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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

自転車レーンはなぜ必要か(25-最終回)

2010-12-08 21:07:55 | クルマ社会の問題
 山形市中心街自転車道に対して「廃止」や「撤廃」を要望する運動は未だに根強いものがあるようだ。今朝の山形新聞にも「撤廃」を求める陳情がなされたという記事が掲載されていたが、9月の廃止を求める署名活動や陳情がなされた際も、自転車道はクルマでの来街者をますます郊外の店舗に追いやるものだから廃止が必要だという主張だったが、今回もほとんど同じ主張のもとになされている。
 このシリーズでは何度も沿道の商店への客足が減少したという主張(これに対して客足が増加している店も少なくないという情報もある)に対しては、自転車道の撤廃によりたとえ渋滞が解消したとしても沿道に出入りに便利な駐車場が少ない限り客足の減少に歯止めがかかる保証はない旨述べてきた。
 ともかく、この度の自転車道問題によって明確になったことはクルマ社会是認のもとに進められてきた郊外型商業ゾーンの開発により恐るべき格差の増大が顕著になったことである。
 その格差とは駐車場造成環境の格差に他ならない。
 上の写真でもわかるように、左が中心市街の駐車ビルであり、右が郊外の商業施設の広大な駐車場である。
 中心市街では土地が狭いので高層の駐車ビルが建設されることが多いが、建設費と補修費はむろん高額だし、それに料金徴収の人件費や設備設置にかかる費用も嵩む。さらに固定資産税も高くつくから、有料、または「◎千円以上お買い上げの方には無料」のいずれかにならざるをえなくなる。
 でも、多くのドライバーは有料のうえに出入りがめんどうだし、上階に上るのは目が回るようで、空きスペースを探しにくく、できれば避けたいと思うようだ。
 これに対して郊外の商業施設の駐車場はほとんどが平面で、しかも無料、さらに広くて見通しがきくし、出入りもしやすい。
 これだけで中心市街と郊外では天と地ほどの格差がついてしまっている。だから、クルマ利用者の利便を考えるならば、自転車道を撤廃させたところでとうてい郊外型店舗に対し巻き返しを図ることなどできないのだ。
 そもそもどうしてこんな格差の発生が許されているのかにメスを入れて格差解消のための施策を行政に対して強く要望すべきなのである。
 例えば、中心市街は空洞化していながら地価と固定資産税は高いままなのに対して、郊外の土地は地価も固定資産税もかなり低いから広大な用地を購入または借地できる。だから広大な駐車場も造成が可能で、客足も多くなるから無料で駐車させられるようになる。となれば、現状に合わせて郊外、中心市街にかかわらず地価と固定資産税を平準化させるべきことになろう。

 これで、このシリーズは終わりとさせていただきたいが、中心市街地の賑わい回復を真剣に求めるためにも駐車場の問題をさらに掘り下げて考察していきたいので、次回以降は「駐車場の乱造は日本を滅ぼす」というタイトルの新シリーズとしたい。

自転車レーンはなぜ必要か(24)

