『マッスルモンク』(大雙[人老] Running on Karma ジョニー・トー/ワイ・カーファイ監督 2003 香港)
<あらすじ>
ビッグガイ(アンディ・ラウ)は、ムキムキ筋肉がウリの男性ストリッパー。が、猥褻物陳列罪っぽい罪で、潜入捜査員の刑事(セシリア・チャン)に逮捕される。ビッグガイは実は元少林寺僧で、人のカルマ(前世)が見えてしまうという特殊な力をもっていた・・・
2004年度香港金像奨(アカデミー賞)で、『インファナル・アフェア2、3』をおさえて、作品賞、主演男優賞、脚本賞の3冠に輝いた作品です。
しかし、日本での評価は賛否両論まっぷたつ。一筋縄ではいかない作品でもあります。
アンディ・ラウ(劉徳華)といえば、もし「アジアいちばん男前コンテスト」があったら間違いなく優勝候補の一人に入るほどの超美男スーパースター俳優ですが、画像を見ていただいたらおわかりのように・・・肉じゅばん着てまっする(爆)!
コントでやるんならわかる、わかるが、普通の商業映画でこれをやってしまうとは!
で、さらにややこしいことに、この映画は厳密にいうとコメディではないのです、というより、いったい何のジャンルに入れればいいのかわからない映画。ドラマ?スリラー?アクション?仏教映画?そのすべての要素をもちつつ、そのいずれのジャンルにもはまり切らない…。
説明が難しいので、DVDを観終わった時に書いたメモを引用してみます。
「これは・・はてさて・・どう感想をいえばよいものか?
まあとりあえず『良かった すばらしく良かった』
これだけは言っておきたい
それをしっかりおさえた上で、
この作品があらゆる意味で私を裏切ったということも
書かねばならない」
…説明になっとらん…(汗)
ビッグガイは、セシリア演じる刑事のカルマを見てしまいます。で、彼女を愛した彼は、何とかそのカルマを断ち切ってあげたい、と奔走する。つまり輪廻とか、因果応報といった仏教観がひとつのテーマです。ただ、それのみに収束させるわけにもいかない所もあるのですが・・・
ストーリー展開は、凡百の予想を大きくくつがえすものです。その展開の中で、セシリアがとる行動が、わたしの胸に新鮮な驚きと、激しい感動を残しました。彼女のような勇気が自分にはたしてあるだろうか…?と、自問せずにはいられなかった。
ただそれを、受けつける人と、受けつけない人、おそらく両方いらっしゃるでしょう(あ、念のため、かなり残酷シーン流血シーン多いです。イタイ描写が苦手な方は、ご注意くださいね)。だからこそ一般の評価は賛否両論なのだと思います。観る人によって、実にさまざまな感想が出る映画です。
でもそれがいいのです。議論をよぶことこそが映画の理解を深めるのだから。
わたしがどーにも理解に苦しむのは、プロの「映画評論家」の中に、この映画をあまりにあっさり切り捨ててしまう批評があることです。
たとえば「超映画批評」で前田有一氏は、「この話の主人公がマッチョマンである必要性がどこにあるのかも全くわからない」「「アンディにこの着ぐるみ着させたら面白いんじゃない?」位の理由しかないのではないかというテキトーさを感じさせる。」
また雑誌「映画秘宝」でよく名前を見る町山智浩氏は、ネット公開している日記で「たぶん『ハルク』と『スパイダーマン』の香港製バッタモンとして企画されたのだろう。」
自分と違う評価をしてるからこれらの批評はイカン、と言いたいわけではけっしてありません。どんな評価であろうが構わないですが、ただこれらの批評があまりにも浅薄というか、「理解できない映画は悪い映画」的態度に満ちみちているのがひっかかる。
ダメならダメでいい。だけど、プロならばやっぱり、この映画がダメな論理的理由を説明しないといかんのではないですか。「自分は評価しないけど、香港でこの作品が大成功したのはなぜだろう?」と考えてみるくらいの誠実さは、あってもいいんではないでしょうか。
ある程度切り捨ててもいい映画とよくない映画が世の中にはあると思います。少なくとも『マッスルモンク』は後者だと…わたしはそんな気がします。
とはいえ、わたしの解説もはなはだわかりにくいですね…ネタばれせずにおもしろくレビューするって、やっぱむずかしいですね。と言い訳。
<あらすじ>
ビッグガイ(アンディ・ラウ)は、ムキムキ筋肉がウリの男性ストリッパー。が、猥褻物陳列罪っぽい罪で、潜入捜査員の刑事(セシリア・チャン)に逮捕される。ビッグガイは実は元少林寺僧で、人のカルマ(前世)が見えてしまうという特殊な力をもっていた・・・
2004年度香港金像奨(アカデミー賞)で、『インファナル・アフェア2、3』をおさえて、作品賞、主演男優賞、脚本賞の3冠に輝いた作品です。
しかし、日本での評価は賛否両論まっぷたつ。一筋縄ではいかない作品でもあります。
アンディ・ラウ(劉徳華)といえば、もし「アジアいちばん男前コンテスト」があったら間違いなく優勝候補の一人に入るほどの超美男スーパースター俳優ですが、画像を見ていただいたらおわかりのように・・・肉じゅばん着てまっする(爆)!
