天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

天地創造

2011年08月21日 | 不易
 新約聖書のヨハネによる福音書の始まり(1章1~5節)

 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」

 新・旧約聖書のいちばん最初には、神が天地を創造した場面が書かれています。最初にあったのは、どろどろの正体不明の物質がただ混じり合って何が何だかわからない状態でした。そこに神がやってきて「光あれ」(創世記1章3節)と言います。

 「人はパンにのみ生きるのではない。エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」(申命記 8:3)

 「神」は、示すに申す。「仏」は、人にム(口)。「命」は口で捧げます。光のゆらぎ、波、イザナギ、イザナミは、闇から天地を生みました。「光」は人が放つ智慧です。一切諸仏の母は、愛染明王。

 求めよ、さらば、与えられん。捜せ、さらば、見いだされん。門をたたけ、さらば、あけてもらえん。(マタイによる福音書7章7~11節)