天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

二宮金次郎

2013年11月13日 | Weblog
【産経抄】
11月13日
2013.11.13 03:09 [産経抄]
 子供のとき両親を亡くした二宮金次郎は伯父の家に預けられる。迷惑をかけてはならないと田畑で懸命に働く一方、儒教の『大学』を入手し、深夜に勉強した。ところがこれに気付いた伯父は「そんな勉強のために貴重な灯油を使うな」と禁じる。
 ▼金次郎は川岸の空き地でアブラナを育て、採れた菜種と灯油を交換してやっと夜の勉強を再開した。それでも伯父は「時間を無駄に使うな」と許さない。そこで今度は夜もむしろ織りなどをして働き、山に薪取りなどに行く往復の時間を勉強に充てたのである。
 ▼内村鑑三の『代表的日本人』などで語り継がれる二宮尊徳の逸話だ。小学校などでおなじみだった金次郎の銅像が生まれた所以(ゆえん)でもある。ところが、その金次郎像がどんどん姿を消してきている。学校でほとんど教えず、金次郎が子供たちから遠い存在となったからだろう。
 ▼文部科学省の有識者会議が道徳の「教科」への格上げと検定教科書の使用を求める報告書案を公表した。当然に思えるが、案の定「特定の価値観の押しつけだ」との批判があるらしい。文科省内部にも「教科書検定の基準を決めるのは難しい」と腰を引く声もあるという。
 ▼だが二宮尊徳をはじめ、近江聖人といわれた中江藤樹、「稲むらの火」の濱口梧陵ら、誰もが子供たちに生き方を教えたい人は多い。外国にもヘレン・ケラーやマザー・テレサがいる。そんな人物を語るだけで立派な教科書となる。検定も問題ないはずだ。
 ▼昨年、その試験版として『13歳からの道徳教科書』を編集した「道徳教育をすすめる有識者の会」の渡部昇一氏はこう話していた。「人生のある場面において、教科書に載った人物の良い行動原理が無意識に助けてくれると確信している」。

 「論語」を教科にするのはどうでしょう。

 二宮尊徳は、神、仏、儒を究極的には一つに至るそれぞれの道に過ぎないとして、人間形成を農業実践とともに、わかりやすく説きました。人間は、人心、欲するばかりで作ることがない心と、道心、誠(仁)に至る心とを併せもち、誠、道心と積極的に関わる行動、貢献(勤労、分度、推譲)することによって、はじめて人間形成されるとしました。

 マザー・テレサは「愛の反対は無関心」と。

 百聞以不如一見、百見以不如一考、百考以不如一行、百行以不如一果。

 故事、伝記などを語る人も少なくなりました。欲するばかりでは、畜生と同じ。伝えるだけは伝えなければ、人間は絶滅へ。