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日タイ、リタイア生活

日本とタイでのリタイア生活をつづります

台湾2014 淡水紅毛城

2014-03-30 | アジア旅行
坂道を登っていくと赤い建物が見えてきた。17世紀に作られたサントドミンゴ城(通称紅毛城)だ。想像していたよりも小さい。城というよりは砦という規模で、後年修復されたのがはっきりわかる。中は博物館になっていて一部日本語の説明もあったのだが、読み飛ばしてしまったのが悔やまれる。というのも見学している間、窓越しに見える隣の建物のほうが大きくて綺麗だったので先を急ぎたくなってしまったからなのだった。

隣に建つ赤レンガの洋館は元イギリス領事官邸で、居間や台所などが再現されていた。明治期の日本の洋館のような内装でなんとなく懐かしい。

この紅毛城に来るまで15年かかった。1999年に初めて台湾を訪れた際に立ち寄ったのだが、その時は閉門時間に間に合わず門前まで来て引き返したので、いつか再訪の機会をうかがっていた。そして、昨年の夏にその機会がめぐってきたので真っ先に向かったのだが、なんとその日の早朝台風が通過したために臨時休館という不運に。またもや門前払いを食らってしまっていたのだった。そんなわけで過大な期待をしてしまったために城自体があまりに小ぢんまりとしていたのでちょっと拍子抜けの感になってしまったのだった。

台北郊外に位置する淡水の街はこの紅毛城をはじめ、真理大学や淡水教堂など赤レンガの建物が点在していて異国情緒たっぷりだ。限られた時間にもかかわらず何度も訪れてしまうのはそんな街並みの魅力も原因しているのだろう。

弾丸で一時帰国

2014-01-29 | アジア旅行
5年ぶりの日本はとっても寒かったです。事前に予想していたのは足など下半身の寒さでしたが、実際はマフラーにマスクという重装備だった顔のほうでした。頬を寒風が直撃してしばらく皮膚がつっぱってかさかさになってしまいました。

弾丸で帰国することになったのは免許証の更新のためです。年始だから混み合うだろうと少し早めに自宅をでたのですが、、東陽町の試験場に着いてみると今まで見たこともないような長い行列ができていました。結局1時間半もかかってしまいどっと疲れてしまいました。

せっかく都会にでたので、浅草へ。昼食にと入ったのは食堂ではなくて居酒屋。さすが浅草は昼からやっていますね。枝豆に煮込みに焼き魚をつまみにぐびっと一杯やって、浅草寺にお参りです。仲見世は正月に近い賑わいを見せていましたが外国人が多かったです。あちこちからタイ語が聞こえてきてびっくりです。芋きんやら鮎の塩焼きなんかをほおばって上方を見上げると、スカイツリーが近くに見えました。

帰り際に駅前のスーパーに寄ったらあれもこれもほしくなってしまったのですが、スーツケースの大きさと財布の中身を勘案して、おせんべいと日本酒といちごだけ。

日本と香港は近いというイメージですが、フライト時間の関係から行きも帰りもほぼ1日がかり。
3連休と言っても実質動けるのは1日だけ、文字通りあっという間に過ぎてしまいました。

年末インドシナ2  初めてのベトナム

2014-01-10 | アジア旅行
青色の機体がゆるゆると進んでゲートに到着した。だがなかなか扉が開かない。しばらしてブリッジの故障というアナウンスがあって、沖止め同様階段を下りてバスでイミグレに向かう。カウンターで帰りの航空券の呈示するとベトナム社会主義共和国のスタンプが押されたパスポートが戻ってきた。これで1999年のマレーシアから始まったインドシナ半島の国々をめぐる旅がファイナルを迎えた。