2010-12-03 22:25:57 | クルマ社会の問題
 このシリーズにおいて、先に自転車道の問題にからめ、付近の駐車場の問題についても言及したが、果たしてこの自転車道のある商店街の付近の駐車場は多いのか少ないのか、ここでもう少し論じてみたい。
 上の四つの写真はいずれも付近の駐車場であるが、黄色い設備があることから月極めではなく買い物客向けが主体のようである。
 つまり、黄色い設備があるということは有料だということであり、クルマ利用の買い物客にとっては時間を気にしながらの駐車場利用ということになる。
 これだけで無料で駐車区画の多い郊外型店舗の駐車場に負けている。しかも郊外型店舗の駐車場には高層の立体駐車場は稀である。中心市街地の有料でかつ高層の立体駐車場は一層敬遠される。
 駐車場は大きく2種類に分類できる。一つは商店等に直属する無料のものであり、もう一つが商店等に直属しない営業用の駐車場である。前者は郊外型店舗に多く、後者は中心商店街に多い。
 ところが、中心街の駐車場はほとんどが買い物客向けかと言えば、むしろそうでないものがかなり多い。それは通勤者や近隣居住者向けの月極め駐車場である。買い物客向けは安定しないし、「◇千円以上買い上げの方には無料ないし大幅割引」などにせざるをえなくなり、そのうえ金徴収のための人件費や設備費が嵩む。それよりは月極めならば人件費や設備費もかからないし、はるかに安定収入が得られる。
 こうして、中心商店街の多くの駐車スペースが「月極め」に食われ、その分買い物客用が不足することになる。
 だから、たとえ自転車道が撤廃され(当分は存続しそうだが)、撤廃派が期待するように渋滞が解消されたとしても駐車場不足はそのままなのである。
 わずかでも「客足」の回復を目指すなら、自転車道の撤廃を主張するよりも、付近の営業用駐車場の月極め区画を極力買い物客向けに転換したり無料化・低額化・長時間化の努力が必要ではないか。
 しかし、それ以上に大切なのはクルマを利用しない客に対する優遇や特典付与、つまりはエコ商店街の構築ではないか。また、郊外型商店と比べ商品やサービスにおいて高品質にして低価格でなければ郊外型商店に打ち勝つことは不可能であろう。

自転車レーンはなぜ必要か (23)

2010-11-29 22:42:35 | クルマ社会の問題
 今月の上旬に県内村山地方最北部の尾花沢と大石田を訪れた。
 尾花沢は尾花沢でもかなり奥地の山あいの戦国時代の山城があった延沢地区が主たる目的地であり、そこからトンネルを越えて六沢の寺院を訪れ、山形城主の娘で延沢城主の妻となった松尾姫の墓がある寺を訪ねた。
 さらに寺を出て、広々とした尾花沢の田園地帯をひた走りに走り、徳良湖に着いたら一休み。そこから尾花沢の中心市街地に入り、JR奥羽本線を跨いで大石田の街と最上川にかかる橋の上から最上川を眺め、JR大石田駅に戻って山形に帰った。
 ブログ主である私は大石田駅から同じ大石田駅までの以上の全行程をすべてレンタサイクルで踏破したが、延沢の公民館の職員にとっても寺のおばはん達にとっても信じられないことのようであったようだ。
ともかく晩秋の季節ゆえ天候の激変だけが気がかりであったが、楽しい自転車ツーリングの一日であった。
 決して若くはない私が大石田駅からはかなり遠い山あいの集落まで自転車ででかけられたのは私にとって自転車が日常の交通手段だからである。
 多くの青壮年層が日常の交通手段を「クルマから自転車」に転換するならば、やはり自転車道(レーン?)の必要性を痛感するようになるであろう。
 ◆写真説明A:棚田状の延沢盆地 B:延沢城跡の城山と延沢集落 C:延沢と六沢の間のトンネル D:松尾姫の墓所の寺 E:これらのレンタサイクルの中の一台を借りた F:尾花沢盆地の田園風景 G:徳良湖 H:大石田の街並み I:最上川

自転車レーンはなぜ必要か(21)

2010-11-22 23:21:41 | クルマ社会の問題
 最近、自転車の危険性が声高に論じられるようになっている。
 今日のA新聞によれば、この10年で歩行者との事故3.7倍にまで急上昇しているのだという。死者も695人に及ぶから交通死全体の約14.1%になり、かなり割合が大きい。
 若者などによるスピードの出し過ぎや信号無視などのマナー違反によるものが多いことは確かであろう。
 ところで、自転車が増えたから自転車の事故も急増したように論じる向きも強いが、自転車が増えたとは言え、大都会ならともかく地方社会では成人ならばこ20歳になってからはクルマばかりに乗るようになって、自転車など乗ったことがない、家の自転車も錆び付いて乗れる状態ではなくなっているなどと言う人が圧倒的に多い。
 つまり自転車が増えたとは言っても、高校生などの未成年の所有と使用はかなり増えたものの、成人の場合は微増程度であり、全体数としてもたかが知れている。
 言うまでもないことだが、激増したのはクルマである。
 近年は若者のクルマ離れとか不況の影響とかでクルマの売れ行きは低下しているなどとも言われているが、都市部の空洞化に反比例するかのように都市部での駐車スペースは留まるところを知らない。つまり、駐車場が増えた分だけクルマの利用環境は向上したのであり、それだけクルマの走行距離は伸びているから道路を走るクルマの台数も増えているというべきであろう。
 このクルマの激増により自転車の走行環境は格段に悪化したのである。
 自転車が増えたから自転車とクルマ自転車と歩行者との接触や衝突が多くなったということではなく、クルマが増えすぎたために自転車に係わる事故が増えたのである。
 こうもクルマが多くなっては当然自転車とクルマ自転車と歩行者との接触や衝突の危険性も高くなり、それをできるだけ回避するためにも自転車用のレーンが必要になってくるわけである。
 ◆写真 某小都市の駅前に備え付けられているレンタサイクル。主として観光用だが、利用度は低いようだ。鉄道駅でも駐車スペースはゆったりと設けられているが、自転車置き場は出し入れも億劫になるほどの寿司詰め状態。二段式ラックでは怪我しそうだ。ここにもクルマ優先・自転車冷遇が見られる。ゆったりした公設駐輪場の充実も欲しいものだ。

