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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

国会議員の皆様方

2010年05月20日 | まつりごと
 10年5月20日衆院本会議、江藤拓議員の質疑より。

 しかし、今、早急にやるべきことは、このことではないはずではありませんか。
 口蹄疫の発生した地域では、日々恐怖におびえ、耐えがたい不安の中で、将来を絶望する人が、今、この瞬間もふえ続けているんですよ。
 きょうで、口蹄疫発生から、はや一カ月がたってしまいました。蔓延は全くとまりません。五月十八日には東国原知事が非常事態宣言を発動されました。けさの段階で、発生した市と町は五つとなり、発生戸数は百四十六戸に上っております。家畜伝染病予防法に基づいて殺処分をもうしていなければならない家畜の総数は、十二万五千二百六十六頭にもはね上がってしまいました。
 殺処分の現場、埋却の現場、これは、皆さん、筆舌に尽くしがたい修羅場ですよ。まさに地獄であります。作業員の中には、精神的にも完全に参ってしまっている人も多数出てしまっております。みんな、もう本当に、ぎりぎりのところでやっと踏ん張っているというのが現状なんであります。どうか御理解ください。
 谷垣総裁には、東国原知事が上京して要請された次の日に、すべての予定をキャンセルされ、急遽、朝の一番便で真っすぐ現場に向かっていただきました。現場にですよ。そして帰りの便も、予定がありましたけれども、すべて日程をキャンセルして、農家の方々から意見聴取をいたしました。すべての意見が出尽くすまで、この会議は続きました。総裁は、御自身でメモをとり、誠実に御回答されておられました。
 また、自民党では、四月二十二日、三十三項目の申し入れを行い、四月三十日には、四十二項目、申し入れを行いました。五月の六日にも追加対策の申し入れを行いました。既に党内に家畜伝染病予防法改正等PTを立ち上げ、急ピッチで改正法案の提出に向けて議論を今進めているところでございます。
 それに引きかえ、そのとき、政府は、特に赤松大臣は、あなたは一体何をしていたんですか。
 大臣が初めて宮崎入りしたのは、五月の十日。現場の皆さんが切実な訴えを直接訴えようと待っていたにもかかわらず、現場から遠く離れた宮崎市までしか足を運ばれませんでした。そのとき川南町では、大きな失望と、国に我々は見放された、そういう声を私はたくさん聞きました。
 五月十一日の農林水産委員会で、私は、赤松大臣が四月三十日から五月の八日まで外遊されたことについて、そもそも行くべきではなかった、そして外遊中に、日々蔓延が拡大する中で、途中帰国することをあなたはお考えにならなかったんですか、そうお尋ねをいたしました。
 私は、大臣から、反省しているとまでは言わないまでも、せめて、今となると、途中帰国を考えるべきであったと思います、そういうお返事が当然いただけるものだと思っておりましたが、大臣の答弁は一体何ですか。私一人がいなかったからといって、いささかも支障があったとは理解しておりませんと。
 対策本部長ですよ。何という責任感の欠如ですか。まさに、開き直り、自己正当化以外の何物でもありません。これでは、現地で苦しんでいる農民は救われません。
 当時の対策本部長であった大臣が、農民や地域の人たちの苦しみを御自身の痛みとして感じることができなかった、そのことが蔓延拡大の大きな原因の一つであったということを私は確信いたします。
 そもそも、民主党という政党は、基本的におかしいと思いますよ。
 BSEが発生したとき、農林水産大臣は武部勤代議士でした。自民党内で、BSE対策会議が開かれるたびに、大臣は、不眠不休の努力を重ねて、対応に追われましたけれども、それでも、自民党の議員から、身内から、毎回毎回厳しい追及を受けました。激しい議論がそこではなされました。それがあったからこそ沈静化に向かったのであります。
 そういった激烈な議論の場は、この民主党にはあるんですか。あるんですか。
 初動のおくれ、蔓延の防止に失敗した、とうとうワクチンまで使わなければならなくなってしまった。二十二万頭の子牛を誕生させた伝説の種牛、安平まで殺処分の対象となってしまったことに対しても、民主党内で問題視する声が全く上がらないことを、私は、極めて不自然で不健全な体質である、そう思います。
 現対策本部長の鳩山総理は、十八日の朝、記者からの質問に対して、国の一定の責任を認める旨の発言をされました。まだ前本部長に比べれば正直かもしれません。
 その後行われた赤松大臣の記者会見は、愕然とするものでありました。初動がおくれたとか、やるべきことをやらなかったことはない、私がやってきたことは、全く、反省するところ、おわびするところはないと。まさに信じがたい発言であります。反省なくして、新たな対策、そういったことを打てるんですか。まず反省に立って、そして対策を見直す、これが基本だと私は思います。
 大臣、今も、そのお気持ちは変わりませんか。お答えください。
 私は、野党の一代議士でありますが、地域の皆様におわびを申し上げながら日々を過ごしてまいりました。それが政治家としての、普通の、ごく当たり前の感覚だと私は思いますよ。
 議員の皆様、大臣の発言を、どのように、正直に、率直に受けとめられましたか。
 この報道を見て、国民の政治家への不信はますます高まるばかりであります。政治家は自己保身のことしか考えていないと。何が国民の生活が第一ですか。自分の身が一番じゃありませんか。
