。
 

 

しかし、いともあっさり韓国に寄り添い日本を足蹴にしたアメリカ大統領に私は、悟らざるを得なかったのだ。親米保守であった私の足元が瓦解した瞬間であり、「鞭」の存在に気づいた瞬間であった。日本の頭上に常にふりかざされていた、アメリカの鞭である。この鞭は、日本が歴史の真実、つまりはアメリカが世界に知られたくない事実を日本人が知り始めた時、まず威嚇のために床にピシリと鳴り、日本が自立しようと立ち上がった時は脳天に振り下ろされる鞭である。

 

それと共にNHKも、民放のある番組も新聞も、いまだ戦時下のプレスコードを抜け出していないという現実に私は息を呑んだ。日教組も、彼らが実質作る教科書も、時には入試問題さえ、日本毀損と弱体化のいまだ道具である。
 オバマ大統領はあろうことか、東京大空襲の「ドーリットル爆撃隊」の隊員に、 議会最高位の勲章を授与する法案に署名した。日本各地の大空襲では無抵抗の赤ん坊や、小学生まで含めて民間人計三十三万人が空襲で殺された。原爆と合わせると七十七万人の非戦闘員が命を落としている。ドーリットル爆撃隊への授章理由は「傑出した勇気」だそうだ。   
 
 中韓の執拗な日本攻撃と反日の源流はつまるところ、東京裁判と、GHQの日本弱体化政策に帰する。思えば、進駐軍が日本のマスコミにかけた規制「プレスコード」には、連合軍への批判禁止に加えて「.朝鮮人への批判」と「中国への批判」があったではないか。

 

わざわざ「朝鮮人」と特定して批判を禁じた意味を日本人は考えるべきであろう。在日優遇または犯罪お目こぼし政策は、彼らを自己増殖するトロイの木馬として日本に埋め込んでいったということではないか。「朝鮮進駐軍」容認がその一例である。差別的見地で言うのではない、歴史の実相を直視するところから始めぬと、日本の進むべき道が見えて来ぬ。日本人として戦った朝鮮の人々を、日本の被害者として置き換えたのも、GHQの力技ではあった。
 

 

奴隷使役国の誹りを世界から受けぬために、アメリカは自国以上の悪者に日本を仕立てる必要があった。日本には奴隷制の歴史はないので、でっち上げたのが朝鮮半島の「植民地化」呼ばわりであり、人々を奴隷にしたというフィクションが、しかし東京裁判でノンフィクションとしてすり替えられた。インディアンを殺戮し土地を奪い、奴隷をこき使い、苦力を牛馬のように扱ったのはアメリカである。ハワイ王国の滅亡もアメリカによる。
 

 

日韓併合は白人たちの概念にある植民地には該当しない。圧政と搾取が植民地であるが、日本が行ったのは合邦である。韓国の近代国家への礎を作ったのは日本である。
 
 先の戦争の大義は、それまで白人が有色人種を動物扱いで使役、暴利を貪っていた世界を一気に日本が突き崩し、世界の悪しきパワー・バランスを壊したことにある。日清日露の勝利は、白人たちにとっては黄色い猿が仰天すべきことをやってのけたということであり、彼らは憎みかつ怯えたのである。知力を備え文化さえ持った「猿の惑星」の猿を呆然と見つめ、そして我に返った彼らは猿を叩き、再び立ち上がれなくなるよう手足を折ったのである。
 
 占領軍の検閲対象の一箇条に「GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判」というのがあることに留意されたい。これは語るに落ちる話であり、昨今憲法改正について緒論かまびすしいことであるが、連合軍がプレスコードという形で、はからずも告白しているではないか。日本弱体化のために我々は日本国憲法を起草したのだ、それゆえ批判することまかりならぬ、と。
 となれば、日本が自立した国家たらんとするなら憲法改正は避けて通れぬ道であるということである。
 

 

「プレスコード」には次の条項もある。「占領軍兵士と日本女性との交渉」を報道してはならぬ、と。交渉とはおそらく米兵による日本女性の強姦をも含む。これは多かった。ここに思いを致す時、私は米兵たちのレイプ頻発を防ぐため、性の防波堤となり、日本全土のあちこちに横たわった無数の「お吉」たちの顔が浮かぶ。生活苦から慰安婦を志願した女達もいるだろうが、彼女たちが身を挺してアメリカ兵たちを受け止めてくれたからこそ、強姦の発生件数が抑制されたのである。
 

 

連合軍にはわずかの豪州、英国の兵もいたが、圧倒多数はアメリカ兵だったのだから、「アメリカ兵」と一括した呼び方も許されると思う。
 日本に進駐したアメリカが、まず要求したのは慰安所の設置だった。各地にそれは要求され「千葉公文書」として知られる史料には、昭和二十年九月五日、館山に上陸した米軍第一一二騎兵連隊相手に、慰安所が設置された詳細が記されている。
 

 

そのことを憤るほど私は偽善者ではない。異性から長く遠ざかった若い兵士たちが、どれほど猛り立っているか、動物としてのオスの衝動である。これを、率直に認めないから清教徒の多いアメリカの、きれいごとの嘘がものごとの本質を歪める。日本に設けられた慰安所は「余暇・娯楽協会」とアメリカ風美名で呼ばれたが、売春宿である。

アメリカ軍は公には売春施設を認めない。だから、なかったことにする。

 

シカゴ・サン紙特派員マーク・ゲインは慰安所を「米軍を腐敗させようとする日本の謀略。その武器は酒と女で、目的は占領軍の士気と占領政策の破壊」とすり替え、占領期間中米兵による日本人殺害毎年平均三五0人。一000人以上の婦女子暴行(調達庁調べ)には触れない。一0万人が亡くなった東京大空襲は「死者六千人」と縮小。なんという偽善と嘘。

外国特派員協会はGHQの情報発信基地だったが、その体質はいまだ生きている。
 

 

「余暇・娯楽協会」はやがて封鎖される。ルーズベルト夫人の反対が原因であるが、彼女の「清らかさ」ゆえに、巷では再び強姦が増え、一般の日本女性が犠牲者になったのである。
 私が、大勢の無名のお吉たちに対して悲しみと憤りを感じるのは、身を挺して日本女性の貞操を守った彼女たちの犠牲を無視、アメリカは自らの手は汚れてはいないとして、日本を一方的に打ち据えるからだ。

 

日本女性への狼藉を防ぐために、日本各地で横たわった大勢のお吉たちは、何のために払った犠牲であったのか。アメリカは、その時そこにそんな日本女性たちがいたことを見ようともしない。いや、いなかったことにしてしまったのである。私はそれを許さない。彼女たちの墓碑銘は私が刻み続ける。
 
 日本人は、やったことは、やったと言う。時にはやってもいないことをやったとさえ言ってみせる。河野談話がそれである。善人が自縄自縛で苦しむ姿が日本である。神道にベースを置く日本の精神性は「直き」を善しとし、正直を旨として、いつまでも相手の非にはこだわらぬ。水に流し、恩義には恩義で報いる。いかに大空襲と原爆で非戦闘員を虐殺されようが、同盟国に蒸し返し言い立てはしない。その平明さが日本人である。

 

しかしアメリカ人は、というより外国人は異なる精神性の持ち主である。自らの益と非の隠蔽のためには、顔色も変えず相手の寝首をかく。それを言い立てても仕方がない。日本人の思考と感性で外国と向き合わぬことである。外国は腹黒く不正直であると思い知ろう。
 

 

言うも気恥ずかしい初歩のセオリーであるが、しかしその初歩を戦後六十九年間怠って日本は現在のていたらくである。韓国と中国の二重の反日包囲網を更に、アメリカの「反日」が取り囲む。

黄色い猿は優秀で、幾つかの幸運はあったにせよ戦後の焼け野原からあっという間に立ち上がり、経済大国となった。ならばカネをむしり取ってやれというわけで、中韓への理不尽なODA、国連へ実権を与えられぬままの出費、などなど金銭面での弱体化が試みられるが、それでも日本はしぶとく、またぞろアメリカは日本殴打を再開、その一環がアンジェリーナ・ジョリの反日映画「UNBROKEN」であろう。日本軍が生きたまま、捕虜の肉を食らったというストーリーで、 これは特派員協会の会員であったN・Yタイムズのニコラス・クリストフという男が「日本兵が中国人の子供を殺して肉を食った」書き散らした捏造と軌を一にする。

 

 ちなみにクリストフの妻は中国人である。 ハリウッドは間歇的に日本貶め映画を市場に出す。だが日本人は、アンジェリーナ・ジョリの来日にファンが群がり、GHQがwar guilt information programに託して刷り込んだ、自虐史観と侮辱に鈍感な感性はいまだ機能している。

 

 

アメリカが日本人に為したのは、神道の事実的追放である神道指令、学校教科における修身・日本史・地理放逐の「三科指令」であり、日本人はこれにより民族の誇りを抜き取られて現在に至る。言霊の幸わふ瑞穂の国から、その豊穣で美しい言葉が絶えつつある。言葉が痩せることはすなわち国の精神性の貧困を意味する。男系で百二十五代続いた天皇陛下を国の要としつつ、四方の海の要塞に守られて育まれた固有の文化を大事にしたい。言葉を守ることは防衛なのだ。
 
