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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

うらめしや~

2010-04-22 22:36:29 | 地球温暖化
 見れば見るほど心が温まるような爛漫の桜花。
 こんな陽気な写真なのに、どうしてタイトルは「うらめしや~」なのか?
 これは高遠の桜であり、他の多くの桜がせいぜい三分咲き程度なのに、この高遠桜はこの公園内では最も開花が早い。でも、場所は長野県内ではない。
 山形市の霞城公園内に植えられた桜の苗木が成長したものである。
 だが、この見事な美しさも今日と明日の冬のような冷たい雨にたたられて萎えてしまいそうで市民としては心配でならない。
 今日は東京でも最高気温が10度以下だったようであり、昨日の25度だったから、気温の上では夏から冬へと大変動していることになる。
 むろん、山形でも気温の乱高下は著しい。
 とりわけ「寒冷さ」が顕著に感じられる。
 だから、地球寒冷化の表れと申したいところであるが、温暖化と寒冷化は表裏一体であることは以前にも何度か述べたつもりである。
 公園内の数多い桜はこの冷気のために充分に開花しないままに終わってしまうのではないか気がかりである。それゆえ、天候に「うらめしや~」と物申したくなる。

レジ袋削減の影で・・・(1)

2010-04-10 23:52:43 | 地球温暖化
 上の写真をとくとご覧あれ!!
先日、衛星放送テレビを開いてみたら、インドの大都市のムンバイ(ボンベイ)の深刻な交通問題の模様が放映されていた。
 人口がべらぼうに多いこともあるが、広い道路をふさぐクルマの氾濫と公共交通機関である列車の屋根にへばりつくムンバイ市民の姿を見ると、いずれも殺人的な交通事情であることがわかる。
 これでは道路上での事故死者もべらぼうに多いだろうし、列車の屋根にへばりつく乗客の中には振り落とされる者が居ても不思議ではない。
 たぶんムンバイに溢れるクルマの大多数は排気ガス規制のゆるい時代に生産された物だろうから、大気汚染が深刻で胸部疾患による死者もかなりの数になろうことが想像できる。
 むろん、CO2つまり二酸化炭素の排出量はべらぼうであろう。
 これが昨年の地球温暖化抑制を協議するコペンハーゲン会議において先進諸国の提案を頑強に拒否した開発途上国の一つである人口大国インドの現状なのである。
 片や日本ではスーパーなどではレジ袋を使用する市民の姿が激減しているが、インドや中国などでのクルマ使用は今後も激増するであろうから、レジ袋の大幅削減などによるによる二酸化炭素削減の努力なんぞはまことにささやかそのものであり、二酸化炭素削減の努力による効果のほどは「暖簾(のれん)に腕押し」どころではないのである。
◆写真[上左]列車の屋根にへばりつく乗客 [上右]交通渋滞解消を目指す建設途上の高架道路 [下左]ムンバイ市でのおぞましいまでのクルマの洪水 [下右]大気汚染調査を行う富裕階層市民のボランティア

やはり多い家庭生活でのクルマ使用CO2排出

2010-03-21 11:48:29 | 地球温暖化
 2006年度と07年度における家庭生活での二酸化炭素(CO2)排出の内訳が表されている。同一の機関による算出なのかどうかは不明だし、1年違いでも各部門での排出量に若干の差異が生じるのは当然であり、各部門における排出量については大差はないと申してよかろう。
クルマ使用については1年間でCO2排出が減少したようにも思えるが、それにしても依然として排出量が多いことには変わりがない。
 前の記事でも同様なことを述べたが、これは高齢世帯などクルマを持たない家庭や所有しても大都市圏の住民のように毎日は使用しない家庭なども含まれるし、また通勤用で毎日使用しても距離・時間が短い家庭も多い(つまりは「半不動産」状態)ことを思うと、やはりCO2排出はかなり多いと言わざるをえない。
 ましてや都市近郊大家族農家のように、高齢夫婦、若夫婦、孫世代のすべてがクルマを使用している場合はCO2排出割合は50%をかなり超過しても不思議ないことになる。
 ちなみに我が家の場合のクルマによるCO2排出量はゼロである。
 ハイブリッドカーなどの“エコカー”購入の場合は国による補助が付与されるらしいが、それよりもクルマを使用しない我が家のような世帯に対する所得税・住民税・固定資産税・都市計画税のエコ減免措置の実施こそを強く実現すべきであろう。
 

敢えて水をさしたい冬季五輪フィーバー

2010-02-10 23:16:27 | 地球温暖化
 下手くそこの上、否、この下なしの絵と本日のタイトルとの関係は如何に?
 「野暮も極まれり」と非難ごうごうを覚悟で、敢えて言いたい。