今回の行き先はホーチミン。多少割高だが時間の効率性を優先してバンコクからのパックツアーを利用した。ガイドと合流したら、客は自分ひとりだけだった。まず向かったのがレストラン。行程表にもあったので驚かなかったが、フォーだけかと思っていたら生春巻にお好み焼き風、それに炒飯まで出てきた。機内食を食べてわずか1時間後というのはツアー会社もわかっているのにどうゆうツアーの作り方をしているのか疑問だ。このあと戦争証跡博物館、統一会堂といったベトナム戦争ゆかりの展示施設を回った。西洋人たちは残酷な写真や戦車や飛行機などを普通の観光写真の感覚でたくさん撮っていたけど、私には無理だ。せいぜい行った場所の記録として戦車やヘリコプターだけ撮って出てきた。戦争は御免だ。
このあとガイドが「ペンダン市場に行きますか?ぼったくりだけど?」と聞いてきたのでパスして、聖母マリア教会と郵便局を見てきた。郵便局は中が駅のようなドームになっていてフランス植民地時代の空気を濃厚に残していた。

ドンコイ通り沿いのホテルにチェックインしたのは16時過ぎ。ガイドの勧めでパスポートや携帯電話をセーフティボックスに預けた。ツアーに含まれている夕食の時間まで2時間ほどあったので、近くを散策して翌日のフリータイムのルートを確認。コンビニでベトナムビールを買ってホテルに戻った。

夕食は徒歩5分のところにあるレックスホテルの伝統音楽や踊りを見ながらのディナー。ドンコイ通りはキラキラにライトアップされていて香港より明るかったのが印象的だ。その中をバイクが洪水のように流れていく。平和の証拠だ。食事のメニューは揚げ春巻、サラダ、鍋、菜炒めなどどれもおいしかった。朝からずっと食べてばっかりのような一日だったが、21時にホテルに戻ってツアーの予定は全部終了。
さあ、本番はこれからだ。

食べる台湾 寧夏夜市と延三夜市

2013-08-02 | アジア旅行
双連駅を出て西に歩くこと10分ほどで寧夏路の交差点に着きます。交差点の手前左側に牡蠣オムレツの店があって行列していますから、これが目印になるでしょう。
寧夏路は歩行者天国になっていて、道の両側に屋台が並び、その外側の本来の道端にもところどころお店があります。真ん中の通路は狭いので荷物を身っているとすれ違う人とぶつかってしまいそうになります。とりあえず店を見ながら歩いてみることに。焼物やご飯もの、氷菓、海鮮などいろいろな食べ物屋がありました。ときおり鼻を突くような臭いが漂ってきます。しばらく歩いて原因がわかりました。臭豆腐のお店でした。いつも敬遠しているのですが、今回は思い切って挑戦してみることにします。注文をとってから作り始めるのでデーブルでしばらく待ちます。周りを見るとほとんどの客が臭豆腐を注文していました。店の人は次々に豆腐を揚げていきます。運ばれてきました。一見するとただの揚げた豆腐のようにしか見えません。となりに酢キャベツが添えてあります。ひと口食べてみましたが、全然臭くない、不思議です。味も程よく染みとおった薄味でこれなら鍋に入っている具のような感覚で、どんどん食べられそうです。酢キャベツとの相性もよくて交互に食べると口の中がよい塩梅になります。一緒に牡蠣麺線も頼みました。ややどろっとしたスープの中に細麺が浮いています。こちらも癖がなく食べやすかったです。店を出てまた歩き始めると貝焼きの屋台がありました。丸い小さめの貝を焼き鳥のように串に刺したものです。オーダーしてお金を払ってからしばらく待つのですが、受取の仕方がよくわからず、ちょっと冷めてしまったのが残念です。また交差点のところに戻ってきました。相変わらず牡蠣オムレツの店には長い列ができていました。牡蠣は麺線で食べてしまったので、そのまま宿に戻ることにしました。ホテルの隣に鍋貼(焼餃子)の店があったので、持ち帰って部屋でビールのつまみにしました。