 朝鮮戦争時における米兵相手の元韓国人慰安婦が韓国政府を相手取って訴訟を起こしたのはこの六月のことであるが、朴槿恵大統領もアメリカも内心頭を抱えたのではないか。慰安所を開いたのは、皮肉にも朴槿恵大統領の父上である朴正煕・韓国元大統領であり、慰安婦を抱いていたのはアメリカ兵なのである。韓国は韓国でベトナム戦争の時、現地女性を「性奴隷」として虐待殺戮の事実がある。
 

 

いったい、誰が日本を打つ白い手をしているというのか。日本の慰安所は合法で規律正しかった。ちなみに、 一説によると 進駐軍相手には「慰安夫」もいた。(『戦後の日本を知っていますか?―占領軍の日本支配と教化』百瀬孝監修)昭和二一年、名古屋は松坂屋の近く、焼け残った木造アパートに身体検査に合格した数人の若者が集められ、アメリカ女性兵の相手を したとされている 。売買春を、短絡的に女性の人権論に話をすり替える人たちが絶句すると思うので敢えて書いた。

 

安倍政権による河野談話の見直しで形勢不利になったと見るや、韓国は「女性の人権論」に論点を置き換え、慰安所に日本軍が関わっていたと責めているが、売買春がさほど悲惨なら、日本に五万人いる売春婦(韓国・国会国政監査発表)を、早急に救い出しに来て欲しいものである。韓国が売春大国であることは「韓国女性政策研究院」が調査の上で、認めている。
 
 私の地元下田の唐人お吉を連想させるため、そしてまた慰安婦問題はライフワークだと思い定めているのでその記述が多くなったが、慰安婦は突出してわかりやすいアメリカ側の負の記号なのである。アメリカは現実を認めるべきだ。

日本だけではない。ノルマンディーに上陸したアメリカ軍に対して、ル・アーヴル市長が慰安所の設置をアメリカ軍に懇願したが、軍はこれを拒否。その結果「往来をアメリカ兵たちによる強姦に遭遇せずに道を歩く事はできない」と言われるほどレイプが頻発したのである。
 

 

アメリカよ、自らの汚れた手を見よ。その手で日本を撃てるなら撃て。バイブルに手を添えて宣誓する時の潔白さで、慰安婦問題には向き合え。日本は自らと、祖父と父の名誉を懸けた戦いである。これに負けるわけにはいかぬ。
 
 

 

対中国があり日米同盟は必要だが、しかしアメリカもまた日本を必要としている。過度の依存とそれ故の過剰な謙虚さは、長い目で見れば結局日米関係を損ねる。まずアメリカが礎石を置いた中韓の重層的反日の構造を把握しないと、それへの対抗策を見出し得ない。結論を先に述べるなら、安倍総理の戦後レジウムからの脱却が急務で、そのためには憲法改正が必須。

 

自衛隊から国防軍ヘの昇格を。それを即戦争と結びつけるのは幼稚である。日本が侵略したい国など、世界のどこにもありはしない。そこからの侵略から守りたいと思う国ならある。
 
 しかし東京裁判史観からの脱却に、政府レベルでは限度があるのではないか。たとえば、安倍政権の河野談話見直しは、韓国(とアメリカ)に痛打だった。それならなぜいっそ、談話を破棄するなり河野洋平氏を国会喚問せぬのだろう。後者は「前例がない」という納得しがたい理由で、呼ばぬという。
 ひょっとしてアメリカへの慮りであり、またアメリカからの「圧力」ではないかと、穿ってしまうのだ。

 

明らかなことは唯一つ、何らかの理由で、政府が米国に対して及び腰であることだ。ならば、民間で立ち上がり声を上げるしかないではないか。いかなアメリカとて、国民の声までは封殺できぬ。政府を頼むな、自ら立ち上がり戦え。一部が怯える如き「ナショナリズムの復活」などではない。自力で立ち、自分で身を守れる普通の国になろう、と言っているだけのことである。
 
 具体案は幾つかあるが、たとえばアニメの製作。題材はこれもたとえばヨーコ・カワシマ・ワトキンズの「竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記」。この製作委員会を民間で立ち上げ、寄付を募る。その行動自体が大きな問いかけになろう。日本の汚名をそそぎ、真実を世界に伝えるに日本のアニメ技術と人気を使わぬてはない。尖閣であれだけのお金が集まった。映画がヒットすれば、回収は出来る。利益が出ればそれと合わせて、次のアニメ制作を企画する。具体的腹案は割愛するが、私は動いてみようと思う。
 
付記 拙稿を書き終えてからしばらくして、朝日新聞が八月五日の朝刊で「慰安婦問題の事実関係に誤りがあった」と認めた。しかし謝罪は無く、英文版では一行も触れず、その上、論点をずらして相変わらず慰安婦をネタに日本を叩く構え。政府はこれだけの環境が整ったのに、(おそらく対韓国対アメリカへの外交配慮から)河野談話の見直しはしないという。やはり国民が覚醒して立ち上がり、この仕組まれた情報という名の戦争を戦うしかない。互いに呼びかけ、手を組み立ち上がろうではないか。

 ・・・・・・・・・・・・

 

 こと改めて何かを解説する必要のない完結した論文だと思います。

憲法改正の必要を、プレスコードの視点から説いた論が新鮮でした。

ひところ、ポチ押しでの応援をお願いしていたことがありますが、

ずっとその後カテではダントツの1位を守っていらっしゃるので、BBの出る幕はなく
時々記事を読ませていただいていただけですが、今回の記事に賛同の方はぜひ、
ポチ押しで、エールを送って差し上げてください。

 http://tomiyo.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-e58a.html

 

追記 あ、一言だけ。

>(おそらく対韓国対アメリカへの外交配慮から)河野談話の見直しはしないという。

 

(おそらく対韓国対アメリカへの外交配慮から)はその通りと思いますが、加えて河野談話と河野氏を俎上に上げると、皇太子妃雅子さんの実父を国会喚問しなければならなくなるから、というのもありそうです。

 

転記ここまで。


「小和田恒氏を喚問せよ」大切だから、保存します(21)。BBの覚醒記録より

2017年08月30日 | 皇室

皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

「BBの覚醒記録」が凍結されています。

ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

日本人が、日本人であり続けるために。

※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

 

 以下、転記。


  • 小和田恒氏を喚問せよ(初出08/11/14)

 

 

朝日新聞を国会に証人喚問するというのなら・・・・・

結局慰安婦問題にもつながる、小和田恒氏こそ喚問すべき理由。

 

◆舛添要一都知事に見られる日本の中韓へのご機嫌取り土下座外交の始まりは小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁に端を発する。

◆日本を根本的に損ねた村山談話・河野談話の原点が小和田恒氏である。

◆翻訳上の問題点なのだが、小和田氏が国会において、サンフランシスコ講和条約における「東京裁判の判決を受諾」を「裁判を受諾」と言い換えたことが、その後の日本の行方を歪めてしまった。

つまり・・・・

日本は東京裁判の「判決は受け入れたが」「裁判そのものを肯定したわけではない。

にもかかわらず、それを「日本は東京裁判を受け入れた」とまやかしをやらかしたのが、小和田恒氏という男です。皇太子妃の実父です。

◆小和田恒氏のこの発言以降、日本の政治家は外務省からこの間違ったレクチャーを繰り返し受けることになり、いないはずの戦犯を蘇らせてしまいました。

◆靖国参拝問題の根っこも実に小和田恒氏が作った張本人であるということでしょう。

□今回の記事の趣旨は、国会に小和田恒氏を喚問し、以下のことを明文化すべきである、ということです。

即ち・・・・

日本はサンフランシスコ講和条約において、東京裁判を受諾はしていない。⇒裁判自体を正当なものとして、受け止めたわけではない。

東京裁判の裁判自体ではなく、(敗戦国としてやむを得ず)刑罰の執行を続けること、それに限定して合意したに過ぎない。

ここまでで、小和田恒という男が犯した重大な過ちの内容は理解していただけたでしょうか。英語の翻訳に関わる詳細は各自お調べください。小和田氏が故意に誤訳したのか、単に間違えたのかそれは解りませんが、いずれにしてもその後の日本の舵取りを難破の方向へと導いてしまったのです。

日本国にとって、小和田氏は癌細胞の一つでありそのことはすでに識者から指摘、糾弾されていることですが、皇太子妃の父という得難い立場ゆえにでしょうか、明るみに出ません。それどころか、雅子妃の入内以来トントン拍子の出世です。福田康夫氏,山崎拓氏,加藤紘一氏らと同類の売国奴であるにもかかわらず、彼らを撃つ保守が、一人小和田恒氏のみはスルーしてしまいます。

小和田恒氏が日本を損ねたその「罪」の歴史を箇条書きします。

1 A級戦犯を戦争犯罪人として、土井たか子氏と共に断罪する。

2 女系天皇に向けて動いた形跡もあり。(男子一系皇室の破壊行為)

3 「日本ハンディキャップ論」を唱え、中国韓国へは物申さず、ひたすらお金を貢ぐことを主張。「日本の外交は、東京裁判を背負っているハンディキャップ外交である」と答弁した。⇒東京裁判を全面肯定

4 福田康夫氏は、小和田雅子さんが子供の頃から「雅子ちゃんは皇太子妃にする」と放言していた人物。そのことばの通りの奸計による入内であり、それに乗ったのが小和田恒氏であり、単なるロマンスによる入内ではなく仕組まれたものである。

