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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

自転車レーンはなぜ必要か (14)

2010-10-27 19:59:57 | クルマ社会の問題
 山形市中心部の自転車道の社会実験に対し賛否両論が激しく渦巻いていたが、沿道の3つの商店街が25日に「条件付きで実験の継続を求める意見書」を提出した。
 提出先は国土交通省山形河川国道事務所、県警本部、山形県、山形市である。
 つまり、この社会実験は継続される見通しだが、正式決定は11月1日になる。
 しかし、この意見書には歩行者の安全・安心が確保されたことには評価する一方、やはり「クルマでの通行が円滑になるような改善」の要望が盛り込まれており、脱クルマ・自転車利用推進の発想はないようである。
 自転車道継続が正式決定される11月1日の会議において「改善に関する検討委員会」も設立されるが、国・県・市・警察・商店会などから構成され、一般市民の参加は見込まれないようだ。

◆写真は国内某市で試行された鉄道車両への自転車持込み。鉄道やバスなどに自転車をも乗り入れられるようになれば、駅前で溢れる駐輪の解消に役立ち、かつクルマから自転車利用への転換の促進が期待できる。

自転車レーンはなぜ必要か (13)

2010-10-23 19:09:36 | クルマ社会の問題
 一つの道路路線、とりわけさほど幅が広くない幹線道路において、クルマ(バスなどを含む)、自転車、歩行者がいずれも安全かつ快適に通行することはきわめて難しいことは確かであるが、たとえそうであっても知恵を出しあって「最善策」を考えていくことは必要である。
 山形市内のメーンストリートである十日町から七日町に至る区間の南北約1kmにわたる“ほっとなる通り”はかつてより歩行者の数が減少したとは言え、今なお市内有数の繁華街であることには変わりがなく、それなりに歩行者も自転車も、むろんクルマの通行も多い。
 でも、やはり国道としては全体の幅員がかなり狭い。
 そんな狭い繁華街の道路に自転車レーンを開設することはかなり困難であったようだ。
 だから、車道の東側部分に「対面通行」の自転車専用レーンを区画したわけであるが、どうもこの形体は自転車推進運動家からかなりの非難を浴びせられているようである。
 だが、この「対面通行レーン」の形体は設置主体の協議会が議論に議論を重ねたうえで導き出されたもののようであり、それなりの合理性が感じられる。
 やはりこの通りの幅員からはこの形体に決着せざるをえない事情があったのである。

◆写真 上の写真は首都圏の某市の道路であり、歩道(やや狭いが)、自転車道、そしてバス停の区画もしっかりと設けられているが、やはりそれだけの全体幅員があるからであろう。

自転車レーンはなぜ必要か (11)

2010-10-16 22:56:26 | クルマ社会の問題
 自転車が邪魔から自転車レーンが邪魔に
 国道112号の「ほっとなる通り」の車道の両脇の路肩が「自転車通行帯」であった時はその自転車通行帯が事実上自転車の通行が困難であったので、この路線は同時に事実上「一方通行の3車線」であった。でも、クルマが常に3台並んで走るようなことは少なく、1台は路肩に駐停車するクルマであった。
 この路肩(自転車通行帯)に駐停車するクルマが多いためにこの自転車通行帯での自転車の通行は困難かつ危険であった。
 それらの駐停車のクルマを避けるために自転車は歩道を走行したり、車道の中心部寄りを走るようになり、とりわけ車道の中心部寄りを走る自転車はクルマのドライバーにとっても危なっかしく見えるだけでなく「目障り」であり「邪魔な存在」であった。
 しかし、社会実験とはいえポールの列柱によって立体的に仕切られた「自転車レーン」(※注1)の設置により車道の真ん中寄りで走る自転車を見かけることはなくなった。
 ところが今度はクルマの渋滞が一層ひどくなったという声も多く耳にする。
 その主たる要因を「自転車レーン」にしているのだ。
 なるほど以前の事実上の3車線(※注2)の時代と比べれば現在は完全な2車線になったために渋滞がひどくなったように感じられるのであろう。
 とりわけ、左側の車線に乗降客のためにバスやタクシーが停車すると他のクルマは1車線でしか走行できなくなり、渋滞がひどくなるのだという。
 でも、1車線が残っているから立派なものではないか。贅沢は言いなさんな、クルマ族!
 その「渋滞」のためにクルマでの当町への来街をやめて郊外の新興商業ゾーンに鞍替えする人が増えたために売り上げが減少した店舗も少なくないのだという。
 だから、この町から店舗を撤退して郊外に移転したいとまで考えている店もあるらしい。
 でも、もし本当にそれらの店が移転したら、その跡地には「自転車利用者優待」の店舗が進出することを望みたい。

