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島国ニッポンの山国から

地球温暖化、クルマ社会の諸問題、時評、街作り提言などを島国の中の四方を山で囲まれた山形盆地からのつぶやき

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(10)

2011-01-15 23:20:26 | クルマ社会の問題
 上の街並みの写真を見て美しい、趣があると感じる人があったら、ぜひ手を挙げてもらいたいものだ。
 これが行政主導で巨額の公費を投じて形成された街路景観である。
 しかもそれが「都市計画」の名のもとに進められてかくのごとく無機的で無骨な景観が作られたわけだが、これが自慢の「心に残る」「後世の残したい」景観であり「世界遺産」級であると思う市民はおそらく居ないであろう。
 なんで、こんなに「つまらない」街路景観になるのかと言えば、歩道の内側にやたらと駐車場が乱造されているからである。
 これらの駐車場は決して行政主導で造られたわけではない。
 ほとんどが民間の手によるものである。
 しかしこれらの駐車場が乱造された要因は道路の拡幅を行政が「都市計画道路」の名のもとで押し進められてきたからである。
 道路は行政の手で施行され、その後の管理も行政によるが、そもそもの「計画」の主要目的はクルマの走行の円滑化つまりは「走行量の増大」「渋滞の緩和」であり、ようやく近年は「歩行者の安全」も加えられて幅広い歩道も同時に造成されるようになっている。
 しかし、立派な歩道が造られれば造られるほど歩行者の安全にはかえってマイナスになったとすら言えるのである。なぜなら、歩道の内側に新たに造られた駐車場が激増し、歩道を横断するクルマも激増したからである。
 それだけでなく、街並みが駐車場により穴あき状態が多くなって無機的で無骨な空間が広がり、街路景観は著しく悪化させることになった。
 それゆえ、現代の日本の街並みからは日本らしさや地方色が失われ、外国人観光客からの評価を大きく低下させるに至っている。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(9) 亡国の初詣(2)

2011-01-12 10:47:22 | クルマ社会の問題
 正月の三が日を過ぎた1月の5日に宮城県の岩沼市にでかけた。
 岩沼市といえば「日本三稲荷」の一つとして有名な竹駒神社がある所。
 古代にはこの辺り一体が「武隈」といわれており、これまた有名な阿武隈川が太平洋に注ぐ位置にある。竹駒と武隈とは音声的に似通っているから、たぶんこの神社の名は武隈という地名に因んでいるのであろう。
 稲荷神社ということは当然農業神を祀る神社であり、それも稲作の豊穣を祈るために創建された神社である。
 つまり、仙台平野の南部分にあたる武隈地方もまた穣り豊かな豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)でもあった。
 むろん創建された平安時代の前期にはこの神社は一面に広がる田園地帯と未開発の荒蕪地の中に鎮座していたのであろう。
 私がこの神社を訪れたのはおそらくン十年ぶりになる。
 初詣のつもりで訪れたのではなかったが、三が日を過ぎたにもかかわらず神社の境内も境内の外側も参拝者で溢れかえっていた。さすがに名高い「日本三稲荷」の一つである。
 だが、境内の内外で参拝者以上に溢れかえっていたのはクルマ、クルマである。
 神社の周辺の幹線道路は渋滞の長い車列。
 境内に造成された広い駐車場(まるで郊外型量販店の駐車場みたい)も幹線道路沿いの駐車場もむろん満杯。
 たぶんこれらの駐車場造成のためにかなり多くの神聖な樹木が伐採されたのではないか。
 いまや「自然尊重」を旨とするはずの神道の施設ですら「クルマ真理教」にはアタマが上がらない状態。こうして日本の国土はますますコンクリートとアスファルトで覆われるようになり、豊葦原瑞穂国のらしい景観は失われ行くのである。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(8) 亡国の初詣(1)

2011-01-06 18:02:50 | クルマ社会の問題

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 「日本を滅ぼす」という言葉だけでも穏やかならざる表現なのに、ほぼ同じような意味でも「亡国」なる言葉が掲げられてはますます耳にする側の心は凍りついてしまう。
 それも神社に参拝する善男善女が「亡国の徒」であるかのような言葉づかいはあまりにも過激に感じられるかもしれない。
 そう、クルマを利用しないで参拝に訪れる人たちならば「亡国の徒」と呼ぶことはできない。でも、初詣の参拝者の利便のために臨時駐車場とさせられた近隣の樹林の樹木の間を埋め尽くすクルマ、クルマの群を見るにつけ、これでは「自然尊重」「一木一草」にも神々が宿るとする神道の原理とはあまりにもかけ離れており、「日本精神」にもとる光景ではないか。
 それゆえ、このような依存症的なクルマ利用による初詣を「亡国的行為」と言わざるをえないのである。
◆写真説明 A:護国神社の初詣で並ぶ“善男善女”と参拝を終えた人々 B:隣りの薬師堂から眺めた樹林の間を埋め尽くすクルマの群 C:向こうの堂宇が薬師堂 ※これらのクルマの大半は隣りの護国神社への参拝者のもので、薬師堂だけの参拝者は少ない。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(7)