5 「日韓フォーラム」への参加者である。同席者に売国新聞朝日新聞の当時主筆であった若宮 啓文(わかみや よしぶみ)の名がある。加藤紘一の名も。彼らと同類である。「韓日」合同W杯の母体となったフォーラムである。小和田恒氏が半島利権の高円宮とタッグを組んで動く。(高円宮家は韓国の三大企業+と昵懇の関係を結んだが、小和田氏にいかなるメリットがあったのだろうか)

6 創価学会が小和田恒氏に送った「池田大作特別待遇要請書」に応じた。創価学会への便宜供与である。この件は第134回国会 宗教法人等に関する特別委員会 第3号でも追求されている。

 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1177/13411271177003c.html

 

7 竹島に関連しての韓国寄り発言。

 

「自国の領土なら、わざわざ国際司法裁判所に持ち込む必要はない」

(その後ハーグの国際司法裁判所所長に上り詰めたことと考えあわせると、胸が悪くなるほどの売国風味発言ですね)

8 村山談話に先駆けて、実は小和田恒氏が売国発言をしていた事実。

戦前の日本がアジア諸国への侵略や植民地支配を行ったという見解を公式に認めたのは小和田恒氏が発端。

昭和60年11月8日、衆議院外務委員会での小和田恆外務省条約局長(当時)の答弁より。

 

▼社会党土井たか子議員から東京裁判(極東国際軍事裁判)の訴因とされた「平和に対する罪」とサンフランシスコ条約(日本国との平和条約)第十一条の解釈を問われ、当時の小和田局長の答弁。

 

「極東軍事裁判の評価については学問的にはいろいろな意見がございますけれども、国と国との関係におきましては日本国政府といたしましては極東軍事裁判を受諾しているわけでございます。 ← 注;ここが事実と相違している。判決は受け入れたが、裁判そのものを認めたわけではない。

その裁判の過程におきまして「平和に対する罪」ということが起訴理由になっておりまして、その訴因の第二十七で、被告が中華民国に対し侵略戦争並びに国際法、条約、協定及び保証に違反する戦争を行ったということが挙げられておりまして、御承知のような判決が出ているわけでございますので、そういうものとして政府は受けとめておるということでございます」

それまでの日本政府とは異なる見解が、小和田恒氏によって提示されそれが
定着することとなりました。中韓ソ各々国交回復で解決済みの賠償問題をことごとく、ゾンビのごとく蘇らせたのが小和田恒氏である。

9 小和田恆氏はそれまでの政府見解をうち捨てて、日本はアジア諸国を侵略した。先の大戦が国際法、条約、協定などに違反する戦争であったという裁判の訴因をも受諾したものと解釈を変更。この国会答弁に食らいついた、政治家、マスコミ、知識人たちがその後の自虐史観へと走り、それに乗った中曽根康弘氏などが「靖国問題」などを作り上げてしまう。

10 日本の自虐史観と、その後の中韓へのヘタレ外交の素を作ったのが小和田恒氏である。

 ・・・・・・・・・・・・・

実に駆け足の概略でしかないのですが、詳細を述べると記事が煩瑣になるので、個々の箇条については各自お調べください。
容易に資料は拾えます。

何度も言っていますが、東宮問題が単独でそこにあるわけではありません。
日韓日中在日カルトなどと絡まり合いながら、GHQの日本弱体化政策、
皇室弱体化政策とも連動しながら、今現在の姿です。

擁護派は問題点を俯瞰で見る視野を欠いているので、あらゆる日本毀損の
勢力が東宮問題とリンクしていることが見えないでいます。

参考

雅子妃の父親 小和田恒氏の反日思想
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/813fa021b780fc44dc3b10f0ea7a4eec

小和田恒氏は、日本国を損ねた何人かの最大「悪人」のうち、官僚としては
最大級の「悪人」です。ネジ曲がった政治家をその後生み出す土壌となった
という意味では、それらの政治家よりワルでしょう。

 

安倍総理のいう「戦後レジウムからの脱却」の意味するところの一つは、
日韓、日中、日ソ間の国交回復条約を通じて、賠償金を含むすべての
請求権の相互排除を決め、全て解決済みであるとの確認事項の
再確認ではなかろうかと思われます。

それを阻んでいるのが、自民党のある政権と、民主党政府が不用意な発言、
談話、不要の謝罪などを繰り返した愚かな歴史にありますが、
それらの「犯人」を列記すれば、鈴木善幸時代の宮沢喜一官房長官と
並んで、外務省の小和田恒条約局長がいます。

小和田氏の名は、日本新党の細川護煕首相、社会党の村山富市首相、菅直人・鳩山由紀夫の民主党両首相などの最悪な元首相たちや、河野談話
河野洋平官房長官らの名に隠れて目立ちませんが、官僚の中では最大級に
日本を損ねた人物です。本当に・・・・・こんな政治的ゲスの娘が、よくまぁ
入内できたことと、当時の入内の経緯に改めて強い疑念を抱かざるを得ません。

日本の国益と名誉を著しく損ねて来たこれらの者たちの、証人喚問をして
ことの経緯を明確にすることが、戦後レジウムからの脱却には必要でしょう。

小和田恒氏を、国会喚問せよと主張するゆえんです。かの村山談話の基礎を敷いたのが小和田恒氏です。

 

【備考】 小和田恒氏が「日本は悪者。中韓には跪き、尽くせ」という論を
唱える以前の日本の立ち位置は・・・

衆議院・平和条約特別委員会では小和田氏の大先輩である西村熊雄条約局長(当時)が次のように答弁している。(面倒な人は青字だけ読んでください)

 

「(平和条約)第十一條は、戦犯に関する規定であります。戦犯に関しましては、

 平和條約に特別の規定を置かない限り、平和條約の効力発生と同時に、戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失い、

 裁判がまだ終つていない場合は釈放しなければならないというのが国際法の原則であります。

 従つて、十一條はそういう当然の結果にならないために置かれたものでございまして、

 第一段におきまして、日本は極東軍事裁判所の判決その他各連合国の軍事裁判所によつてなした裁判を

承諾いたすということになつております」

十一月十四日の衆院法務委員会で、佐瀬昌三議員の、

「戦争犯罪というものは、今回の講和條約の調印によつて、全部終了したものであるかどうか、

なお逮捕とか或いは裁判とかいうような問題が残されておるかどうか、

 打切りになつたのであるかどうかという点を、あらかじめ承知いたしておきたい」との質問に対して、

 大橋武夫法務総裁(当時)は

「戦争犯罪という問題は、わが国といたしましては、ポツダム宣言の受諾によつて引起つて来た問題である、

こう考えておるわけでございます。今回の講和條約の締結によりまして、当然ポツダム宣言というものは、

 関係国の間で効力を失うものと存じまするので、今後調印国の間におきましては、

 戦争犯罪という問題は発生の余地がないものと心得ております」と答えている。更に大橋大臣は

「第十一條におきましては、これらの裁判につきまして、日本国政府といたしましては、

その裁判の効果というものを受諾する。この裁判がある事実に対してある効果を定め、

その法律効果というものについては、これは確定のものとして受入れるという意味であると考えるわけであります」

と答弁している。

 以上で明らかなように講和条約に調印、批准したときの日本政府は、本来の国際法では

平和條約の効力発生と同時に戦犯に対する判決は将来に向つて効力を失うのが原則であり、

 今回の講和條約の締結によって、今後は戦争犯罪という問題は発生の余地がない。

また日本は講和条約の第十一条によって極東裁判を受諾したのではなくて、

その裁判の効果(注:判決)というものを受諾するとの解釈でいたのである。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それまでの全てを覆し、世界に向けて日本を全面的な悪者に仕立てあげたのが、小和田恒氏です。動機は解りません。想像は出来ますが、想像範囲内の事なので控えます。ただ、その動機のいかんを問わず、小和田恒氏は日本破壊・弱体化勢力の首領の一人であると言えるでしょう。

画像で表す小和田恒氏を基軸とした日本壊国の円環

 

福田家と小和田家との密着の関係。小和田雅子入内の発端。

http://seesaawiki.jp/w/dosukono/d/%A5%BD%A5%E9%A5%DE%A5%E1

福田赳夫氏の孫娘と親密だった雅子妃。(スキー写真)

福田家に忠誠を表す帯。「福」の字が染め抜かれこれは
福田夫人とお揃い。

婚約の記者会見に皇居に入るときも、福の帯。
「お礼」のつもりか。世間が信じこまされているように
無理やり入内させられたということではなく、
以前から周到に仕組まれていた婚姻である。
雅子妃も周囲の仕組みに積極的に答えている。

マンデラ氏の追悼式に付き添ったのは福田赳夫の息子の康夫。

↑左が韓国首相として始めて竹島に不法上陸した韓昇洙。
右が潘基文。

 潘基文夫妻と。

 

竹島(独島)に碑文を打ち立てた韓 昇洙。
皇太子と親しく食事。

 

 

皇太子と創価学会との関わり。

 

 

 

 

企業犯罪 チッソ水俣の江頭豊氏(母方祖父)

 

 韓国の三大企業+と密着した高円宮。
右端が、フィギュアその他に買収を持ち込んだ
ヒュンダイの御曹司/鄭夢準FIFA副会長

高円宮妃久子殿下と韓国の密着度 【拡散自由】http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/8d6c39c270f79a413bafcff718c32e4b