自転車レーンはなぜ必要か (20)

2010-11-16 16:58:41 | クルマ社会の問題
 写真は城南町の拡幅された歩道に最近表示された自転車レーン。
 ただしここは県道であるのに対し、現在拡幅工事が進行中の国道の歩道には自転車レーンらしき区画の工作が施されているふしは見られない。
 歩道や車道の幅員に余裕がある区間には必ず自転車レーンが設置されることが望ましく、それにより「自転車は専用レーンを走る」ことが習慣づけられることが期待できる。
 ところで肝心の“社会実験”自転車道が継続されているが、そもそもこの“実験”の狙いが何なのかが今一つ不明確、もしくは“不適切”なのではないか。
 そもそもの発想が自転車問題、つまり歩道を走る自転車と歩行者との衝突や接触による事故や危険性の回避を目指しているようにも思える。
 これでは場当たり的な対症療法的な施策でしかない。
 この歩道を走る自転車問題の背景にあるのがきわめてクルマ社会の問題であり、必要以上に多いクルマの走行である。
 いまなおこの実験により渋滞を心配する声が大きいが、渋滞の要因を自転車道に求めるのは誤りで、「多過ぎるクルマの走行」自体が渋滞の主要因なのである。
 したがって、西側の歩道を部分的に削減して「荷捌きゾーン」を設ける案が本格化しそうだが、これまたきわめて対症療法的発想で、かつ「神聖なる歩道」を冒涜する行為でさえある。
 こんなことで「歩行者に優しい街づくり」などと言えるものではない。
 新たに荷捌きゾーンを設ける必要はない。左側車線を荷捌き、タクシーとバスの停車ゾーンを兼ねたものとしておけばよいし、通過車両さえ少なければ、右側車線でも荷捌きなどのために停車できるようにしても差し支えないはずである。
 この社会実験の継続を好機として、クルマを減らし自転車を増やす方策により沿道商店街の客足と売り上げを向上させる努力が必要と思われる。否、この社会実験の原点は環境と社会に多大な負荷をかけるクルマを減らし自転車を増やすことにあったのではないか。 

自転車レーンはなぜ必要か (19)

2010-11-15 23:51:39 | クルマ社会の問題
 つい先日の新聞記事(山形、朝日山形版など)に自転車道と車道を区画するポールが多数抜き取られたという記事が報じられていた。 山形新聞の記事(部分)は下記のとおりである。

 12日午前8時半ごろ山形市本町2丁目の国道112号で自転車道と車道を分けるポール24本が抜き取られていると、近くの住民が山形署に通報した。先月中旬にも同様の被害があったことが確認されており、同署は何者かがいたずらや嫌がらせ目的で意図的に抜き取ったとみて道路法違反容疑で調べている。