2011-01-01 08:41:20 | クルマ社会の問題
 まあ、なんだかんだ申しても新年を迎えた。
 でも、早速地球温暖化を如実に示す気象現象が日本全国を覆っている。
 北国山形は新しい降雪がほとんど見られない新春の朝で、日中の降雪予報もほぼ一日ゼロのようだ。一昨日まではかなりの降雪があるような予報だったが、肩透かしの感すらある。
 これに対して西日本は異常豪雪。
 長崎などの北九州は言わずもがな、南九州の鹿児島でも20cmほどの積雪があったそうな。
 とりわけひどいのが山陰の島根、鳥取の両県で、松江では既に50cm超の積雪。
 しかも一時的というのではなく、少なくとも今後一週間は連日の降雪の予報である。
 このような逆転現象を異常と言わないならば何と言うべきか。
 年末年始の降雪(ただし何日か前からの降雪の残雪があり)が少ない山形でも妖怪のようなのっぺら坊の建物が多くなっている。
 のつぺら坊だから、ゲゲゲの塗り壁にたとえるべきかとも思ったが、そんなに長身でもなく、ずんぐり型だから、むしろ長身のゲゲゲの一反もめんの方に似ていると申した方が良さそうである。
 これらの無表情きわまる長身の建物は駐車ビルである。
 このような無味乾燥な建物ばかりが多くなっても都市景観や街並み景観は確実に無機質となり劣化するであろう。
 だから、あまりにも広い壁面が勿体ないから、建物管理者の許可なしに新年祝賀の文字を記載させていただいた次第である。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(6)

2010-12-31 10:53:31 | クルマ社会の問題
 欧米や中東などのキリスト教やイスラム教などの一神教は非寛容で、しかも人間を自然の上位にあるものとしているから、自然破壊の宗教であるのに対し、日本の宗教、とりわけ神道は八百万の神々と言われるほどの多神教であり、自然存在をすべて神格化するゆえに、寛容にして自然尊重の宗教であり、環境重視の21世紀をリードできる信仰形態だとまで持ち上げられる風潮が強まっている。
 だが、この写真でもわかるように、神社の境内のかなりの部分が駐車場と化し、鳥居の直近までクルマが駐車していることから、人間の目先の利便に迎合(良い言葉では“寛容”)している様子が伺える。
 この神社は都心部ながら樹木が多い「緑のオアシス」のような役割をはたしていたが、かなりの樹木の伐採により無機質な平面施設でしかない駐車場を造成した。
 同様な傾向は他の神社仏閣にも多く見られる。
 神々が宿るはずの樹木を多く伐採しても参拝者向けの無料駐車場や一般向けの有料駐車場の造成に力を入れている神社仏閣が多いことは確かである。
 初詣の参拝者でこれらの神社仏閣も賑わうことになろうが、地球温暖化を促進するクルマを利用しての参拝では「地球環境の破壊」にしかならない信仰形態なのである。
これでは自然尊重のはずの「日本精神」の衰亡であるだけでなく、地球をも滅ぼしかねない。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(5)

2010-12-27 23:35:37 | クルマ社会の問題
 何でこんなに淋しいのかよ~
 大泉悦郎さんの演歌「孫」の歌詞に似たような出だしだが、これが中世から明治にかけて日本海に面する港町として大いに栄えた酒田市の駅に近い中心街の様子であるが、何とも物淋しい光景である。
 はるか向こうの方にクルマが信号待ちしているのが見られるが、通行人の姿はこの撮影時点では皆無であり、その前後の2分間ほども通行人の姿を目にすることはできなかった。
 これは12月上旬の日曜日の11時過ぎのことであったが、日曜日のショッピングで市民の行き交う姿はほとんどない。
 さ~て、店舗等の家並みの連続は一つの美観を呈しているが、駐車場はさほど目に入らない。
 この記事の「駐車場・・・」のタイトルにはそぐわないようにも思えるが、多数の駐車スペースを必要とするほどこの街に用向きのあるクルマ利用者は少ないのであり、やたら広い駐車場がある箇所とは郊外の新興商業ゾーンのことである。
 つまり、やたら広い駐車場を備えた郊外の新興商業ゾーンの勃興が酒田市の中心市街地を侘しさ溢れる地帯にしてしまったのである。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(4)

