天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

法律の制定、川口順子

2010年05月27日 | まつりごと
 まず、この基本法の施行日でございます。本来、法律の施行期日というのはその法律によって定められる。それから、政令にゆだねる場合がないわけではないですが、その場合であっても、例えば上限を決めて、いつまでにとか、あるいは公布後何年あるいは何か月を超えない範囲でというふうにはっきり書いて政令に委任するというのが通例であるというふうに私は認識をしております。

 法律の施行日、その国会を通した法律があるとして、その法律がいつから施行されるかというのは、まさに国会の決めることであるからということなんです。法律事項なんです、これは。だから、無条件に政令にゆだねるということはほとんどない、あるいは全く皆無とは言いませんけれども、それはそういうことを逸脱しているからであります。その場合においても、条件あるいは理由を非常に明確にしているということであって、まさに大臣おっしゃった安定性、これがその理由でして、法律を決めて、その法律がいつから施行されるか分からないということであれば、民主主義社会において国会が何をしたか、全く無意味になってしまいます。
 ですから、政府は、あるいは政府で決めることというのは、政府は法律の執行するところですから、その執行する期日は法律がちゃんと示唆をする、決める、指示する。法律自体で決めるか、あるいは、そういう条件だったらば決めなさいということを、こういう条件でしたがっていつまでに決めなさいとか、そういうこともはっきり言うということでして、法律は自己完結的でなくてはならないということが通常の政府あるいは国会、日本のガバナンスの問題として、これは憲法にも書かれているということであります。
 それで、この法の十条第一項の規定の施行期日ですけれども、これをこの法律はまさに政令に委任をするということをやっているわけです。施行日はまさに法律事項でありますから、これを政令に委任をしてしまうというのは非常におかしいということであります。いつから執行するかということまでその法律が政令にゆだねてしまうということは民主主義にそぐわないということで、これは法律を作る立場のバイブルのように使われている、例えば吉國一郎さんとか、そういう人たちの書き物、著書についても言われている。そういう意味で、この法律は非常に例外的なケースをやってしまったということであります。

 施行期日の定めというのをいつまでにという上限も付さないで、ある条件、条件を書いてそれで政令に委任をした立法例というのは今までないんです。本邦初演をこの基本法はやったということでございます。

 民主主義社会において法律というのは国会が決めるものである。したがって、その施行日においても国会が自ら決めるか明確な条件を付したときに決められる、付して政令に委任をするということからいえば、これは全くそれに反している。まさに条件は明確でないというのを大臣今おっしゃったわけですから、ですから明確ではないということで、このような法律は、最初の例だとおっしゃいましたけれども、本来あり得ない法律、違憲である法律であるということを私は申し上げているわけです。非常に問題な法律であるというふうに私は思います。法律の体を成していない法律であるというふうに思っております。

 内閣法制局がいいと言ったからいいんだということでございます。内閣法制局は確かに内閣に法令の解釈についてアドバイスするところではございますけれども、ここは国会でございます。国会は法律を作るところ。作る立場からおかしいのではないかということを言っている。法制局がいいと言うからそれで、国会はそれでいいと言えというのはおかしいということが第一点です。

 ですから、私が申し上げているのは、明確でないことを前提条件に、ある法律の、十条一項ですけれども、それの施行を行うことに法律で書いてあるというのは、まさに全く無条件に政令でこの法律の施行はやっていいですよと言っているのに今の時点では等しいんです。
 明治のころに、勅令で定める日から施行しなさいというような法律はたくさんできたわけですね。これは明治の時代でございまして、今は平成の、しかも民主主義がきちんと機能している国会を持っている国会での議論、そこに何か、何だかよく分からないけれども、そういうことを条件に法律を決めて法律の施行をさせる、これ全く法律としては体を成していない。今までそういう例がないということ自体、それがおかしいからそういうことをやられなかった、そういうことがなされなかったということでして、国会として政府にそこまで白紙委任をするということが本当に適切かどうかというのは、我が国の国会と政府の在り方、民主主義の統治機構の在り方、そういう広い観点から考えて非常に問題であると私は思っております。そういう意味で、この法律は欠陥法律である、あってはならない法律であるというふうに思っています。

