The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

お知らせ

2006年07月25日 | Weblog
超妄想ロシア編に関するものは本館の「RUSSIA」にしまいました。
ロシアからペルシャという時間なので内容はかなり(?)暗めです(しかも未完)。また、管理人は原作を中心にエリック像を立ち上げている上に、自分の好みが目を曇らせている傾向が多分にあります。
最初に映画を見た時はファントムは繊細な青年でした。それが原作を読むうちに腹話術をやり曲芸をし、妖術を使うとんでもない悪党だと分かりました。しかも、クリスに対しては若干凶暴でもあり、ラウルでなくても「殺してやる!」と叫んでしまいそうです。ここまで書いて、いまいちエリックの魅力が分からなくなりそうです。(まあ、原作エリックは殺人道化師というおぞましさの極地的な存在でもあります)
「天上と地下を自由に行き来する人」とクリスが言う意味はよくわかりませんが、彼の内部は混沌として本人自身訳が分からない・・・部分も多分にあったように思います。そういう内面を抱えてオペラ座に醜悪なる姿を隠している・・・というイメージです。(どこが魅力なんだろう??)

彼の魅力は私にとってはやはり音楽や芸術に対する愛情の深さです。そして手を差し出して拒絶され「ごめん」と謝る一種の諦念です。狂った妄執と諦めが錯綜してのたうちまわる姿の激しさに惹きつけられ、圧倒されます。その情念の激しさは彼自身をも焼き尽くす激しい業火だった・・・(という設定には、ルルーに惜しみない拍手を送りたいです。)焼きつくさずには終われなかったのでしょう。諦念という剃刀を振り回す気違いじみたエリックに圧倒され、彼の内面に徐々に入っていくクリスの葛藤もかなりのものだったのではと思います。拒絶し、嫌悪し、恐怖しながらいざとなると決然とエリックをかばう姿が好きです。

しかし本音を言えば、ラウルとは何もかも逆で生まれから容姿、精神性にいたるまでしみじみ悪しく書いてあり、なかなか受け入れがたい設定の部分もあります。
でも「おそろしい腹話術師の呪われた声!」と出てくると、悲劇にいやらしさと独特の軽さや陰影が出てきてツボなんですね(^^)たまりません。
またラウルの屋敷にわざわざ出向く場面や二人を追いかけている姿は単に恋敵を追跡している以上の意味があるように思えます。それは自分にないもの、持ち得なかったもの、そのくせなくてはならないを求める姿です。


アジア時代を経て、オペラ座を要塞にして籠もる、という暗い行動も他人に煩わされ、不快な感情にこれ以上さらされたくないという強い意思と疲れと選択肢のなさを感じます。だから侵入者には容赦がなく「世界中のだれにも用がない」「水の精のたたりさ」「わたしは他人のことに余計なちょっかいを出したりしないのにねえ」などとのたまう。この「ねえ」というのもツボです。あと「・・・お友達」というクリスの言い回しも好きです。



個人的な解釈ですが、「岩窟王」の伯爵はカッコイイ、エリックはどこまでもおぞましくていやらしく、怒り狂うと圧倒されて恍惚とさせる力があります。地下でエリックの長々しい台詞を聞いていると彼に引き込まれてしまいます(~~)この「・・・」を多用した独特のしゃべり方たまりません。(今、ちょっと読んでみたらやっぱりいいですね、エリック。昼間の常識の中で考えないで、あの世界の中で考えると萌えます。ちょっと恍惚してしまいました)どちらも大好きです。





オリキャラの公爵は高貴なオペラよりも奇術が好きな人なのです。醜いエリックに惹かれるのは彼自身がエリックの外見同様おぞましいからでしょう。覗きにこない方が無難かと思います・・・・。

ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」

2006年07月25日 | Weblog
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
小沢 征爾 (指揮)

やはりベートーヴェンは偉大です。
何がどういうふうにとはうまく説明できないのですが、彼の曲を聴くと命をもらったような気持ちになります。


手塚治虫大先生が「ルートヴィヒ・V」を未完のままで亡くなられたのは本当に惜しいことです。不屈のルートヴィッヒに纏わりつくフランツの行く末が知りたかったです。

映画では「不滅の恋人」がベートーヴェンものでは一番繰り返して見ます。ゲイリー・オールドマンがベートーヴェンを演じています。音楽はゲオルグ・ショルティ指揮ロンドン交響楽団、ヨーヨー・マ、マレイ・ペライア、エマニュエル・アックス

この曲は生のアルゲリッチの演奏でも聴いたことがあり、最高の思い出です。

定期市  場面9

2006年07月25日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
あなたはこれまでに道化の寸劇を目にし、彼らの辛辣な軽口に
耳を傾けたことがありますか?私にはその機会がありました・・・。
御覧なさい。ほら、道化が自分の舞台、つまり見世物小屋の張り出し台の上にいます。
その下の見世物小屋の前には優美さと芸術を探り、美を求める大勢の人があふれています。
道化芝居の洒落は火打石の花火のように降り注ぎ、全員が心から気持ちのよい笑い声を立てています・・。

V・G・ベリーンスキイ
『ジヴォキーニ氏の慈善事業』(1835年)


背後にズビーデン売り、版画の行商人、ぺトルーシュカ(人形劇)


エリックには道化師・・・アルルカンの格好をさせてみました。なぜ「アルルカン」かといいますと管理人はピカソの青の時代の一連のアルルカンの絵が好きなのです。薔薇色の時代の豊かさも素敵ですが(^^)