2010-12-21 07:41:14 | クルマ社会の問題
どこに日本らしさが?
 上の写真を見れば、ここが日本であることなど感じられるわけがなかろう。
 極彩色ながらお色気ゼロという奇妙な景観の建物が視界に立ちはだかっている。
 このような無国籍のけばけばしい建物が建っている辺りは古墳時代から古代にかけてはまさしく文字通りの豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)らしき稔り豊かな水田地帯であり、しかもつい10年ほど前までも一面の田園風景が広がっていた。
 また、このすぐそばには国指定の史跡である古代集落遺構としての「嶋遺跡」がある。
 だが、現在はこのあたり一帯が新興の郊外型商業ゾーンとしての開発が進められ、このような無国籍的外観の商業施設と建物の建坪の複数倍の駐車スペースで占められてしまい、ますます無機質の景観の地帯と成り下がってしまった次第である。
 これからは国際観光の時代と言われているが、このような景観ばかりが広がるようでは、はたして日本に訪れる外国人観光客から敬意を払われるであろうかと心配になってくる。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(3)

2010-12-16 22:02:40 | クルマ社会の問題
 「買物難民」とか「買物弱者」という言葉が最近は普通に耳にできるようになったが、この言葉を山形で一番早く知った人間の一人が他でもないこのブログ主である私なのかも知れない。
 というのも、上の写真にある同名の書物の著述にあたり私もほんの少しだけ参画してといるからでもある。著者の杉田聡氏は高齢者等の買物のための交通手段の現況を調べるために全国各地を周り、ここ山形市を訪れた際に私が氏をスーパーやコンビニなどに自転車(氏は折畳み自転車)で案内している。

 下記の文面はほぼ2年前の当ブログの12月18日の記事の転載で、「買物難民」と「駐車場の乱造は日本を滅ぼす」とは無関係にも思われるかもしれないが、広大で無料の駐車場の造成が容易な郊外型商業ゾーンの野放図な拡大が高齢者等の多数の「買物難民」を発生させたことは疑いのないことなのである。このような傾向もまた亡国の兆しの一つとも言えそうである。

 老夫婦のみや老人単身の世帯が増える一方だが、街からも村からも次々と商店は消えて行き、遠い郊外にばかり大型店が進出するようになった。
 どんな老人もなんとか足腰が丈夫なうちは自分で買物にでかけようとする。むろん、青年や壮年のようにはいかないが、商店が近くにあるうちは毎日の生活の用は足せる。
 しかし最近では近所に商店はない。これではいかに経済的に裕福な老人でも日常生活に非常な困難を及ぼすことになる。
 高齢者の多くはクルマの運転免許は所持していないし、免許はあっても高齢のために年々運転は怪しくなり、離れて住む子どもからも運転はやめろと言われる。
 こんな深刻な情況の中、写真で示したような本が出版されている。
 著者の杉田聡氏は全国各地の高齢者をめぐる生活環境を調査し、山形にも訪れて持参の折畳み自転車を組み立てて、山形市内の各地の情況を見て廻られている。
 こうしてまとめられたのがこの『買物難民』という本であるが、ぜひご一読をお勧めしたい。

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(2)