 

日本単独開催出来たはずのワールドカップを
韓国勢力と結びついて、「韓日」ワールドカップに
持っていったのは、高円宮と小和田恒氏。

雅子妃は誕生会見で、世界的には不評さくさくだった合同開催の、
高円宮のW杯における「功績」を臆面もなく称える。雅子妃の入内に暗躍したのが高円宮夫婦。かたわら高円宮が関わっていた新興宗教ワールドメイトが
秋篠宮両殿下にまつわる捏造スキャンダルをばらまく。
なぜか創価学会でも、おばさん部隊が組織的にばらまいて歩く。
「どこそこ病院の●●先生が言っていた」「看護師が言っていた」と
権威を出すのが特徴だが、地方により病院と先生の名が
異なるのがご愛嬌。要するに都市伝説につきものの、ソースに見せかけた
実はソース無しの話。

 

日本ユニセフの看板、中国工作員ともいうべきアグネス・チャンは池田大作と密着。
日本毀損ビジネスで肥え太っている如き人物。

日本ユニセフの創始者は鳩山由紀夫の母方祖母である。
中抜きが問題視されていて、寄付の宛先が勝手に
分配される。(寄付する気もない相手に勝手にされる)

 

 

日本ユニセフには、雅子妃の母や妹も関与。
高円宮承子さんも就職。 

 

闇の子供たち(プレビュー)

日本人がタイの子どもたちの臓器を買っているという、捏造映画。
タイで上映禁止の、ユニセフ推薦映画。在日作家原作。

反日在日女優推薦「闇の子供たち」を日本ユニセフも推薦。
日本を毀損することで大金を得ているアグネス・チャンを看板に
置くことで日本ユニセフの性質は分かろうというもの。
そこと係る小和田家って何?

 

 

日本ユニセフに振込を勧める雅子妃の妹、礼子氏。

 

 

 

アグネス・チャンは創価と縁深い子宮頸がんワクチンの推進者であり
舛添要一と同じ穴のムジナ。夫が韓国人。

 

皇太子が密かに私的に接触した人民軍の少将。
習近平の妻彭 麗媛。天安門の虐殺の時も現場にいた。
中国も韓国も、将来の天皇を取り込む動き。

皇太子とは隣り合って、人民解放軍のオペラを鑑賞。
民間なら公安の追尾がつくほどの、皇太子の反日的行為。

 

天皇皇后両陛下を中国に行かせた宮沢喜一。
河野談話の立役者の一人でもある。
↓ 小和田恒氏との関わりが、福田赳夫と共に深い。
福田、宮沢共に中国追随派首相だった。

小和田恒氏が仕切る東宮。
小和田家、祖父母の代から御所に入り浸り。
チッソ水俣の企業犯罪の親玉、母方の祖母江頭豊氏のために
大金をかけてバリヤフリーに改修、リフト設置などが行われた。

 

 靖国問題も発端は小和田氏の答弁(解釈から)

中曽根首相(当時)が中国の胡耀邦総書記に書簡を送ったのは、小和田解釈の翌年8月15日のことでした。

 

「戦後四十年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなお、アジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました」

 

国を壊し続けてきた勢力の、影の主人公が小和田恒氏であるという事実を
率直に見つめましょう。その男の娘が皇太子妃であるという現実も。

 

転記ここまで。

 

自虐史観ビジネス。

売国ビジネス。

美智子さん入内から始まった、

戦後日本の物心両面での分裂工作の総仕上げの仕掛け人。

ある意味、「戦後最大の悪人」。

 


「キム小室と眞子様の結婚は、国民への背信行為(もし事実なら)」大切だから、保存します⑳。BBの覚醒記録より

2017年08月30日 | 皇室
    • 「9月3日」が迫ってきており、緊急性からも、今までの時系列無視でアップします。
    • それに、拙コメントを光栄にも採用してくださっているので、自慢もあります。
    • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

      「BBの覚醒記録」が凍結されています。

      ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

      ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

      私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

      日本人が、日本人であり続けるために。

      ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

       

       以下、転記。

    • キム小室と眞子様の結婚は、国民への背信行為(もし事実なら)(初出08/17/17

 

 

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昨日から今日、何度となく宮内庁に電話をかけてるのだけど、タイミングが悪いのかつながりません。

それとも、国民からの抗議が殺到しているのかしらねぇ。

宮内庁へ取材してないまま、電話がつながった読者さまからのレポートをコメ欄より、転載しておきます。

・・・・・

 

9月3日は、支那が喜ぶ日。 (ひげ坊主)

2017-08-17 12:54:20

 

恵美改め夜桜蓮様が先にご指摘になっていますが、

眞子様のご婚約内定発表が9月3日(日)に決まったことに関して、
宮内庁に電話しました。
長官官房総務課(主に質問を受ける)・男性。

Q:9月3日とのことだが、この日に決まった経緯は?
A:お二人と、秋篠宮様、両陛下の日程など調整の結果だ。
Q:9月3日はどんな日か知っているか?
A:?
Q:支那(中華人民共和国)の、対日戦勝記念日だ。2015年から法定の祝日になっている。
  支那人が、「日本に勝った、勝った」と喜ぶ日だ。
  こんな日に日本の皇室の慶事を発表することに異論は出なかったのか?
A:特に聞いていない。
Q:あなたはどう思うか?
A:個人的な質問には答えられない。
Q:これに関して、質問が殺到しているのでは?
A:電話は、たくさん架かっている。
Q:日取りとして、最悪である。秋篠宮様に伝えて欲しい。
A:伝える。
(※この30分ほど前には、「意見を聞く係」として秘書課と話し、同様に「秋篠宮に伝わる」との答えを得ています。)
Q:日程の変更の可能性は?
A:今のところない。ただ、前回7月の発表予定は、九州北部豪雨で延期になった。
  なので、先のことは分からない。
Q:もっともだ。今回も日取りが悪すぎる。再考願いたい。
A:意見として聞いた。
Q:そもそも、「お相手」とされる小室氏の身元調査は十全に行なわれたのか?
A:週刊誌などの報道で、いろいろあっているのは承知しているが、
  どこまでの調査、ということまではこちらでは分からない。
Q:普通、皇族方の婚約などでは、お相手側の家系が発表されるが、その予定は?
A:今のところ予定としてはない。ただ、本日付けの発表なので、今後のことはこれからだ。
Q:国民、納税者として、お相手の身元など、もっとオープンにして欲しい。
A:意見として聞いた。
Q:ご結婚後のお住まいはどこに?
A:今回は民間に降嫁するので、どこまで発表するかは未定だ。
Q:皇室の施設に住むことは?
A:民間になるので、それはないと思う。
Q:身元の話に戻るが、小室氏は法律事務所の事務補助員として、パートタイムで働いているようで、収入の面で問題があるのでは?
A:それも当然、ご両家が話し合われているはずだ。
Q:秋篠宮様には、ご婚約自体を思い直していただきたい。国民として心配だ。
まずは、日取りが最悪だ、ということを認識して欲しい。絶対に「これはまずい」という声が多く上がる。
A:意見として聞いた。

以上です。
役人にしては、わりと誠実に答えてくれたほうかと思います。
「ご結婚」後のお住まいに関しては、「秋篠宮低が増築中で、そこにお住まいになるのでは?
コムロが皇室に入り込むのでは?」との懸念が言われていますが、この人の答えは否定的ニュアンスでした。
しかし、油断は禁物ですね。

なんにしても、よりによって支那の対日戦勝記念日。

ありもしない、中共の「対日戦勝記念日」。

ウラに、何かあるような気がしてなりません。

宮内庁代表電話 03-3213-1111

 

・・・・・ここまで

東京は延々17日間、じめじめと陰気な雨続き。今日も曇天。また降るのなら18日目の連続降水。今日も午後、ぱらついたので連続18日間の降水記録です。

8月にはあり得ない異常気象。

祭祀がなされず天照大神が御隠れになられたか、眞子さまのキムとの婚約に泣いていらっしゃるのか。

 

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6250847

 

日照不足で2,400億円損失か 消費低迷も

 

8月前半だけで、2,400億円の損失か。冷たい夏の深刻な影響が広がり始めている。(フジテレビ系(FNN))

▼両陛下、奄美群島訪問へ 豪雨被災地の福岡、大分もhttps://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/351368/

莫大なお金を投じての被災地ご訪問より、祭祀をお願いします。
そもそも、災害とこの雨続きの異常気象は、祭祀の不在からではないのでしょうか?

祭祀を抜いた天皇は天皇ではありません。端的にそうです。天皇は祭祀王です。

祭祀をなさるか、祭祀が出来る秋篠宮殿下を代行に立てられるか。
それをなさると、皇太子殿下が影が薄くなるからでしょうか。
でも、皇太子殿下は尿袋装着の身で、祭祀は不可能です。
祭祀不能の皇太子を即位させるための「生前退位」なら、国民への
背信行為でしょう。

 

ウロストミー(尿路ストーマ)装着で、ズボンが不自然に膨らんだ画像は何枚も拝見していますが、こんな全体がボワッと膨らんだのは初めて。

尿袋からの漏れ防止のおむつ?

