先日、知人のクルマに同乗して郊外にでかけた。
その知人も行き過ぎたクルマ社会や巨額の予算が投じられる道路づくりにはかなり批判的である。それでもクルマはなかなか手放せないようである。
市街地の狭い道路から郊外の広い道路に入ったとたん、彼は法定上限速度をかなり超過しての運転を始める。
なぜなら、同じ速度でも狭い道路と広い道路では速度感覚が大きく異なり、広い道路ではかなりのノロノロに感じられるようになるからのようである。
なるほど、彼が上限速度に戻した際には小生も速度がのろく感じた。
この感覚はちょうどジェット旅客機の窓から下界を眺める場合と同じようなものであろう。むろんジェット旅客機はべらぼうな速度で空を飛んでいるのだが、それほどの速度であるようには感じないものである。はるか下界の富士山は前方から後方へそれこそゆっくりと移動しているように見えるものである。
つまりは、広い道路はドライバーの速度感覚を麻痺させてしまうものである。
そして、警察までが多少の速度超過には“寛容”になってしまうようだ。
最近は警察はむろん、一般社会までが飲酒運転にはきわめて厳しくなっている。
だが、もともと飲酒運転による死亡事故の割合はさほど高くない。
むしろ死亡事故の多くはスピードの出し過ぎにからむものが多いのだが、それでも警察は速度違反に寛容であるのは大きな矛盾である。
「酒酔い運転」には厳罰で臨むが、「速度酔い運転」には寛容の精神で望むというわけである。40km/hでも殺人的速度であるのに、のろく感じるというのは既に速度感覚が麻痺した「速度酔い」に陥っている状態なのである。
※写真は十数前のもの。ここは山間部だが、平野部なら速度はのろく感じる。
その知人も行き過ぎたクルマ社会や巨額の予算が投じられる道路づくりにはかなり批判的である。それでもクルマはなかなか手放せないようである。
市街地の狭い道路から郊外の広い道路に入ったとたん、彼は法定上限速度をかなり超過しての運転を始める。
なぜなら、同じ速度でも狭い道路と広い道路では速度感覚が大きく異なり、広い道路ではかなりのノロノロに感じられるようになるからのようである。
なるほど、彼が上限速度に戻した際には小生も速度がのろく感じた。
この感覚はちょうどジェット旅客機の窓から下界を眺める場合と同じようなものであろう。むろんジェット旅客機はべらぼうな速度で空を飛んでいるのだが、それほどの速度であるようには感じないものである。はるか下界の富士山は前方から後方へそれこそゆっくりと移動しているように見えるものである。
つまりは、広い道路はドライバーの速度感覚を麻痺させてしまうものである。
そして、警察までが多少の速度超過には“寛容”になってしまうようだ。
最近は警察はむろん、一般社会までが飲酒運転にはきわめて厳しくなっている。
だが、もともと飲酒運転による死亡事故の割合はさほど高くない。
むしろ死亡事故の多くはスピードの出し過ぎにからむものが多いのだが、それでも警察は速度違反に寛容であるのは大きな矛盾である。
「酒酔い運転」には厳罰で臨むが、「速度酔い運転」には寛容の精神で望むというわけである。40km/hでも殺人的速度であるのに、のろく感じるというのは既に速度感覚が麻痺した「速度酔い」に陥っている状態なのである。
※写真は十数前のもの。ここは山間部だが、平野部なら速度はのろく感じる。