 初動のおくれはないと言われますが、現場に国から消毒薬のクレンテが届いたのは四月の二十八日、ソーダ灰が届いたのは二十九日ですよ。発生から一週間もたってしまっていました。どこが迅速な対応なんですか。三日目からは、ビルコンS、車にかける消毒薬を使いました。これは、町、農協、それから宮崎県経済連、宮崎県畜産協会、こういった方々が現場で東奔西走してみずから集めてきた薬品であります。
 そして、さらに指摘させていただきたいことがあります。今回の初動がおくれた大きな原因の一つに、行き過ぎた政治主導があったのではないかと私は思います。
 十年前に口蹄疫が発生したとき、七百四十頭の殺処分で封じ込めに我々は成功いたしました。とにかく、国も県も自治体も農協も、すべての皆さんが、総力を挙げることを要請し、早急に百億円を用意いたしました。そして、何か不手際があったら、初めてのこと、だれも経験がないわけでありますから、最後にはすべての責任は政治家がとる、そのことをみんなに約束して、一斉に動き出したのであります。だから初動が早かったんですよ。だから七百四十頭で済んだんです。
 今は、何かといえば三役にお尋ねをしなければ、みんな動けないんでしょう。(発言する者あり)
 皆さん、やじもわかりますけれども、どうか、宮崎の苦しみを理解してください。畜産農家だけでなく、その他の農産物や観光を初め、多岐にわたる産業にも大きな影響が出ております。
 私の息子の修学旅行も中止になりました。商店街は、ひっそりと静まり返り、売り上げは七割、八割も下がってしまいました。このままではもう店を閉めるしかないという悲痛な声がたくさん上がっております。全国で有名になりました、「朝ズバッ!」でも採用されましたあの軽トラ市も、もうやれなくなってしまいました。
 現場の人たちは、国が具体的で農家が納得のできる対策を早く示していただくことを望んでおります。
 私は、口蹄疫発生初日から連休が明けるまでの間、毎日のように、自分の目で見て、自分の耳で聞き、感じてきたこと、この短い時間の間ではとても皆さん方にお伝えすることはできませんが、その一部だけでも御紹介させていただきます。
 あるおばあさんは、牛を殺処分するならば私も一緒に埋却してほしい、埋めてほしい、そうおっしゃいました。この牛がいたからこそこれまで生きてこられた、そして、何よりも私たち老夫婦にとっては生きがいであった、子供同然であった、これがいたから子供たちにお年玉を上げることもできた、そういうことをもうできなくなってしまった、そう言って、私の手を握って泣かれました。私も一緒に泣くしかありませんでしたよ。
 このことは、委員会で大臣にお伝えをしましたね。しかし、そのとき大臣の胸には、全く響くことはありませんでした。
 ある酪農家では、最後に、一番うまい最高のえさを与えてやり、体をブラッシングしてやって、乳房をふいてやって、その後、一頭一頭に最後の別れを告げて、その目の前で次々と殺処分されていったんですよ。畜産農家の目の前で倒れていったんです。その気持ちがわかりますか。
 その後、私に電話をいただきました。大臣をこの場に連れてこい、そして一頭一頭、大臣の手で、銃で撃ち殺させろ、そうすればおれたちの気持ちも少しは伝わるだろうと声を震わせておられました。
 養豚農家では、殺処分が決まっても、埋却地も見つからず、獣医も足らず、一週間以上待たされてしまいました。その間、えさを与え、世話も続けてまいりました。
 まだ感染していない農家におきましても、これまで必死に防疫の努力をしてまいりました。
 今回、ワクチンを投与するということが突然飛び出してきて、これまでの努力は一体何だったんだという憤りが宮崎には今たまっております。
 政府は、十キロ圏内の計八市町で二十万五千頭にワクチンを投与した上で最終的には殺処分をするという方針を決めました。
 ワクチン接種の同意を得ることがおくれれば、蔓延はますます広がってしまいます。
 疫学的な調査もサンプリングもしないで、十キロ圏内はすべて処分するから対策は万全だと言いますが、現場では、十キロ圏内で本当に大丈夫なのか、その外に出たら一体だれが責任をとるんだという声が既にたくさん上がっております。
 三十二万頭もの殺処分が行われれば、想像を絶するほどの土地が必要になりますよ。これまで見つけた埋却地は、すべて県や町が自分たちの努力で見つけた土地であります。国が示された土地は、使い物にならないものばかり。これのどこが十分な対応なんですか。
 鳩山総理は、十八日の会見で、経済、経営のことはしっかりと政府がやる、そう述べられました。これは、生活の補償、農家の経営再建、従業員の給与、関連産業、地域経済が受けたすべての損失を政府が責任を持って補償する、そう理解してよろしいですね。御答弁を求めます。
 大臣は、五月十日、宮崎に来られました。そのときに、法定受託事務だということを言われましたが、もうその時点で、その限界は既に超えていたんですよ。宮崎県を批判する声がありますが、全くお門違いだと私は思います。
 私は、五月十一日の農林水産委員会で、今、大臣の責任を追及したからといって畜産農家が救われるわけではない、蔓延がとまるわけではない、だから今は休戦をしましょうということを提案いたしました。
 ですから、最後に皆様方に、心を込めてお願いをいたします。一刻も早くこの大惨事を終息させるために、すべての国会議員の皆様方の御理解、お力添えをどうぞ賜りますようにお願いを申し上げまして、私の質問にかえます。
 どうもありがとうございました。(拍手)