いずれにしても、祭祀不能の天皇は天皇ではありません。

 

そして天照大御神と祭祀でつながっているはずの、天皇のお膝元東京はジトジトと陰気な雨続き。

眞子さまのご婚約を祝いません。

 

転記ここまで。


「宮中にあまたの神官あり」←必読。大切だから、保存します⑲。BBの覚醒記録より

2017年08月30日 | 皇室
  • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

    「BBの覚醒記録」が凍結されています。

    ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

    ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

    私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

    日本人が、日本人であり続けるために。

    ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

     

     以下、転記。

  • 宮中にあまたの神官あり(改訂版初出08/18/14)

 

かつて、読者さんである国語の先生のアドバイスを受けながら、古文で
皇室における祭祀論を書き、それがこちらです。
古文にしたのは、祭祀を語れば皇太子殿下と同妃殿下への
批判は必然となるのですが、しかしながら拙稿をアップした時点での
東宮批判は、はばかる雰囲気が濃厚で古文なら、一般に迂遠のぶん
ものが言いやすかったのです。

しかし思えば、それから皇太子ご夫妻の不心得と、日本の神々、天皇皇后両陛下への
不敬が急速に知られることとなり、批判もしやすくなったこと短期に隔世の感さえ
あります。

東宮は機能を停止しています。秋篠宮家がそれを補いつつありますが、
いっそもはや秋篠宮親王殿下に皇太子の座を移譲されたほうがものごとが
円滑かと、思われます。

ものの言いづらきを救うための古文でしたが、結果として皇居内の
神域を描くには、現代語より古文のほうがそぐわしかったようです。
それもあり・・・・皇室では雅(みやび)な和語をあとうかぎり守っていただきたいと
思うのです。そのための歌会始めでもありましょう。

では以下、旧稿にいささか手を入れつつの再びのお目見えでございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宮中にはあまたの神官巫女ありて宮中に起き伏し、
皇室の明け暮れは神事を核に営まるること、絶えて民に知られず。
されど万世一系。この国最大の神官とも言ふべきを天皇として戴き、
希少なる、世界に唯一の花として儀典の席次で世界は
天皇陛下を頂点に据ゑ、訪米せらるれば大統領が白きタイの正装で
空港にお出迎へす。

いかに総理大臣が軽々に毎年変はらうと、日本国盤石の存在感は、
天皇陛下おはするがゆゑに。

これぞ日の本のご即位なり。
王家の戴冠式とは画然と異なるのは、そこに古来よりの神話が
連綿と今に息づきてありたればこそ。
天皇おん自らが、国の弥栄、民の暮らしの安穏を
祈る神官であらせらるるがゆゑに。

衣装の、浅沓(あさぐつ)の、所作の、式次第の、時代に洗いぬかれ洗練の極みの
即位のありやうを見よ。絵巻物をうちほどき、始点を眺むればそこに
神武天皇が佇み、頭上には天照大御神が燦然と輝やく。

世界のいかなる国も、一系で神話の主に連なる頂点びとは持たぬ。
その眩しさゆゑに羨望ゆゑに、蛮族どもは「王」呼ばはりして
貶む。などて、すめらぎは人となりたまひし。
と、嘆くにあたはず。日の本の民の心の奥底には、天皇を神と仰ぐ
生来の霊性、珠のごとく息づいてあり。

さればこそ、神の玉座を汚すであらう皇太子をもはや日嗣の皇子と
認むること能はず。人格の、私的生活の保障権利のと、呼ばはるばかりにて
神事公務を懈怠(けたい)し、我が妻我が娘にかまけ、
富と権利を恣(ほしいまま)に、民と国とを忘れ果てたるさま、いと浅ましくうたてし。
世界の皇室に注がるる眼差しも、夫妻のあられもなきお姿、お振る舞ひに、
厳しきものに変はり果て揶揄せられ、時に罵らるるに至れり。

そも、十二単におすべらかしにて、即位の儀をつつがなく行はるる妃でありやなしや。
儀式は日本の神と、先帝たちとの大いなる約束、契の場でもあるがゆゑに、
儀式にご体調の波とやらは通用せぬ。
神事抜きに即位せらるとあれば、前代未聞。神の許しなきまま
皇后陛下の位置に佇むは厳に許されざる所業。
先帝たちも決してお許しにならぬ。

「などて皇室を批判するや、全てを受け入れ仰ぐが、
日の本の民の勤め」と説く者あり。いと正しけれど、然しながら今や
菊の防壁の外より妃を求むる時代なれば、邪教、蛮族の娘とて
入内する仕儀となり、民も総てをよしとは言へぬ。
獣が妃を名乗り入内してさえ、言ふてはならぬ、口をつぐめと
言ふなるか。
女帝を擁立するとあらば、その夫に出自を洗ひし朝鮮支那の
男があてがはれ、皇室を占拠する可能性とてあり、
宮中にてそれが阻止出来ずば、防人たるは我々ではないか。
みだりに下卑たる者の出入りを禁ずるがゆゑに、禁裡とは言ふ。

臣民が帝をご批判申すなどゆめ、あるべからず。
帝は御姿勢正しく国を憂ひ、民を思ひ、民はひたすら仰ぎ見るのみ。
しかるに今、民をして批判の矢を射さするは、
どなたのゆゑであらせらるるや。民の咎なるや。

そも皇居には賢所、皇霊殿、神殿と吹上御苑の東南に宮中三殿あり、
通年日々、掌典と言はるる神職、内掌典なる巫女が
清め護りてあり。

 

日輪上り鶏鳴響きてややしばし、賢所と皇霊殿では内掌典が、神殿では
掌典が、清酒赤飯など供へ、宮中の一日は始まる。
次に当直侍従による「毎朝御代拝」、たとひ宮中喪ありとも、一日も欠かさず。

天皇陛下御親修による四方拝、新嘗祭は宮中三殿近くの神嘉殿にて、
鎮魂祭は綾綺殿で行はれ、またここは天皇陛下が三十分かけて装束に
身をお改めになるところ。
三殿それぞれ独立してあるも、簀の子と呼ばるる厚き板の回廊で
つながりて、それぞれが木の階段を正面に有す。

賢所にお祀りせられたるは、皇祖神たる天照大御神なり。御霊代は神鏡にて、
遥か古代よりお祀りせらたり。結界内にあかあかと、久遠に燃え続けるは、
火鑽で熾した忌火にて、この神聖なるほむらの衞り手こそが、掌典、内掌典にて
遠き遠き昔より、今に燃え続け、皇居を日本を護る。皇居と神域と日本国は、
元来不可分なり。

しかるに、皇太子と妃殿下におかれては、就中(なかんずく)妃殿下は宮中の、
神域には絶えてお近づきにならぬ。不遜ながら、何やら邪教の不浄でも、
身におまとひではあらせらるるか。妃が神域をお避けなのか、
結界が妃を入れぬのか。忌み火燃ゆるところ、厳しく穢れを嫌ふ。

結婚の儀は春興殿にて行はれ、后妃が賢所より一歩、おみ足を踏み出された時、
神が認め、婚姻が成立すなるも、昨今の妃殿下の神との契への著しき違約を、
宮中におはする神々はいかに思し召さむ。

宮中三殿の意味すら学ばぬ下賤の者を、宮中に迎へし者の罪も、小さくやはある。
皇居に祀られし神に崇敬の念抱かざる穢れの者が、天皇皇后両陛下を、
大事にすることはなし。そも、天神地祇の存在とても心得ぬ、あたかも
外つ国の蛮族の振る舞いのごとく、いとうたてし。

この不浄の者を皇后として仰ぐは、宮中内神殿に火を放ち、打ち壊す如き、
不敬の業。このごろ民は不敬の意味を履き違え、枝葉のみを見て、
幹を忘れし論議横行のさま浅まし。不敬の根は、そもいずこより
張られたるや。妃の来る方向より、宮中に根付きたるに非ずや。

古来より連綿と編まれてこし祭祀の綱、さなきだに時代とともに
細く弱まりつつあるところ、皇太子皇太子妃の即位となれば、
ぷつりと切れかねぬ。

宮中においては「先ず神事」と、学問、歌道に秀でさせ給ひける順徳天皇が『禁秘御抄』に書きさせ給へる遺訓を、皇太子と皇太子妃両名が裏切りぬ。「凡禁中作法先神事、後他事」の精神を引き継がれてあるは秋篠宮殿下、文仁親王妃殿下、眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王であること、疑ひなし。

皇居の南西、高き築地塀に囲まれし神さびた場所あり、風が松並木を渡れば
松籟が邪気を吹き払う如く響き渡る。一般参賀、昭和宮殿の裏の辺り。
入母屋銅葺きが宮中参殿で、ここは天皇家の祭祀に仕へる掌典職の者達が
御殿と呼びならはし、皇祖神天照大御神の、鎮まります賢所はここにあり。

順徳天皇の遺訓は受け継がれ今も、祭祀はむろんのこととて、御煤払い、十二月の障子と畳の総張替え、続いて天皇の吹上御所、東宮御所、各宮家の大掃除とうち続き、この時ばかりは順徳天皇のお言ひつけに皇太子皇太子妃も、無言であらせられ、さすが掃除の儀にまではお歯向かいもならぬ。

