The Phantom of the Opera / Gaston Leroux

ガストン・ルルー原作「オペラ座の怪人」

シャニュイ事件

2007年09月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」

 

 シャニュイ事件は
(タイムカプセルを埋めた1907年6月28日)-(原作上の「私」がオペラ座の古い記録を調べている時点から30年前後)≒1877年
「ラホール王」上演後≒1878年頃 と言う計算です。


1 P263(ハヤカワ)で「劇場」が真っ暗になる→「舞台」が灯りに照らされる。と言う一瞬の明滅はガス灯でなく「電気的な照明」によるものだと思われます。

ガス灯は一瞬にして「消えたり」「点いたり」しません。


仮に客席が電気照明に変わった1881年以降にシャニュイ事件が起こったと考えるなら、まだ照明が電化れていなかった舞台より客席の方が早く灯りがつくはず。



2 オペラ座に来たてのラウルは度々「見たことのないまばゆい光」を目撃しています。
これはアーク灯だと思われます。その光を「見たこともない」と表現している事からラウルがオペラ座に来たのは1878年のアーク灯設置以前。
※ 1878年当時 オペラ座では「アーク灯」が使われていました。
 
彼は「アーク灯」という言葉すら知らないようです。



3 さらにパリ万博時にオペラ座前で電気ロウソク(アーク灯)の実験をした事実があります(1878年5月1日)。それ以前なのではないでしょうか? (パトロンの弟のラウルが見なかったというのは考えにくい。少なくとも「電気ロウソク」「アーク灯」という名称くらい知るはずです)


 原作中でヴェルディ作曲の『オテロ』(1889年初演)を歌っている」とも考えられます。しかし1816年ナポリ・フォンド劇場で初演されたロッシーニの『オテロ、またはヴェネツィアのムーア人』というオペラもあります。角川ですと「ヴェルディ作曲」となっていますが原文に近いといわれているハヤカワでは作曲者の名前は明記されていません。

4 仮面舞踏会が行なわれるのは1から2月。

 

原作中の「ブケーの死体が置かれていたのは大道具「ラホール王」の書割なのですが
の初演が1877年4月22日パリ・オペラ座なので1877年1月から2月というのはおかしいのです。

なのでシャニュイ事件は1878 年1月から2月あたりに絞り込める」とも考えられるような気がします。

ARCLAMP=舞台照明用語。アーク灯は炭素電極感の放電によるもので、白熱電球よりも古くから各種の照明として用いられた。
今日では取り扱いの容易な新しい放電管として、クセノンアーク灯などが実用化されている。


エリックの拷問部屋はもしかしたらこの1878年頃オペラ座のアーク灯に電力を供給していた電力会社から盗んでいたのかもしれませんね。












普仏戦争と築城

2007年09月26日 | ルルー原作「オペラ座の怪人」
普仏戦争中も自分の城造りに励むエリック氏。

「戦争中なのに・・・」


と思ってしまいがちですが、野を越え、森を越え、似たような事をしている人物がいます。

って2005年版の映画を見た時点でヴィスコンティのあの映画・・・「ルードヴィヒ」を重ねた人も多いのではないかと思います。



湖 舟形の白鳥 鍾乳洞

とか。



このルートヴィヒ2世、普仏戦争のあいだにもノイシュヴァンシュタイン城工事を続行。

電気仕掛けの人工洞窟にローレライを再現してみせたリンダーホフ城を造ったりなど共通点も多いような・・・。


熱帯園にも夢中だったと言うことです。ミュンヘンにガラス張りの温室など造っていたようですね。ちょっと絵を見た感じだと「ハウルの動く城」に出てくるような感じのものです。


今更な話題だったかもです。