 いよいよ国際的な巨大スポーツイベントが開幕しようとしている。
 言うまでもなく、それはバンクーバー冬季オリンピックのことであるが、かなりの雪不足の中での開催になりそうであるが、むろん主催者はなんとかするであろう。
 北米でもワシントンなどの東部では未曾有の大雪であるのに、カナダの西海岸のバンクーバーではこれまた正反対の未曾有の暖冬だということは、異常気象の極端な地域偏在であり、まさしく地球温暖化の如実な表れなのであるが、わざわざ遠方から多数の大型トラックやダンプで雪を運んだりすること自体が更なる温暖化に寄与していることになる。
 地球温暖化はともかくとしても、冬季にせよ夏季にせよオリンピックなる巨大スポーツイベントはそろそろ不要であり時代遅れのものとなっているのではないか。
 世界各国のスポーツ選手たちが一箇所に集って競技をくり広げる機会などいくらでもあるのに、さらにオリンピックのようなものが必要だとは思えない。
 例えば、フィギアスケートの国際大会などは一年に何回も開催されているではないか。
 オリンピックが開かれない年でも国際大会で活躍中の浅田真央選手などの顔は一年間に何度もテレビで見ることができるのだから、オリンピックでの金メダルとその他の国際大会での金メダルでの価値に差があるとは思えない。どんな国際大会でも「最高位」はあくまで最高位である。
 世に「屋上屋」という言葉があり、文字通り「屋根の上の屋根」のことで、無駄の典型の意味であるが、各種の国際競技大会の上に開かれるオリンピックは「屋上屋」の典型というべきであろう。
 スポーツの世界で頂点に立つ若い選手は青少年に希望と感動を与えるから不可欠とする考えが支配的であるが、「地球環境」の観点に立てば、これまた「温暖化促進」の大きな要因と言うことも可能であり、仕分け人はどう判断されるのであろうか。
 これほどお堅いことを言う我また、山形出身の500mスケート加藤条治選手の活躍は大いに期待したい山形人の一人なのである。
 

マイカーは「半不動産」。でもCO2排出量は突出

2010-02-02 23:45:26 | 地球温暖化
 前回と前々回の記事のグラフにより、家庭生活(私生活)によるクルマの使用がいかに二酸化炭素の排出量において突出しているかがお分かりいただけるかと思う。
 でも、自家営業をやっている家ならともかく、普通のサラリーマン家庭で連日一日中クルマを乗り通しという家庭は少ないはずである。
 マイカー利用による長距離ドライブなんかは一月あたり一、二日、多くて三、四日程度であろう。つまり、ほとんどは通勤や、日曜日に郊外の大型店に買い物、子どもの塾や稽古の送迎、高齢家族の病院への送迎に使う程度で、平日ならば一日24時間のうちクルマを使用する時間は1時間~4時間であろう。
 中には平日のクルマ利用が平均1時間以内という勤労者も少なくないはずである。通勤に片道20分で、退社時もどこにも寄らずに帰宅して寝るだけのような場合である。
 だから、マイカーは半不動産とも言われている。
 市街地には数多くの「月極め駐車場」があり、今も空き家となった古い家屋や倒産や廃業の店舗などは矢継ぎ早に解体されて駐車場と化して街並み景観の崩壊が進んでいるが、それらの月極め駐車場は勤労者の通勤用で占められている。つまりは市街地の街並み景観の破壊はマイカーという「半不動産」によるものだと言えそうである。
 その「半不動産」がべらぼうに二酸化炭素を排出しているわけである。
 ましてや、高速道路の無料化により、土・日や大型連休、旧盆、年末年始の時などで長距離ドライブにでかけ易くなるとしたら、半不動産が動産となって、まさしく地球温暖化抑制に逆行に貢献することになり、中国・インドなどの自称「途上国」などはこれ幸いと二酸化炭素増大の施策に邁進することになろう。

