天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

わかっていただけませんか

2010年05月11日 | まつりごと



 10年5月11日衆院農水委、長島忠美議員の質疑より。

 私は、口蹄疫が発生したということを、やはりわれわれは重大災害だという認識を持って対応すべきではないか、そんなふうに受けとめて、先ほど大臣が、私一人ぐらいいなくても対策は十分だということの認識をぜひ改めていただきたい。
 私も、自然災害でふるさとを追われました。そのときに、希望をなくして絶望の中にいる住民は、私のようなリーダーでも、顔を見せて手を握ってくれることを望んで避難所で待っていてくれました。私は、山古志村民をすべて被災させたときに、住民から、辛いときに希望を与えるのが政治家の仕事だと言われて、今日こうやって政治のお仕事をやっているつもりです。この宮崎県の農家の皆さんは、先輩が言ったとおり、多分、今絶望の中にいるんだと思います。明日もわからない状況の中にいるんだと私は思います。
 私はこの災害を絶対克服してみせる、だからみんな安心してくれというメッセージを出すのが災害本部長の仕事であり、大臣の仕事じゃないですか。私一人ぐらいという認識は、私は改めていただきたい。

 災害を受けたときに住民が期待することというのは、平和なときには、やはり日本の法律だとか制度が国民を守ってくれますよ。災害を受けたときにだれが守るか。政治家が守る以外ないじゃないですか。前例にないことをやらなかったら、被災地を救うわけにいかないんですよ。だから、大臣が三十日から八日までお留守にされた間、私一人ぐらいという認識は甘いんじゃないですかと私は言っているんです。
 このことについて、私は同じ被災者として、私も、牛を飼っている農家があって、災害を受けて牛が孤立をしましたよ。避難をした翌日に、私のところに農家の人が来ましたよ。何と言ってきたか。おれは山に入る、とめるな、おれは家族を助けに行く、だからとめるな、そう言って、村長である私のところに来ました。私はとめるわけにはいかなかった。その思いは私は大切にしなければいけないと思った。とめるわけにはいかない、でも、牛と同じように私にとってはあなたも大切な命だ、気をつけて行ってほしい、出てきたら必ず私に一番最初に連絡をしてほしいと言いましたよ。
 農家にとって、今、口蹄疫に見舞われている家畜は、家畜という位置づけだけではなくて家族じゃないですか。その家族の命を国民のために提供して生活を支えているということを考えたら、やはりもう少し政治家として、さっき手を握ったとおっしゃったけれども、もっと、手を握って顔を見せて、私が来たから大丈夫だ、絶対再建できるようにしてあげるというメッセージをまず出すことの方が大事だったのではないかな、私はそう思うんです。
 私は、外国の用務がどうだとか言っているわけじゃなくて、災害ですから、災害にやはり一番重きを置いてほしいというのが国民の願いじゃないですか、そう申し上げていることなんです。その議論は余りしてもしようがないんですが、例えば、その用務に副大臣をやって、大臣が顔を見せることは可能ではなかったのかな、私はそんなふうに思います。

 万全の措置をとられたと今御答弁がありました。私は違う立場ですよ、違う立場。今宮崎県は、家畜というものに大きな被害を受けた災害を受けている。私は、自然災害を受けた。万全な対策というのは、責任ある人がきちんと顔を見せてくれることもやはり万全な対策のうちの一つだと思うんですよ。わかっていただけませんか、そのことは。
 さっきから、私が行かなくてもとか、万全な対策をとったからとおっしゃるけれども、被災地とか被害者、あるいはこうやって被害を受けた農家の皆さんというのは、本当にわらにすがっても生きていけない、可能性のないところにいるんだと私は思うんですよ。災害本部長がいつもそこにいてくれて、何をしなくてもいいとは言いませんよ、きちんとそこで陣頭指揮をしている、その姿勢だけで農家の皆さんというのは希望がつながるものだと思うんです。被災者の気持ちというのはそういうものだと私は思うので、さっきから非難しているわけではなくて、皆さんがしてきたことはその意識から少し外れていたんだから、これからは陣頭指揮をとってくださいよというつもりで私は言っているんですよ。私は小さな村の村長だから、とても農林大臣とか副大臣とかの立場ではないけれども、一人一人向き合ってあげなかったら、この農家の人たちを救うことは多分できないんじゃないかな、私はそう思うんですよ。
 だから、その覚悟を持ったら、三キロの中におさめたということ、たった今三キロの中でおさまっている、そのことについては消毒をしたと、評価をみずからされたわけだけれども、これから先、そのことを広げない、そのことは必ず約束できるということを、農家の皆さんに直接出向いて説明をしたり、状況をきちんと把握することの方が私は大切なのではないかなというふうに実は思っています。顔を見せるということも、被災者や県民や住民にとってはやはり大きな安心につながるんだということだけはせめてわかっていただきたいな、私はそう思います。

