The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

映画

2006年07月15日 | 映画について
映画「バベットの晩餐」を見ようと思う。19世紀の北欧の寒村が舞台だそうだ。これはクリスの故郷に近いかもしれないし、パリ・コミューン時代のフランス人が主人公だからいいかも・・。それに今は遠くに行ってしまった友達が好きだったのです。
最後がとてもいいらしい。解説読んだだけでも感動します。

「ファニーとアレクサンデル」というベイルマンの映画は岩波ホールで見ました。豊かなスウェーデンの芸人一家の物語でした。少年アレクサンデルの周りの人形劇や幻燈が美しかったです。母親の再婚からは非常に陰鬱でやりきれないのですが最後は大団円で華やかな食卓の光景で終わったような気がします。(う~ん、これは20世紀はじめが舞台)

                                    
          「どんな事もあり得る

          何でも起こり得る

          時間にも空間にも縛られず

          想像の力は 色あせた現実から

          美しい模様の布を

          紡ぎ出すのだ・・・ 」       


              『ファニーとアレクサンデル』より     

「映画とは、夢や魔法と同じものなのだ。そして夢がそうであるように、映画は私たちの無意識の扉を開き、その時、時間と場所は消え去ってしまうのだ」(イングマール・ベルイマン)そういえば「野いちご」も幻想的でした。スウェーデンには白夜があり、昼と夜の境界が曖昧です。現実と幻想の境界がこの映画でも明確でなく、不思議な気分にさせてくれます。わたしは眉なしのインヌマエルとかいう人物がお気に入りです。(上はアレクサンデルとファニー)


「太陽と月に背いて」・・・ランボーは十代でパリ・コミューンを体験。その場面は出てこないのですが19世紀ものです。レオが美しいのが印象的、残酷で奔放な若きランボーを好演。リバー・フェニックスも候補だったのでそれも見たかったです。以前も書きましたがラストシーンは素晴らしいです。手をナイフで切る・・・というエピソードがいいです。

        
            
これはジョン・コルビオ監督「王は踊る」の杖のエピソードを思い出させます。愛の残酷さを感じます。<痛み=快感>というか・・・。「オペラ座の怪人」の原作でも<痛み=快感>という記述があリます。隠微です(^^)

パリ・コミューンについては日本人の西園寺公望もパリ留学中でした。あまりいい評価はしていません。というか酷評しています。民衆の熱狂に醒めていたのはエリックだけではなかったのです。

私なら戦うと思いますが。


パリ・コミューン

2006年07月15日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

   

パリよ お前の足が怒りに燃えて 踊り狂っていたとき

その身を匕首でめった切りにされていたとき

その明るい瞳の中に なおも鹿の子色の春の

あの優しさをたたえて 横たわっていたときいた時  

 

おお苦しみ悶える首都  おお瀕死の首都よ

その頭とふたつの乳房を「未来」の方にむけて

蒼ざめた身に 無数の城門を開いた首都よ

詩人は歌うのだ「おまえの美しさはすばらしいと!」

 

嵐はおまえを至高の詩へと高めた

 

 アルチュール・ランボー「パリの街」 

 

<以前書いた記事への補完>

パリ・オペラ座は言うまでもなく、ナポレオン3世時代、1862年から1875年までの13年間を費やしてシャルル・ガルニエによって建設されました。

建設されたのはパリ・コミューン時代。
このパリ・コミューンというのは1870年9月から1871年5月までのパリ自治政府(世界初の社会主義政府でもある)のことです。普仏戦争での惨めな敗北の結果ナポレオン3世で帝政は終わり、ティエール率いる国防仮政府が成立。しかしパリの労働者と国民軍は戦争の終結を不服とし、国防仮政府が保守的であり、プロイセンへの有効な抵抗を行っていないと非難し、プロイセン軍のパリ入城とに対応して国民衛兵隊連合が結成され抗戦を継続した。国防仮政府ティエールによる3月18日のモンマルトルの大砲奪取事件で敵対は決定的なものとなった。1871年3月28日、国民衛兵中央委員会はパリの支配を確立。このようにプロイセン軍の包囲下でパリの民衆が組織した抗戦団体がパリ・コミューンです。