私生活で突出のクルマによる二酸化炭素排出量

2010-01-22 23:29:15 | 地球温暖化
 私生活においても二酸化炭素排出を抑制するには屋内や室内の証明をこまめに消灯するとか、プラグをコンセントから外すとか、冷蔵庫の扉の開閉時間を極力短くする、冷蔵庫には食品を詰め込み過ぎないなどを心がけるべきとされ、クルマの使用についても、アイドリングしないとか、急発進をしないなどが呼びかけられているが、このクルマの使用についての行政からの呼びかけは申し訳程度のものでしかない。
 上の円グラフは以前にも紹介したが、これを見ただけでも私的生活におけるクルマの使用による二酸化炭素排出量が突出していることがわかる。
 これは2006年時点での統計だから少々古いが、あくまでクルマを所有する家庭も所有しない家庭をも含めての統計だから、もしクルマを所有する家庭だけの場合なら、クルマの使用による二酸化炭素排出の割合はもっと多くなるわけだし、ましてや一家で複数台所有してそれぞれの家族の者が別個に使用する家庭の場合はさらに多くなる。
 しかし、「私生活におけるクルマの使用」とは言っても、平日の場合は通勤時間や帰宅時間以外にマイカーを使用することは少ないし、休日とて必ずしも遠出のドライブにでかけるわけではない。また、クルマを所有はしても大都市圏の住民は通勤にクルマを使用することは少ない。また、休日に郊外の大型店に買い物にでかける場合とて、往復に計数時間も費やすことはさほどないであろう。
 こう考えると、真夏の熱帯夜に安眠するためにクーラーを長時間つけっ放しにしておくほどクルマを私的に長時間使用することはないものと考えられる。
 私的にクルマを長時間使用するのも盆や年末年始の帰省のためくらいしかないという人もすこぶる多いのではなかろうか。
 それでも、上の円グラフのようにクルマの私的使用による二酸化炭素の排出量はかなり多く表れる。
 しかし、多くのマイカー所有者はこの事実に気づいてはいないようだ。なぜなら、家計におけるガソリン購入費の割合が二酸化炭素排出量の割合よりは少ないからではないか。
 つまり、それだけ他の物価と比べればガソリンは安価であることを物語っている。
 たぶん、ガソリンの価格は猛暑や厳寒期の暖冷房や風呂の湯沸しにかかる家計費よりはかなり割安ではないかと思われる。だから、特に地方では「クルマ離れ」は顕著にならないのであろう。

電気ジャンボ機が飛翔する時代は来るか?

2010-01-18 21:25:10 | 地球温暖化
 地球温暖化防止ということで、電気自動車の開発が盛んである。
 ガソリン車などと比べて部品もずっと少なく、しかも構造も至ってシンプルなため電気自動車の組み立て生産は零細企業の工場(「こうじょう」ではなく「こうば」)でも可能なため、電気自動車の開発に参入する企業は一気に増えそうである。
 従来は走行距離に限度があり、長距離利用や高速走行には不向きだと考えられてきたが、最近の技術開発により、長距離利用や高速走行の双方とも可能に近づいているという。
 そればかりでなく、わずかな電力使用量で長距離を走れるようになったから、ガソリン車におけるガソリン代と比べても電気料金もはるかに低額で同じ距離の走行が可能なのだという。
 例えば300円の電気料金で300km走行できるのだとまで言う技術者も居る。
 こんなに日進月歩で電気自動車とリチウムなどによる電池の開発が目覚しくなっているのなら、そのうちジャンボジェット機に代わって、電気ジャンボ機が地球を一周する日もそう遠くないことになりそうである。
 でも、その電力源はどこから供給されるのだろうか。
 発電所からの電力はほとんどが電気飛行機と電気自動車で占められ、冬の電気コタツは家庭の主婦による手動式または自転車型発電機の稼動から供給されることになるかもしれない。

初詣で地球温暖化促進!