 その後の捜査の進行状況はわからないが、抜き取られたポールが24本ということは一人では不可能であり、複数による計画的な犯行とみるべきであろう。
 つまり単なる「いたずら」とは考えられず、「自転車道が商店の売り上げと客足の減少の最大の要因」でありポールの列柱がその象徴と考える人たちによるものと考えたくもなる。
 もし、その推測が当たっているとしたら、一種の「軽微なテロ」とも言える。
 ともかくドライバーの中にはポールの列柱が目障りで怨念の的となっている人が少なくないことも確かなのであるが、もし、これらの列柱がすっかり取り払われた場合は以前のように自転車ゾーンに駐停車するクルマが増えて自転車走行が危険になった場合、ポールの列柱を目の敵にしていた人たちが警察に代わって駐停車のクルマに退去の勧告する仕事を引き受けてくれるのだろうか。
◆[お断り]写真を入れ替えておきました。(当記事作成当初は城南町の自転車ゾーンマークの写真でした。写真入れ替えは11月16日)それにしても走行中自転車の男子高校生のマナーが悪い。対面通行なのに2台併走で2車線独占。
ポール(ボラード?)の列柱が所々途切れているのは右の歩道沿いの店舗等の駐車ゾーンに出入りするクルマの利便のためで、これでもクルマ社会の現状に譲歩しているのに、不満のドライバーが多いようだ。

自転車レーンはなぜ必要か (18)

2010-11-12 00:18:14 | クルマ社会の問題
 クルマ走行の大幅削減により「エコ商店街」の本格化を
 この自転車道のある沿道には三つの商店街があるが、その中でも北側の「七日町」には最も商店が多く、商店会としての活動もなかなか活発である。
 とりわけ「エコ」を強調したイベントや事業も行っており、空きカンの回収や歩道の清掃や花飾り、廃てんぷら油の組織的回収によるバイオ燃料の精製などが知られている。
 だが、ここの商店街は「エコ」に熱心な割合には騒音や振動、沿道の空気汚染には鈍感なようである。むろん、これらの環境阻害要素の大半はクルマによるものである。
何よりも地球温暖化の最大要因は二酸化炭素の大量排出だが、クルマの走行を支える「クルマ社会全体」での二酸化炭素排出はクルマ走行自体を含め40%にはなりそうだ。 
 排ガス汚染については近年あからさまな黒煙を排出するクルマはごく稀になったから気にする歩行者は少ないが、騒音と振動、とりわけ騒音については不快でしかない。
 歩道を友人らと語りながら歩いても、相手の話などほとんど聞こえない。
 排ガスについても黒煙がほとんど見えなくなったとは言え、有害な汚染物質をまったく排出していないわけではなく、やはり健康を蝕んでいることには変わりがない。
 商店街の皆さん、たとえ「渋滞」は解消しても、走行するクルマの速度は上がって騒音は増幅し、歩行者の不快感と危険感は一層増して商店街としての魅力の減退にもつながることになりますよ。
 行政に「渋滞の解消策」を求めるだけでなく、渋滞の根本的要因である「多過ぎるクルマ」の減少のために買い物客や来街者に「エコ」商店街の実質化のために「クルマから徒歩、自転車、バス」への転換を強く呼びかけてみてはどうだろうか。
 一時的にクルマ利用の買い物客が減る可能性は大きいだろうが、いつまでも「クルマ利用の客」だけをアテにしないで、それ以外の買い物客を積極的に呼び込む努力が必要ではないか。
「エコ商店街」の趣旨としてクルマの減少が不可欠であることを来街者に理解してもらい、その趣旨に賛同する人(クルマ以外の交通手段の来街者)に「エコ商店街友の会会員証」のようなものを発給し、その会員証の提示者に割引などの特典を与える(それこそエコポイント)ことなども考えてみればどうだろうか。

◆写真は自転車を乗り入れられる鉄道車両。これは日本国内の某県だが、欧米では一般的になっている。これにより市街地を走行する自転車は増え、鉄道利用の増加も見込まれよう。
 

自転車レーンはなぜ必要か (17)

