The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

「ディア・ハンター」

2007年09月14日 | 映画について
また、しつこくロシア的な話題だったり・・・。
「ディア・ハンター」を見たこと事のある人だけどうぞ。 


映画を見ていると主人公たちはアメリカ人ですけれども、ロシア系の人たちらしいです。
結婚式でも教会はロシア正教風で、ダンス・パーティのシーンではロシア民謡も流れてきます。

つまりアメリカのロシアの血を持った人たちが戦争に駆り出されていったわけです。
また、ベトナムの兵士は旧ソヴィエト(ロシア)の支援していた国の兵士。
つまり「アメリカ」対「ベトナム」という図式は、裏を返せば、実は当然ながら「アメリカ」対「旧ソ連」という関係になるわけです。代理戦争と言うのでしょうか?
「ロシア」の血を持った人間が、強制的に「ソヴィエト(ロシア)の支援する北ベトナムの兵士」と戦わなければならなかった物語とも見えてくるのです。


この映画の持っているやりきれない悲しみのようなものは、もしかしたらそこにも込められていたんじゃないかと思ったりするんですね。

最初の鹿狩りのときに、優れたハンターは一撃で鹿をしとめるというようなことを主人公が言いますが、その一言が何度も弾を込めて撃ち合いをする最後のロシアン・ルーレットのシーンにもだぶりました。

何度も何度も強烈な死を味わうと言う、狂気へ導く無慈悲な極限状態との対比なのかも、とも思いました。

もちろん大国に翻弄・蹂躙されるベトナムの悲劇と言うのも考えなくてはなりません。


異教

2007年09月14日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

何となくですが、ブルターニュでのクリスティーヌというのは妖精さんを何度も目撃していたりして可愛い。

でも妖精さんってやっぱり異教的な非キリスト教的な存在ですよね。

「ガーゴイル」と言う言葉も異教的。

原作はキリスト教的な最後で締めくくられるのですが、クリスティーヌ(とラウル、もしかしたらエリック)と言う地方の子供は土着の幻想に取り巻かれていて面白いです。

ブルターニュやノルマンディーと言うのはケルト文化の影響もあるみたいです。
もちろん北欧の文化の影響もあるでしょうが。

ケルトといえばイギリス、と言うイメージがあるのですが泳いでも渡れる海峡を挟んだ地域なので重層的というか、様々な文化がやっぱり堆積しているのかもしれませんね。


あとぼんやり・・・あくまでもぼんやり思いついたのが「聖愚者」(ユロージヴァヤ)と言うロシアの存在とダーエ・パパの類似点など。

金に執着せず、神を讃えて放浪している「聖愚者」 

<聖なる愚者>は多くの場合、ロシアの村から村へと放浪の生活を送ります。16世紀から18世紀まで、彼らに宿を与えて世話をすることは各地の軍指令官の義務と定められていました。18世紀以降、それが農民の仕事とされてから、<聖なる愚者>によって戸を叩かれた家は有徳の家とされました。19世紀なかば頃まで、放浪の聖愚者が尊敬を集めていた様子がトルストイの『幼年時代』(1852年)などに描かれています。

「報酬を求めず、納屋に泊まっている」と言う描写からの飛躍した発想なのですが、そういう底抜けの清らかさ、聖性がクリスティーヌ→エリックと言うふうに伝わった・・・なんて妄想しています。



金銭に対してのエリックのスタンス、と言うのは一見非常に汚いです。恐喝してますから。

でも、クリスティーヌとの結婚を諦めるとすぐに返してしまったりと、彼独自の金銭感覚というのはユニークです。

というか、「人間から搾取する事に何のやましさも感じなかった」と言う部分は好きだったり・・・。