◆写真 歩道部分に自転車通行帯を設けている都市もある。でもこの場合の歩道はもともと幅員が広い。

※注1:「自転車レーン」「自転車道」「自転車通行帯」の内容の違いはわかりにくいので、ここでは「自転車レーン」とした。
※注2:むろん線引き上は2車線である。

自転車レーンはなぜ必要か (10)

2010-10-13 07:32:01 | クルマ社会の問題
 先日「自転車道の社会実険に関する市民意見交換会」が開かれ、賛否の意見が交わされた。
 廃止派とて自転車が環境に優しい乗り物であり、歩道を走行する自転車による歩行者の安全阻害状態の改善が必要であることは認識していると述べているものの、それでも自転車道はクルマの渋滞を更に深刻化させ、クルマでの来街者の減少を招き、店の客足と売り上げを減少させる要因となっているから自転車道は極力撤廃すべきだというのである。
 まさしくこの論調は「総論賛成、各論反対」の典型というべきであろう。
 ところで自転車道との関係の有無は不明だが、自転車道が設置された昨年11月以前と比べ客足と売り上げが増えた店もあるくらいだから、それとは逆の客足と売り上げが減少した原因が自転車道であるとは断言できないはずである。
 それでも上の写真を見ればせっかく作られた自転車道を走る自転車の姿が少ないのがわかるが、ひしめくクルマのドライバーがこのがら空きの自転車道を横目にすればイライラ感覚が増大する気持ちになるのもわからないわけではない。
 むろん、高校生の登下校の時間帯には彼らの自転車が多くなるし、近くには市役所があるから市職員の通勤や退庁時間にも自転車は多くなる。だから、この自転車道は高校生と市役所職員のために設置されたようなものだという揶揄の声もよく耳にする。
 だが、この列なすポールで区切られた対面通行の自転車道のように「目立つ」存在になる以前の車道両側に区画されていた「自転車通行帯」を走行していた自転車の数は更に格段に少なかった。否、少ないというよりは駐停車のクルマのために自転車の走行が困難であったのである。
 ともかく現在も自転車の数がさほど増えないのはなぜなのか?
 増えない限りクルマ利用者からの「自転車道は無駄」の声は消えないであろう。
 自転車利用者が増えないのはまさしく「クルマ離れ」が叫ばれている中でも山形ではクルマ利用からの脱却ができない人たちがあまりにも多いからに他ならない。
 というよりも「地球温暖化」など意に介さない人が多いからなのかも知れない。
 そして何よりも行政が「高速道路の無料化」を実施するなど、クルマから徒歩、自転車、公共交通への転換を図る施策にあまりにも消極的だからである。
 これでは自転車利用者が増えるはずがない。

自転車レーンはなぜ必要か(9)

2010-10-09 00:24:06 | クルマ社会の問題
 上の写真は「さくらんぼ東根駅」の近くで南北に走る幹線道路の歩道部分であるが、左側には自転車マークが表示され、「自転車通行帯」であることがわかる。
 だが、残念なことに、このようにゆったりとした広さでありながら、歩行者の姿はまことにまばらで自転車に至ってはまったく見えない。この写真の撮影時の瞬間だけでなく、ここを私がしばらく歩いたが、やはり自転車の通行は見かけなかった。
 でも東根市のこの地域の人たちは幸せであり、山形市民にとっては羨ましい限りである。
 山形市の場合は「ほっとなる通り」と呼ばれる中心市街の中の中心市街だけには自転車専用レーンとしての「自転車道」が設置されているが、それも「社会実験」としての設置で、地元や来街者の反対が強ければ「廃絶」の可能性もあるということである。
 しかもこの通りは国道ながら狭くて、自転車道を設けることは至難の技であったようだ。
 ところが、周辺部では道路の拡幅工事が進み、やはり車道も歩道もゆったりとした幅員になりながら、「自転車道」どころか「自転車通行帯」の表示すらないまま歩道の拡幅や新設工事が進められ、完工している場合がほとんどである。
 幹線道路の新設や既存道路の拡幅が為される場合は必ず「自転車道」または「自転車通行帯」の設置が為されるようであってほしいものである。こうなれば、自転車利用者は車道を走ればよいのか、それとも歩道を走るべきか悩まずに堂々とその区画を走ればよいのだ。
 そして更に、この度の「社会実験」が他の道路での「自転車道」または「自転車通行帯」の設置につながる性格のものであってほしいものである。

自転車レーンはなぜ必要か(8)

2010-10-06 23:10:09 | クルマ社会の問題
 今週の土曜日、つまり10月9日(土)の午後2時から「ほっとなる通り社会実験に関する市民意見交換会」なるものが開催されるとのことである。
 会場は山形市中央公民館の4階大会議室である。