2010-12-13 17:04:55 | クルマ社会の問題
ゲゲゲの「ぬりかべ」駐車タワー
 市街地での道路拡幅に伴なうセットバックのために沿道の店舗や業務ビルの改築も盛んであるが、某改築ビルの手前に突如として超高層ビルのような建物が建てられた。
 だが、決して超高層というほどの高さでないことは手前のビルのタテ方向の窓の数を見ればわかる。
 それにしても窓一つないただの長方形の建物が公道(しかも市街地内幹線道路)のすぐ脇に建つのは都市景観の上で決して褒められるべきこととは思えない。
 墓石だって多くの文字が刻まれ、わずかながらも装飾的要素はある。
 つまりはこの建物は墓石以上にクールな外観ということになる。
 この殺風景極まりない建物は駐車タワーである。
 いわば巨大な縦長の下駄箱である。
 ここを通りかかった若い娘さんが「ゲゲゲの鬼太郎」に登場する妖怪の「ぬりかべ」のようだと口ばしっていたのが印象的である。それとも「一反もめん」に近いと申すべきか? いずれにしても、この業務ビルの裏側にも裏通りがあるのに、どうしてビルの裏側に駐車タワーを建てずに、大通りに面した所に建設したのだろうか。
 街並み景観の向上に少しでも寄与しようなどという殊勝な気持ちよりも車用族に対する利便提供こそが最優先という時代遅れの思想が幹線街路の景観を著しく低下させるような位置に駐車タワーを建てさせたと考えられる。
 この「ぬりかべ」タワーの前後の街路景観は近年の道路拡幅により乱雑に駐車すペースばかりが歩道の内側に造られて一層無粋にして茫洋たるものに変容している。
 幹線道路沿線の両側はいわば公共的空間であるが、この公共的空間に「妖怪」が出現したのであり、まさに日本人の美的感性の低下を象徴している。
 これが近年の道路拡幅という「都市計画」に基づく膨大な公費が投じられた「公共事業」に伴って為された「成果」なのである。
「都市計画」とは無粋さの中に妖怪が立ちすくむ景観を形成するもののようである。

  ※ 文面は2008年12月29日の記事を再掲

駐車場の乱造は日本を滅ぼす(1)

2010-12-09 19:38:20 | クルマ社会の問題
 なんとも物騒なタイトルのシリーズが始まるが、ぜひ読んでいただいて、日本の良好な街路景観造りに役立ててほしいものである。
 昨今は中国や朝鮮半島など東アジア情勢が緊迫化し、日本にも影響が及ぶ恐れがあるが、日本の街並み景観を見る限り、既に日本は某勢力から深く侵略を受け、津々浦々まで見苦しく蝕まれ、日本らしさ地方らしさが感じられる街並み景観が保たれている街はすごく少なくなっていることがわかり、無国籍的景観ばかりが日本を覆うようになってしまった。
 その某勢力とは決して特定の外国のことではない。 
 顔つきがエイリアン(宇宙人?)によく似た移動性マシーンであり、ヒトの姿はほとんど見かけない小さな村落でも、唸り声をあげて我が物顔に疾走する姿はいくらでも見かけるほどである。 
 彼らの名はクルマであるが、な~んだクルマか、どうしてそんなに問題視するのかと言うなかれ。たかがクルマであり、されどクルマなのだ。
 彼らを制御しない限り、彼らは確かに日本を滅ぼす力がある。

 上の写真と以下の文面は姉妹ブログ『山形の過去、現在、未来』の2009年7月の記事からの転用である。[タイトルは「山形の街角もマイケル・ジャクソン化

  山形のなんの変哲もない街路風景。
 否、変哲もないというよりはむしろ若干病巣に蝕まれた景観というべきか。 そして先月急死して世界中を驚かせたポップ界のスーパースター、マイケル・ジャクソンの顔もこの街路写真とともに登場している。
 これまた全世界はとてもとても無理としても、当ブログの閲覧者を若干驚かせているのかもしれない。
 マイケルは死して一層世界中から賛辞を贈られているようだが、彼の歌唱や舞踏はともかく、あの風貌にはどうしても賛辞を贈る気にはなれない。
 黒人なのに白人以上の白塗りになり、人種を超越しているばかりでなく性別や年齢をも超越している外見づくりによって彼の“個性”としているのかも知れないが、そんな外見でなければ彼の人気は持続できなかったというのだろうか。 
 どうしても私には“健康的”とは感じられなかった。
 遺された自宅に彼の亡霊が現れたという噂が全世界をかけ巡っているようだが、彼は生存中に既に“妖怪”になっていたと申すのは言い過ぎであろうか。
 ついに彼の芸能活動が持続する以前に彼の生命が断たれてしまった。
 さて、山形ばかりでなく日本の全国の都市で都市計画の名により地方の個性を絶滅するような無理な整形外科手術が施されていると言える。
 まさに全国の都市はマイケル・ジャクソンのような風貌に変えられようとしているわけである。 マイケルの“美容”整形にはむろん巨額の費用が投じられたであろうが、都市計画という名の美容整形にも巨額な公費が投入されているものの、“できあがり”が歩道内側に駐車スペースが乱雑に設置されるために却って街路景観が低下して街の魅力も更に低下する場合が余りにも多過ぎる。
 これではマイケルが早死にしたように、都市の風貌は妖怪のようになり、街の崩壊が加速するのではないか。