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天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

生物学の原則

2011年03月20日 | まつりごと
 死者・行方不明者10万人あまりを出した関東大震災は政治的には間が悪い、というより最悪のときに起きた。大正12年8月末、首相の加藤友三郎が急死、28日に山本権兵衛が後任に指名された。ところがゴタゴタで組閣もできないうちに9月1日の大地震に見舞われたのだ。つまり日本の首都が壊滅的打撃を受けたとき事実上内閣が不在だったのである。それでも発生から2時間後の午後2時、官邸で臨時閣議を開いている。翌2日には臨時救護費の即時支出を決定するなど、あわただしく救援や復興に乗り出す。
 新閣僚の中でも出色の動きを見せたのが内務相の後藤新平だった。何と地震の5日後には「帝都復興の議」を提案、帝都復興院を設置し、自ら兼任で総裁に就く。ここに内務省から優秀なスタッフを引き抜き、猛烈なスピードで復興案を練り上げる。言うことが気宇壮大で「大風呂敷」とのあだ名もあったが、国民からの人気は抜群だった。
 その帝都復興案は100メートル道路など東京を欧米の最新都市のように造り変えるものだった。国家予算が15億円ほどの時代に40億円はかかるといわれ、議会の猛反発を受け、最後は大幅縮小される。だがその前向きな案は、後藤の人気とも合わせ被災者に大きな希望を与えた。
 今回の大震災でも菅直人政権は、復興も視野に閣僚増や野党からの入閣を求めている。だがその前に17人もいる現閣僚の中に後藤のように「オレに任せろ」という人はいないのか。任せられる人材も乏しいとすればこれはまた悲劇だ。~「産経抄」より

 未曽有の緊急事態に対し、自民党などは「最大限の協力」を申し出てきた。今月末で期限切れとなる租税特別措置を延長する「つなぎ法案」は、政府に代わって自民、公明両党が提出し、与野党で成立させることになっている。立法面での協力は一部で構築されつつある。
 政府と与野党の東日本大震災に関する合同対策本部も設置された。野党側も政府の情報を共有する意味はあるが、野党側が政府への要望を伝え、政府側が次回の会合で回答することの繰り返しでは仕方あるまい。
 国会が国難の打開に向け、政府に非常事態宣言を行うよう勧告する決議採択など、与野党が緊急に取り組むべき課題は多い。国会の責務を果たすべきだ。~産経新聞「主張」より

 後藤新平は、徹底した調査事業を行って現地の状況を知悉した上で経済改革とインフラ建設を進めた。こういった手法を後藤は自ら『生物学の原則』に則ったものであると説明している。それは「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきである」というもの。

事業仕分けは違憲

2010年10月18日 | まつりごと
 特殊法人とそれから公益法人ですね、これ、それぞれ国の予算が入っている部分があるわけでして、国の予算全体は三月の時点で立法府が、国権の最高機関である立法府が通した、議決をした予算でございます。それを、ある民間の人を交えたグループの人がこれは要らないというようなことを言っていくのは非常におかしいのではないかということで、それを御説明いただきたいと思います。

 事業仕分でやっていこうとしているのは、三月に国会が議決したばかりの予算、これをおかしいと言ってチェックをしようということですから、やはり、精神において事業仕分はいいところがあると思いますけれども、そういう枠組みで法令あるいは憲法違反があるんじゃないか、そのおそれがあるという危惧を持っている、枠組みの問題でおかしいと申しています。10.10.18

法律の制定、川口順子

2010年05月27日 | まつりごと
 まず、この基本法の施行日でございます。本来、法律の施行期日というのはその法律によって定められる。それから、政令にゆだねる場合がないわけではないですが、その場合であっても、例えば上限を決めて、いつまでにとか、あるいは公布後何年あるいは何か月を超えない範囲でというふうにはっきり書いて政令に委任するというのが通例であるというふうに私は認識をしております。

