The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

パリ・コミューン

2006年07月15日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

   

パリよ お前の足が怒りに燃えて 踊り狂っていたとき

その身を匕首でめった切りにされていたとき

その明るい瞳の中に なおも鹿の子色の春の

あの優しさをたたえて 横たわっていたときいた時  

 

おお苦しみ悶える首都  おお瀕死の首都よ

その頭とふたつの乳房を「未来」の方にむけて

蒼ざめた身に 無数の城門を開いた首都よ

詩人は歌うのだ「おまえの美しさはすばらしいと!」

 

嵐はおまえを至高の詩へと高めた

 

 アルチュール・ランボー「パリの街」 

 

<以前書いた記事への補完>

パリ・オペラ座は言うまでもなく、ナポレオン3世時代、1862年から1875年までの13年間を費やしてシャルル・ガルニエによって建設されました。

建設されたのはパリ・コミューン時代。
このパリ・コミューンというのは1870年9月から1871年5月までのパリ自治政府(世界初の社会主義政府でもある)のことです。普仏戦争での惨めな敗北の結果ナポレオン3世で帝政は終わり、ティエール率いる国防仮政府が成立。しかしパリの労働者と国民軍は戦争の終結を不服とし、国防仮政府が保守的であり、プロイセンへの有効な抵抗を行っていないと非難し、プロイセン軍のパリ入城とに対応して国民衛兵隊連合が結成され抗戦を継続した。国防仮政府ティエールによる3月18日のモンマルトルの大砲奪取事件で敵対は決定的なものとなった。1871年3月28日、国民衛兵中央委員会はパリの支配を確立。このようにプロイセン軍の包囲下でパリの民衆が組織した抗戦団体がパリ・コミューンです。

パリ・コミューンは婦人参政権、児童夜間労働禁止、教育の世俗化など施行、革新的で独裁的でもあった。

1871年5月21日プロイセンの支援を得たヴェルサイユ軍(国防仮政府軍)に峻烈な市街戦をもって鎮圧される。この<血の一週間>でコミューン側は万を超える労働者や革命家の粛清が行われた。

 

この粛清の犠牲者が幽霊となってオペラ座に出るという噂は実在したようです。なぜオペラ座かというと
p323「・・・以前からそこにはエリックにおあつらえ向きの秘密の廊下があった。・・・それはパリ・コミューンの時、オペラ座の地下に設置された監獄へ看守が囚人を連れて行けるように造られた物だった。」(監獄は怪人がラウルを閉じ込めてた場所としても登場。・・・壁にR・Cと彫る)というようにオペラ座自体も歴史の中でそのような使われ方をしていたからです。

また1896年に実際オペラ座のシャンデリアが上演中に炎上する事件が起こっています。(オペラ座ファンの方はご存知だとは思いますが・・。)この死者・負傷者をだした惨事が「オペラ座の怪人」のシャンデリア事件のヒントのひとつであるのは言うまでもありません。

あとはエドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)」とかでしょうか?

 私は「亡霊+奇術師」というイメージに強く引き込まれます。ガストン・ルルーが幽霊に「奇術師」という若干いかがわしいイメージを持ってきたあたりがすばらしいな、と思います。その想像の起源を多感な少年時代に持ってきたら素敵かな・・・と思い「ガストン・ルルー少年」という記事を書きました。
ルルー少年はその奇術師の与えた霊感を胸に抱き、いつか作品化しようと思っているのですが、日々の忙しさに紛れ、忘れていましたが、シャンデリア事件や幽霊の噂話が「奇術師」の印象と絡み合い熟成し「オペラ座の怪人」として結実した、というのが私の妄想です。
そういう霊感を与えた人物がいたらいいですね。ルルー自身も「実在した」と断言しているのですから・・・。

