天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

藤井聡

2011年06月16日 | まつりごと



 以下、平成23年6月16日参院復興特 藤井聡(京都大学教授)参考人公述より抜粋。

 大震災から三ヶ月以上もの月日が経過いたしましたが、その間の我が国政府の対応の、恐るべき不十分さに対しては、改めて私が指摘するまでもなく、多くの国民が、絶望的な気分を伴う深い憤りを抱かずにはおれない、というのが今日の現状でございます。例えば、全国そして世界中から集められた義援金の大半が未だに被災地に届けられておらず、復興構想会議の議論を待つまでもなく実行できたであろう数十兆円規模の大規模な国債発行とそれに基づく大規模な復興事業の始動は、決して遂行不可能などではなかったということは明らかであります。
 こうした政府の対応の恐るべき不十分さのために、被災地は放置され続け、失われずに済んだはずの数々の人々の命が、本来ならば失われずに済んだはずの地域活力が、数十、数百、数千と失われ続けているのが実態であります。これを不作為の罪と呼ばねば一体、何が不作為の罪なのでありましょうか。数名を殺めるだけで極刑すら免れ得ぬ法治国家である我が国日本には、被災地の放置というこの「巨大なる不作為の罪」を裁く法が不在なのだという不条理の極みと言うべき恐ろしい事実を誠に遺憾ながら理解させられた次第であります。慚愧の念に堪えません。
 ついては、国政に直接間接に携わる皆様方には、今すぐに迅速かつ大規模な復興事業の展開が可能な体制づくりを心から請願せずにはおれません。