 法律の施行日、その国会を通した法律があるとして、その法律がいつから施行されるかというのは、まさに国会の決めることであるからということなんです。法律事項なんです、これは。だから、無条件に政令にゆだねるということはほとんどない、あるいは全く皆無とは言いませんけれども、それはそういうことを逸脱しているからであります。その場合においても、条件あるいは理由を非常に明確にしているということであって、まさに大臣おっしゃった安定性、これがその理由でして、法律を決めて、その法律がいつから施行されるか分からないということであれば、民主主義社会において国会が何をしたか、全く無意味になってしまいます。
 ですから、政府は、あるいは政府で決めることというのは、政府は法律の執行するところですから、その執行する期日は法律がちゃんと示唆をする、決める、指示する。法律自体で決めるか、あるいは、そういう条件だったらば決めなさいということを、こういう条件でしたがっていつまでに決めなさいとか、そういうこともはっきり言うということでして、法律は自己完結的でなくてはならないということが通常の政府あるいは国会、日本のガバナンスの問題として、これは憲法にも書かれているということであります。
 それで、この法の十条第一項の規定の施行期日ですけれども、これをこの法律はまさに政令に委任をするということをやっているわけです。施行日はまさに法律事項でありますから、これを政令に委任をしてしまうというのは非常におかしいということであります。いつから執行するかということまでその法律が政令にゆだねてしまうということは民主主義にそぐわないということで、これは法律を作る立場のバイブルのように使われている、例えば吉國一郎さんとか、そういう人たちの書き物、著書についても言われている。そういう意味で、この法律は非常に例外的なケースをやってしまったということであります。

 施行期日の定めというのをいつまでにという上限も付さないで、ある条件、条件を書いてそれで政令に委任をした立法例というのは今までないんです。本邦初演をこの基本法はやったということでございます。

 民主主義社会において法律というのは国会が決めるものである。したがって、その施行日においても国会が自ら決めるか明確な条件を付したときに決められる、付して政令に委任をするということからいえば、これは全くそれに反している。まさに条件は明確でないというのを大臣今おっしゃったわけですから、ですから明確ではないということで、このような法律は、最初の例だとおっしゃいましたけれども、本来あり得ない法律、違憲である法律であるということを私は申し上げているわけです。非常に問題な法律であるというふうに私は思います。法律の体を成していない法律であるというふうに思っております。

 内閣法制局がいいと言ったからいいんだということでございます。内閣法制局は確かに内閣に法令の解釈についてアドバイスするところではございますけれども、ここは国会でございます。国会は法律を作るところ。作る立場からおかしいのではないかということを言っている。法制局がいいと言うからそれで、国会はそれでいいと言えというのはおかしいということが第一点です。

 ですから、私が申し上げているのは、明確でないことを前提条件に、ある法律の、十条一項ですけれども、それの施行を行うことに法律で書いてあるというのは、まさに全く無条件に政令でこの法律の施行はやっていいですよと言っているのに今の時点では等しいんです。
 明治のころに、勅令で定める日から施行しなさいというような法律はたくさんできたわけですね。これは明治の時代でございまして、今は平成の、しかも民主主義がきちんと機能している国会を持っている国会での議論、そこに何か、何だかよく分からないけれども、そういうことを条件に法律を決めて法律の施行をさせる、これ全く法律としては体を成していない。今までそういう例がないということ自体、それがおかしいからそういうことをやられなかった、そういうことがなされなかったということでして、国会として政府にそこまで白紙委任をするということが本当に適切かどうかというのは、我が国の国会と政府の在り方、民主主義の統治機構の在り方、そういう広い観点から考えて非常に問題であると私は思っております。そういう意味で、この法律は欠陥法律である、あってはならない法律であるというふうに思っています。

 この不明確であるということに国会の持つ法律についての権限を政府が犯しているということを、そういう疑念といいますか、そういう問題があると私は感じていて、それを申し上げているということです。
 それから、更に付け加えますと、これを判断する、その前提条件が満たされたかどうかということを判断する者は政府であるというふうに政府はおっしゃっていらっしゃる。この政府が判断をする、不明確である前提条件を付けて、そしてそれが条件に、満たしているかどうかということを判断するのは政府自身、これぞ、この二つ併せますと、全く国会として政府に法律だけ作ってあとはもう好きにやってちょうだいというふうに白紙委任をしたそれそのものであるということであると私は考えております。
 内閣法制局長官が明確な基準があると考えたというふうにおっしゃっていらっしゃいますようですけれども、今は何も答えられない、基準について何にも明確に答えられない、いつになったら明確になるということすら言えない、そういうような条件でありながら、条件が明確だからこれは合憲であると法制局長官がおっしゃられた、この判断について私はまさに疑問を呈しているわけです。国会議員として疑問を呈しているということでございます。
 ですから、この法律が基本法、冒頭言いましたように、温暖化対策をするについてその基本法は大事ですけれども、この基本法、大事な基本法がこのような欠陥商品の基本法であるということについて、私は、遺憾を超えて、憲法上の大問題、政府による国会議員、国会の立法権の侵害であるとすら申し上げておきます。