二日目は、延三夜市に行きました。地下鉄民権西路駅で乗換えて次の駅、大橋頭で降ります。出口案内に従って歩いていくと、出口のすぐ前から夜市が始まっています。といっても他の夜市とちがって歩行者天国ではないので道路を車やバイクがひっきりなしに走行しています。出口に近い左側を歩いていきます。途中照明がない暗いところを通りましたが、そこにテーブルが置いてあって何人かの人がかき氷を食べていました。ローカル色が濃い夜市です。しばらく歩くと賑やかになってきて魯肉飯のお店があったので入ってみました。ここは通りに面したビルの一角にあるふつうのお店で、屋台ではありませんでした。高菜のような青野菜を刻んだものがご飯の上に乗っていて、その上に柔らかい肉がど~んとのせてありました。もうひとつ、幼肉魯飯というのを頼みました。こちらは細かく刻んだ肉がのったご飯です。どちらもジューシーな肉のうまみが伝わってきます。排骨湯というスープもあっさりしていてご飯に合います。欲を言えば野菜が一品あるとよかったのですが、頼んだものは温かい漬物のようなもので予想はずれでした。この日は結構お腹が膨れたのですが、せっかくなので帰り際にかき氷とお餅のデザートも食べてしまいました。

台北再訪  繁華街で建築遺産めぐり

2013-07-31 | アジア旅行
地下鉄西門駅で降りると若い人たちでいっぱいだ。地元の人たちなのだろうか、地下鉄通路や階段にじかに座っている人が多いのが気になる。地上に出てみると日本の繁華街みたいなところだったが、通りが広いせいか日曜日としてはそれほど混雑してはいない。路地を2,3回曲がったところにひときわ人だかりする店を見つけた。

麺線の店だった。行列の先では若い職人が大きな鍋を傾けながらお玉をリズミカルに動かして麺をお椀によそっている。変わっているのは、この店にテーブルとかカウンターがないことだ。客は注文をしてレジで代金を支払い、その先で麺の入ったお椀を受け取り、レンゲを取って店の敷地内の適当な場所でそのまま立って食べる。究極の立ち食いシステムではないか。次から次に列に並ぶ人がいるので自分も並んでみた。お椀の中はどろっとしたスープの中に細めんとパクチーのような青い葉っぱがちょこんと乗っている。食べてみると、麺のほかに同色の小さな塊が入っていてどうやらこれが豚の大腸らしい。見た目ほどくどくなく、するっと胃の中に入っていった。食べ終わったら所定の場所に食器を戻して、ごちそうさま。なるほど人気が出る店だと納得。

大通りを挟んで反対側の出口付近は人通りが少なくて落ち着いたたたずまいだった。広場の前に大きな重厚な建物があった。中山堂という。一見したところ旧日比谷図書館のような感じだ。この建物は1936年に公会堂として作られたもので、井出薫の設計による。中に入るとドアや天井にも装飾が施され日本に残る洋館のようで懐かしい。折れ曲がって上階に続いている階段の部分は昔通学していた高校の今は取り壊されてしまった校舎を思い出させた。登っていくと展示室やカフェがあってそこそこの人が集まっていた。

もういちど大通りを渡って賑やかな一角にでると今度は赤い八角堂の前に出る。西門紅楼と呼ばれる建物である。こちらは1908年、近藤十郎によって作られたもの。公営市場とホールから成り、当時は日本人街の中心であったようだ。八角楼の部分はカフェとレトロな展示スペースとなっており、昔の広告看板などがあった。ハチブドー酒、森永ミルクキャラメル、味の素など昔の看板が懐かしい。その奥にはいくつかのショップがあった。古風なデザインの小銭入れを見つけてお土産にした。

そばに落ち着けるカフェがあるということだったので、行ってみたがあいにく満席。こんなことなら中山堂のカフェに入っておけばよかった。と思いながらも疲れたから今日の予定はこれでおしまい。宿に戻ることにした。