2010-11-09 18:29:01 | クルマ社会の問題
 山形の自転車道問題はきわめて「駐車場問題」である。 
 自転車道こそ渋滞の最大要因だと考える人が多く、それでも自転車道により歩行者VS自転車の事故の危険性が大きく減少したことは認めざるをえない。
 こうして浮上したのが自転車道と接していない西側の「歩道削減」案であるが、これほど「対症療法」的な渋滞解消策はないし、ともかくそれだけでも国費(この路線は国道)がかなり投ぜられることになり、またただでさえ狭い歩道が更に狭くなる。
 何よりも渋滞解消の「根本療法」となるのは行政主導で「クルマから徒歩、自転車、公共交通への転換」が図られることであるが、ここでは一まずさて置くことにしたい。
 渋滞さえ解消できれば「客足の減少」に歯止めがかかるようなことが述べられている節が強いが、それはきわめておかしい。
 いかにクルマの走行が円滑でも駐車場が不足ならばクルマ利用の買い物客にとっては不便なのだ。 
たぶんこの自転車道がある区間の沿線には駐車場はかなり不足しているはずである。
 だが、沿道のすぐ脇に駐車場はさほど多くはないものの、2、3分離れた所には立体駐車場や青空駐車場はかなり多い。むしろ街並み景観を壊すほど駐車場は「乱造」されていると申してよいほどである。それでも短時間駐車の「買い物客向け」の駐車場よりも役所や金融機関など近辺の職場での通勤者に対する「月極め駐車場」の方が多いと思われる。
 通勤者向けの月極めの方が安定した収入が見込まれ、また料金徴収の人件費や設備費がかからないのに対し、広大な駐車場を備えた郊外型の商業施設のことを考えると、買い物客向けの場合は無料または低料金にせざるをえないから駐車場で「金儲け」するなど期待しようがないし、月極め駐車場以外の駐車場の造成や建設、管理費には巨額なコストがかかる。
 参考になるのはアメリカ西海岸のポートランド市である。
 通勤者向けのクルマは「半不動産」であり駐車も長時間になり、それらの通勤者は職場に篭ることが多いから、「街の賑わい」にはさほど貢献しない。
 それに対して買い物客は色んな店を巡り歩くから街の賑わいに貢献し、駐車も短時間である。
 だから、通勤者はできるだけマイカー通勤は自粛し、限られたスペースの駐車場は買い物客など短時間駐車の者に譲るべきとされている。こうして、買い物客が駐車場探しのためにうろうろして渋滞に拍車をかけるようなことは少ないようだ。
 しかも、その買い物客すら公共交通や自転車を利用することが多い(公共交通が充実)から、商店街がクルマの渋滞に悩まされることも少ないようだ。
 広大な国土のアメリカですら「マイカー自粛」の生活習慣が身についている都市がある。
 狭い国土の日本でどうして「マイカー自粛」の観念が薄いのか不可解である。
 
※ポートランド市の交通政策については
   http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5908/portland.html 
 http://www.jterc.or.jp/koku/ht-report/or-st/oregon.htm
 写真も上のHPより

自転車レーンはなぜ必要か (16)

2010-11-05 20:37:55 | クルマ社会の問題
 山形中心街の自転車道「社会実験」はついに2年目に入り、商店街等から強い要望があったクルマの渋滞解消策の一つとしての「歩道削減」工事は今月中に始めるという。
 自転車道の設置の場合は路面の青色のペンキ塗りとポール列柱の穴あけと嵌め込みくらいしか工事費がかからなかったのに、ドライバーたちからはさんざん「税金の無駄遣い」と悪罵を浴びせられたが、歩道削減工事はもっと「税金の無駄遣い」になるのではないか。
 なぜ自転車道がクルマ族からかくもうとまれるのかと言えば、車道のクルマと自転車道を走る自転車の数が違い過ぎるからではないか。
 確かに朝の通勤通学の時間帯には高校生たちなどの自転車はかなりの数になる。しかしそれ以外の時間帯となると、約2分間に通過するクルマの数が50台に対して自転車の数がわずかに5台程度となると、わずかな自転車のために貴重な道路スペースが多く割かれているのは「もったいない」とやっかむドライバーが多くなるであろう。
 しかし、もし通勤通学の時間帯以外でも自転車の数が現在の数倍にでもなれば、ドライバーとてかなり納得するのではないだろうか。
 それではどうしてそんなに自転車利用者が少ないのかと言えば、行政自体がほとんどクルマから歩行、自転車、公共交通への転換を国民や市民に対して呼び掛けていないどころか、高速道路の千円均一とか無料化などむしろクルマ利用を推奨すらしており、道路建設においても自転車道やレーンの付帯工事はやっていない場合が多いからである。
 誰しも自転車に乗る場合はクルマや歩行者との接触や衝突、追突の危険が少ない道路を走りたいものであるが、自転車道や自転車レーンはあまりにも少ないので、どうしても自転車使用が億劫になる。
 上の写真は自転車道のある道路の近くの幹線道路の拡幅に伴う歩道の新設工事の模様であるが、こんなに広々とした歩道の工事であるのに、自転車道(或いはレーン、通行帯)らしきものが工作される様子は見られない。
 幹線道路の新設や拡幅の際に「歩道」、それもかなり広い歩道を付帯するのはごく普通になっているが、「自転車道」が付帯されることはごく稀である。
 だから、ドライバーからは行政には自転車推進策に熱意がないと見られ、「自転車道など不要だ」とまで言われるのである。