一丸となって何とか助けてください

2010年05月11日 | まつりごと



 10年5月11日衆院農水委、江藤拓議員の質疑より。

 四月の三十日に日本を立たれて、五月の八日に帰国をされましたね。そもそもこの外遊については、政府の口蹄疫対策本部長である以上、今回は見送るべきだという意見は与野党ともにありましたよ、自民党だけじゃなくて。しかし、予定どおり御出国をされた。このこと自体、地元で御苦労されている方々がどう受けとめたか。中には、われわれは国から見放された、最高責任者が行ってしまった、そう言った方もおられました。そして、四月二十八日には県の畜産試験場で発生した感染が、一番恐れていた豚への感染。一般養豚農家への感染が確認され、帰国されました八日には、三十日には十二例目でありましたけれども、帰ってきたときには五十六例目という爆発的な蔓延になってしまいました。そのときにトップがいなかったんですよ、この日本に。これは皆さん、非常に心細い思いをされました。その状況は、外遊されていましても、当然農林水産省のキャリアを通じて逐次報告がなされていたでしょう。大臣はそれをお聞きになって、これはまずい、予定をキャンセルしてでも途中で帰国しよう、そういうお気持ちになったことはありませんか。

 最高責任者でしょう。最高責任者でしょう、あなたは。リアルタイムなのはわかりますよ、それは。何をにやにやしているんですか。最高責任者でしょう。その人がいないと、役所だって今どうですか、例えば鹿児島の先生方がこの期間中に役所の人を呼んで、こういった対策をお願いしたいといろいろ話をしましたよ。返事は何ですか。政務三役の御承認を得なければ、われわれの判断ではどうにもなりませんと。あなたがいない間、そういうやりとりがなされていたんですよ、休みの間でも。これが現実。
 何でそうやって笑うんですか。どうして笑うんですか。(赤松国務大臣「笑っていないよ、別に」と呼ぶ)にやにやしているじゃないですか、さっきから。
 大体、民主党さんはよく使うフレーズがありますね。今、事業仕分けもやっていますけれども、不要不急のものであると。私、今回の外遊は、今行かなければならなかったものだとはとても思えませんよ。
 メキシコの、EPAですか、これはもう十六年に署名済みです、十七年には発効しています。そして、四年、五年には見直しを行いますけれども、これは事務レベルの話でしょう。大臣が行かなければ決着しない話ですか。キューバへ何をしに行ったんですか、カストロさんに会いに行ったんですか。コロンビアへ何をしに行ったんですか。それは国会の承認を得たかもしれない。でも大臣が、農林水産行政のトップとして、畜産農家と苦労をともにして涙を流して。狭い地域だからこれは悲劇じゃないんですか。三キロだからハッピーなんですか。
 私は、この連休中も毎日毎日足を運んで、私が行ったからといって蔓延防止に何の役に立つわけじゃありませんよ、それは。でも、畜産部長の前に座って、随時入る報告、口蹄疫が発生したというと、畜産農家はデジカメで写真を撮ってパソコンで送ってくる。それをパソコンの画面で見て、これは水疱じゃけんど、どげじゃろかい。口蹄疫じゃろかどげじゃろかは、まだわからぬね。だけれども、危ないから一応そういう覚悟をしてくれ。そういうやりとりをずっとこの連休中、見てきたんですよ。
 私は、農林水産大臣の資質というものは、農民、農村、農家、畜産家、林業家、水産業、何でもそうですけれども、この業界で働く人のために一緒に涙を流す、その気持ちを持ってくれないと、みんな救われませんよ。あなたが来てくれるのを待っていたんですよ、川南町の人たちは、私なんかよりも。大臣が来てくれて、そして、御苦労だね、大変だね、だけれども国はあらゆる対策、万全の対策を講じるから、くじけずに頑張ってくれと。