パリ・コミューンは婦人参政権、児童夜間労働禁止、教育の世俗化など施行、革新的で独裁的でもあった。

1871年5月21日プロイセンの支援を得たヴェルサイユ軍(国防仮政府軍)に峻烈な市街戦をもって鎮圧される。この<血の一週間>でコミューン側は万を超える労働者や革命家の粛清が行われた。

 

この粛清の犠牲者が幽霊となってオペラ座に出るという噂は実在したようです。なぜオペラ座かというと
p323「・・・以前からそこにはエリックにおあつらえ向きの秘密の廊下があった。・・・それはパリ・コミューンの時、オペラ座の地下に設置された監獄へ看守が囚人を連れて行けるように造られた物だった。」(監獄は怪人がラウルを閉じ込めてた場所としても登場。・・・壁にR・Cと彫る)というようにオペラ座自体も歴史の中でそのような使われ方をしていたからです。

また1896年に実際オペラ座のシャンデリアが上演中に炎上する事件が起こっています。(オペラ座ファンの方はご存知だとは思いますが・・。)この死者・負傷者をだした惨事が「オペラ座の怪人」のシャンデリア事件のヒントのひとつであるのは言うまでもありません。

あとはエドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)」とかでしょうか?

 私は「亡霊+奇術師」というイメージに強く引き込まれます。ガストン・ルルーが幽霊に「奇術師」という若干いかがわしいイメージを持ってきたあたりがすばらしいな、と思います。その想像の起源を多感な少年時代に持ってきたら素敵かな・・・と思い「ガストン・ルルー少年」という記事を書きました。
ルルー少年はその奇術師の与えた霊感を胸に抱き、いつか作品化しようと思っているのですが、日々の忙しさに紛れ、忘れていましたが、シャンデリア事件や幽霊の噂話が「奇術師」の印象と絡み合い熟成し「オペラ座の怪人」として結実した、というのが私の妄想です。
そういう霊感を与えた人物がいたらいいですね。ルルー自身も「実在した」と断言しているのですから・・・。

最初持っていた完全に清らかで繊細な「音楽の天使」像はもう消し飛んでいます(^^)
汚濁と不気味さに彩られた、この美しくも奇妙な奇術師の物語をティム・バートンとジョニデでやってほしいです。
若ければゲイリー・オールドマンなども・・・。(コッポラ監督「ドラキュラ」見てみて!なんともいえない怪演です。私は「蛇のように部屋を這って・・・」(p227)という箇所を読むたびにゲイリーのドラキュラ伯爵を想像します。そして怒りのエリックはゲイリー演じる、怒り狂うベートーヴェンをちょこっと想像します。(「不滅の恋人」で父親の暴力を逃れて林を走る幼いルートヴィヒ・Bの場面もいいです。「歓喜の歌」の音楽と歌詞とともに美しい湖まで走る姿は痛々しく、そして勇ましい!!ここもエリックな場面、なんだか少女ジリーと走っているとことダブります。醜悪さから脱出という感じです。話がそれました。ついでですが「リバティーン」の伯爵もイメージに入ってます)

 


さて肝心のエリックは・・・ランボーが感情の高まりを詩作にぶつけていた時何をしていたか・・・。もちろんオペラ座を造っていました。(p450)

「・・・彼は、オペラ座の基礎工事の一部を落札した。あのような巨大な劇場の地下にもぐると、彼は芸術家・ボヘミアン・奇術師としての本能を呼びさまされた。」
(この”奇術師”というのが好きです。以前は嫌でしたが。腹話術とか・・。今は魅力大いにを感じます)

(p368)「・・・プロシアとの戦争、パリの包囲、パリ・コミューンの間、公式には工事が中断されていた時も、たった一人でこっそり仕事を続けていたのだ」

精力的に無心に力強く何かを創造しているエリックは魅力的です。

「行過ぎる赤き死」と自称した彼は世界の文化の中心に自分のオベリスクを建立した。社会に背をむけ、自分の美しき要塞であり、記念碑でもあり、壮麗な墓場を・・・、自分の平安と自分への手向けを自分で創造する。しかも人知れずあらゆる仕掛けをはりめぐらせて・・・・。