歌え!だらリーマン

買った、使った、感想、評価

白い巨塔の原作を読む

2006年05月07日 | 雑談
山崎豊子 著 白い巨塔 全5巻2003年から2004年にかけてフジテレビで放送された唐沢寿明主演のテレビドラマ白い巨塔原作は文庫本で5冊にもなるので躊躇していたのだが、読み始めたら意外にも簡単に読めてしまった。

原作は昭和30~40年代の風景。呼び出し電話が当たり前という時代の小説を携帯電話あり、電子メールありの現代にうまくアレンジしていると感心した。原作と唐沢白い巨塔の違っているところのメモ。

・原作の財前五郎は唐沢寿明よりもずっと大柄で野性的なイメージ
・財前五郎には子どもがいる。ドラマでは描かれていなかった
・財前の愛人ケイ子が医大をやめたのは経済的理由
・財前又一はハゲ。ドラマではカツラをかぶっていた
・里見の妻は医学者の娘、ドラマでは里見が診た癌患者の娘
・里見の妻と東佐枝子は女子大の同級生
・原作の国平弁護士は控訴審から登場する

だんだん書くのが面倒になってきたので省くが、忘れてはならないのは

・財前の死因は肺ガンでなく原作では胃ガン

しかし、原作中でのセリフをたくさん残しながら今風にアレンジできていることに感動した。原作が人間の本質に迫った力作であっただけに、携帯電話や医療技術など、表面的な部分を置き換えても、ドラマでは原作が訴えたものをほぼそのまま表現できていると思った。

ドラマでは財前五郎がたばこを吸うシーンがたくさんあって、最後に肺ガンで死ぬことへの伏線になっていると思った。でも原作でもよく吸っている。もっと言えば財前だけでなく、鵜飼教授も東教授も、多くの登場人物がガンガン吸っている。当時は喫煙率が高かったんだろうな。

けろけろけろっぴ救出

2006年05月07日 | 雑談
もう10年ぐらい前のことだと思うが、サンリオショップで子どもがけろけろけろっぴのゴムシートのようなものを作った。塗り絵のような感じで液状の「ゴムの素」をアルミ板の上に流してオーブントースターで焼くとできあがる。洗面所の鏡に貼り付けてあったのだが、ある日はがれて落ちて、洗面台と壁の隙間に落ち込んでしまった。隙間はわずかで懐中電灯で照らしても見えなかった。

それが昨日の夜、フジテレビで海猿・UMIZARUをやっていて行方不明者を捜索しなければならないことを思い出し、本格的に探した。やっぱり見えない。でも隙間からものをつまみ出すワイヤー状の器具を突っ込んだらなんと1回で出てきた。

懐かしいけろけろけろっぴ。前と同じように洗面所の鏡に復活させた。

Edyの矛盾

2006年05月07日 | 雑談
さんざんEdyを利用しておきながら書くのも変な話ではあるが、Edyの仕組みは金融の枠組みとは相容れないものである。とはいえ実際には金融の構成メンバーになっており、そのために矛盾が生じている。矛盾点を逆手に利用すれば従来の常識では考えられなかった利益が得られる。Edyは以下の仕組みを同時に備えたので矛盾が発生した。

(1)クレジットカードでチャージ(入金)できること
(2)利用範囲の制限が事実上ないこと
(3)利用額の制限が事実上ないこと

どれか一つが欠けていたら何も問題はなかった。世の中の商品代金や役務の提供代金はその多くがクレジットカードで支払えるように(1)Edyがクレジットカードで入金できても問題はない。ところがEdyは通常の商品や役務と違って(2)利用範囲の制限が事実上ない。例えば金融サービスの入金処理までコンビニの店頭支払いという形式でできてしまうのだ。

一般的な商品代金や役務の提供代金というものは割と大きな粗利を含んでいる。小売店が10~20%のマージンを乗せているのは当たり前で、中には50%以上の粗利を得られるものだってある。ところが金融サービスのほとんどは入金処理にそんなマージンがない。多くは1回の手続きで数十円とか百円程度の手数料を織り込んでいるだけだ。

それでも(3)利用額の制限について、上限1万~2万円程度に抑えられていれば決定的な矛盾は避けられた。ようやくEdyも去年の末頃から上限25万円という制限を掛け始めたが、金融サービスの入金処理にまで使えることを考えると大き過ぎる。

なぜここまで矛盾を含んでいるのか。Edyは装置産業なのである。Edyの決済システム(装置)を最初に構築する必要があった。大きな投資が伴うので構築した装置は稼働させなければならない。ところ数十年にわたってコツコツと利用者を増やしてきたクレジットカードとは違って、Edyを知る人は少ないし使う人はもっと少ない。カードの非接触決済という便利さはあるかも知れないが、逆に言えば分かりにくく不安を持つ人も多いはず。クレジットカードだってサインレスで使える時代となってはEdyの非接触決済にそれほど優位性があるとも思えない。だからEdyは決済額を大きく伸ばすための思い切った施策が必要だった。それが上記(2)だったのではないか。

こうした矛盾はEdyにかかわる各方面に押しつけているか、あるいはEdy主催者の資本を食いつぶしているはずだ。未来永劫続くとは思えない。Edyの矛盾点を突いて利益を得るというのは合法であってもマナーを備えた大人がやることではない。やっている人は大人げないのである。