 私はこの間の委員会で言いましたよ、心のケアが一番必要だと。一番の心のケアができるのはあなたなんですよ。私なんかじゃないんです。大臣がお越しをいただいて、直接生産者の方々の声を聞いてくださって、肩をたたいて、一言、しっかり頑張れと言ってくださったら、今みんなの心はここまでは折れていない。川南町の人たちは今もう希望を失いつつありますよ、本当に。悲しくて悲しくてたまりません。

 あるお年寄りは、うちの繁殖母牛、この子のおかげでうちは生計が成り立ってきた、孫にもお年玉をやれた、飯も食えた。でも、殺処分せにゃいかぬかもしれぬ。拓さん、そのときは、私は老い先短いんやから一緒に埋めてくれと。ある酪農家は、新聞でも報道されましたけれども、最後に一番上等なえさを食わせて、頭をなでてやって、乳房をふいてやって、そして最後の別れをして、それで目の前で殺処分されていくんですよ、大臣、目の前で。その悔しさがわかりますか。わかってくださいよ、大臣。彼は私に、大臣を連れてこい、大臣に鉄砲を持たせて一頭一頭撃たせろ、そうしたらおれたちの気持ちがわかるわい、そう私に訴えられましたよ。こんな話は枚挙にいとまがない。
 大臣、私は、地元からは物すごい怒りの声を聞いています。すぐにでも大臣の解任を求めてくれ、不信任を国会に提出してくれという声もたくさん受けとめましたよ。でも、私はそうは思わない。今はそんなときではない。あなたをやめさせたからといって、畜産農家が救われるわけじゃない、蔓延が防止できるわけでもない。今は、だから、休戦しますよ、あなたの責任を追及することはしません。
 だけれども、どうか政務三役の皆さん、民主党の皆さん、わかってください、現場の本当の苦しみを。家庭からは火が消えたようになっている。お父さん、飼料代を払わにゃいかぬけれども、もう預金はこれしかないよ、そげなことはわかっちょるわいと夫婦げんかになる。子供を学校に行かせたいけれども、もしかしたら口蹄疫のウイルスを持って帰ってくるかもしらぬ、学校にも行かせたくない、家庭訪問もお断りだ。飲みに行くなんてとんでもないと。修羅場ですよ、修羅場。本当に戦場ですよ。




 言葉がきつくて気分を害されたかもしれませんけれども、彼ら、ほとんどの発生農家の人たちは私の昔からの友人たちです。大変、地域のリーダーだった人たちもたくさんその中には含まれています。みんなまじめにやってきた。そして、川南町は特に、こういった家畜伝染病を撲滅することに九州でも一番努力をしてきたところですよ。なぜこんなことになるんだ、どうしてなんだ、夢であったら覚めてほしいと。そして、毎朝畜舎に行くのが怖い、牛の顔を見るのが怖い、そういう眠れない毎日を過ごしているということを、どうぞ大臣、副大臣、政務官、わかってください。この委員会一丸となって何とか助けてください。
 殺処分したくても、埋却処分地がないから殺処分できずに、どんどんどんどん豚舎の中で口蹄疫が広がっているんですよ。殺処分したいんですよ。埋める場所がないから。豚は一日で腐りますよ。すぐ腹がぽんぽこりんに膨らんでしまいます。それでも養豚家はそういったことの治療をするんですよ、どうせ殺処分しなきゃいけない豚も。かわいそうだから、少しでも苦しみを和らげてやろうと。
 そういった畜産家の気持ちになって、ぜひ議論しようじゃありませんか。ですから、国対にもお願いしました。不信任、とんでもない、今そんなことをしている場面じゃないと。とにかくわれわれは今の執行部体制のもとで一丸となってこのことに取り組んで、そしてけりがついた後、それは国対が判断することでしょう、私がどうこう言うつもりはない。大臣、ぜひお願いをいたします。私の気持ちは少しは通じましたでしょうか。

