天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

小野田寛郎語録

2014年01月16日 | 不易
 豊かさは自分の心で感じるもの。不便さは何とかなる。最後は自分の五体で何とかなる。

 計画どおりにいかないことは沢山あるが、思いどおりにはいくものだ。不満などどうってことはない。自分の満足度を少しだけ変えればよいのだから。

 危機なんてどうってことはない。ルパング島では毎日が危機だった。負けたわけでもないし死んだわけでもない。危機は乗り越えればいい。
 最近は「危機管理」という言葉が流行しています。マニュアルや規則ばかりにこだわっていたら、危機は乗り切れません。これらは必要最小限のもの。最後は自分で判断し、行動しなければなりません。

 「銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいい」自著『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』で。命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、あたりが急に明るく鮮明に見えるようになった。「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。
 「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」『月刊秘伝』2004年7月号でのインタビューで。

 馬鹿な人は嫌いだ。馬鹿な人とは頭の悪い人のことではない。自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。人は一人では生きられないのだから。

 笑ってすませる時もあれば叱ってすませる時もあるが、決して怒ってはいけない。怒っている時は獣になっている。

 やってしまったことは「しかたがない」これからどうするかだ。くよくよすれば負け犬になってしまう。負け犬は遠くからほえるだけでむかってこない。

 他人に言われてする反省は後悔にしかなりません。自分で気づいた反省は将来の改善になります。しかし、自分で反省するには、謙虚さ、素直さ、そして冷静さが必要です。難しいことです。

 自制や自律は筋肉と同じ。鍛錬すれば強くなり、放っておくと生まれた時の自我に戻ってしまう。

 ヒトは霊長類ヒト科の動物です。人間は社会で生きる人のことです。今の世の中には「人間」と「ヒト」の区別がつかない動物が沢山います。

 日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」と教えられた。権利は、義務を果たせば自ずと与えられるもの。

 世の中には、できそうにないことでもやらなければならないことがあるし、できることでもやってはいけないことがある。この判断基準こそがその人の価値を決める。

 できない理由が分かればしめたもの。それを解決すればできる。要は、やる気があるのかないのか。それが結果を変えてしまいます。

 事実は千差万別。人それぞれで見方が変わるものですが、真実は一つ。事実と真実をしっかり見極める眼力を養うことが必要です。正しいと思ったことでも事実であっても真実でないこともあるのです。思い込みは危険です。