最初持っていた完全に清らかで繊細な「音楽の天使」像はもう消し飛んでいます(^^)
汚濁と不気味さに彩られた、この美しくも奇妙な奇術師の物語をティム・バートンとジョニデでやってほしいです。
若ければゲイリー・オールドマンなども・・・。(コッポラ監督「ドラキュラ」見てみて!なんともいえない怪演です。私は「蛇のように部屋を這って・・・」(p227)という箇所を読むたびにゲイリーのドラキュラ伯爵を想像します。そして怒りのエリックはゲイリー演じる、怒り狂うベートーヴェンをちょこっと想像します。(「不滅の恋人」で父親の暴力を逃れて林を走る幼いルートヴィヒ・Bの場面もいいです。「歓喜の歌」の音楽と歌詞とともに美しい湖まで走る姿は痛々しく、そして勇ましい!!ここもエリックな場面、なんだか少女ジリーと走っているとことダブります。醜悪さから脱出という感じです。話がそれました。ついでですが「リバティーン」の伯爵もイメージに入ってます)

 


さて肝心のエリックは・・・ランボーが感情の高まりを詩作にぶつけていた時何をしていたか・・・。もちろんオペラ座を造っていました。(p450)

「・・・彼は、オペラ座の基礎工事の一部を落札した。あのような巨大な劇場の地下にもぐると、彼は芸術家・ボヘミアン・奇術師としての本能を呼びさまされた。」
(この”奇術師”というのが好きです。以前は嫌でしたが。腹話術とか・・。今は魅力大いにを感じます)

(p368)「・・・プロシアとの戦争、パリの包囲、パリ・コミューンの間、公式には工事が中断されていた時も、たった一人でこっそり仕事を続けていたのだ」

精力的に無心に力強く何かを創造しているエリックは魅力的です。

「行過ぎる赤き死」と自称した彼は世界の文化の中心に自分のオベリスクを建立した。社会に背をむけ、自分の美しき要塞であり、記念碑でもあり、壮麗な墓場を・・・、自分の平安と自分への手向けを自分で創造する。しかも人知れずあらゆる仕掛けをはりめぐらせて・・・・。

 


Les Fleurs du Mal

2006年07月13日 | Weblog
開設しました。「岩窟王」です。

でも「オペラ座の怪人」は特別なのでがんばります!!!
「アンケート」がフォーム代わりになります。アドレスはこちらからは見えません。お声がけください。
管理人は「オペラ座の怪人」激愛な普通の人です。怖くはないです。でも本当は・・・ちょっと痛くて、かなり変態な人です

ファントムとクリスティーヌ

2006年07月11日 | 「オペラ座の怪人」
映画イラストが描きたくなって「日経エンタメ」を再読。


「・・・僕は彼の中にある善良さ、芸術性、憧れ、パワー、そして情熱にひきつけられた」

「生まれた時から、彼は違う扱われ方をしてきた。彼は社会から追放され、見捨てられ、遠ざけら、ゲテモノとして扱つかわれた。
だが、それにもかかわらず、彼は最も美しいものを創造する能力を持ち、大いなる情熱、知性、そして愛を持つ人間なんだ」

「彼が望むものは、仲間なんだ。彼を理解してくれる人間だ。」

「彼は人生の中で常に拒絶され、つらい時を過ごしてきた。だが、ひとつだけ受け入れることの出来ない拒絶があった。それはクリスティーヌの拒絶だった。なぜなら、彼女しか見えなくなっていたからだ。それが彼の人生になり、人生の目的となってしまった。だから彼女の「嫌だ」という言葉は、今までの拒絶とは意味が違っていた。彼のことを狂っていると考える人もいるが、僕は彼が狂ってしまったのだと思っている」

(ジェラルド・バトラー)


同感です(^^) 

クリスは慈悲深く、清らかでないとダメです、痛くてたまりません。ここは譲れません。

「可哀想な、純粋な、やさしいクリスティーヌ!」(P79)が好きです。


原作の設定で金髪にしてしまいました。やっぱりファントムうまく描けない~!!