 この案内を見て、私の認識が一つだけ間違っていたことに気がついた。
 それは私が今日までてっきり「自転車レーン」として認識していたものが「自転車道」と記されていたことである。
 果たして「自転車レーン」と「自転車道」との間にはどんな違いがあるというのだろうか。
 私は郊外のレクリエーション用のサイクリング・ロードのようなものを「自転車道」と考えていたから、毎日の通勤・通学、買い物などで通行する自転車用のスペースは車道や歩道と並行・隣接しているから「自転車レーン」と呼ぶものだとばかり思っていた。
 また、この社会実験以前に車道の両側に区画されていた自転車用のスペースは「自転車通行帯」と呼ぶのである。
 とにかくややこしいことであるが、いずれにせよ「自転車が安全に走行できる区画」は必要であり、「歩行者の安全」と付帯して存続されるべきものである。
 この「自転車道」の存在のために渋滞がひどくなったとして「廃止」を主張する人たちすら、以前の自転車通行帯を走っていた自転車は現在よりもずっと危なっかしいと感じていたはずである。
 なぜなら、以前はそのスペースを立体的に区画するボラード(棒杭)などがないために白線をはみ出してスペース内に侵入するクルマやそのスペースに駐停車するクルマが多かったために、それらのクルマを避けて車道の中央寄りに走る自転車も少なくなかったからである。
 だが、現在はクルマが自転車に接触しそうになることはない。
 だから、以前は自転車が危なっかしかったから「自転車が邪魔」と感じていたが、今度は「自転車レーンの存在が邪魔」と感じるドライバーが多くなったのではないか。

◆写真は高畠町のサイクリング・ロード「まほろば緑道」。昭和40年代までの山形交通高畠線の跡地利用で造成された。でも、むろん、歩行者も通行できる。

自転車レーンはなぜ必要か(6)

2010-09-27 21:41:10 | クルマ社会の問題
 ブログ主お得意の不可解な絵図の組み合わせ。
 山形の自転車レーン問題とほとんど関係が無いような取り合わせだが、やはり自転車レーンと関係がないわけではないから、このシリーズで採り上げたのであろう。
 左上は言うまでもなく中国のシンボル「天安門」。
 左下は尖閣列島の中心「魚釣島」の位置図で、右下は魚釣島の姿である。
 まさしく現在、尖閣諸島周辺波高しの状態は当分続きそうである。
 さて、右上には4台の自家用車の姿があり、「エコカー」とある。ハイブリッドカーである。
 天安門は中国政府を表しているが、中国政府は尖閣列島問題をめぐり日中間の経済交流などを始めとして様々な強圧的な態度をとり続けている。その中の一つとして中国で採掘されるレアアース(希土)の日本への輸出停止まで命じたとも言われている。
 レアアースは電気自動車などエコカーのモーター製造には不可欠な原料として日本の自動車工業会にとってはノドから手が出るほど欲しいものである。
 地球温暖化などどこ吹く風のノーテンキな生活スタイルをとり続けているのは一般のユーザーであるが、自動車業界がハイブリッド・カーや電気自動車の改良と開発に躍起なのは自動車業界自身が地球温暖化を確かに脅威と感じている表れと思える。
 だからこそレアアースの確保に支障が生じる事態は日本の自動車業界にとってまことに困ったことなわけである。
 もっとも火力発電が主力のまま電気自動車が走行しても、やはり二酸化炭素の排出量は膨大のままであり、それゆえ地球温暖化抑制にはさほど貢献するとは思えない。
 それゆえ、エコカーであろうとなかろうと、クルマの走行量が多い限り地球温暖化抑制にはつながらないのであり、やはり自転車こそが「真にエコな車両」なのである。
 日本人の多くが「クルマから自転車への転換」を図るならば、レアアースの禁輸措置など怖れるに及ばない。
 クルマ社会のまま地球温暖化抑制を図ろうとするからレアアース輸入が不可欠となる。
自転車レーンの廃止を一番喜ぶのは中国政府なのかもしれない。

自転車レーンはなぜ必要か(5)