 先ほど、川南町長がぐずぐず言うから国有林に埋められないとおっしゃいましたね。水が出たら埋められないんですよ。三メートル掘って出たらもう埋められないんです。そんなことは地元の人間が一番よく知っているんですよ。海岸線の国有林でしょう。
 今何が足りないかって、何を悠長なことをおっしゃっているんですか。もう二十日以上たっているんですよ、二十日以上。今宮崎県で言われているのは、川南、都農では済まないだろうというのがほとんど通説になっています。どんどんどんどん近づいています、隣の町に。どんどんどんどん小丸川に近づいていっています。越えたら佐土原町です、その先は宮崎です。えびのなんというのは、隣は熊本です。熊本の先生もおられます。鹿児島だってそうですよ。今何が足りないかという議論をしていること自体がおかしい。
 私は、大臣と今までいろいろ議論させていただきましたけれども、私にいろいろ言葉をかけていただきました。大臣の、前の討論の中で、一緒にやりましょうと言っていただいたことがありますよね、与野党関係ありません、知恵を出し合ってやりましょうと。私は素直な人間ですから、それをまともに受け取りましたよ。ですから、すぐに、まず三十二項目、これが必要だと、地元の声を体した形で、宮腰部会長と一緒に提出させていただきました。受け取っていただきましたよね。その後、さらに四十数項目を追加で出させていただきました。五月に入ってからもさらに、これが足りないという部分も出させていただきました。私たちは一緒にやりたいという気持ちでいるんです。国有林じゃだめですよ、大臣。
 殺処分したら、なるべく移動距離の短いところに埋めないと蔓延の原因になるんです。できれば隣がいいんですよ。売ってくれるかどうかは別にして、金に糸目をつけずにそこを買ってください、国が。買ってくださいよ、国有林とかいう話じゃなくて。そうでないと、一部、長距離を移動させて埋却をしました、それが原因だというような説も流れています。原因はわかりませんよ、そうとはわかりません。



わかっていただけませんか

2010年05月11日 | まつりごと



 10年5月11日衆院農水委、長島忠美議員の質疑より。

 私は、口蹄疫が発生したということを、やはりわれわれは重大災害だという認識を持って対応すべきではないか、そんなふうに受けとめて、先ほど大臣が、私一人ぐらいいなくても対策は十分だということの認識をぜひ改めていただきたい。
 私も、自然災害でふるさとを追われました。そのときに、希望をなくして絶望の中にいる住民は、私のようなリーダーでも、顔を見せて手を握ってくれることを望んで避難所で待っていてくれました。私は、山古志村民をすべて被災させたときに、住民から、辛いときに希望を与えるのが政治家の仕事だと言われて、今日こうやって政治のお仕事をやっているつもりです。この宮崎県の農家の皆さんは、先輩が言ったとおり、多分、今絶望の中にいるんだと思います。明日もわからない状況の中にいるんだと私は思います。
 私はこの災害を絶対克服してみせる、だからみんな安心してくれというメッセージを出すのが災害本部長の仕事であり、大臣の仕事じゃないですか。私一人ぐらいという認識は、私は改めていただきたい。

