島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

ガソリン補給して神々を冒とく

2011-03-27 18:53:16 | クルマ社会の問題

    
 さて、上にあるこの二つの写真をどう関連づけるべきか。
 上の写真なら大震災の被災県および近隣の県なら現在普通に見られる光景になっているのだが、下の写真の場合は神社の鳥居の内部に複数のクルマが駐車している様子である。
 上の写真にある通り、多くのクルマにとってガソリンの補給は現在も困難な状況であり、ガソリンスタンドは「休業」状態にしていていたり、「午前のみ営業」という所が多い。[写真は3月27日(日)撮影]
 今では西日本方面からかなりの数のタンクローリー車が東北地方に入ってきているのだが、むろん被災地と緊急車両最優先の化石燃料であり、一般車両にまで廻される分はまだまだ少ない。
 それゆえ今なお平日の午前はガソリンスタンドに向けて並ぶ夥しく長い車列という光景が見られるわけである。しかも早朝から3、4時間も順番待ちということも普通である。
 しかし、街を歩いて気づくことは、確かに震災以前よりは街を走るクルマの数は幾分少ないものの、決して「ちらほら」というほどの状態ではない。そして意外なことに依然として営業用のクルマよりも一般乗用車、つまりマイカーの方が多い。これでは物資の流通が滞るわけである。
 下の写真に見られる神社の鳥居の内側に並ぶクルマは一体全体何のためのクルマなのであろうか。
 鳥居の内側はいわば「聖域」であり神聖な場所なのだから、これらのクルマは「神聖な用事」のために駐車しているのであろうか。
 むろん、決してそんなことはない。
 鳥居の左側には商業施設があり、そのために左側には広い駐車場がうあってクルマの出入口もある。これらのクルマはたぶんその商業施設に出入りする人たちのものであろう。だが、参道を塞がねばならないほど駐車場が混雑していたわけではない。だから、なんで神社の参道を塞いでまで駐車する必要があるのか理解に苦しむ。
 いわば「神々をも怖れぬ」行為であるが、このような現代日本人の「利便最優先」の行為が「ガソリン不足」を招いたと言えるのではないかとも考えたくなる。
 たぶん、これらのクルマのドライバーたちも前日か前々日あたりにはやっとの思いでガソリンにありつけたのであろう。しかし、ガソリン消費の表れが「神々に対する冒とく」なのである。
 確か10年前ほど前までは鳥居の左側は豊かな樹林で、「神聖」な雰囲気を漂わせていた。
 だが、クルマ社会の進展に押され、ついに樹林は駐車場と化した。
 それでも駐車スペースが足りぬとばかりに「お車さま」は参道を塞ぐまでを為しているのである。