The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

ライフ・オブ・パイ

2013年03月08日 | 映画について

 

少年と虎が力を合わせて危機(漂流)を乗り越える感動的な大冒険ストーリー!!虎と通じ合った心!!

だと思っていきました。。。。。

 

でも全然違いました。最初から宗教的で「おや?」と思ったのですが、ヒンドゥー教的なイメージがすごく美しくて、それだけでも感動ものでした。すぐキリスト教とイスラム教も登場します。まあ、これは見てみないとわからない作品です。小さい子供連れで行くタイプん話ではありません。文部省推薦らしいですが。

 

感想を書くと、私的には「やっぱり、トラとかシマウマの話じゃなくて、そういう出来事はあったんだ」と思っています。極限状態で体験したのもは、「実証できる、具体的な事実」ではなくても、主人公にとってありありとした「真実」だったに違いありません。

彼はもともとインド人でヒンドゥー教徒で、ほかの宗教にも関心が高い人物でした。でも、漂流の途中でも魚を殺しながら「ヴィシュヌよ、現れて食料になってくれてありがとう!!!」とか叫んでいましたから、彼の幻想のベースはヒンドゥーなのかもと思いました。多分、どの宗教にも入りきれない、サバイバルのために彼が生み出した独自の宗教だったかと思います。

 

浮島のエピソードの前に大嵐が起こり、雷(神の怒り)の場面から、「浮島」だったので、彼の中の罪の意識がスーっと「浮島(死の島)」にたどり着かせたのかもしれません。

「浮島」の解釈は「魔境」「盲信」とか「妄想」に安住する事を意味してるのかな、と思います(涅槃かと思ったのですが、それだとミーアキャットの意味が不明になってしまいます)。じゃ、蓮の花は?と、悩んでしまうのですが、個人的には母親からの「逃げなさい」というメッセージかなあ、と思います(特に根拠なし)。個人的には(今のところ)オラウータンは母親で、彼の深層心理の奥の奥にしまわれていますが、やっぱり食べちゃた気がします。そしてここで正気に戻り、自分のやった事に気付くような気がします。

 

リチャード・パーカーのせいでイメージとして「捨身飼虎」がちらつきます。

「捨身飼虎」とは⇒お釈迦さまが前世、別人だった時ある国の王子だったころ、森で、乳飲み子を抱えているため餌を獲りにいけず、空腹に苦しんでいる母虎に出会いました。それを哀れんだ王子(お釈迦さま)は餌として自分の体を投げ出し、母子の虎を救いました、という究極の菩薩行のこと。

ヒンドゥの本で、人間が空腹で歩いていたら、枝の雀が、可愛そうに、私を上げましょう。といって身を投げ出した話があるっぽいです。 

 

とにかく母親は「究極の利他行(菩薩行)」(ヒンズーでは何ていうのかよくいわかりませんが)だったのだし、この世で死んでも再び生まれまわる、もしくは他の生き物の一部になって生きているのだから、気にしないで、という事なのかな~、と今のところ思っています。蓮の花(ブラフマ神)の中に歯があるのは、もう転生してるという意味かと。でもググるとそう思ってる人はいないっぽい(。-_-。)

遠景としての浮島は「ヴィシュヌ神の恩寵」みたいに思えました。綺麗で禍々しいイメージとは感じられませんでした。というか「食人島=ヴィシュヌ」という解釈はひどすぎるし。

 

「虎が去っていく場面」はちょっと禅宗の「十牛図」を思い浮かべました。神仏を追い求め、最後に捕まえるが、同時に追い求める目標、導き手(神仏)が消えてしまう、というような「悟り」のイメージ。パイも最後にはごく平凡な日常に戻ってきます。

また、虎は獣性でもあるし、神でもありそう。最初、狂気、獣性と思いましたが、去っていく時、パイが泣いていたので、それだけではなかったんだな、と思いました。


ヒンドゥー教の神様はいっぱいいる上に、化身もいっぱい。しかも一人の神様が、いくつもの顔(慈愛と破壊とか)を持っているので、そういうヒンドゥー教の知識があればこの映画ももっとよく理解できたかもしれません。