 私は、今回のこれは、私のところも、宮崎県は遠いから安心していられる、そんな状況ではなくて、日本じゅうで牛や豚を飼っている人たちが宮崎県に注目をしています。というのは、自分たちに何かあったときに、宮崎県の農家が救ってもらったようなことをわれわれがしてもらえるんだったら、これからわれわれは牛や豚を飼って家族を養って地域を守って生きていくことができるけれども、宮崎県の農家が生産を再開できなくて、生活を継続することができなかったら、我々は牛や豚を飼ってこれから地域や家族を守っていくことができるのかという大きなメッセージにつながるんだ、私はそう思うんです。
 だから、そういう意味で、やはり大きな対策をお願いしたい。前例にとらわれない、今の法律や制度ではないところで、救うという意思をやはりきちんと発信していただきたい。

 牛や豚といった命、命を守ってあげる、これ以上被害をふやさない、命を守ってあげるということが畜産農家にとって大きな勇気につながるんだと私は思うんです。
 私も実は牛を飼っております。牛は家族だと思っています。そして、その家族の命を分けてもらってわれわれは命を長らえているんだ、私はそう思うんです。だから、大切にわれわれは生きなければいけないし、牛や豚を大切にしなければいけないんだと私は思うんです。
 もうこれ以上、口蹄疫によって牛や豚の命が奪われることのないように、先ほど万全な対策とおっしゃいましたけれども、私は、ぜひ、お願いとして、顔を見せてやって、農家の皆さんの手を握ってあげることも大きな勇気につながるということをわかっていただいて、対策をとっていただきたい。

ネアンデルタール人

2010年05月07日 | 科学
 約3万年前に絶滅したネアンデルタール人のゲノム(全遺伝情報)を骨の化石から解読したところ、現生人類とわずかに混血していたと推定されるとの研究をドイツのマックス・プランク進化人類学研究所や米バイオ企業などの国際チームが7日付の米科学誌サイエンスに発表しました。

 枝分かれの地であるアフリカの人より、それ以外の現生人類の方がネアンデルタール人のゲノム配列に似ており、ゲノムの約1~4%がネアンデルタール人由来と推計されました。

 これまで混血はなく、ネアンデルタール人は約3万年前に絶滅したとされてきました。絶滅したとされる一因として、象徴的な記号を理解しないなど、知的に劣っていたとの見方があります。

柿の花

2010年05月04日 | 夏は夜

みどりの日に、みどり色の花
実のなる木の花は、無花果と書くイチジクを筆頭に花のうちは目立たないようにしています。
小さいうえに、色まで葉や額と同じ緑色にして目立たないように咲くのが「柿の花」
学名「ディオスピュロス」は「神の食べ物」の意。
 花言葉は、「自然美」

古代日本では、色を表す言葉は、赤、黒、白、青の4つしかありませんでした。「みどり」はもともと色の名ではなく、新芽や若枝を意味していました。生命力あふれるイメージから、3歳くらいまでの幼児を指す「嬰児(みどりご)」という言葉が生まれ、みずみずしい若い女性の髪を「みどりの黒髪」と呼ぶようになりました。


憲法記念日

2010年05月03日 | Weblog
 小学生は6年時の「社会科」で、中学生は中3の「公民」で、日本国憲法の成立過程や、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重の3大原則などを学び、高校では「現代社会」や「政治・経済」などで憲法を詳しく学習し、民主的で平和的な公民的資質の基礎を養います。

 民主党が行政権を担当してわかったことは、民主党の人たちは憲法を知らないということです。行政権を握るや否や、国会の議決を経ずに、様々な事の執行を停止してしまいました。そして、そのことが、憲法を遵守しないことが、自らの政策運営を難しくしていることにも気付いていません。法は、一番いい方法を教えてくれています。

 一方、国会は、こういう状況になったときのチェックが効かないという問題も露呈しました。とくに、外国に対して、「日本は間違いました。ごめんなさい。速やかに是正します」とする術がありません。

 今日のこの憲法記念日にでも、民主党の方々に、国民主権とは何かをわかるまで考えてもらう、しかありません。