 国際交渉をするのはもちろん政府です。だけれども、その国際交渉の結果、それが協定、協定じゃなくて、行政協定は別ですけれども、条約であれば、それを締結をするのは国会の承認が必要なんです。国会が認めなければ条約にならないということでして、政府はそういう交渉をする権限はもちろん持っているということです。でも、それは国会が認めるということです。
 ですから、この法案を少し私の申し上げた観点から改善をするためには、じゃ、その条件、それが成就したかどうか、こういう理由で政府としてはその条件が満たされたと考えます、したがってその十条一項は施行しますということについて国会の意見を聴く必要がある。国会の意見を聴いて、国会がそれでいいということを言うのであれば多少は改善をされるというふうに思いますが、不確定な、不明確な基準を作っておいて、それについて何も説明できない状況で政府がそれがその条件を満たしているかどうか判断をするということを含めて国会が政府に白紙委任をするということが適切かどうか、合憲かどうか、私はそういう法律を作る気持ちは全くないということを申し上げさせていただきたいと思います。

 二〇〇九年度には、第一約束期間全体の排出量見通しを示し、総合的に評価することになっている。これをなさいましたかということを聞いています。これは閣議決定されていることですから、それをやらないということを別途閣議決定をしない限り、そして、別途そういう閣議決定をすることが京都議定書にコミットしている我が国の在り方として正しいと私は思いませんが、そういうことをしない限り、これは政府はやらなければいけないことなんです。それをサボったということを正直にお認めになったらいかがですか。

 政権が異なるといっても、閣議決定は閣議決定、日本の行政機構として、政府として決めていくことなんです。それを守らなかった、違うやり方をするということを考えたからそういうふうにやりますということが許されるわけはない。これはもう統治に対する、統治のメカニズムあるいは統治の秩序に対する挑戦であると思います。

 政権が替わるというのはこれからもあると思います。一つの内閣があるいは一つの政権が閣議で決めた、政府の決定として決めているわけですね。それを別な閣議決定で変えるということはあり得るだろうと思います。だけど、その閣議も開かないで、要するに政府の機構、政府の決定というのを、政権が替わったからといって黙って覆していいというものではありません、ということを強く申し上げたいと思います。