恐るべき子供たち

2006年07月08日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
「エリックと寵姫」の下書き中です。今だ「寵姫」が若い美女だと誤読したまま・・・(汗)。

でもエリックは私にしてはちょっとお兄さんに描いています(^^)まあ、マザンダラン時代ですから当然といえば当然ですが。

この時代のエリックは「鏡の迷宮」「本人そのもののように見える自動人形」「拷問部屋」などを造っていますね。凄い才能と体力です。個人的のこの「自動人形」気に入ってます。彼の猛烈にエネルギッシュな青年期はとっても素敵です。

原作ではペルシャからアフガニスタンに政治的な暗殺に行ったとあります。当時、大国ロシアとイギリスのグレートゲームの狭間にあったペルシャやアフガニスタンでエリックがどんな政治的な働きをしたか、どんな方法の殺人だったか興味あるところです。

当時のペルシャについて友人から教えてもらったので、ちょっと引用します。

「19世紀のペルシャ・・・カージャール朝。前代のサファヴィ朝が寛容政策で隆盛を誇ったのに対して、ろくでもない王朝だったらしい。残忍な絶対君主シャー(アミール?)が君臨するが、地方領主を十分に抑えられなかったらしい。ロシアとイギリスが進出するのをまるで防げず、あわてて軍隊と官僚を育て近代化を図っても、平気でお雇い外国人の丸投げしたり、賄賂とコネが万能となり、腐敗と低迷は深い。」

こんな雰囲気のペルシャでシャーの政敵を次々と・・・・。



ガストン・ルルー少年

2006年07月06日 | 「オペラ座の怪人」
「アヴェルヌ湖のほとり」様の掲示板に書き込みしながら落書き・・・。

私はルルーに<エリック・怪人>のインスピレーションを与えた人物がいるのではと思ってます。もちろん根拠なしの妄想です。

その<原型エリック>に会ったのが子供時代なのか、記者時代なのか、通りすがりなのか、関わりがあったのか分かりませんが・・・(っていうか個人的な妄想なんですけど)。


事実として、ルルーはパリのフォーブール・サン・マルタン通りの区役所近くの生まれ。セーヌ・マリティーヌ県のウー中学校の寄宿生であった時代もありました。(P455)


イラストは週末パリの自宅に向かう前に、隣の街に来たサーカスを見に行った少年ルルーという感じで描いてみました。

「僕はそこで仮面をつけた人物に出会った。そのサーカス団が隣の市に来る時は必ず通った。・・・彼に会いたかったからだ!
その人は決して仮面をはずす事がなく、旅芸人というには威厳に満ち、立ち居振る舞いは優美だった。
その人が奇術をする夜は街中の人がテントにひしめいた。
彼の奇術は見事で、みな口をあんぐり開けて奇妙な奇術師の繊細な指先を食い入るように見つめた。
彼は「ハーメルンの笛吹き」のように童心にかえった人々の心を鮮やかに奪ったのだ。」


「ブリキの太鼓」

2006年07月05日 | 映画について


を見ました。フォルカー・シュレンドルフ監督、ギュンター・グラス原作・脚本
ダーヴィット・ベネント主演 モーリス・ジャール音楽

1924年ポーランド、ダンツィヒ(現グダニスク)。・・・3歳で自らの意思で成長を止めてしまったポーランド人でもドイツ人でもないカシュバイ人のオスカルの視点から、大人の、そして戦争の愚かさを描く異色抒情詩。

主人公の奇声をあげながらガラスを割る不思議な能力や、祖母、母、臆病者の父などの奇妙な人物たちをグロテスクに描く毒と力に満ちた映像が圧倒的。(解説よりほぼ抜粋)

う~ん、上映当時はベネント少年萌えでした。彫りの深い硬質な顔立ち、透き通った瞳、はりだした後頭部がいいなああ・・と。それにもう写っているのがドイツとかポーランドとかと言うだけでワクワクしました。

いろいろ奇妙で印象的な場面がたくさんありました。最近、汚濁・奇妙萌え。

音楽は巨匠モーリス・ジャール。
(「コレクター」「地獄に堕ちた勇者ども」「ドクトル・ジバゴ」「アラビアのロレンス」)

う~ん、すごいですね。ダリエリ描きに欠かせない「アラビアのロレンス」にあの名曲「ドクトル・ジバゴ」!!!キ-ラ・ナイトレー主演のリメイク「ドクトル・ジバゴ」を見ましたが、あの「ラーラのテーマ」がない「ドクトル・ジバゴ」はなんだか・・・。音楽がドラマに深みを与えてます(^^)v





「惜しみなくそれを讃美せよ」

2006年07月05日 | 「オペラ座の怪人」
先日予告していました「Daheim」ROMEO様から頂いたノベルをUPいたしました。
管理人の感想など余計でしょう・・・未読の方は本館の「TREASURE」にどうぞ直行なさってください!!

