島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

「ノーカーデー」と「カーフリーデー」

2010-06-18 06:07:54 | クルマ社会の問題
 チェコのドキュメンタリー映画で首都プラハで激増するクルマを抑制しようとする市民活動のことが紹介されていた。
 むろん登場人物はすべてチェコ語でしゃべるが、字幕は英語と日本語である。
 市民団体は1日クルマのない日を提案していたが、字幕では英語ではCar-free dayと表記されていたのに対し、日本語では「ノーカーデー」と表記されていた。
 つまりはCar-free dayもノーカーデーも同じ意味なのだが、日本人にとっては「ノーカーデー」の方がわかり易いことは否めないし、実際に過去(それもなんと30年ほども昔)に「ノーカーデー」と言われていた。
「カーフリー」の中の「フリー」という英語は日本人にとってどうしても「自由」という意味あいが強く、何だか「クルマの使用が自由」という意味にとられかねない。
 この場合の「フリー」の意味は「無」「無の状態」のことであり、「バリアフリー」とか「ジェンダーフリー」の場合は「障壁の無い状態」「社会的性差が取り除かれた状態」という意味で日本社会でもかなり定着している。
 つまり「カーフリー」も「クルマの無い状態」という意味になるのだが、この場合はむしろ反対に「クルマを自由に乗り回す」という意味にとられがちだ。
 ともかく日本では、特に地方社会ではいわゆる「クルマ離れ」の実感が感じられないどころか、むしろ一層クルマの増加が感じられてならない(地球温暖化「防止」という言葉が安易に使われている割合に)ので、「クルマの無い状態」どころか「クルマの走行抑制」すら困難であろう。
 ましてや「カーフリー」という用語はなかなか定着しにくいのではないか。

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