たくさんのやじ

2010年05月25日 | まつりごと



 10年5月25日衆院農水委、江藤拓議員の質疑より。

 もう四回目になりますので、本会議を入れると五回目ですが、たくさんのやじをいただきまして、皆さん大変ありがとうございました。
 厳しい、本当に苦しいこの一カ月間でした。みんなと肩を抱き合い、時には一緒に昼飯を食い、涙を流したこともありました。だけれども、この苦しい期間の中、最初のうちは物すごく士気が高かったんですよ、何とか最小限でおさめようと。国からは消毒薬は届かなかったけれども、手持ちの消毒薬でとにかくやろうと一生懸命やりました。ところが、広がっていった。だんだん途中で心が折れそうになってきた時期がありました、正直言って。でも、そこでもみんなが支え合って、ここでおれたちが折れたらどうにもならぬ、頑張ろうやないかということで頑張りました。そして、一カ月たって、ワクチン接種ということになったわけであります。
 思い返すといろいろなことを思い出しますけれども、道半ばなんだろうと思います、まだ途中だろうと思います。ですから、ぜひ、この委員会ではいろいろな議論を皆さん方としていきたいと思います。
 ただ、救いもありました。最初のうちはマスコミでの取り上げもほとんどなくて、認知度がほとんどなかった。ところが、ネットの世界でいろいろな方に興味を持っていただいて、そこから広がったのか、大手も今は毎日、テレビで放送するようになりましたね。テレビの方々、お見えになっていらっしゃいますけれども、もっと早く放送してほしかったですよ。確かに、風評被害の問題はありました。私も、最初は、余り大ごとで広めてほしくないという気持ちはあったけれども、やはり、豚に感染した時点でもうステージは変わりましたから、あれぐらいからメディアの方々にはもうちょっと関心を持っていただきたかった。まあ、あなた方に文句を言ってもしようがないですけれどもね。
 今、私は、これまで殺処分されていった牛たち、豚たち、毎日その冥福を祈りながら日々を過ごしております。そして、これからワクチンが打たれることによって、健康にもかかわらず、殺処分される運命が決されてしまった、そういう牛や豚たちのことを思うと非常に胸が締めつけられる。
 きのう、ファクスをもらいました。あの水牛が発生した牧場の隣保班、隣保班というのはわかりますか、皆さん。いわゆる御近所ですよ、隣組。隣保班の農家でも、一頭もまだ疑似患畜が出ていない農家がきのうの夜の時点でいるんですよ、実は。いるんです。その人から電話をいただいて、拓さん、何とかうちも経過措置にしてもらえぬやろうか、助けてもらえぬやろうかと泣きながら訴えるわけですわ。だけれども、どんなに家伝法を読んでも、これからの蔓延防止法を読んでも、一市六町、町長がワクチン接種を受け入れたことを読んでも、相談はしていますが厳しいですと正直に言いました。非常につらかったですよ。そういった日々が今送られております。
 また悲しいニュースが入ってきました。高鍋農業高校、これは優秀な学校で、将来の畜産を担う子供たちが一生懸命勉強している学校なんです。この間、二〇〇七年、畜産共進会では農林水産大臣賞をとったんです。高校生がつくった牛ですよ。これは快挙です、すごいことですよ。ここにも感染が確認されてしまいました。これも全頭殺処分。学生たちの絶望と悲しみを思うと、何ともやりきれない。そしてまた、その学校に通学がこれからできるんだろうかと。発生した場所ですからね。いろいろな問題がこれからさらに広がっていく。幅広の議論をしていかなきゃならぬと思います。

 私、今、ブログをやっておりまして、一日二百件ぐらいの書き込みがあります。この中の一つだけ、嫌かもしれませんが、紹介をさせていただきます。
 私は、新富町に住む繁殖農家の娘です。生まれたときから牛の鳴き声を聞きながら育ちました。嫁いだ今でも、毎日実家に行って、牛たちの世話をしています。この前の十三日に、私の初めて買った牛に子牛が生まれました。去年の三月に宮崎の子牛の競りで初めて買った三頭のうちの一頭です。大きな元気な雄の赤ちゃんでした。出産は大変でした。ですから、四人がかりで引っ張って出産をいたしましたと。
 多分、忠富士の種ですよ、これだけ体がでかいということは。
 あとの二頭も、六月と七月に生まれてくる予定です。この一年間、無事に生まれるのを毎日楽しみに世話をしてきました。でも、その子牛の顔を見ることができない。何の罪もないこの子供たちも殺される、この怒り、悲しみはどうすればいいんですか。この子たちを守るために、これまでの一カ月間、毎日毎日一生懸命消毒の努力を重ねてきました。簡単に十キロ圏内殺処分と言うな。感染拡大を食いとめるためとはわかってはいます。それでもやりきれません。毎日この子たちを見ていると涙がとまりません。なぜここまで拡大する前にとめてくれなかったんですか。私は一生許しませんと。
 この中にもかなり激しい言葉がありますが、私の独断で割愛をさせていただきました。そこには家畜に対する愛があるんですよ、愛情が。ですから、大臣、嫌かもしれませんが、私の今のこの文の紹介を受けて、もう一度お答えをいただけませんか。

反省がない

2010年05月25日 | まつりごと



 10年5月25日衆院農水委、谷公一議員の質疑より。

 私は、十五年前の阪神・淡路大震災を初め、さまざまな災害、大規模事故、福知山線の事故もございました、それらを経験し、遭遇し、復旧復興に携わった者として、今回の口蹄疫の問題について、基本的な認識、また対応がおくれたのではないか、小出しし過ぎたのではないか、そして、今後の取り組み、目標、そういったものについて、以下お尋ねしたいと思います。