このような他のサイトマスター様のノベルやイラストを自分のサイトに掲載するのは本当に感謝でございます。

物語を描くのもイラストを描くにも大変な労力と「オペラ座の怪人」への愛情が込められていますので・・・大変緊張いたします。

こうして一閲覧者から管理人にどうにかなり、皆様の愛の結晶をいただけるのはしあわせです。

皆様の「オペラ座の怪人」への愛、エリックをはじめ素晴らしい登場人物への愛にいつも感動し、心から讃美してやみません・・。


それからアンケートの方も少しずつ送られてきています。とても参考になります。アドレスが私からも分からないので返信できないのですが、お忙しいところを本当にありがとうございます。

レースを編む・・・場面7

2006年07月04日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

下の記事の名前に関しては、「国はどこか、エリックと言う名前から察してスカンジナビア出身ではないかと」というクリスの問いに答えてです・・・(p219)


エリックと両親の悲しい関係って・・・。でも父親の方が冷たいです。息子の顔を見ようともしなかったなんて・・・!!母親はただ泣くばかり・・・。優柔不断というか弱弱しい人だったのか、時代が悪かったのか・・・。

でも地下室に母親の遺品を持ってくるあたり、やはり母親の事は忘れられないかったのでしょうか?
遺品からして平凡な主婦と言うイメージがします。(ぴかぴかに磨き上げられたマホガニー製の椅子、タンスや銅製の置物、肘掛椅子の背に小さな手編みのレースをかけるというような細やかな心遣い、振り子時計・・・貝殻や赤い針刺し・・・P427)



この<手編みのレース>で下の場面を思い出してしまいました。これはヴァレリウス夫人の家でラウルが見た光景として語られています。

「・・・クリスティーヌはレース編みをしていたのだ。うつむいて手芸に精を出している彼女の瓜実顔は類なく美しく、その額は類なく清らかで、眼差しは類なく優しかった。」(p171)

レース編みはよくある趣味なのでエリックの母親の面影と重ねるのは無理があるかもしれません。
でもせっかくガストン・ルルーがレースを編むクリスを美しく描いてくれたので・・・・。


下のイラスト・・・わかってます、わかってます、本人が一番。言い訳をすれば、この角度は難しいんですでも主線なしでがんばったので掲載。本館はカラーです。

ERIK・・・決別  場面6

2006年07月04日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」


<ペルシャ人>の話では、
エリックはルアン近郊の小さな町の出身だった。
彼は左官工事請負業者の息子として生まれたが、あまりの醜さに両親にまで忌み嫌われたので、早くから家を出た。(p448)





自分には名前も祖国もない

たまたまエリックという名前を名乗っただけなのだ。









ピアノと語らう・・

2006年07月03日 | 「オペラ座の怪人」




(p216・角川)

「・・・・音楽には、心に響く音色のほかに、そとの世界にはなにも存在しないというような気分にさせる力がある・・・」





本当はクリスがラウルに言っている言葉です。


ここでお知らせが・・・(^^)常々私が敬愛してやまない「Daheim」のROMEO様から素晴らしい贈り物を頂戴いたしました。近日中にUPいたします。
楽しみにしていてくださいね!

「オペラ座の怪人」サイトやっていてよかったです(^^)v


そこに・・・

2006年07月02日 | 「オペラ座の怪人」
・・・そこにクリスティーネが来てくれた・・・というだけで

胸がいっぱいです。




もちろん・・ラウルと去ってしまうのですが、指輪は彼女の想いを残す・・・という意味だと思うし、こうして気遣ってもらうだけでファントムは満足だったのでは・・と・・・・。