 災害を受けたときに住民が期待することというのは、平和なときには、やはり日本の法律だとか制度が国民を守ってくれますよ。災害を受けたときにだれが守るか。政治家が守る以外ないじゃないですか。前例にないことをやらなかったら、被災地を救うわけにいかないんですよ。だから、大臣が三十日から八日までお留守にされた間、私一人ぐらいという認識は甘いんじゃないですかと私は言っているんです。
 このことについて、私は同じ被災者として、私も、牛を飼っている農家があって、災害を受けて牛が孤立をしましたよ。避難をした翌日に、私のところに農家の人が来ましたよ。何と言ってきたか。おれは山に入る、とめるな、おれは家族を助けに行く、だからとめるな、そう言って、村長である私のところに来ました。私はとめるわけにはいかなかった。その思いは私は大切にしなければいけないと思った。とめるわけにはいかない、でも、牛と同じように私にとってはあなたも大切な命だ、気をつけて行ってほしい、出てきたら必ず私に一番最初に連絡をしてほしいと言いましたよ。
 農家にとって、今、口蹄疫に見舞われている家畜は、家畜という位置づけだけではなくて家族じゃないですか。その家族の命を国民のために提供して生活を支えているということを考えたら、やはりもう少し政治家として、さっき手を握ったとおっしゃったけれども、もっと、手を握って顔を見せて、私が来たから大丈夫だ、絶対再建できるようにしてあげるというメッセージをまず出すことの方が大事だったのではないかな、私はそう思うんです。
 私は、外国の用務がどうだとか言っているわけじゃなくて、災害ですから、災害にやはり一番重きを置いてほしいというのが国民の願いじゃないですか、そう申し上げていることなんです。その議論は余りしてもしようがないんですが、例えば、その用務に副大臣をやって、大臣が顔を見せることは可能ではなかったのかな、私はそんなふうに思います。

 万全の措置をとられたと今御答弁がありました。私は違う立場ですよ、違う立場。今宮崎県は、家畜というものに大きな被害を受けた災害を受けている。私は、自然災害を受けた。万全な対策というのは、責任ある人がきちんと顔を見せてくれることもやはり万全な対策のうちの一つだと思うんですよ。わかっていただけませんか、そのことは。
 さっきから、私が行かなくてもとか、万全な対策をとったからとおっしゃるけれども、被災地とか被害者、あるいはこうやって被害を受けた農家の皆さんというのは、本当にわらにすがっても生きていけない、可能性のないところにいるんだと私は思うんですよ。災害本部長がいつもそこにいてくれて、何をしなくてもいいとは言いませんよ、きちんとそこで陣頭指揮をしている、その姿勢だけで農家の皆さんというのは希望がつながるものだと思うんです。被災者の気持ちというのはそういうものだと私は思うので、さっきから非難しているわけではなくて、皆さんがしてきたことはその意識から少し外れていたんだから、これからは陣頭指揮をとってくださいよというつもりで私は言っているんですよ。私は小さな村の村長だから、とても農林大臣とか副大臣とかの立場ではないけれども、一人一人向き合ってあげなかったら、この農家の人たちを救うことは多分できないんじゃないかな、私はそう思うんですよ。
 だから、その覚悟を持ったら、三キロの中におさめたということ、たった今三キロの中でおさまっている、そのことについては消毒をしたと、評価をみずからされたわけだけれども、これから先、そのことを広げない、そのことは必ず約束できるということを、農家の皆さんに直接出向いて説明をしたり、状況をきちんと把握することの方が私は大切なのではないかなというふうに実は思っています。顔を見せるということも、被災者や県民や住民にとってはやはり大きな安心につながるんだということだけはせめてわかっていただきたいな、私はそう思います。

 私は、今回のこれは、私のところも、宮崎県は遠いから安心していられる、そんな状況ではなくて、日本じゅうで牛や豚を飼っている人たちが宮崎県に注目をしています。というのは、自分たちに何かあったときに、宮崎県の農家が救ってもらったようなことをわれわれがしてもらえるんだったら、これからわれわれは牛や豚を飼って家族を養って地域を守って生きていくことができるけれども、宮崎県の農家が生産を再開できなくて、生活を継続することができなかったら、我々は牛や豚を飼ってこれから地域や家族を守っていくことができるのかという大きなメッセージにつながるんだ、私はそう思うんです。
 だから、そういう意味で、やはり大きな対策をお願いしたい。前例にとらわれない、今の法律や制度ではないところで、救うという意思をやはりきちんと発信していただきたい。

 牛や豚といった命、命を守ってあげる、これ以上被害をふやさない、命を守ってあげるということが畜産農家にとって大きな勇気につながるんだと私は思うんです。
 私も実は牛を飼っております。牛は家族だと思っています。そして、その家族の命を分けてもらってわれわれは命を長らえているんだ、私はそう思うんです。だから、大切にわれわれは生きなければいけないし、牛や豚を大切にしなければいけないんだと私は思うんです。
 もうこれ以上、口蹄疫によって牛や豚の命が奪われることのないように、先ほど万全な対策とおっしゃいましたけれども、私は、ぜひ、お願いとして、顔を見せてやって、農家の皆さんの手を握ってあげることも大きな勇気につながるということをわかっていただいて、対策をとっていただきたい。