三殿の用材は明治大帝の命にて、柾目の総檜。節目一つ無き清浄なる白木が
今も香り高しと訪るる者は感嘆すれど、蛮国が日本のこの美意識を
理解すとも思へず、皇太子妃においてもまた。
天皇陛下も正座で一定時間は伏したままお顔すら上げられぬ、
厳格なる神事の意味を理解すとも解らむともせず、意味なき苦行としてのみ
受け止得ぬ器しかなきゆゑに、皇太子ともども、祭祀を拒否せんとて神域から
遠ざかり、末は儀式そのものの破壊を目論むは必至。

そも皇居の神域に鳥居無きことの由来を皇太子殿下はご存知なのか。
十二の門のうち、東門は皇太子殿下専らのための御門であり
秋篠宮殿下もくぐれぬ。しかし、肝心のご本人はその門すら
くぐることまれにして妃は神域を忌避とは、いかなる禍事を
招かるるかと、おそろし。

宮中に鳥居無きは、天皇家は神体と「同床共殿」というお考へにて、
明け暮れ神に接し、国と民の安穏を祈るのが本来の
天皇の務めと代々心得てきしものが、皇太子の代にて
絶え、絶ゆれば国に禍事を呼ぶ。
同床共殿ゆゑに、皇居そのものが神の結界。
穢れたる身には、起き伏しすら辛きはず。
まして極悪企業にまつはる怨の字が黒ぐろとある
霊的な筵旗が皇居に立つ有様では。
まさに阿蘭陀(オランダ)に立たれしその日、犯罪企業にからむ
裁判が開かれ、これをして因縁因果とは言はぬか。
本来なら祖父の悪業消滅を願い、身を慎み、世のため人のために
尽くす道を選ばれてこそ、救済の道へと至る。然るに妃の
有り様は我が身我が身と言ひ暮らし、我が身大事に
身を枯らす。人を生かして我が身も生きる、天地の道理も
わきまへぬ。

賢所の神体の鏡の由来は、日本書紀にいはく、天照大神が孫の瓊瓊杵尊が豊葦原の千五百秋の瑞穂国に降臨するとき、天忍穂耳尊にかく語れり。
 「吾が児、この宝鏡を視まさんこと、まさに吾れを視るがごとくすべし。ともに床を同じくし、殿を共にしもって斎鏡となすべし」

奈良県田原本町は古代に鏡作部が住みなし、中心は鏡作神社なり。神体は二神二獣鏡で、社伝では、崇神天皇が鏡を新鋳したとき、試しに鋳たる鏡なりけり。大神の授けたる鏡は、十一代垂仁天皇の皇女倭姫命が日本各地を歩かれ、神鏡を奉安するにふさわしき清浄なる地を伊勢の五十鈴川上流と定め、伊勢神宮が成りけり。

天叢雲剣は十二代景行天皇のとき、大和武尊が剣をもって東征、野火に囲まれたるが、神剣の威力で脱出し、それ以降草薙剣となり、剣は名古屋・熱田神宮に納められけり。

簡略に述べたる如く、天皇家は神々、日本の各神社と深きゆかりを持つ。その神社を忌避する罰当たりの妃など、日の本より退出せよ。順徳天皇の『禁秘御抄』には「あからさまにも神宮ならびに内侍所の方をもって御跡となし給わず」と書かれ、天皇は伊勢神宮と賢所の方角には背を向けるなというお達し。皇太子妃におかれては、お背中どころか肉厚のおみ足すら、お向けではなからうかと思はるる不敬の限り、いと見苦し。

当直の時、巫女たちは、火事や地震に備へ、昼のままの衣装で夜具に横たはる。駆けつくるとき神のおん前に見苦しきさま見せぬようにとその心遣ひは、夏は神も暑かろうと御簾を開け放ちての「お風入れ」。
夕立来たれば、御格子を閉ぢて様子をうかがひ、時に雨上がりの空に大いなる虹が立ち、古より変はらぬ悠然たる時の流れる日本の神の地に嫁ぎながら、シャネルなどといふ外つ国の衣装は好みながら、古代装束に威儀を正すことを放擲したる、不摂生と過飲過食にぶくぶくと肉厚き妃を、帝はいつまで許し給ふや。伝へらるるところによれば過ぐる四年前は心因性の御出血との由、不出来の妃と、その妃に振り回さるる皇太子に悩まれてのことに非ずや。

下品(げぼん)の家の出にて、品悪しく、しどけなき妃の傍ら、神域では神官巫女たちが粛々と神事に明け暮れ、お仕へしてゐることを妃は知らずや、己の放恣を恥とも思はぬか。巫女は御殿に上がるとき、潔斎所にて身を清めてのご奉仕。
動物性のものは口にせず、穢れをかくも厭う。星あるレストランを渡り歩き、肉を食らふ妃はそれが悪しとは申さぬものの、巫女たちの日々の厳格な精進潔斎ぶりに比して、腰回りにでくでくと肉つけまわす、おのが自堕落を恥と思ふ神経すらお持ちでないか。

宮中祭祀を厭ふには、おすべらかし十二単の面倒もつきまとふゆゑでもあらふが、
内掌典は櫛の固形の油をつぶし、なすりこみ、鬢付け油でのあの髪型を一年中と思し召せ。左手に鏡、右手に櫛。両手を上げての髪結ひは、慣れぬうちは何時間もかかる重労働にて、貧血で倒れたる人もをり、終わると腕が細くなるのが分かるほどと仄聞する。さて仕上げた髪はおすべらかしに近く、夜は箱枕、慣るるまで、顎や耳が痛むと聞く。洗髪は、洗剤、砂などをかけて二時間ほど。
三殿の一帯は清浄にて、一歩外に出て、再び入るときは潔斎。歯が痛み、宮内庁歯科に行き、しかし帰れば潔斎として、鬢付け油で結ひたる頭を洗ひ再び結髪せねばならぬ。

お仕へ人がかくも、日々精進潔斎、神事に精進しているといふに、妃の
年にわずか数度の祭祀の懈怠は、横着のそしり免れ難し。
周囲も民も、辛きを耐へ義務は時に歯を食ひしばり行ひ、皆、
生きてあり。妃一人この世の業苦を背負ったごとく、悲劇の身振りで、
疲れたり苦しと倒れ伏し最初は民も同情すれど、お会釈といふ
須臾(しゅゆ)の間に済む公務すら辛しと避け、しかるに和服まとへば、
外股に、鞄はぶらぶらと皇太子の先に立ち、お遊びに出かくれば、民の交通は遮断して、護衛の者大仰につけ、食らふ、雪山を滑る、
花火見物に買ひ物に、吾子を伴なひし氷滑りは民の子らを締め出し、
我が世の謳歌とはこはいかに。

内掌典の世界も口伝にて、だんだんに人不足。掟は厳しさが薄れつつあり、
それは時の流れとて抗えぬ部分もあらうが、そも神の庭は
厳しき則貫きてこそ、国護る効験もあらめ。基なる厳かなお仕へは
残したしと思へども、あの歯並び悪き髪常に振り乱す妃と共に、岳父の下卑たる思想にかぶれたる皇太子。残すどころか叩き壊す。
神事廃れれば国滅ぶ。

そも、皇位継承の証として天皇即位の際に、譲り渡さるる三種の神器は、八咫鏡、天叢雲剣、八尺瓊勾玉なり。

問ふ、皇太子殿下におかれては、三種の神器を
拝受なさるお覚悟ありやなしや、と。(注; 伊勢神宮への天皇皇后両陛下の「剣璽(けんじ)ご 動座」に同行せざるは、その覚悟無しと見たり)

御身穢れ、覚悟なきまま拝受する天叢雲剣は、志低き御身に刃を向けやふぞ。
神の采配はいと厳しくあること御覚悟の上、皇位継承の証を秋篠宮文仁親王にお譲りにならるるか、はたご自身で受け取らるるか、命を懸けたお覚悟でお決めになられたし。安易に継ぐことなかれ。
瑞穂の国の命運はげに、帝の志の高低に左右さるるものぞ、と厳しく
知られたし。緩んだ表情を引き締められよ。
憲法一度変はらば「元首」となる。その格に相応しや。
昭和大帝と今上陛下のくぐり抜けられたる魔界の裁き、東京裁判から
しばらく続きし、耐え難き氷の御代の延長に、現在の安穏はあり。
妃と二人安逸の果実を貪るのみで、樹を植うることをなさらぬ我が身を
見返られよ。人に返さず天に返さずの貪りは、餓鬼の所業なり。

秋篠宮殿下におかれては、いかなる処遇を受けようと、ただ黙々と
皇室のため日本のため、身を捧ぐお覚悟。兄君を支え、
至らぬ穴を埋めてお歩きの決意とお見受けす。そこに甘え、
しわ寄せで今以上の激務で夫妻を、御子たちを疲弊させてはならぬ。
まして秋篠宮家のどなたでも倒れさせては天の摂理に背くこと、
厳しくお覚悟せられたし。

余りにも浅ましく情けなき皇太子殿下の今のお姿、
我が身我が妻、我が娘と言ひ暮らし、神事の禊無きままに
夫妻で美食と怠惰に肥え太り緩み、民、国のこと口にだにせず。
あくまで帝になると言はるるなら、せめて
悠仁さまに連なる皇統を大切にせられたし。少なき歳費と、乏しき護衛にて
励まれるご一家に御心を向けらるるよう願い奉る。

恐惶謹言、名も無き民草、伏して畏みまをす。

 

