天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

150年前のきょうから

2013年11月19日 | Weblog
春秋
2013/11/19付

 「人民の人民による人民のための政治」。あまりにも有名な一節だろう。時のリンカーン米大統領がペンシルベニア州のゲティズバーグで演説したのは、国を二分した南北戦争のさなか。150年前のきょうだった。理想は日本国憲法にも息づいている。色濃いまでに。
▼憲法の前文には次の下りがある。国政の「権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。ゲティズバーグ演説を踏まえているとの印象は強い。続けて「これは人類普遍の原理」だとも宣言している。起草を主導した米国の傲慢の表れ、と感じる人もいるかもしれない。
▼だからなのか、自民党の憲法改正案にこの表現はない。「人類普遍の原理」ではない、と言いたいのでは。そんな臆測も浮かぶ。連想するのは、このところ中国で高まっている議論だ。人権や法の支配といった「普遍的価値」を唱える人たちに、保守的な勢力が激しい非難を加えている。「西側の敵対勢力の手先」などと。
▼そういえば自民党改正案の前文は中国憲法と似ている。かたや「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」で始まり、こなた「中国は世界で最も悠久の歴史を持つ国の一つ」で始まる。米民主政治の理想より、中国の政治文化に親しみを覚えるのか……。そんな勘繰りをしてしまうのも自民党内の右寄りの風向きのせいか。

 今生きている人は、生まれた時には国がありました。それそれの国、歴史、文化の中で生まれました。自分でつくったのではないので、それらは人がつくっているということがわかりません。

 国、歴史、文化は、人類、人民、ひとりひとりの人がつくりました。今でも国、家族は、ひとりひとりの人がつくっています。一部の独裁者たちがつくったのではなく、ひとりひとりの自由獲得の成果です。