たぶん大正後期か昭和初期の頃の山形市内中心街の模様だと思う。
今年の冬の積雪はかりのものであったが、この時代の積雪もやはり相当なものであったことが、この写真によりわかる。
でも、これほどの積雪でも住民たちも行政もさほど大騒ぎすることはなかったようだ。
やれ、自治体の除雪費が底をつきそうだから、議会で補正予算計上の承認を得ておかなければならないだの、何よりもクルマの走行に重大な支障が生じて経済活動が停滞するだのと、てんやわんやになるのは現代だからだ。
むろん、この時代も雪を道路の両脇に積み重ねていたが、路面のアスファルト(この時代はたぶん土のまま?)がすっかり現れるまでに雪を除去することはなく、むしろ商店主たちも一般住民も路面がむき出しになるまでに雪が取り払われるべきではないと考えていた。
なぜなら、商品を運ぶためのそりを使用するには路面の雪はむしろ多めの方がよかったからである。
だから、路面の雪が消えかかったら、道路の脇に積み重ねられていた雪を取り崩して再び路面を雪で覆うようにしてそりをすべらせるのに便利にしていたのである。
今年の冬の積雪はかりのものであったが、この時代の積雪もやはり相当なものであったことが、この写真によりわかる。
でも、これほどの積雪でも住民たちも行政もさほど大騒ぎすることはなかったようだ。
やれ、自治体の除雪費が底をつきそうだから、議会で補正予算計上の承認を得ておかなければならないだの、何よりもクルマの走行に重大な支障が生じて経済活動が停滞するだのと、てんやわんやになるのは現代だからだ。
むろん、この時代も雪を道路の両脇に積み重ねていたが、路面のアスファルト(この時代はたぶん土のまま?)がすっかり現れるまでに雪を除去することはなく、むしろ商店主たちも一般住民も路面がむき出しになるまでに雪が取り払われるべきではないと考えていた。
なぜなら、商品を運ぶためのそりを使用するには路面の雪はむしろ多めの方がよかったからである。
だから、路面の雪が消えかかったら、道路の脇に積み重ねられていた雪を取り崩して再び路面を雪で覆うようにしてそりをすべらせるのに便利にしていたのである。