文中に記した火鑚(ひきり)
宮中で使用するすべての火は「忌火」と呼ばれる清浄な火を使用。
「忌火」は木と木を擦りあわせる「舞錐式発火法(まいきりしきはっかほう)」により、
火をきりだす「御火鑚具(みひきりぐ)」を使用。
これは、静岡県の登呂遺跡から発掘されたものと同じ形式で、
ヒノキの板にヤマビワ製の心棒を摩擦して発火させる。
忌火は、権祢宜(ごんねぎ)の職の者が、前夜から
参籠斎戒(さんろうさいかい)してきりだします。

こういう細部を取り出しても、皇室や神社の伝統の厚みと凄さが
お分かりでしょう。そんじょそこらの国や人が、追いつく
レベルではないのです。
宮中に入る方、いらっしゃる方は、十重二十重(とえはたえ)の伝統の
厚みと凄さ、神域の厳しさを受けて立たれ、特有の美意識を解する
格の高き方でないと、務まりません。
まして、こんな時間と労力のいることを、いもしない
神のためにやるなんて、だから祭祀は必要ない、
という感性の者は、いてはならぬところです。

皇太子、雅子妃、あなた方のことだ。

 

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転記ここまで。

 

天皇陛下を祭祀の最高位に奉る神道は、

そもそも宗教ではありません。

が、もし宗教的言い回しを一時許されるのであれば、

この文章こそが、我々の「経典」であり、「バイブル」でしょう。


「映画に見る朝鮮人の暴力」大切だから、保存します⑱BBの覚醒記録より。

2017年08月30日 | 皇室
  • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

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    ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

    ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

    私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

    日本人が、日本人であり続けるために。

    ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

     

     以下、転記。

  • 映画に見る朝鮮人の暴力(初出06/03/12)

 

不良三国人=(ほぼ)朝鮮人、戦後間もなくの不逞台湾人も含みます。

フィクションですが、フィクションは往々にして世相を正確に写し取ります。

【山口組三代目】不良外国人から神戸を守ったヤクザ【実話】

 

山口組三代目組長の田岡満自伝。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411518624

1945年八月十五日、終戦による混乱に乗じて、不良三国人は、三国人聯盟を結成、彼らを基盤にした集団テロ、略奪を始めた。
婦女暴行という現場を見せつけられた田岡は、三国人聯盟会長・朴基栄を倒すべく出向くが失敗。
だが、田岡と心を同じくする国士館大生の大西利一、佐藤淳郎らを知り、復員してきた岡精義、山田久一らを加え組織は昔日の片鱗を取り戻して来た。
そして山口組自警団を結成、不艮三国人と対立した。そんな田岡ら一行を羨望の眼差しで見ている若者がいた。地道行雄である。

良三国人が交番を襲撃するという通報を聞いた地道は、遅れて来た田岡たちと共に三国人たちを叩きふせた。
そして田岡は執拗に子分にしてくれ、と頼む地道に根負けし盃をくみかわした。

日をおってエスカレートする不良三国人の暴虐さに根を挙げた警察は、山口組自警団に警備を依頼した。
やがて、自警団と三国人聯盟との間に死闘がくり返され田岡自身も傷を負うが、朴を倒す。

翌日、三国人同盟は田岡個人に対し決闘を申し込んだ。死を決意した田岡は、吉川と共に本部に乗り込み、危機一髪の所を、直情径行の男・菅谷政男(通称ボンノ)が拳銃片手に屈強な部下を引きつれてなだれ込み、田岡の危機を救った。



朝鮮人は三国人と呼ばれ、戦勝国民を気取って日本人への略奪・暴行・強姦・虐殺を繰り返し、違法な闇市を支配して富を築いた。
駅前等の土地強奪、不法占拠も。

鳩山一郎(その後、首相)は、駅で列車が朝鮮人集団に乗っ取られて日本人乗客が降ろされるのを目撃して注意したため、彼らに半殺しにされた。
鳩山はこの時、警察予備隊の設立を着想したと「回想録」に記している。

米軍は各地で治安出動し三国人を鎮圧していたが、朝鮮戦争出撃で困難になるのでGHQが警察予備隊設立にGOサインを出した。
つまり自衛隊の前身は三国人鎮圧部隊だった。
http://www.google.co.jp/search?num=50&q=%94%b5%8eR%88%ea%98Y%81@%8e...


 終戦後の第三國人どもは本當に酷かった。軍の兵器を盗んで來たらしく、三十八式歩兵銃や拳銃で武装し、銃には着剣して強盗強姦、時には殺人まで重ねてゐた。

 銀座浅草新宿は朝鮮人、澁谷は臺湾人に支配され、政府も警察も動揺し、手を拱いてゐた。
 

食管法は朝鮮人には適用されなかった だから彼等は堂々と闇商賣を行ひ、派手に稼いでゐた そりゃ儲かるだらう。

 取締を横目に犯罪のし放題なのだから。
 

東京東部(中心地)北郊の荒川、古利根−中川、江戸川、利根川流域の牛は皆ゐなくなった。
 當時、あの辺は畜力として農耕牛を使ってゐたが、深夜、不逞鮮人が侵入して盗み出し、河原へ牽いて行ってした。 
牛はモウと言って鳴いたので皆気付いたが銃砲刀剣で武装してゐるので追ふ訳には行かなかった。

 永年愛育し、慈しんだ牛が悲しさうに鳴きながら引き出され殺されるのは無念で耐え難かったがどうにも出來なかった。
 斯うして流域一帯の牛は皆、不逞鮮人に盗まれ、殺され、闇市で賣られた 關東から、牛はゐなくなった。

 家畜相手ならまだしも、人間に對しても、關東以西の大都市を中心に、日本中に灰神楽が立つやうな勢で数多犯罪を重ねた。
 直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや 
土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 殊には、空襲や疎開で一時的に空いて飽いてゐる土地が片端から強奪された。

 堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み、「濱松大戦争」になった。

 其で米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担當してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、關東と言はず關西と言はず、不逞鮮人活動地域に大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を築き、装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へて不逞鮮人にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した。
 

此時聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發した布告が、

「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」と言ふ声明で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである。

 だから、外國人差別用語な筈は無い。彼等自身、マックアーサー元帥以下、一人残らず皆、外國人ではないか
 聯合國軍總司令官は、本國や同盟國、對日理事會や極東委員會に氣を遣はねばならぬ外交センスの要る役職であった。
 何人にもせよ、敗戦國民以外を、声明發して迄差別なんぞする筈が無い。
 「第三國人」の語は、國際法に則って説いた専門、技術用語に過ぎない。

・・・・

東京都知事石原慎太郎が2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地創隊記念式典での演説で用いたものである。石原は不法入国した三国人と述べ、この発言は「近年の日本での外国人犯罪への危惧から発せられた言葉」とされているが、この発言に対して特に在日コリアンや韓国が強く反発した。また、朝鮮史研究会としても石原の発言を批判している。

・・・・

国連も石原発言に介入して来ていますが、石原都知事の発言は極めてまっとうです。

「戦勝国」を自称する朝鮮人たちに対して、お前たちは戦勝をしていない第三者である、という意味での第三国人なのですから。

当時、朝鮮半島から大量の密入国者たちが押し寄せていたのも歴史的事実です。それを、在日や韓国、あろうことか国連までもが否定する。史実を歪めての非難に屈してはなりません。何の権利があって日本の歴史に口を挟んで来るのか。

以下は私見ですが、裏街道を仕切るには仕切る組織は必要悪として必要です。人の世は光のみにて存在するにはあらず。闇の部分をも持ち合わせています。その両面を上手く均衡取りながら営んでいくのが成熟した社会なのであって、必要悪を抹殺していった結果が、現在の裏街道での在日ののさばり方になってしまいました。極道賛美と取られては心外ですが、昔の極道には一本筋を通す仁義があったのです。美学と言ってもいい。朝鮮マフィアや中国マフィアにはそれがありません。

 ちなみに、映画で朝鮮人たちが路上で日本女性を強姦するシーンは削除されていて見つかりません。

 

転記ここまで。


「韓国よ、これが日帝の強引な『植民地化』なのか、嘘をつくな!」大切だから、保存します⑰。BBの覚醒記録より

2017年08月30日 | 皇室
      • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

        「BBの覚醒記録」が凍結されています。

        ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

        ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

        私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

        日本人が、日本人であり続けるために。

        ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

         

         以下、転記。

      • 韓国よ、これが日帝の強引な「植民地化」なのか、嘘をつくな!(初出06/02/12)

 

Siam To Korea 1931

昭和6(1931)年に白人がシャム(タイ)から朝鮮を旅行した際のフィルムです.

動画の半ば過ぎ辺りから。街並みは整然と、和服と朝鮮服が仲良く混在している風景。朝鮮人は虐げられているわけでもなく、のびのびと暮らしています。

 【私が3歳〜5歳の頃(1931年〜1933年頃)、朝鮮半島では目ざましい勢いでインフラ整備がなされていった。
 漢江(かんこう・ハンガン)は従業員(労働者?)も日本人1.5万人朝鮮人5万人の計6万人、当時半島で最も活気に満ちた都市であった。

 私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。
 そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社会が非常に安定しており、これは(日本人も朝鮮人も)法的に平等であったことが大きいと思う。
 人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いというのは(社会として)上等である。

 例えばインドと比較してみればよい。インドは朝鮮半島と違って、インフラ整備も遅れ、識字率も低いままだ。

 大変な金額を投じて、日本は朝鮮半島を整備したのだ。】
(元韓国空軍大佐崔三然氏の証言。後述)

孫引きになりますが、「ねずさんの ひとりごと」 http://nezu621.blog7.fc2.com/ で引用されていたフェイスブックからの転載です。

Facebookで、KCさんが書かれた投稿です。
転載です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これが日本の朝鮮経営の実態だ。
どこが侵略・植民地政策なのか?