2010-09-24 07:21:31 | クルマ社会の問題
 山形中心街の自転車レーン「廃止」運動を始めたNPOはもともと中心市街の「賑わい回復」を目指す事業を行うために近年設立されているが、レーン廃止を主張する理由は自転車レーンは中心市街を衰微させるだけのものだからだという。
 そして現実に「客入り」がかなり減少した店舗も多いのだという。
 その直接的要因は何と言っても自転車レーンのためにクルマの渋滞が激しくなり、そのためにクルマでの来街が億劫になり、中心街よりは郊外の新興商業ゾーンを選ぶ市民が増えたためではないかというのである。
 だが、同じ沿道でも客入りと売り上げがかなり増えて店主と店員の顔が恵比須顔になっている店舗もあるという情報もある。
 しかもその客入りが増えた店舗には瞬時の駐停車も困難な自転車レーンと隣接している東側の歩道沿いの店舗もあるのだから、必ずしも東側の店舗が自転車レーンのために商業的に不利ではないどころか、レーン設置により多少なりとも増えた自転車での来街者が訪れる店舗も少なくないはずである。
 つまり、自転車レーンとの関連の有無はわからないが、とにかく客足が増加した店舗もあれば、客足が減少した店舗の双方があることは確かであろう。
 そこで、このNPOが言う「客足の減少」のデータ的裏づけと、その「客足の減少」と自転車レーン出現との因果関係の有無を把握できるものなのか知りたいところである。
 しかし、たとえ自転車レーンとの関係でクルマの渋滞が酷くなり客足が減少したことが確かだとしても、そのまま自転車レーンだけを「悪役」にすべきではない。
 現在の形の自転車レーンができる以前からこの通りでの渋滞は日常茶飯事であった。
 つまり、クルマの渋滞の主要因はクルマが多過ぎることであり、多過ぎることであった。
 自転車レーンのためにクルマが渋滞するのではなく、沿道の店舗等に無用の「通り抜け」だけのクルマが多過ぎるからいつも渋滞が発生するのではなかったか。
 自転車レーンが無く歩道と直接隣接する車道の西側部分にバスやタクシー、荷捌きの貨物車などが停車すると、車道の残りの東側部分の1車線だけの車線となるから渋滞が激しくなるのだと当NPOは言う。
 だが、事情は以前と現在とは基本的には変わりがないのだ。
 以前から車道部分の左右の路肩面が自転車の通行帯となっており、その左右それぞれの幅の合計は現在の双方向自転車レーンの幅員とほとんど変わりがない。
 異なるのは車道と自転車通行帯とを立体的にの区画するボラード(棒杭)の有無であり、以前はボラードがなかったために、左右の自転車通行帯に駐停車のためのクルマが侵入しやすかったのである。そのために以前の自転車通行帯は自転車にとって危険が大きく、自転車レーンとしては事実上「半死状態」であった。だからほとんどの自転車は歩道を走行していたのである。

写真は東欧チェコの首都プラハでの自転車交通推進運動の模様。市民の自転車熱の高まりにより自転車専用道路の整備が進められ、カーフリーデー(ノーカーデー)まで実現された。鉄のカーテンの内側であったために民主主義の発達が遅れたチェコでも市民による「脱クルマ」の動きが加速している。

自転車レーンはなぜ必要か(4)

2010-09-22 23:21:56 | クルマ社会の問題
 山形の自転車レーンの「廃止」運動をやっている街づくりNPOは署名が4千人台集まった旨報告かたがた今日山形市長に廃止を要望したとニュースで報じられていたという(これはこの問題に関心の深い知人からの電話での知らせで、私ブログ主は見ていない。)
 山形市長は昨年の「自転車走り初め」にも参加し、祝辞を述べているが、廃止要望のNPOに対してどう応答したかは知らないが、むろん山形市だけの判断で廃止を決めることはできず、警察、商店会、国土交通省、障害者等が訪れ易い街づくりを求める団体との協議を重ねた上で「存続、見直し、廃止」を決めることになる。
 ともかくも「街づくりNPO」と聞けばたいていは高齢者など歩行者等の「交通弱者」に優しい街づくりを目指し提言する団体のことを連想するものだが、この山形の団体は「クルマの渋滞がひどくなってクルマでの来街者が減少した。クルマでの来街者も大切なお客様。」ということでクルマ利用者尊重のゆえに自転車レーン廃止を強く主張しているから街づくりNPOとしてはかなり異色の存在となるのかもしれない。
 しかし、自転車レーンのあり方の見直しならまだしも、単純に廃止を主張するとはあまりにも短絡的発想と言わざるをえない。
 クルマでの来街者(多くは買い物客)に対して「クルマから公共交通、徒歩、自転車などへの転換」を推奨したり、市長に面会を求める場合は自転車レーン廃止よりも「市民に対してクルマの乗り控えの広報」を要望する方がはるかに適切ではないか。
 地球温暖化抑制の観点からもマイカー抑制は喫緊の課題のはずである。

約30年以前に山形市でも「ノーカーデー」の取組みがあったが、上はその際の山形市広報紙のよびかけ漫画
 現在より格段にクルマの数も渋滞も少なかった30年前でさえ試みられたノーカーデー(現在では「カーフリーデー」)は現在こそはるかに必要なはずである。