2010-01-06 22:32:22 | 地球温暖化

 さてさて並んだ軍国主義者のお歴々。
 えっ、どうしてこれらの善男善女の群れが軍国主義者の群れなの~?
 なぜなら、彼らが向かっている対象は中国や南北朝鮮は言うに及ばず、現在の連立政権の一翼を担っている某政党や某野党及びそれらの内外の政治勢力に同調的な国内勢力が一番危険視してやまない神社である東京九段の靖国神社の“支店”とも申すべき山形県護国神社の社殿だからである。
 長く続いたかつての自民党政権下においても歴代総理が靖国神社に参拝する度に中国政府や日本の(今はこの表現は希少になってはいるが)“進歩勢力”は「それ、軍国主義を賛美する行為だ」とばかりに非難の大合唱が湧き上がらせていたほどであるから、この写真の行列をなしている群集も軍国主義を賛美していることになりそうである。
 でも、中国政府よ、心配するには及ばない。
 彼らのほとんどはこの神社の祭神が何であるか意識していない。[※山形県を本籍地とする将兵や軍属などの戦没者の諸霊が祭神とされている。]
 それではどうして彼らはこんなに長蛇の列をなしてまでこの神社に押し寄せるのだろうか。たいていの地域には徒歩で30分以内で参拝できる神社があるはずなのに、有名寺社でないと“ご利益”にあずかれないと考えているふしもある。むろん日本がひたすら軍国化して近隣諸国と戦争すべきだと祈るために列をなしている者などたぶん一人もいないはずである。
 理由はごくごく単純。・・・→ この神社ほど駐車環境に恵まれている神社は山形市には他に見当たらないからに過ぎない。
 自前の駐車スペースはそれほど広くはないが、すぐそばには広大な河川敷広場があり、また隣地にはかつての出羽国分寺薬師堂の境内であるやはり広大な緑地公園がある。これらの敷地を初詣の時に駐車場として使用させて貰える。
 心配すべきは“軍国主義復活”よりも二酸化炭素の大量排出による地球温暖化の促進なのである。
 COP15コペンハーゲン会議で日本代表が「マイカーを使わない初詣の国民への推奨」を世界に約束したかどうかは知らない。たぶんそんな約束はしていないであろう。
◆写真 [表画面]は山形県護国神社の社殿と参拝者の列(撮影は07年元日。今年は降雪で参拝者は幾分少ない。それでも12万人と県内一だから同様な光景)[裏画面]は隣地の薬師堂前樹林に駐車する初詣人の車
 

これは何のいつのもの?

2009-12-30 22:11:24 | 地球温暖化
 これは時事問題関係記事が多い某外資系週刊誌の表紙の文字列である。
「地球温暖化」の大きな表題の下には「アメリカとアジアが責任をなすりあう」とあるが、ああ!これは一見確か先日紛糾した気候変動枠組条約締結の国々が参集した国連のCOP15コペンハーゲン会議の様子を伝える内容のようにも思える。
 だが、やはり少し違うようにも感じる。
 というのも、今回のコペンハーゲン会議では「アメリカ対アジア」というよりは確か「先進国対途上国」という文字列が主流的であった記憶が鮮明である。
 さて「アメリカ対アジア」として捉えられたのは何処のいつ何時のことであったのか。ともかく一見さほど遠い過去のことではなさそうであるのだが・・・。
 むろん、何十年も以前のことではない。
 そもそも「地球温暖化」という用語を盛んに見聞きするようになったのはさほど以前のことではない。
 そろそろこの週刊誌が何時時点に刊行されたのかを答弁することにしたい。
 あまりよく整理されていない我が家の狭い書斎をあざいて(山形弁で「雑多な状態の品々の中から目当てのものを探し出すために掻き回すこと」)いたら、この週刊誌を見出したのであるが、日付を見たら<1997-12-10>であった。
 さらに表題の上には「京都会議」とあった。そう、有名な「京都議定書」が締結された時のことであるから、丁度まる12年になる。
 つまりこの12年間で対立の図式が「アメリカ対アジア」が「先進国対途上国」へと拡大しただけのことで、世界的対策はまるで進捗していないことになる。
 こうして責任をなすりつけあっている間にも地球温暖化は確実に進展し、恐るべきメルトダウンの時期も早まるのではないかと大いに懸念されてならない。


環境技術開発至上主義に異議あり

2009-12-21 18:04:31 | 地球温暖化
 温室効果ガス排出抑制のためのCOP15コペンハーゲン会議で先進諸国は“途上国勢”によりコペンコペンと叩かれ通しであったようだが、“途上国勢”は先進諸国に対して環境保全技術の提供と温室効果ガス排出量削減の「購入」を求めるのが腹蔵されているようにも感じられてならない。
 すなわち今後は環境保全技術をめぐり巨大マネーが全世界を飛び回ることになりそうである。やはり、ここでもカネ、カネが幅をきかせるのかと思うと人類というものは何と罪深い存在かと情けなくなってしまう。
 いかに優れた環境保全技術が開発されたとしても、大量生産、大量輸送、大量消費、大量廃棄の社会構造が変わらない限り、温室効果ガスの排出量は結果的に大して変わりないものになるのではないか。
 例えば、クルマからの排気ガスに含まれる二酸化窒素などは環境技術の発達によりクルマの一台あたりの排出は確かにかなり減少しているが、クルマの走行量の激増に伴い、排出量の総量はむしろ増大し、ましてや全世界的には激増している。
 このように、地球環境の悪化の根源は環境技術の未開発にあったというよりは、むしろ上記の大量生産、大量輸送、大量消費、大量廃棄の構造が全世界に蔓延しつつあることにあるのではないか。
 むろん環境技術の更なる開発がまったく無意味というわけではない。
 しかし、環境技術開発だけが地球を救うとは考えられない。