 基本的な認識といいますのは、口蹄疫というのが一たん発症して広がると、どういうふうな影響、また国民経済に影響を及ぼすのかというのは、さまざまな前例があります。
 十五年前、阪神・淡路大震災のときは、戦後五十年、日本であるいは世界で大都市を襲った直下型地震というのは皆無でありました。今回、口蹄疫はそうではありません。二〇〇一年、イギリスでは七百万頭を超える家畜が殺処分をされ、一説によれば間接的な経済への影響も含めて一兆七千億を超える損害を与え、総選挙も延びたようにお聞きしております。
 そういう認識を、大臣、しっかり持っておられましたか。発症前からこのことは御存じでしたか。あるいは、発症してから勉強してわかりましたか。そこをお尋ねしたいと思います。

 私がお聞きしたかったのは、特にイギリスの例です。九年前に七百万頭を超える殺処分を出して、国の経済がおかしくなるんです。私が質問するのは、そういう危機意識、また認識を、最高責任者たる大臣がきちんと持っておられたかどうかというのを疑っているからなんですよ。
 ですから、その後の四月二十日に初めて国の方に報告があって、その後どういう行動をとったかというと、大臣は、対策は万全と考えて国外出張をされた。それはいろいろ委員会でもやりとりがありました。大臣は、これは国益のために必要なんだと言われた。その必要性については、ここはこの場では議論いたしません。
 一つ、もう一度大臣にお伺いします。
 大臣は、外国に行ったとしても、対策について何も差し支えなかったですか。外国に行って差し支えがあったのかなかったのか、そのことをお尋ねします。

 どうも認識に相当ずれがあります。この委員会でも、あるいは本会議でもたびたび言われましたけれども、最悪の事態、これは災害です。危機的な状況なんです。そういう認識をしっかり持っていれば、最高責任者は外国に行ったりしちゃいけないんです、これは当たり前です。直ちに現地に行くというのが通常の姿で、阪神・淡路でもそうでした。それ以降のさまざまな災害でもそうだったじゃありませんか。中越でもそうです。福知山線の事故でも直ちに行った。そういう初動の対応について、私はどうも政府側の答弁には納得できない、今なおできない。
 過去の議事録、私も、農林水産委員会の委員ではございませんのでいろいろ調べてみました。山田副大臣は、「初動が遅いというお話でしたが、決してそんなことはない。」初期の対応は万全だ。あるいは別の委員会では、それなりの対応を十分にさせていただいていると。
 問題はないんだ、こういう認識、その認識は、大臣、まだ変わらないんですか。今でも初動の態勢に全然問題はなかったと。




 そういう話はもう委員会で、議事録を読めばわかります。大臣が一生懸命やっていないんじゃないかと私は言っているわけじゃないんですよ。ただ、責任者でしょう。結果責任はどうとるか、そのことを私は問うているわけです。
 常識的に考えて、初動の態勢に問題なかった、初動の態勢に問題ないということは、危機管理の上においては、同じようなことがあったら同じような体制で今後ともやるということですよ。では、同じように、また某県で口蹄疫があった。政府の対策本部、国全体の対策本部は立ち上げないんですよ。農林水産省だけで立ち上げて、現地の対策本部も、いや、これは法定受託事務だから某県の知事がやればいい、現地の対策本部さえ設けず、そこの農政局の幹部をやっているからいい。それが今回の対応でしょう。今回の対応の反省がないということは、同じようなことを同じようなやり方でやるということですよ。そういうふうに理解してよろしいですか。

 反省がないというのは、先ほどのいろいろな答弁、初期の態勢は万全だとか、「初動が遅いというお話でしたが、決してそんなことはない。」これは山田副大臣の過去のこの委員会での答弁です。また、今までの体制で十分だ、そうも答弁されている。あるいは、大臣みずから、考えられ得るすべてのことを実施しているんだ、薬剤も十分だ、人も対応している、金も万全だと言われているんですよ、今まで。ですから、そのことについて、そう自信を持って言われているから、私は反省はないかと尋ねたら、いや、反省はないことはないと。
 では、もう一度聞きます。
 それは今、事態は進行していますよ。進行していますけれども、万全だ、反省することはないということは、同じような事態になったら同じようなことをやるということですよ。もう一度お尋ねします。

