とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

ラスタとんねるず94

2009年09月09日 23時45分36秒 | とんねるずのテレビ
「ラスタとんねるず'94」のファンにとって、今年は15年目のアニバーサリーにあたります。

・・・と、言ってみたものの、この番組を語れるほどのネタは、正直ないんですが・・・(汗)

「生ダラ」も「ねるとん」も「ハンマープライス」ももちろん好きで見ていたけれど、「みなさんのおかげです」ほど情熱をかたむけて見た番組はありません。「ラスタとんねるず」についても、実はぼんやりした記憶しかなくて。

「ラスタ」をすごく熱心に見ていたみなさんや、ちゃんと録画してとってある方々のほうが、きっとずっと深く語れると思います。しかしこの番組が残したインパクトって、ちょっと他の番組とは違うものがありましたよね。それはわたしにもわかります。

わずか半年足らずの放送だったにもかかわらず、カルト的な人気を誇り、番組存続を願う署名まであったとか。

わたしも、おぼろげながらも、ジャイアント将棋はかなり熱心に見ていたおぼえがあります。スタジオで格闘技的なゲームをくりひろげるという企画が、当時非常に画期的でしたよね。

貴王と憲王の対決という設定も良かったし、さまざまなスポーツ選手、格闘家、芸能人を「駒」に見立てて闘うというのがおもしろかった。対戦型ゲームを生身の人間がやるようなもので、手に汗握る対決がたくさんありました。

参加したメンツが、豪華だったんですね。格闘技ファンのみなさんをも唸らせるレアな対戦もあったとか。また、芸人の参加者が、通常とんねるずとあまり絡みそうもないキャスティングなのがおもしろい。吉田ヒロ、和泉修、島木譲二といった吉本組から、よゐこ(ブレイク前)や北野誠といった松竹組まで、多彩でした。

もうひとつインパクトがあったのがSPITTING IMAGE JAPAN。
日本ではめずらしい(とんねるず的にもめずらしい)政治諷刺で笑わせるブラックな人形劇コントでした。

当時の細川元首相やトンちゃんこと村山富市氏など、人形にしたら絵になる政治家がうまい具合に多かったですしね。村山首相は、当時連立与党として社会党から立った首相だから、政権が交代していたわけではないんだけども、まさにマジの政権交代が実現したいま、あの人形劇を思い起こしてみるのは、なかなかに感慨深いものがあります。

その他、70'sカルチャー一色の「フジYOUNG」、海外ロケも敢行したドラマ「ブラザーサン、シスタームーン」などのコーナーがありました(これらはほぼ記憶なし)。記憶はないけど、15年後のいまでも「見てみたいなあ」と興味をそそられる企画ばかりなんですよね。


番組にかかわった演出家・作家陣が、これまたおもしろい。

『おくりびと』でいまやオスカー受賞脚本家となった小山薫堂、『デトロイト・メタル・シティ』の監督・李闘士男、売れっ子放送作家の鮫肌文殊、平岡秀章など。また、ビデオ・ア-ティストの高城剛(エリカ様を嫁にした人)が「フジYOUNG」の演出を担当していたというのもすごい。このコーナーの映像、むちゃくちゃ見たいです。

小山薫堂氏と平岡秀章氏は、1990年に「カノッサの屈辱」で構成・脚色を担当していたようです。彼らが「ラスタ」でふたたび一緒に仕事をしたのは偶然でしょうが、しかしあの伝説の深夜番組と同じスタッフだったということから見ても、「ラスタ」がゴールデンタイムの番組とは思えない特異なクオリティを誇っていたことが、なんとなくわかるんじゃないでしょうか。

ちなみにゼネラル・プロデューサーは石田さん、プロデューサーは守谷さんでした。


むかしからタカさんは「とんねるずをうまく料理してくれ」とよく言います。

「ラスタとんねるず」は、まさにそれを実現した番組だった。「おかげです」とはガラリと違うスタッフ、しかもメジャー路線からちょっとだけ脇道にそれることをどっちかというと好むスタッフたちと組んだことが、大きかったのだろうと思います。ちょっとだけマイナーなところをうま~くつついて戯れた、って感じ。

とんねるずは「マイナーな笑いだったらいくらでもやれる自信がある」とも昔からよく言っていました。「おかげです」という番組は、あえてみずからのマイナー志向を封印してメジャー路線をつっぱしっていたわけで。

そう考えてみると、むしろ「ラスタとんねるず」こそが、本来のとんねるずが素直に出た番組だったのかもしれません。





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