とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

ブロークバック・マウンテン

2006年04月27日 16時49分21秒 | 世界的電影
『ブロークバック・マウンテン』
(Brokeback Mountain アン・リー監督 2005 アメリカ)


本編が始まる前に、この作品が受賞した各賞のタイトルが、まるで『スターウォーズ』の「はるか昔銀河系に・・・」のテロップのように、ひとしきり流れました。その数があまりにも多くて、かぞえきれなかった(笑)。

でも、それらの受賞は十分に納得できる、いやむしろもっと大きな栄誉を受けてもおかしくなかった(むろんアカデミー作品賞のこと)と思わせてくれる、すばらしい作品でした。

ふたりのカウボーイがそれぞれに生きた、20年近い年月を、ほとんどはしょることなく、とてつもなくていねいに、そして淡々と、アン・リーは紡いでいきます。

映画についてはいろいろ聞いていたし、期待も大きかったので、映画のはじまりは正直やや平凡に見えて、多少肩すかしを喰らった感じでした。始めにクローズアップを多用している意図も、ちょっとわたしにはわかりづらかった。

でも、奇異をてらう小手先の技は使わない、とアン・リーは決めていたのかもしれません。中盤以降は、完全に映画の世界に入りこんでしまいました。

この映画の静けさは、詩情とか耽美とかいった美辞で飾ることはできません。それは、どうしようもなく徹底した"日常"だけがもつ"静けさ"です。"日常"のアンニュイ、"日常"の退屈さ、際限のない"日常"がもたらす低音やけどのような焦燥・・・ふたりのカウボーイは、それぞれの理由で、それぞれの"日常"に縛りつけられています。

でも・・・もしかしたら、"日常"に守られていたからこそ、彼らはふたりの日々を生きられたのかもしれない。なぜなら、<理想郷=ブロークバック山>の甘美さは、現世では決して現実になりえないほどに"完璧"だから・・・

ゲイムービーはいままで数限りなく作られてきました。最近では、同性愛者が市民権を得たかのようにも見えます。でもきっと、まだ多くの場合、ファッションやブームの対象でしかないのが現実なのかもしれません。きっと根本的な問題は、なにも変わっちゃいない。

いまも多くの人々が、自分の存在の根っこにある本当に本当の姿を、誰にも見せることも話すこともできず、心の底の底に押し込めて、"日常"を生きているのでしょう。なにげない同僚との会話、友人の目、家族の言葉に、人知れず傷つきながら。それは、きっと地獄の苦しみでしょう。きっとその心は、いつも血の涙を流しているでしょう。

『ブロークバック・マウンテン』が、その苦悩をどこまでリアルに描いたのか。いまのところ同性愛者ではない(と思う)わたしには、正直なところ判断はつきません。

ただ、この映画には、"日常"に生きる人間の、誰もが本当はその内側に抱えている「ブロークバック山」の、苦悩と喜びの極北が、描かれています。圧倒的な緻密さで。

・・・きっとわたしはこの先何日も、何週間も、この映画について考えてしまうだろうと思います。


みな大き袋を負へり雁渡る      (西東三鬼)


主演のふたり、ヒース・レジャーとジェイク・ギレンホール、すばらしかったです(ギレンホールは特に後半良かった!)。いままでよく知らなかったけど、これから応援しまくりたいと思います。ジェイク・ギレンホールとアン・ハサウェイ(『プリティ・プリンセス』などの)が、えらい濃い顔のカップルやなあ、というのが気になってしょうがなかったけども(笑)。ヒース・レジャーって隠れた傑作『ロック・ユー』に出てるんだ~観なきゃ!!





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