 私は、大臣とどうも少し認識がずれていますね。
 一番の違いは、これは非常事態だ、その認識をしっかり持っていれば、これは法定受託事務だから一義的に知事がするとか、あるいは、過去のこの委員会の質疑でもありましたけれども、自衛隊派遣が必要なら、知事さん、遠慮なく言ってくださいよといって、これは非常に受け身なんですね。現行の仕組みでは、平成十六年の特定家畜伝染病防疫指針で、自衛隊派遣は知事しかできない、それは私も知っていますよ。こんなものは、指針じゃないですか、いざといったら農林水産省で変えれば済むんですわ。これは危機的な、このままでは宮崎県、九州だけではなくて、国全体の畜産業あるいは関連業界ががたがたになって崩壊の危機に瀕するという危機意識があれば、できるはずなんですよ。
 阪神・淡路大震災、あのときは、一月十七日午前五時四十六分でした。二月、三月にどれぐらいの特例法を成立させたか御存じですか。十六本ですよ。十六の特例法を国会でつくったんですよ。百本を超える政令、省令をつくったんですよ。特例法をそのために。なぜ特例法をつくったかというと、現行の仕組みでは十分じゃない、新たな特別措置をしなければこの災害の復旧復興には対処し得ないということで、与野党を問わず、みんなが一生懸命、総力を挙げて頑張ったんですわ。
 ですから、そういう全体の取り組みが私はおくれたと思います。おくれていなければ、五月十七日に政府対策本部を一月近くたって立てるなんということはなかったんじゃないですか。そして、同じ日に山田副大臣を本部長とする現地対策本部ですか、やっと一月近くたって立ち上げた。
 そして、今でもまだ、現行法の縛りを突破できているのかできていないのか、いろいろなやりとりを聞いてももう一つよくわかりませんが、家畜伝染病予防法の枠を超えて今回支援をするおつもりはあるんですか。

 どうも、大臣の御答弁を聞いていますと、平時なんですよ、考え方が。法律がどうのこうのだとか、予算の制約があると。予算、予算と言いますけれども、どれぐらいのことを言われているんですか。新聞では、公明党さんが一千億とか言っていますけれども、それで国家財政がひっくり返るんですか。必要なときは必要な手当てをしなくてどうするんですか。そのことを私は特に強く訴えたいと思います。
 冒頭お話しさせていただきましたように、今回の事態の認識の甘さは、私は、与党議員にも、与党としてどうかと思うような言動もありました。ちょうど四月二十八日、木材利用、私は自民党、公明党の案の提出者でございましたけれども、国土交通と合同審査をした。何とそのときに、米粉パイを御賞味いただきましたかと。もうびっくりしましたわ。口蹄疫がこれだけ流行しているときに、何ですか、この発言。あえて御本人の名誉のために言いませんけれども、名前は言いませんけれども、そういう危機意識で与党が、やはり、これは連休前四月二十八日ですから、いたというのが、政府の、政府・与党なんですから、一体なんですから、対応のおくれの一端の責任があるのではないかと思います。
 私は、認識の甘さ、特に大臣の危機管理の認識の甘さ、対応のおくれ、対策の小出し、そして何かといえば法定受託ということで県の方にいわば責任を押しつける、そして職をかけた、大臣という職をかけた意気込み、そういったものは見られません。大臣として、このままであれば、これだけの動物が殺されて、平成のそれこそ王になりますよ、あるいは平成の殺処分王と言ってもいいかわからないです。何らかの責任を、私は、大臣としてとってもおかしくないと思いますよ。指揮官として失格だと思いますよ、これは。
 大臣みずから、前の答弁で言われているんじゃないですか。どういう表現でしたか、江藤先生のやりとりは五月十一日でしたね。私が一人いなかったからといって、いささかも支障はあったというふうには理解しておりません。そういう大臣ですから、責任をとっておられなくても何ら差し支えはないんじゃないですか、理論的に言いますと。