とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「馬場兄弟の結婚式」その5

2005年12月22日 01時53分47秒 | とんねるずコント研究
<ステージコント 1>
「俺たちゃ忍者だ」の分析の中で、テレビ的コントと舞台でのコントとの違いについてふれたことがある。しかし筆者は、実際コントを演じた経験がないので、残念ながら、その違いを明確に説明できる材料を持ち合わせていない。経験者の方のご意見をぜひ聞いてみたいところである。

舞台とテレビの最も大きな違いは、「観客の視線」だろう。テレビでは、数台のカメラがどんな小さな動きも抜いてくれる。しかし舞台では客が見ることのできる範囲はきわめて限られている。

したがって、与えられた空間をいかにわかりやすくシンプルに使うか、が重要になるのだろう。特にお笑いの場合は、芝居よりももっと「わかりやすさ」を突き詰めることが必要なはずだ。なぜならお客さんを笑わせることが最大の目的であるから。そして「笑い」とはきわめて瞬間的で感覚的なものであるから。とりわけ、知名度のない若手芸人にとっては、「わかりやすさ」は大きな課題になるのだろう。

さて、苗場でのコントを作るにあたり、とんねるずが舞台とテレビの違いを明確に意識していることを以前指摘した。この「馬場兄弟」コントは、まさにテレビでは再現不可能な、きわめて舞台的コントだと言えるだろう。と、いうよりも、テレビでやるより舞台で演じる方が、数倍おもしろくなるネタだと言う方が正しいかもしれない。

そもそも、「馬場兄弟」を現代のテレビで演じることは、到底不可能だ。出演者たちが片時もしゃべることをやめず、カメラは秒単位で切り替わり、それでもまだ間をうめきれずにテロップが連発され、すべてがあっという間に映し出されては消えていく現代のテレビ(バラエティ)。その文脈に、「馬場兄弟」は真っ向から対抗している。

このコントが始まった時の、あの長い「間」とスローモーな動きから受けた衝撃を、わたしは忘れることができない。それは、テレビでは決して見ることのできないネタであり、テレビでは決して見ることのできないとんねるずであったからだ。

『NORITAKE GUIDE FREE LIVE』において、ノリさんは「普段、だまっていちゃいけない仕事をしてるので…」と言って、しばらく黙ってお客さんをながめていた。(その後「いまの(間)はちょっと長過ぎましたけど」と笑いをとることも忘れてはいなかったが。)その時の彼の穏やかな表情は、とても印象的だ。

テレビで生まれ、テレビで育った芸人であるはずのとんねるず。その彼らが、「テレビ」という媒体に対してどんな考えを持っているのかは知る由もないが、もしかしたら「馬場兄弟の結婚式」がひとつの答えだったのかもしれない・・・。

もしもとんねるずが、将来「馬場兄弟」コントのようなものをテレビで見せる機会があるとしたら、それは新たな笑いの、テレビの、もっといえば文化の流れをつくる可能性がある、とわたしは思う。「癒し」という言葉も考え方も、わたしはあまり好まないが、もし現代人が本当に癒されたいと思うのであれば、温泉もアロマテラピーも癒し系アイドルも必要ない。5分でいい、しゃべるのをやめればよい。親しい人と並んで、音のない空間に、じっと身を置けばよい。馬場兄弟のように---。



<ステージコント 2>
最後にもうひとつ、苗場の舞台とテレビの違いを挙げたい。これはコントの「メタ性」とも関わってくる。
「メタ的笑い」の項で、タカさんとノリさん自身のコンディションやハプニングが「馬場・猪木兄弟」のメタ性であると述べた。そのようなメタのあり方は、たとえば「みなさんのおかげです」のようなテレビのコントとは違っている。

「おかげです」では、とんねるずやゲスト自身以外に、現場のスタッフやコントの製作過程そのものがネタにされていた(*1)。苗場コントでも、おそらくその傾向がまったくないわけではなかったと思う。N'S SQUAREの管理人yoshikoさんのレポートによると、Vol.9ではスタッフと共に「苗場コントの反省会」を舞台上でする演目があったらしい(*2)。したがって、軽々に判断することはできないのだが、あくまでビデオ収録作品のみから判断する限り、苗場コントではスタッフいじり的な笑いは最小限におさえられていたと思われる(*3)。もちろん他の役者などの共演者はいない。

ここから、何が言えるだろうか。
「馬場・猪木兄弟」がきわめてメタ性の高い作品であり、そしてそのメタはとんねるず自身のものに限定される。舞台には、テレビの時のようなスタッフはいない。石橋貴明と木梨憲武だけである。頼れるものは、互いのみ。互いの存在と、化学反応がすべてである。

そこに、テレビとは違う強い緊迫感が生まれる。そしてそれと同時に、そこには極度な親密さが生まれるのである。収録コントを注意深く見ていると、ふたりがしっかりと互いの目を見合って演じていることがわかる。石橋貴明と木梨憲武の間だけに造り出されるこの宇宙、この親密さもまた、「馬場兄弟」の"調和"を成り立たせる大切な要素だと言えるのではないだろうか。


(*1 このようなメタ性の最たる収穫が野猿であることはいうまでもない。)


(*2 ちなみにVol.9では、その年に亡くなった馬場さんへのリスペクトコント「馬場兄弟の合同葬儀」が 演じられたらしい。yoshikoさん、ありがとうございます。)


(*3 収録コントで唯一顔を見せるスタッフは、作家の石原道好氏のみ。)



おわり


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1 コメント

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こんにちは (hide)
2007-03-22 03:31:10
はじめまして^^

私のサイト、「人気テレビ番組ニュース速報!」で
こちらの記事を紹介させて頂きましたので
ご連絡させて頂きました。

紹介記事は
http://aidma2.blog93.fc2.com/blog-entry-112.html
です。
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