 この不明確であるということに国会の持つ法律についての権限を政府が犯しているということを、そういう疑念といいますか、そういう問題があると私は感じていて、それを申し上げているということです。
 それから、更に付け加えますと、これを判断する、その前提条件が満たされたかどうかということを判断する者は政府であるというふうに政府はおっしゃっていらっしゃる。この政府が判断をする、不明確である前提条件を付けて、そしてそれが条件に、満たしているかどうかということを判断するのは政府自身、これぞ、この二つ併せますと、全く国会として政府に法律だけ作ってあとはもう好きにやってちょうだいというふうに白紙委任をしたそれそのものであるということであると私は考えております。
 内閣法制局長官が明確な基準があると考えたというふうにおっしゃっていらっしゃいますようですけれども、今は何も答えられない、基準について何にも明確に答えられない、いつになったら明確になるということすら言えない、そういうような条件でありながら、条件が明確だからこれは合憲であると法制局長官がおっしゃられた、この判断について私はまさに疑問を呈しているわけです。国会議員として疑問を呈しているということでございます。
 ですから、この法律が基本法、冒頭言いましたように、温暖化対策をするについてその基本法は大事ですけれども、この基本法、大事な基本法がこのような欠陥商品の基本法であるということについて、私は、遺憾を超えて、憲法上の大問題、政府による国会議員、国会の立法権の侵害であるとすら申し上げておきます。

 国際交渉をするのはもちろん政府です。だけれども、その国際交渉の結果、それが協定、協定じゃなくて、行政協定は別ですけれども、条約であれば、それを締結をするのは国会の承認が必要なんです。国会が認めなければ条約にならないということでして、政府はそういう交渉をする権限はもちろん持っているということです。でも、それは国会が認めるということです。
 ですから、この法案を少し私の申し上げた観点から改善をするためには、じゃ、その条件、それが成就したかどうか、こういう理由で政府としてはその条件が満たされたと考えます、したがってその十条一項は施行しますということについて国会の意見を聴く必要がある。国会の意見を聴いて、国会がそれでいいということを言うのであれば多少は改善をされるというふうに思いますが、不確定な、不明確な基準を作っておいて、それについて何も説明できない状況で政府がそれがその条件を満たしているかどうか判断をするということを含めて国会が政府に白紙委任をするということが適切かどうか、合憲かどうか、私はそういう法律を作る気持ちは全くないということを申し上げさせていただきたいと思います。

 二〇〇九年度には、第一約束期間全体の排出量見通しを示し、総合的に評価することになっている。これをなさいましたかということを聞いています。これは閣議決定されていることですから、それをやらないということを別途閣議決定をしない限り、そして、別途そういう閣議決定をすることが京都議定書にコミットしている我が国の在り方として正しいと私は思いませんが、そういうことをしない限り、これは政府はやらなければいけないことなんです。それをサボったということを正直にお認めになったらいかがですか。

 政権が異なるといっても、閣議決定は閣議決定、日本の行政機構として、政府として決めていくことなんです。それを守らなかった、違うやり方をするということを考えたからそういうふうにやりますということが許されるわけはない。これはもう統治に対する、統治のメカニズムあるいは統治の秩序に対する挑戦であると思います。

 政権が替わるというのはこれからもあると思います。一つの内閣があるいは一つの政権が閣議で決めた、政府の決定として決めているわけですね。それを別な閣議決定で変えるということはあり得るだろうと思います。だけど、その閣議も開かないで、要するに政府の機構、政府の決定というのを、政権が替わったからといって黙って覆していいというものではありません、ということを強く申し上げたいと思います。