1 朝鮮半島の人口が2倍に増えて
2 24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて
3 人口の30%を占めていた奴隷が解放されて
4 幼児売買が禁止されて
5 家父長制が制限されて
6 家畜扱いだった朝鮮女性に名前がつけられるようになって
7 度量衡が統一されて
8 忘れられていたハングル文字が整備され、標準朝鮮語が定められ
9 朝鮮語数育のための教科書、教材が大量に作成され、持ち込まれて
10 5200校以上の小学校がつくられて
11 師範学校や高等学校があわせて1000校以上つくられて
12 239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって
13 大学(帝国大学)がつくられて、病院がつくられて
14 カルト呪術医療が禁止されて
15 上下水遭が整備されて
16 泥水すすって下水垂れ流しの生活ができなくなって
17 日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに
18 朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されす、内地の勤労動員だけで済まされていて
18 志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって
20 100キロだった鉄道が6000キロも敷かれて
21 どこでも港がつくられて、どこまでも電気が引かれて
22 会社がつくられるようになって、物々交換から貨幣経済に転換して
23 二階建て以上の家屋がつくられるようになって
24 入浴するよう指導され
25 禿げ山に6億本もの樹木が植林され、ため池がつくられて
26 今あるため池の半分もいまだに日本製で
27 道路や川や橋が整儀されて
28 耕作地を2倍にされて
29 近代的な農業を教えられたせいで、1反当りの収穫量が3倍になってしまって

加えて、
朝鮮から国会議員も選出し、
「洪中将」のように、朝鮮名であっても、中将に昇進させ、
貧民の出身であっても、朴大統領のように、優秀な人材は、
校長が進学させ、幹部候補生学校で恩賜の金時計を賜った。**

これが、「差別」か?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

貴重な記事満載なので、直接「ねずさんの ひとりごと」を読まれたほうがいいと思いますが、お時間のない方のために引用、抄述しておきます。

元韓国空軍大佐崔三然氏の講演会の記述。
崔三然氏は、朝鮮半島生まれた純粋なコリアン。
そして日本の陸軍幼年学校を卒業され、韓国独立後、韓国空軍に入隊し、空軍大佐として退役された方。


【親日保守の韓国人はどこへ行ったのか?】
http://www.sns-freejapan.jp/2012/06/01/1552/

崔氏は、この講演の中で次のように述べられています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっている(※講演時、未完成)。とんでもない。

慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。

もしも皆さんが、中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。

彼らはわかって言っているのだ。
そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。
日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。
日本人はあまりにも良心的で素直過ぎる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

是非、みなさまに知っていただきたいのは、日韓関係が良好化することは、なにより「中共と北朝鮮にとって国を危うくする脅威そのものである」ということです。

そのために支那と北朝鮮は、莫大な資金を使って、韓国が親日化しないよう日韓の離間工作をし続けている、ということです。
そしてもっと大事なことは、そのための費用が、なんと「日本」から出ているということです。

私は、戦前戦後、朝鮮人によってなされた数々の蛮行、それは強姦、暴行、放火、殺人などの数々の凶行を許す気はありません。
彼の国が血統として持っている強姦癖も、日本人は決して忘れず、警戒を怠らないようにしなければならないと思うし、在日、非在日を問わず、反日に洗脳されたコリアンたちについては、徹底して反撃しなければならないものと思っています。

ただし同時に、日韓の離間工作の背景には、中共と北朝鮮による積極的な政治工作があり、そのための資金は、日本から供出されていた、という事実も、みなさんに知っていただきたいのです。

いま、日本国内で、生活保護さえ受けないで、苦しい生活の中で自殺する日本人は、年間3万人を数えます。
あれだけ取り締まりの厳しい交通事故の、なんと3倍の死亡者です。
その一方で、在日朝鮮人たちが、働きもせずに、生活保護で遊び暮し、強固集票団体となっている。
さらに韓国国内や、日本国内で、莫大な日韓離間工作のための政治資金がバラまかれている。

・・・・・・・・・・

これ以上の転載と引用は、マナー違反かと思いますので、後はご本人のサイトでお読みになり、もし賛同なさったらポチ押し応援をよろしくお願い致します。

更にこれは日本人必読だと思われますので、再度アドレスを掲げておきます。

http://www.sns-freejapan.jp/2012/06/01/1552/

 

韓国における親日派の存在については最近の記事でも採り上げまして

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/60015a81466f05c8152bfc25f7f31e61

コメント欄に種々のご意見ご感想を賜っています。

なぜ、このところ親日派の存在や親日的記事が現れるようになったのか、というよりべべこ的嗅覚がどうもそこへスッと寄って行くのですね。

何かある・・・。

分析はこうかな、というのは、漠然とありますがいまだ確信には至っていず。それぞれ皆さまでお考えください。

日韓の関係良好が(仮にあり得るとして)マズイのは実は韓国ではなく、北朝鮮と中国であるということが、考え方の一つの端緒にはなるかもしれません。日本から支援を得るための恫喝材料としての韓国の嘘つき史実という側面もあるけれど、現政権のみならず、別に日本が悪いことをしていなくても、どんどん援助をしたい議員がいっぱいいますしねえ? 日本をいつまでも悪者に仕立てておくことのメリットとデメリットを考えたら、はて?

 

転記ここまで。


「聖徳太子『和を以って貴しとなす』の真意」大切だから、保存します⑯。BBの覚醒記録より

2017年08月30日 | 皇室
  • 皇室ブログの第一人者、というよりも、日本を愛するすべての日本人を代表するブログ、

    「BBの覚醒記録」が凍結されています。

    ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

    ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

    私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

    日本人が、日本人であり続けるために。

    ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

     

     以下、転記。

  • 聖徳太子「和を以って貴しとなす」の真意(初出06/01/12)

 

コメント欄に「和を以って貴しとなす」の真意を誤解しての投稿を頂き、しかしながらこの言葉が「とにかく物事に角を立てず、穏やかに」と誤読され、日本人の特質として流布されていて、誤読はこの方に限らず、なので、この機会に聖徳太子の言葉の真意を述べておきます。

道理に叶った結論を得るには徹底的に議論せよ、というのが聖徳太子の言葉の真意です。

現在の日本人のように、中韓が仕掛けて来る理不尽に対して、無関心無抵抗であることが「和をもって」ではないので、どうぞ誤解なさらぬように。

また「和」と一般に流布されていますが、原典では「和らぎ(やわらぎ)」です。

詳細は興味があれば動画を見て頂きますが、何が何でも仲良く穏やかに、長いものにはまかれろ、などということを聖徳太子は言っていません。


不当な言いがかりや搾取を黙って見過ごせという腑抜け精神を説いたものではありません。

また「尊しとなす」と理解されていますが、それが間違いというわけでもないのですが原典では「貴し」です。日本語は繊細微妙です。尊と貴の細やかなニュアンスを分かりたい。

尊いも貴いも、優れて冒さざるさま、という意味ですが、貴いには神気を帯びて気高く近寄りがたいのニュアンスがこもるかと思われます(べべこ解釈です)

 


「神(かむ)さびて高く貴き駿河なる富士の高嶺を」 万葉集

「神さびた」がポイントですね。

「和らぎを以って貴しとなす」

この言葉の真意を心得ておいたほうがよさそうです。

日本人の精神性を表すのに余りにも誤用されています。

何が何でも仲良く、そのためにはなぁなぁでもいいからコトを丸く収めよ、という腑抜け精神からは程遠い、凛とした言葉です。

聖徳太子「和を以て貴しとなす」の真意

 

転記ここまで。


「賛美される戦争もある」大切だから、保存します⑮。BBの覚醒記録より

2017年08月30日 | 皇室
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    ここに至るまでの事は、ネット上で様々人口に膾炙しているので、省きます。

    ここでは、いろいろな柵(しがらみ)を取っ払って、

    私(ひげ坊主)の心に、とりわけ残る記事を採録します。

    日本人が、日本人であり続けるために。

    ※文字レイアウト、キャラクターの使用、写真の追加などは、ひげ坊主の恣意です。

     

     以下、転記。

  • 賛美される戦争もある(初出05/27/12)

 

 

戦争はよくない。当然です。

戦争はしたくない。当然です。

だが避けられない歴史上の必要悪、必然性としての戦争はある。あった。それが大東亜戦争(太平洋戦争)だった。

日本人は知っておかねばならない、日本のあの戦争を理解し、拍手さえしてくれる国々や人々が大勢いることを。

裁かれるべきは本当は誰だったのか?

戦犯の濡れ衣を着せられて靖国に眠る英霊のために日本人の先祖のために、これは言い続けねばならない。

先の戦争は侵略戦争ではなかった。自衛のための避けられないやむを得ぬ戦争であり、あの戦争故にアジアの国々は立ち上がり白人たちから祖国を奪還したのだ、と。

中国や韓国の捏造と言いがかりに騙されてはなりません。

 

世界は日本をどう見ているか

転記ここまで。