The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

日常

2013年03月02日 | Weblog

 

 

 

19世紀というのは神秘主義や聖杯伝説の流行った時期のようです。グノーシス主義的な世界観をヴィクトル・ユゴーは持っていたようですね。

今日も子供がアンジョルラスファンになり、「アンジョ詣でに行きたい」と言うので、連れて行くついでに自分も「レミゼ」を見にいきました(ジャベールも見たいし✩)。気をつけてみてみたつもりですが、特にグノーシス的な感じはしなかったです。

でも唯一感じたのは主人公の名前の「ジャン・バルジャン」。一人の人間の名前の中に「ジャン」つまり「ヨハネ」という名前が二つも入ってるのです。⇒ Jean Valjean

しかも仮の名前が「マドレーヌ」つまり「マグダラ」。

 

「アルビジョワ派」(マグダラのマリア派)、グノーシス的キリスト教カタリ派は洗礼者ヨハネとマグダラのマリアを重要視しました。その教義はグノーシス的で、最も重要視されたのは「ヨハネの福音書」です。二つの「ヨハネ」は「洗礼者ヨハネ」「福音書家ヨハネ」、「マドレーヌ」は「マグダラのマリア」なのかな、なんて思いました。

 

あとは壁に大きく書かれた目も意味深といえば意味深だったかな~。フリーメーソンぽくて。

 

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南フランスの「アルビジョア派」はマグダラのマリア派とも結びついていました。
アルビジョア派はマグダラのマリアがイエスの秘儀的なパートナーで、イエスの真の教えはマグダラヨハネ(洗礼者でなく福音書を書いたヨハネ)に伝えられたと考え、カトリック教会の権威を否定しました。
ラングドック=ルション地方ではカタリ派が公認の宗教となっていました。

1209年にカトリック教会はカタリ派を絶滅すべく、十字軍(アルビジョア十字軍と呼ばれました)を結成し、10万人規模の虐殺が行われました。
アルビジョア十字軍は洗礼者ヨハネの聖日6/24に召集され、マグダラのマリアの聖日7/22には大虐殺が行われました。
こうして20年をかけて戦いが続き、1243年にはカタリ派最後の牙城が攻略されました。

  

カタリ派を語る上でテンプル騎士団とプリウレ・ド・シオン団(シオン修道会)も重要。 

テンプル騎士団は1118年にユーグ・ド・パイヤンによって、巡礼者と公道の安全確保を目的に設立され、その中心で運営していたのがシオン修道会だとされる。シオン修道会は1099年にエルサレムのシオン山のノートル・ダム修道院にて組織されたとされる。テンプル騎士団にはカタリ派の貴族も多数属しており、4代目総長ベルトラン・ド・ブランシュフォールはカタリ派であった。
カトリック教会とは対立し、ついには迫害され1314年総長ジャック・ド・モレーの火刑により歴史の表舞台から消えるます。

 

しかし、シオン修道会の歴史が閉じることはなかった。ニコラ・フラメルやレオナル・ド・ダヴィンチ、アイザック・ニュートン、ヴィクトル・ユゴー、ジャン・コクトーらが総長を歴任した、らしいです。

「ダ・ヴィンチ・コード」でシオン修道会総長がレオナルド・ダ・ヴィンチとか言っていましたが、ヴィクトル・ユゴーもそうだったのかもしれませんね。

 

ま、これはちょっとググった知識なのでトンデモかもしれません。でもユゴーがグノーシス的というのか独特な宗教観を持っていたのは事実のようです。
それに気になって「ユゴー」「禁書」でググったのですが、本当に「レ・ミゼラブル」ってカトリックの禁書になってました(@_@;)