コントでやるんならわかる、わかるが、普通の商業映画でこれをやってしまうとは!
で、さらにややこしいことに、この映画は厳密にいうとコメディではないのです、というより、いったい何のジャンルに入れればいいのかわからない映画。ドラマ?スリラー?アクション?仏教映画?そのすべての要素をもちつつ、そのいずれのジャンルにもはまり切らない…。
説明が難しいので、DVDを観終わった時に書いたメモを引用してみます。
「これは・・はてさて・・どう感想をいえばよいものか?
まあとりあえず『良かった すばらしく良かった』
これだけは言っておきたい
それをしっかりおさえた上で、
この作品があらゆる意味で私を裏切ったということも
書かねばならない」
…説明になっとらん…(汗)
ビッグガイは、セシリア演じる刑事のカルマを見てしまいます。で、彼女を愛した彼は、何とかそのカルマを断ち切ってあげたい、と奔走する。つまり輪廻とか、因果応報といった仏教観がひとつのテーマです。ただ、それのみに収束させるわけにもいかない所もあるのですが・・・
ストーリー展開は、凡百の予想を大きくくつがえすものです。その展開の中で、セシリアがとる行動が、わたしの胸に新鮮な驚きと、激しい感動を残しました。彼女のような勇気が自分にはたしてあるだろうか…?と、自問せずにはいられなかった。
ただそれを、受けつける人と、受けつけない人、おそらく両方いらっしゃるでしょう(あ、念のため、かなり残酷シーン流血シーン多いです。イタイ描写が苦手な方は、ご注意くださいね)。だからこそ一般の評価は賛否両論なのだと思います。観る人によって、実にさまざまな感想が出る映画です。
でもそれがいいのです。議論をよぶことこそが映画の理解を深めるのだから。
わたしがどーにも理解に苦しむのは、プロの「映画評論家」の中に、この映画をあまりにあっさり切り捨ててしまう批評があることです。
たとえば「超映画批評」で前田有一氏は、「この話の主人公がマッチョマンである必要性がどこにあるのかも全くわからない」「「アンディにこの着ぐるみ着させたら面白いんじゃない?」位の理由しかないのではないかというテキトーさを感じさせる。」
また雑誌「映画秘宝」でよく名前を見る町山智浩氏は、ネット公開している日記で「たぶん『ハルク』と『スパイダーマン』の香港製バッタモンとして企画されたのだろう。」
自分と違う評価をしてるからこれらの批評はイカン、と言いたいわけではけっしてありません。どんな評価であろうが構わないですが、ただこれらの批評があまりにも浅薄というか、「理解できない映画は悪い映画」的態度に満ちみちているのがひっかかる。
ダメならダメでいい。だけど、プロならばやっぱり、この映画がダメな論理的理由を説明しないといかんのではないですか。「自分は評価しないけど、香港でこの作品が大成功したのはなぜだろう?」と考えてみるくらいの誠実さは、あってもいいんではないでしょうか。
ある程度切り捨ててもいい映画とよくない映画が世の中にはあると思います。少なくとも『マッスルモンク』は後者だと…わたしはそんな気がします。
とはいえ、わたしの解説もはなはだわかりにくいですね…ネタばれせずにおもしろくレビューするって、やっぱむずかしいですね。と言い訳。
突然のコメント、失礼します。
私のサイトでこちらの記事を紹介させて
頂きましたのでご連絡させていただきます。
紹介記事は
http://blog.livedoor.jp/kabu_gaitame/archives/53429058.html
です。
そういう(どういう?)映画なんですか?
でも、なんちゅーかカタカナの映画はイメージがわかないから
心にとどまりにくいので、
いいキッカケになりました。
メモって置きます
香港映画のタイトルはカタカナが多いんですよね。たしか80年代に、ハリウッド映画と同じような感覚で日本人観客に宣伝するため、香港映画のタイトルもカタカナの日本語タイトルにするという戦略があったそうで、その伝統がいまも続いているらしいんです。必ずしも成功してるとは思えないんだけど・・・
とにかくとてもいい映画ですよ。アンディの肉じゅばんは決してギャグじゃなくて、ラストで重要な意味を持ちます。