自転車レーンはなぜ必要か (15)

2010-10-30 10:53:17 | クルマ社会の問題

  地球温暖化深刻化の中でなおもクルマ利用者に“配慮”!
 昨年11月から始まった自転車道(レーン?)の「社会実験」も間もなく期限になるが、11月1日に「継続」「見直し継続」「廃止」が決定される。

 だが、昨日のニュースを見る限り「見直し継続」になることはほぼ確実のようだ。
 その国(地元の県や市はほとんど関与しようとしていないようだ)や警察が考える「見直し」の内容とは下記のとおりであるが、当然商店街の要望を受けたものであろう。
 昨日の早朝に国土交通省と警察の職員が写真のような“実地検証”の作業を行った。
 それは商店主等からバスや荷捌き貨物車などの左側車線で停車がある場合、一方通行2車線が事実上一車線となり、渋滞が激しくなり、そのためにますます買い物客の郊外志向が高まるから、渋滞の解消策が示されない限り自転車専用レーンの廃止を要望せざるをえないと強硬に申し入れられたために、自転車道の反対側の歩道を削減して車線を3つにする案が可能かの実地検証作業である。
 ということは以前ならば渋滞はさほどではなかったことになるのだが、たとえそうだとしても、それは以前の「自転車通行帯」が事実上機能マヒの状態だったから歩道以外の部分は事実上の3車線だったからであり、それは自転車と歩行者の犠牲の上のことであった。
 もし、11月以降本当に西側の3.5mの歩道が1.1m削られるならば、ただでさえ決して広くない歩道はひどく狭隘になる。しかもその歩道は中心市街地でも最も歩行者が多い歩道である。
 さらに、以前と比べてだいぶ減ったとはいえ今なおその歩道を走る自転車も少なくない。
 警察などは自転車利用者のモラル向上が重要だと申しているが、それ以前に必要以上にクルマを走らせる市民(市外からの来街者も含む)のクルマ依存症的体質の改善も呼び掛けるべきではないか。
 これほどまでに地球温暖化の加速化による気候激変が誰の目にも明らかになっているのにクルマ利用をほとんど控えようとしない市民の体質もまた「低モラル」というべきなのであるが、警察や行政の大のオトコたちにとってクルマ依存からの脱却を市民に呼び掛けることは猫に鈴をつけるのと同じような思いのようだ。
 それにしても、歩道幅員の削減は自転車レーンのある通りの全体なのか、数箇所程度なのかもわからないし、狭いながらも国道なので削減工事は国の費用ということになるが、これもクルマ利用者への配慮のゆえであることは確かである。むろん、商店主たちやクルマ利用者たちからの金銭拠出はない。これでは「高速道路無料化」と同じようなものである。
 
 シュプレッヒコール! 立てよ、万国の歩行者よ、団結せよ!! 
    ↑ 懐メロのようで、むなしい感じ

◆上下の写真ともにテレビでのニュースより  下部の字幕は若い女性市民の歩道削減賛同の言葉だが、自転車大国のオランダやデンマークではたぶん恥ずかしくて語れない内容